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テクノブレイクしたけれど、俺は元気です  作者: 水月一人
3章・パパは奴隷でATM
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夏休みはまだ始まったばかりである

 こと人間は自分の息子をつかまえて、目に入れても痛くないほど可愛いなどと、大げさに表現するものである。


 しかし他人からしてみれば、何言ってんだこの親馬鹿は!? きんもー!! ってなもんで、分かってもらえるわけもないし、実際に目に入れちゃったらそりゃ痛いしグロいに違いない。


 ここは一つ落ち着いて、口に入れても構わないくらいの、ライトな表現にすべきではなかろうか。過ぎたるは及ばざるがごとし。何事も行きすぎは良くない、ほどほどが肝要なのである。例えばヨヨだって、サラマンダーより若干速いくらいに言い留めておけば、あそこまで憎まれることは無かったであろう。


 ともあれ、実際には体の硬さがそれを阻んだが、もし可能であったならば、藤木は愛する息子のためならば、口に含むくらい容易いことだと本気で考えていた。と言うか、一度チュパえもんのように試してみようとして、酷い目にあった。何の話かと言えばナニの話である。きんもー! とか言うんじゃない。


「……のび太君。君がいなくなっただけで、部屋ががらんとしちゃったよ……ねえ、早くいつもの元気な姿を見せておくれよ……」


 藤木は、うな(うなだ)れ独りごちた。


 部屋には誰も居らず、呟きは壁に反響して消えていくばかりだった。


「……ねえ、のび太君。答えてくれよ……」


 いや、藤木は決して独り言を呟いていたわけではない。


 そう、彼は股間に語りかけていたのである。


 説明しよう。精通したおよそ9割の男子が、自分の息子に対し愛称をつけて可愛がっている(藤木調べ)、と言う事実は大変有名である。のび太とはつまり藤木の息子のことであり、どこまでも大きく伸び伸びと育って欲しいという気持ちを込めて名づけられたそれは、いま萎びたえんどう豆のように力なくだらりと垂れ下がっているのであった。


 藤木はその元気の無い一物に、必死に呼びかけた。


「ほらっ、見てご覧。プリティでキュアキュアだよ? お父さん、のび太のために昨日徹夜で頑張って作ったんだ……ふふっ」


 呼びかける声は優しげであったが、どこか切実でもあった。しかし、息子はピクリとも動かない。


「……キミと……キミと初めて語り合った日は、いつのことだったか。そう、それは俺が小学5年のとき、初めての保健体育の授業。女子だけが視聴覚室に集められ、生理と精通が急上昇ワードと化したクラスの中で、オナニーと言う概念を初めて持ち出してきた、ちょっとオマセな友達が居たんだ。俺たちは、彼をカリフと崇め、彼の実演をもって新世界への扉を開いた。親も寝静まった深夜のベッドの中で、白濁とともに初めて君は答えてくれたね」


 出したは良いが、拭くティッシュが無いことに気づいて、泣きながらパンツを汚したあの夜……


「今思えば、ちょっと照れくさいね……ねえ、のび太……どうしちゃったんだい? あの日の君は勇敢で野蛮だった。初めての刺激におっかなびっくりの俺を導くように、違う、そうじゃないって叱ってくれた。もっと勇気を出して上下にしこるんだって。君のあの一言が無ければ、俺はあと一歩が踏み出せなかった」


 Jポップっぽく呼びかけるが、握り締めた股間の一物は、それでもピクリとも動かなかった。


「見てくれ、このアルギニンを。亜鉛を。エビオス錠を! 洋の東西を問わず集められた、おかずの数々を! こうまでしても、君は応えてくれないというのか……蘇ってはくれないのか……息子よっ!!」


 藤木の両の目から涙がどばっと溢れた。見る人が見れば、病気にかかり、今にもその命のともし火が消えてしまいそうな息子に対し、親が語りかける哀愁にも似た感動的なシーンを想像するだろうが、


 スパンッ!


 と、押入れの襖を開いて中から出てきた天使にしてみれば、パソコンデスクの前でズボンを脱ぎ散らかして、股間をニギニギしながらブツブツとわけの分からないことを呟き続ける、藤木の方が病気に見えた。


「……あ、お取り込み中でしたかにゃ? 出直してまいります……」

「ポチか……いや、構わんよ」

「え、でも、オナニーするときは誰にも邪魔されず、一人で静かで豊かでって言ってたじゃないですかにゃ」

「へ、へへっ……おまえには……おまえには、これがオナニーに見えるのかい?」

「え? いや、その……すみません。こっち向かないでくださいにゃ」

「いいから、見ろよ。ほら、よく見てみろよ。なあ? こんな息子で、オナニーが出来ると思うのかい?」

「にゃにゃっ……なんか、すみませんでした。本当にすみませんでした」


 何か知らないが自虐的な乾いた笑みを漏らしながら、股間の一物を見せ付けてくる藤木に対し、天使は言いようの知れぬ恐怖を感じて、とりあえず謝罪しながら逃げるように部屋から飛び出していった。


 藤木はそれをニタニタとしながら見送り、そして扉が閉じると同時に、はぁ~っと、長い長い溜め息を吐くのであった。PCの時計を見れば、午前6時10分。


「6時間も弄ってたのか……」


 萎びたえんどう豆を鞘に戻して、藤木は重くなった腰を上げると、一晩中ハッスルするだけハッスルして徒労に終わった汗を流しに風呂場へ向かった。


 あの日……邑楽(おうら)修を助けるために、彼に憑依したあのとき以来……藤木はパートナーを失った。


 やんちゃで、我がままで、聞かん坊だったけれども……どうしようもなく繊細でもあった。


 知人の妹が遭った災難に、藤木は酷く同情した。それなのに、その犯人を、自分の人生を無駄にしかけてまで助けた……なんて馬鹿なのだろう。放っておけば良かったじゃないか。どうしてあんなことをしたのだろう。どうしようもなく後悔した。


 そして、のび太はあの日以来、藤木の呼びかけに応えてくれない。


 彼の病気は言わずもがな、勃起障害(ED)いわゆる、インポテンツである。

 

 


「にく……うま……」


 シャワーを浴びた藤木がリビングへ来ると、ジュウジュウと肉の焼ける香ばしい香りが広がっていた。炊飯器からは黙々と水蒸気が立ち上り、冷蔵庫の上に置かれた電子レンジがブーンブーンと大きな音を立てて稼動している。


 テーブルの上には水を切っただけの大量の野菜が、ボールにそのまま入れられて出されていた。そして、これまた焼いただけで味のついていないブロック肉の切れ端が、ジロー盛りにされて皿に乱雑に積み上げられていた。その圧倒的な存在感は、男子高校生の食欲をそそったであろうが、藤木は胸焼けしかしなかった。時刻は午前7時前。おまけに徹夜明けでは胃に堪えないわけがない。


 ぷしゃっと自慢の握力でレモン汁を肉に満遍なくぶちまけると、母は餓鬼さながらに肉にむさぼりついた。口の周りが油でギトギトしていて、見ているだけで吐きそうになった。


「んめっ……んめぇ!」

「どんどん食べてください。まだまだお代わりありますにゃあ」


 妊娠5ヶ月に入りお腹が目立ち始めた母は、つわりからも解放されて、いよいよ食欲魔人と化していた。くっちゃくっちゃと音を立てて肉を(むさぼ)り食う母親を尻目に、藤木は吐き気を堪えつつトースターにトーストをセットした。そしてコーヒーを飲む人が居なくなったので、セルフサービスでインスタントを入れた。


 入院していた母親が家に帰ってくると、家事の一切は天使が受け持つようになった。食欲の増した母親にあわせ、それまでパン食だった朝食はごはんに代わり、栄養価の高い食事が中心に据えられていた。


 藤木も初めはそのご相伴に預かっていたのだが、5日もすると体重の増加が気になり始め、一人だけ元の食事に戻させてもらった。あと1~2年若ければなんとかなったかも知れないが、とてもついていける量じゃない。


「男子のくせに小食なんて情けないわねえ」


 と母親に煽られたが、おまえの食欲の方がおかしいのである。辟易しながら眺めていると、リビングの扉がガチャっと開いて小町が顔を覗かせた。


「おはやう……」


 寝ぼけ眼をこすりこすり、何をしに来たのかと思えば……


「朝っぱらから、こんな匂いさせられたら寝てられるわけないでしょ。もうちょっと周りのことも考えて献立作りなさいよね。いただきます」


 言うが早いか、合流した小町もずぞぞずぞぞと音を立てて肉を貪り食い始めた。なんだこれは、餓鬼の群れか……戦慄しながらトーストを齧ると、藤木はテーブルの隅っこで肩を竦めて小さくなるしかなかった。

 



 フードファイターが跋扈するリビングからさっさと抜け出そうと席を立ちかけると、小町が話しかけてきた。


「そういや、あんたら補習授業終わったんだって?」

「おう、やっとな……これでようやく夏休みだわ。と言うわけで、今から寝る。部屋の出入りは構わないが、あまり五月蝿くしないでくれよ」

「早速、昼夜逆転してるのね……」


 藤木は洗い立ての髪の毛を、サラサラとかきあげて、


「どうせ昼間に出来ることなんてなんも無いだろ、こう暑くっちゃ」


 言うと、小町はしかめっ面をして辟易するように言った。


「っていうかさ……藤木、なんか感じ変わってない?」

「え?」


 きょとんとして聞き返すと、小町は言いづらそうに、あーとかうーとか唸り声を上げてから、渋々と言った感じに続けた。


「その……いかにも、イケメンっぽく髪の毛かきあげるの止めてくれないかな。なんか調子狂うっていうか、きもいっていうか……」

「きもいって……髪の毛ちょっと伸びたのかな。切った方がいいか?」

「えー……そのままでいいけど……なんだろう。なんか凄く、不自然な」


 いまいち要領の得ない言葉に疑問符を飛ばしつつ、藤木は小町の顔を覗き込むようにして近づけると、


「ちょっ……近い、近いから」


 小町は顔を赤くして顔を背けた。まるで乙女のようである。なんだこれは。


「あんた、シャンプー変えた?」

「うんにゃ」

「おかしいわね……なんか、凄くいい匂いがする。髪の毛もいつもは路上生活者みたいにゴワゴワだったのに、今はサラサラだし……あれ? 心なしか、まつげも伸びてない? ……うわっ! なにこれ!? 少女マンガみたい。ちょっと、瞬きするとパタパタ音鳴ってるわよ!?」


 そんな馬鹿な……と、目をパチクリさせたら、バチィーっと音を立てて星が飛んだ。


 小町はその瞬きに顔を赤らめると、ドキドキする胸を押さえるように手をやり、肉を掴んでいた箸をおいた。何故かもう、食欲も無いようである。


 その様子を見て母親が茶々を入れた。


「あらやだ、恋かしら」

「ぎゃああ! そんなわけ無いでしょう!? いくらお母さんでも腹パンするわよ!」

「いや……身重なんで。調子に乗りました。勘弁してください……」


 意気消沈する母親を尻目に、どぎまぎと慌てふためく小町。困ったなと言った感じで藤木が頭をかくと、なにやらその姿にもキュンキュン来るのか、肩を竦め腕を膝の上に伸ばして、彼女はモジモジするのであった。


「おかしいわ……藤木ごときに……くっ」

「なんか、凄い不愉快なこと言われてる気がするが……俺は何も変わってないと思うぞ。おまえの方こそどうしたんだ」

「そんなわけないわよ! 絶対、あんたがおかしいのよ……雑誌の裏表紙に書かれてるようなフェロモンスプレーとか使ってない? ペペローションとか塗りたくってない?」

「おまえはペペローションをなんだと思ってるんだ。そんなことしねえよ」

「それじゃ、ここんところ、何か変わったことでもなかった? それとも何か習慣を変えたとか」

「いやあ~、思いつかないが……うん?」

「あっ、そういえば……ここのところ壁ぬけしてこないわね」


 二人同時にそれに思い至ったのか……小町が先に口に出した。


「あんた……いつからオナニーしてないの!?」

「ぶうぅぅぅーーーーーっっ!!」


 食べていた肉を盛大に噴出した母親を気にも留めずに藤木は答える。


「おお! そういやかれこれ……もう、一ヶ月以上になるな」

「それよっ! あたし、聞いたことがある。オナ禁すると、抜け毛が減って、ヒゲが薄くなって、肌がきめ細かくなって、明るくなって、女の子にモテるようになって、顔つきが変わって、性格も変わって、思慮深くなって、頼り甲斐があって誰からも愛されるような人物になるって!」

「マジかよ! オナ禁すげえな!?」


 驚愕し、自分の顔をぱちぱちと叩くと、垂れ流されたフェロモンが小町を襲った。


「ちょっ……やだっ。そんな目でこっちを見つめないでよねっ」

「そんな目ってどんな目だよ……」苦笑いしつつ、小町を見たら、「って、おまえ、耳まで真っ赤じゃん……マジなのか?」


 オナ禁にそんな効果があるなんて、ネット上のネタだと思ってたのに。


「その……ずっと迷惑だって思ってたけど……あんた、ちょっとくらいならオナニーしてもいいのよ!? 寧ろ、オナニー、しなさいよ」

「げほっ! げほっ!」


 母親が咽ていることはさておき、幼馴染が顔を赤らめて、オナニーしなさいよなんて……ほんの少し前の藤木だったらすぐにトイレに駆け込んでいたに違いない。しかし、オナ禁効果で思慮深くなっていた藤木はそんなことはせず、寧ろ幼馴染を慮り、


「ごめんよ、小町。君を困らせるつもりは無いんだけど、今はちょっと無理なのさ。でももし、その時が来たら、君を頼ってもいいかい?」

「え? う、うん……」

「ありがとう、小町。俺は君が幼馴染で、本当に幸運だなあ」


 と言うと、藤木はバチッとウインクした。


 まるで核爆弾のスイッチでも押されたかのように、リビングがまばゆい光に包まれた。肉の焼ける匂いで充満していたリビングは、いま藤木のフェロモンの侵食を受け、ピンク色に染まった。


 小町は体の奥底から突き上げるときめきに全身を貫かれた。


「う……うわあああ!! こんなの藤木じゃないよ~!!!」


 止め処なく溢れる落涙で、リビングの床をびしょぬれにしながら、小町は部屋から飛び出していった。吹き抜けた一陣の風が、彼女の残り香を運んでくる。それはとてもニンニク臭かった。


「あらやだ。私、子供と孫が同級生になっちゃうのかしら」


 取り残されたテーブルで、母親が一人で肉の山を崩していた。不用意な発言をしてると、マジで腹パンされるぞ……それに、残念ながらそれはない。何しろ、したくってものび太が答えてくれないのだから……




 そんな具合に、思わぬEDの副作用で小町をどぎまぎさせつつ、藤木の夏休みは始まった。


 彼はまだ気づいていなかったが、それは人生で必ず1度は訪れるという、モテ期であったに違いない。


 しかし性欲が減退したが故に訪れたそれは、彼にしてみれば、はた迷惑な特性以外の何ものでもなかった。おまけに、女性にしか効果がないであろうその特性が、思わぬところに影響を与えて、いま藤木に襲い掛かろうとしていたのである。


 彼はそのことに気づくこともなく、幼馴染を見送って、朝食を食べ終えると、寝支度を整えてベッドに入った。


 昨晩、一晩中粘ってみても、うんとも寸とも言わなかったのび太は、横になってニギニギしてみても、やはり応えてくれることは無かった。彼は溜め息交じりの深呼吸をすると、そのまま眠りに落ちていった……


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