どうしちゃったんだよ
ビシビシ! っと、頭を叩かれ目を覚ました。
「……ぉぃ……ぉいっ……おいっ!!」
なにやら騒々しい男たちの呼び声が聞こえたかと思うと、体のあちこちに痛みが走った。寝入りっ鼻を起こされたのか、脳みそがボーっとして、自分が今上下左右のどこを向いているのかさえわからない。
おあ? なんじゃこりゃ……
頭の中で疑問符がいくつもいくつも浮かんでは消えていく。
肩を乱暴に揺さぶられる。堪らずその手を払いのけようと思うのだが、腕が上がらなくて成すすべが無かった。目は覚めてるつもりなのに、目の前は真っ暗。もしかして、自分はまだ眠ってるのだろうか? それともこれがかの有名な金縛りと言うやつか。
「ん……うあー……」
手足が動かないので、動かせる体の部位はないかと、力をこめたら声が出た。その言葉に答えるかのように、辛らつな響きのこもった男の声が頭上から降ってきた。
「む……気がついたのか、藤木藤夫。貴様には黙秘する権利がある。弁護士を呼ぶ権利がある。全ての供述は貴様に不利な証拠として扱われることがある」
「んあ?」
「連れてけ……」
おいおい、本格的になんじゃこりゃ?
体に力を入れようとするのだが、身動きが取れなかった。さっきから目を開けてるはずなのに、真っ暗で何も見えない。と言うか、心なしか息苦しい。次第に冷静さを取り戻してきた頭で、よくよく回りを確かめてみると、どうやら自分は何者かに、がっちりと体をホールドされているようである。
「ちょちょちょ、ちょっと!? あれー?」
ジタバタと暴れようと努力するが、手足が縛られたかのように動かなかった……と言うか、縛られていた。なんだこれは? と自分の体を見ようと懸命に顔を動かすと、チクチクとした繊維が頬を引っかいた。どうやら頭に麻袋でも被せられているらしい。
「おいおいおい! なんだこれ! ちょっと! やめろっ! ぎゃああああ!!!」
状況を確認しようにも前後不覚。暴れようにも手足が動かず、そのふん縛られた手足をつかまれ、サーフボードのように抱えられて藤木は運ばれているようだった。
寝起きにこんな仕打ちを受けて、藤木はマジびびりしつつ、パニックになって叫んだ。
「わあああああ!! ママー! ママー! 助けてよー!!!」
「嫌よ」
すると、割と近くからにべも無い声が聞こえた。あれー?
「ええい、神妙にしろ、このすっとこどっこい。あ、お母さん、こいつ借りてきますね」
「はいはーい」
くっちゃくっちゃと咀嚼音が聞こえる。運ばれる最中、彼女の付近を通り過ぎるとチキンの香ばしい臭いが鼻をくすぐった。
「おい、こら、てめえ! 税込み170円で息子を売りやがったな!?」
「残念だったな、藤木藤夫。おまえの価値なぞキャンペーン中108円で十分だ」
「安いっ! 安すぎるよ! 親ならせめて2本までは粘ってくれよ!」
ぎゃあぎゃあわめき散らしながらも、簀巻きにされた藤木は、男たちに抱えられて灼熱の太陽降り注ぐ町に連れ出された。時折、通行人がドン引いてる雰囲気と、子供たちの爆笑が聞こえてきたが、助けようとするものはついぞ現れなかった。日本はなんて平和なのか。
最初はそれなりに抵抗していた藤木であったが、途中からは運ばれてるだけなら楽だから、別段暴れることも無く運ばれて、やがてクーラーのギンギンにかかったどこぞの室内に連れ込まれると、どすんと床に乱雑に転がされた。
「ぎゃっ! せめて下ろすときは下ろすと言えっ! 舌噛んだわ」
文句を言う藤木を無視し、男たちはごそごそと何かの作業を続けていた。音だけを頼りに、どうやらカーテンを閉めたのだな? と思っていると、カチカチと何か機械を弄る音が聞こえてきた。何をされるのだろうと、ちょっとドキドキしていたら、頭に被されていた麻袋が乱暴に取り除かれ、かと思えば、いきなり白熱電球の強烈な光を顔面に浴びせかけられた。
「まぶしっ……」
「藤木藤夫。今日、おまえをここへ連行した理由は分かってるな?」
「……いや、分からないけど」
「なにぃ!?」
男たちは激高している。藤木は溜め息を吐きながら、
「つか、諏訪と大原だろ。そろそろ落ち着かないから、このわけ分からん強引な所業を説明してくれないか」
諏訪と大原と呼ばれた男たちは、地団駄を踏みながらも藤木に浴びせかけていた電気スタンドのスイッチを切ると、カーテンを開けて、藤木の拘束を解いた。場所は乱雑に漫画雑誌が散らばる6畳間。かつての悪友の私室であった。
男たちは藤木を担いできたせいか、全身汗でびしゃびしゃで、ぜいぜいと息を乱しながら真っ赤な顔をして藤木を睨んでいる。何が彼らをそこまで駆り立てたのか、多分、ノリと勢いなのだろうが……見ているだけで暑苦しい男たちに、げんなりとしながら藤木は続けた。
「それで、一体全体どういうことだ? いきなりこんなとこまで拉致ってきやがって」
「貴様……この期に及んでまだ白を切るというのか!? 本当にわからないと言うのなら教えてやる。これを見ろ!」
言うと、男の片割れ諏訪が何やら紙切れをペロンと見せてきた。
それは藤木が1学期の大半を使って書き上げた同人原稿をプリントアウトしたものであった。昨晩、サークル代表の諏訪に、原稿データをメールしたばかりである。締め切りギリギリではあったが、6月とは違ってちゃんと期日どおりに上げたつもりである。
「……それが、何か? 今回はちゃんと間に合うように送ったろ」
「かあー! 情けない! ここまでやってまだ分からないなんてっ!!!」
もう一人の男、大原が天を仰ぎながら大げさに嘆いて見せた。
諏訪と大原は中学時代の同級生で、藤木の所属する18禁同人サークル・カワテブクロの一員であった。ネットに散らばるエロスに対するリビドーだけで結成された、当初、5人で始めたサークルであったが、1人が脱退し、1人が休養中で、現在はこの3人で活動していた。
季節は夏、八月初頭。もう1週間もすれば、全国のオタク待望のあのイベントが開催される。締め切りを過ぎれば、即座に印刷所の値段も上がるこの時期、藤木も今回ばかりは遅れるわけにはいかないと、気合を入れて入稿したはずだった。
藤木は手渡された自分の原稿を、改めて一から見直してみる。どこかペン入れ忘れでもないか? 下書きの消し忘れは? トーンの付け忘れもないか……
首を捻り、うんうんと唸り続ける藤木に業を煮やしたと言った感じに、諏訪が嘆きながら言うのであった。
「いや、技術的な問題じゃないよ。寧ろ去年に比べたら著しく腕が上がってると思う。そうじゃなくて……おまえ……本当に、わからないの? これが、どんだけふざけた内容なのかって。自分の原稿作業に追われて、ロクに目を通してなかったが、入稿前に気づいてぶっ倒れたわい。だから先にネームだけでも見せろって言ったのに……」
「ええ?」
言われて再度見直した。どうやら彼らは藤木の漫画の内容がお気に召さないらしい。そうは言っても、自分なりに頑張ったつもりだし、なによりこれは同人誌だろう。ある程度は大目に見てくれても良さそうなのに……
一体、何がそんなに気に入らないのだ?
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
カイーンカイーン……一合、二合と、女騎士の剣とオークの棍棒が打ち合わされる。力任せに振り下ろされる棍棒を、巧みな技で回避し続けていた女騎士であったが、しかし力の差は歴然であった。
善戦及ばず、ついに女騎士の剣が弾け飛ぶ。
「くっ……殺せっ」
武器を落とし、傷ついた女騎士が崩折れる。
と言っても相手は性欲の塊であるオーク。もちろん、一思いに殺してもらえるはずはない。
ビキニアーマーの隙間から覗く白い肌に青あざが浮かぶ。だくだくと大量のよだれを垂らしながら、華奢な彼女の体を嘗め回すような、いやらしい目つきを隠そうともしないオークが近づいてきた。
ああ、きっと女騎士は手篭めにされてしまうのだ。異種族間なのに、何故か生殖機能だけは立派に働いて、孕まされてしまうに違いないのだ。
女騎士、絶対絶命のピンチである。
「オジョウサン、オトシモノ」
「……え?」
自らに訪れるであろう陵辱の未来に打ち震えていた女騎士は顔を上げる。そこにあったのは、なんと白い貝殻の小さなイヤリングであった。
「まあ! オークさん。ありがとう! お礼にまぐわいましょう」
「ラララランランランランラーン」
「ラララランランランランラーン」
なんか知らないが、争っていた二人はララララ歌いながらまぐわい始めた。緊迫感に顔を歪ませていた女騎士は、今ではアヘ顔ダブルピースである。
そして3年の月日が流れた。
母となった女騎士はオークの子を愛おしそうに見守りながら、また大きくなった腹を撫でるのであった。完。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「なにがランランランじゃああああああぁぁぁーーーーーー!!!!!!!」
ビリビリビリーっと容赦なく原稿が破かれた。
「ぎゃあああああああああ!!!!」
紙くずとなってしまった原稿の束を、藤木は必死にかき集めた。
「な、な、なんちゅーことしやがんじゃー! これを描くのにどんだけ苦労したと思っとんじゃ、われぇ!」
「いや、データ入稿だからね。それ、ただプリントアウトしたものだからね」
そうだった。
「いや、確かにそうかも知れないが。だからって、他人の原稿をこんなぞんざいに扱って、許されると思ってるのか……って、あいたー!!」
抗議する藤木に、問答無用と鉄拳が左右から飛んできた。冗談抜きで、二人ともご立腹の様子である。
「原稿だって? これが? はあ? これが原稿? こんなの原稿じゃねえよっ! 足りねえ……足りねえんだよ」
「足りないって、なにがさ……」
「……こいつには、エロスが足りねえんだよおおーー!!!」
諏訪はお父さんが殺されてぶちぎれた孫御飯のごとく力いっぱい叫んだ。
その叫びは鼓膜のみならず、心の奥底に眠るライオンを震わせるのに十分な力強さを持っていた。
ついでに、全力で否定された藤木は、ほんのちょっぴり傷ついた。
「こんな話で、ちんこが立つかあー! 女の裸が描いてあれば、それだけで良かった時代は終わったんだ。肝心なのは中身、セックスに至るシチュエーションなんだよ! この原稿には、エロスが足りない。おまえのリビドーはどこいった!? どうしてこんなんなっちゃったんだよおー……」
「そっ……そうかな」
「いや、ある意味シュールで面白かったけど……でもさあ、これって、陵辱の女騎士【2】だろ? 【1】はどうしたんだ、【1】は。冬コミで連れ去られた女騎士が守っていたお姫様。オークの群れに無残に処女を散らされ、恥辱と絶望を散々味わわされた挙句に屈服し闇落ちした姫は。展開変わりすぎんだろう!!」
「いや、確かにそうだけど。でもまあ、前作読んだ人なんて、それこそ数人いるかいないかじゃん。ちょっと方針変わったつーか、大目に見てくれてもよくないか」
激高する諏訪に変わって、比較的冷静な大原が突っ込みを入れた。
「あのな、藤木。そりゃ、俺たち弱小サークルかも知れないけど、だからこそ、いい加減なことはやめようぜ? ほんの一握りの読者のためにも、整合性の取れないものだけは作っちゃいけないと思うんだ」
「うっ……」
「なあ、もう締め切りまで時間もないから、これはこれで仕方ないと思ってる。おまえが本気で、この漫画はこれでいいと思ってるなら、もう文句も言わないさ。でも、こんなの納得いかなかったんだよ。俺たち仲間だろ? こうなる前に、相談してくれても良かったんじゃないか」
問いかける友人たちの声は誠実な響きを持っていた。こいつらはエロではあるが悪ではない。純粋に藤木のことを心配していることは、彼にもよく分かっていた。だから、真面目に応えねばなるまいと、藤木は思うのであった。
藤木は溜め息を一つ吐くと、それに至った原因はぼやかしながらも、彼の身に起こっている理不尽な病魔について、友人たちにカミングアウトするのであった。
「実は……勃たないんだ……」
「……え?」
寝耳に水。一瞬、藤木が何を言ってるのか分からないといった表情で、彼らは目を丸くした。
「勃起しないんだよ、ちんこが!」
「な、なんだってェー!!」
「勃起障害になってからおよそ1ヶ月半。その間、何を見ても反応しない息子を抱えて、俺はエロスが何なのか必死になって考えた。でも駄目なんだ……」
「ちょ、ちょっと待て。つい、MMRみたいな反応しちゃったけど、マジなのか?」
「ああ……マジだよ。なあ、おまえら……おまえらはさ、どういう基準で良いエロ同人と悪いエロ同人を判断してる? そりゃ、絵の上手い下手はある。話の面白さも大事だ。でも、やっぱり一番大事なのは、ちんこが立つか、立たないかだろう? 少なくとも、俺は今までそれだけだった。ところがその判断基準となるちんこが立たないんだ……そしたら俺、自分でエロ同人描いてても、本当にこれが正しいことなのかってわからなくなっちゃって……だってそうだろ? 女を陵辱することなんて、本来いけないことじゃないか。勃起もしないクールな頭で、そんなのを読んでいても、ただ胸糞が悪くなるだけだった。そしたらもう、描けなくなっちゃったんだよ」
「うっ……」
藤木の告白が思ったよりヘビーで、諏訪と大原は絶句した。
「でも、おまえらに迷惑もかけられないから、なんとか形だけでも提出しようと思ってさ。切ったネームがあれだった。これが、今の俺の精一杯なんだよ……」
「信じられない……あの藤木が……リビドーの申し子、歩く精子、絶対犯す犯すマンとまで呼ばれたあの男が……」
そんな呼ばれ方してたの!? 初めて知ったよ!?
「にわかに信じられないのだが……じゃ、じゃあさあ? おまえ、これから俺たちとエロ動画見ても、絶対勃起しないと言うわけだな?」
「ああ、立たないね。なんならパンツを脱ぎ捨てて、ブリッジしながら見ても構わない」
「それは逆立ちして鼻からスパゲッティを食べるより困難だな……よし、そこまで自信があるなら、やってもらおうじゃないか」
「ああ、いいぜ。でも俺だけ疑われるんじゃ癪だからな。おまえらもパンツ脱げよ」
「よかろう。かかって来い」
そういうと、藤木たちは全員、ズボンをおろしてパンツを脱いで、一物をぶらりと垂らした状態でベッドに腰掛け、適当にエックスビデオで見つけたエロ動画を鑑賞しはじめた。
「……やっぱ、ズボン履いていい?」
「うん……」
何かいけない雰囲気になりかけたので、やっぱりズボンを上げた。
数時間後。
「ちょっ……俺、トイレ」「俺が先だ」「なにを! じゃあ俺は風呂場で……」「馬鹿、側溝が詰まることを知らんのか」「それは都市伝説だ、もしくはただ掃除が行き届いてない家でおこった悲劇ってだけだろ」「え? そうなん?」「たかが3ccのネバネバでどうなるっつーんだ。抜け毛くらい毎日掃除しろ」
素人投稿っぽい雰囲気のプロの作品の、その艶かしい喘ぎ声に股間を直撃された諏訪と大原がぎゃあぎゃあとわめき散らしているのを尻目に、藤木は頬杖をつきながら、心底つまらないといった声で、
「なあ、これ、エロいか?」
「エロいよ!」「エロ過ぎるわっ!!」
藤木の問いかけに、力いっぱい答えた二人は、途端に中腰になって股間を押さえながらよちよち歩きで部屋から出て行った。行き先はいわずもがなであろう。
そうか……エロいのか。
モニターの中で男優と絡み合うAV女優。あれほど輝いて見えた彼女たちが、今はただただ滑稽に見えた。
彼女たちは商売でやっているのだ。だから、罪悪感など感じずに、ただひたすらに楽しんでいれば良いだけなのに……それでも、藤木の息子は応えてくれない。
なあ、のび太君、応えておくれよ……伸び伸びと大きく育って欲しいと名づけたはずだった。だがそれは今もまだ、ぶっ倒れて伸びた状態のままであった。