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テクノブレイクしたけれど、俺は元気です  作者: 水月一人
2章・がんばれがんばれ
69/124

それは憶測に過ぎないのであるが……

 その日、部活の昼練の最中にサイレンが鳴り始めた。長いことこの町に住んでいたが、初めて聞くその異様な放送は、董家拓海に一抹の不安を感じさせたが、しかし部活仲間とこえーこえーと無邪気に言い合っていたら、さして気にもならなくなり、そのまま忘れてしまった。まさか、そのサイレンがそれから始まる一連の悲劇の予兆であったとは露知らず、彼は午後の授業を終えると、教師の指示通りに家へと帰宅した。


 董家は家へ帰ると部活を行えなかったせいで持て余した体力を発散するために、いつものようにランニングに出かけた。コースももちろんいつも部活で走るコースで、学校から程近い山道のトレイルコースを回るものだった。


 日が暮れて、やがて頂上付近に差し掛かった頃だった。董家は自分を呼ぶ声に気づいて足を止めた。藤後玲だった。


 山道に隠れるようにしていた藤後は、ナイフをちらつかせながら、自分が隣町の刺傷事件の犯人だと告げた。


 その事実に驚きはしたが、さもありなんと、妙に納得出来た董家は、あまり係わり合いにならないようにと、その場から逃げることだけを考えつつ、彼の話を聞いていた。


 藤後は、金づるである邑楽を失って以降、遊ぶ金欲しさに羽振りが良い隣町の連中とつるんでいた。しかし羽振りがいいと言っても、その資金の出所は、強盗や窃盗のような犯罪そのものであったらしく、やがて足がついて身動きが取れなくなったらしい。


 グループには成人もおり、車やアジトの調達も可能だった。そこで、ほとぼりが冷めるまでの逃走資金を確保しようと思い立った彼らは、去年の秋のレイプ事件、その時のビデオを売り出して一儲けしようと考えた。


 そんなものがあることも知らなかったし、しかもそれを売ろうなどという外道っぷりに言葉も出なかった。こいつは危険すぎる……さっさと逃げないと、自分も何をされるか分かったもんじゃない。


 恐れおののき、逃げ道を探していた董家であったが、


「なに他人事みたいに言ってんだよ。おめえのビデオだろう?」

「え?」

「AVデビューおめでとう。ぎゃはははは」


 藤後が売ろうとしていたビデオの内容を聞いて、董家はショックで身動きが取れなかった。藤後のいやらしい哄笑が、人気の無い山道に響き渡る。


 殆ど衝動的だった。


 董家は藤後に飛びかかると、有無を言わさずに首を絞めた。藤後は彼のことをよっぽど見くびっていたのだろう、まるで警戒感がなく、殆ど抵抗することもなく意識を失った。メキメキ……と首の骨をへし折る音が暗闇に響く。挑発するだけ挑発して、反撃されることも考えていなかった藤後はそのまま絶命し、あとには死体と、彼の遺留品が残された……


 こんな山道でも、いつ誰が来るとも限らない。そもそも、同じ野球部の連中なら十分有り得るのだ。


 董家は急いで藤後の遺留品を漁ったが、彼の言ったビデオらしきものは全く見当たらなかった。怪しいのは彼の持っていたスマホで、この中にデータが残されているかも知れない……そう考えた彼は、スマホだけを抜き取り、あとは発見されないように、死体と一緒に崖下へと突き落とし、その場から逃げ去った。


 藤後は警察に追われていると言っていた。だから携帯電波を辿られないように、董家は市内をあちこち移動しながら、スマホの中身を調べていった。スマートメディアを取り外し、その中身も全部見た。しかし、問題のビデオは見つからない。


 藤後が適当なことを言っていたのだろうか……もう忘れて、こんなヤバい物も捨ててしまおうかと思ったとき、メールの送受信記録を見て気づいた。


 台場聖。


 藤後の中学時代の腰ぎんちゃくで、レイプ事件にも積極的に関わっていた奴だった。喧嘩も弱い、頭も悪い。だが他人の嫌がることにはとにかく敏感な嫌な奴で、不良連中の間では、参謀役といった感じのポジションにいる奴だった。


 藤後はそいつと、ビデオに関してのやりとりをしていた。他のメールも読んでみたら、どうやら台場は、藤後を学校の旧校舎に匿うつもりで居たらしい。確かに、あそこなら雨風凌げて人が来ない。夜は無理だが、昼間なら物資を運び込むのも簡単だ。


 董家は一計を案じると、『偶然、董家を捕まえたから、こいつを利用しろ。何でも言うことを聞くはず』と、藤後を装い返信し、翌日、旧校舎内で台場と会うことにした。


 台場聖は今年邑楽と共に入学してきて以来、去年の事件のことで、董家にちょっかいをかけてきた。とにかく相手の嫌がることに敏感で、言うことを聞かせるためには容赦をしない。野球部に入部しても横柄な態度を隠そうともせず、それが部員間で問題になりかけるとあっさりと止め、そして影で董家をつかいっ走りにして喜んでいた。


 今にして思えば、友達も出来ない彼が野球部のエース相手に偉ぶることで、鬱憤を晴らしていたのだろうと思えるが、実際その時は、いつ台場が秘密をばらすか気が気でなく、董家は彼のことを心底嫌っていた。


 翌日会った台場は水を得た魚のように生き生きとしていた。


「俺と藤後とおまえが居れば何だって出来るぜ。また以前みたいに、この学校のお嬢でも拉致ろうぜ。おまえが声かければより取り見取りだろ。俺よう、あの金髪姉ちゃんやってみたかったんだよ。あいつのこと考えるだけで、ビッキビキよ、ビッキビキ」


 いやらしく笑う台場に適当に相槌を打ちつつ、董家はビデオを探したが見つからなかった。焦れてその所在を聞いてみたが、逆に警戒されて教えてもらえなかった。それより、匿うはずの藤後がいつまでも連絡を寄こさないことを、彼は気にしていた。だが、まさか死んだとは思うわけも無かったので、董家はそれ以上疑われることはなかった。


 その夜、董家は『明日使うから、ビデオを用意しとけ』と藤後の携帯でメールをした。


 そして翌日を迎え、思わぬ出来事が起きた。野球部が部室代わりに旧校舎を使うと言い出したのだ。前から話は聞いていたが、かなり突然の話に戸惑った。


 台場は旧校舎に野球部員が来たらどうするだろうか……藤後を匿うことが出来なくなったら、別の場所を探すだろうか。もしも学校外にそれを求められたら、自分が彼と行動している、ひいては藤後と関係があるとばれてしまう。そうなる前に、例のビデオを手に入れなくては……


 放課後になるや否や、急いで部室の件を彼に伝えるために音楽室へやってくると、彼はスマホの画面で、それをにやにやしながら見ていた。


「よう、董家。懐かしいだろ? もうじき、おまえが超必死に愛しの成実ちゃんを犯してる動画が、無修正で出回ることになるんだってな。AVデビューおめでとう! いや、これはいい絵だわ。おまえの必死さが伝わってくるっつーの? ぶっちゃけ、俺何発も抜いたもん。あっはっはっは! おまえ、ヘコヘコヘコヘコ、すげー必死じゃね? へこへこへこへこ、必死なん……ぐべっ」


 腹を抱えて爆笑する台場を、有無を言わさず持っていたバットで殴りつけた。頭の中は酷く冷静だった。すでに一人、殺っていた。


 台場は董家がバットを取り出した段階で、ヤバいと思っていたらしく、一撃目は防がれた。だが、その一撃で腕を完全にぶっ壊された台場は、二発、三発と受けたところで耐え切れず腕をだらりと落とし、直後、顔面に直撃を食らった。


「ひぎっ! あべっ! ぶばっ!」


 逃げ惑う台場がピアノに縋りつく。


 ジャーン! ジャーン! ジャーン! ジャンジャンジャンジャン!


 董家はその後頭部を狙って、冷静に金属バットを叩きつけた。


 台場はすぐに絶命し、床に倒れ伏した。董家はそれでも殴ることをやめず、死体を気の済むまで殴り続けると、やがて荒い息とともに金属バットをその場に投げ捨てた。


 終わりだ……


 藤後のときはまだしも、今度は隠しようもない。


 今すぐ、生徒会役員と野球部員がやってくる。もしかしたら既に校舎の前にいるかも知れない。音楽室に鍵をかけて潜むことは出来るかも知れない。だが、凶器に自分のバットを使ってしまった。いま、血だまりの上に立っている靴も問題だ。そもそも、台場と自分の折り合いが悪いことは、野球部員はみんな知ってるのだ。今日を逃れても、警察に疑われることは間違いない……


 諦めよう……そして、二人を殺したことを認めて罪を償おう。だが、せめて動画だけは消去しよう。本当は最初からそうすればよかったのだ、あの時……あの、立花成実を裏切ったときに……そうだ。彼女のためにも、この動画は消すべきだ。


 董家は台場のスマホを手に取ると、ビデオを消去するために操作した。問題の動画は台場が見ていたのですぐに分かった。そして他にも無いだろうかと調べて居た時に気づいた。台場は録音アプリを起動していた。


 自分との会話を録音して、何か弱みでも握ろうとでも思っていたのだろうか……怒りがこみ上げてきて、おもわずスマホを放り投げそうになる。だが……冷静になれ、冷静に……と、セルフコントロールを心がけて、董家は深呼吸して、そのアプリを停止した。


 そしてふと、取られた音声はどんなものだったのかと、録音を再生して……


 ジャーン! ジャーン! ジャーン! ジャンジャンジャンジャン!


 ピアノの音が鳴り響いたとき……彼は天恵のようにトリックを思いついてしまったのだった。


 自分が殺人現場に居たことが覆せないなら……アリバイを覆してしまえばいい。

 

 発見者になれば問題は解決する。そう考えた彼は行動を起こした。


 台場の電話の呼び出し音を、録音したピアノの音に変えて、音楽室に自分がいた痕跡を極力消し、自分の鞄とバットカバーを持つと、階段にあったゴミ箱の中に音量を最大にしたスマホを置いて、校舎前にいる生徒会役員たちに気づかれないように、二階から裏に飛び降りた。


 バットカバーには、雨が降った時用の傘袋が常備されていた。金属バットが少しでも濡れないようにという工夫だった。彼はそれを膨らませて体裁を整えると、本校舎へと移動して、うろついていた藤原騎士を見つけ……彼なら台場に恨みを持っていてもおかしくない……そう思い、仕事を押し付けて、再度旧校舎へと戻ってきた。


 合流すると、自分はモップがけをするからと言って一階に留まり、隙を見て音楽室の鍵を一階の教室の中に落とし、それを発見した邑楽がためつすがめつ見ている背後で、立花倖に渡すように指示した。そして、やがて全員が一階へ下りてきたら、隙を見て台場の携帯に電話を入れた。


 ジャーン! ジャーン! ジャーン! ジャンジャンジャンジャン!


 その音ははっきりいって酷い物だった。董家はそれを聞いた瞬間、嘘がばれることを覚悟したが、先入観が無かった人々は、突然のそれをピアノから発せられたものだと、まったく疑うことをしなかった。


 やがて、音楽室へ向かった面々を追いかけるという名目で、モップを持って階段を上った董家は、以前自分がつけたであろう足跡を消しつつスマホを回収、音楽室まで移動し、室内で再度血だまりの上に立ち、その後、校舎内を犯人を捜すと言う名目で血の足跡をつけて回った。


 警察に手荷物検査をされたが、彼らは董家がスマホを二台持っていてもさして気にもせず、またバットカバーのビニール袋は隙を見て風に飛ばした。


 

 一夜明け、全てが上手くいったと確信した董家はほくそ笑んだ。

 

 これで自由だ!

 

 あの日……あの時……立花成実が居るのではないかと、居てもたってもいられずに飛び込んだあの部屋で……彼女を裏切った自分の行為は、これで闇に葬り去られた。


 あの部屋に居たやつはあとは藤後のヤンキー仲間で、恐らく、董家が何者かすら知らないし、もう覚えても居ないだろう。証拠となる動画も消去した。あとは……あとは……

 


 邑楽修は怯えていた。元々、気が小さい人付き合いが苦手なだけの男で、たまたま金を持っていたから藤後の財布にされたような男だった。だが、金の力で藤後の後ろ盾を得ると調子に乗り、様々な悪事に加担しては自ら身を崩していった、自業自得な馬鹿だった。


 藤後のグループは、いつも何か悪さをするときは邑楽の家に集まった。それが強盗でも窃盗でも、強姦でもだ。邑楽は自分の家を提供する代わりに、オーナー権限としていつも良い目を見ていたらしい。それはあの事件のときもそうだった。


 しかし金の切れ目が縁の切れ目。邑楽は事件発覚後、親戚連中から突き上げをくらい、それまでの無茶苦茶な小遣いはもらえなくなった。そうすると藤後は去り、後ろ盾を失った邑楽はただの嫌われ者でしかなかった。


 邑楽は成美高校に入学したときからオロオロしていた。人の中にいるのが落ち着かないといった感じで、クラスでは会話をする友達すらいないそうだ。ところが、そんな奴が董家には積極的に話しかけてきた。おそらく、同じ罪を犯したという、仲間意識があったのだろう。


 汚らわしいと思いつつも、事件の当事者としてあの日何があったか知っていた邑楽にきつく当たることも出来ず、なにかトラブルがあれば、彼のことを助けてやった。邑楽は次第に董家に依存するようになっていった。


「先輩……どうしましょう。藤後が逃げ回ってるらしくって、うちに警察がやってきたんです」


 逃げた藤後を追いかけていた警察は、真っ先に邑楽の家へとやってきたらしい。邑楽は仰天して来ていないし、来ても入れるつもりはないと答えたが……


「また俺を金づるにするために逃げてきたんでしょうか……お、お、俺、金持ってないから、あいつに殺されっ、殺されるかも」


 邑楽はびびりで、台場が殺されても発狂していた。藤後が自分に会いに来るかも知れないと聞いて、赤ん坊が引き付けを起こしたかのようなショックを受けていた。


 実際のところ、警察が邑楽の家を張らないわけはないから、もし仮に藤後が生きていたとしても、邑楽の家だけは避けただろうに。何の心配も無かったのだが……


 董家は一計を案じた。


 まず、藤後の携帯を使って彼のふりをし、これから邑楽の家へ向かうとメールした。仰天した邑楽は即座に董家へ電話してきた。


 董家は、邑楽にコンビニへいくことを指示し、自分はコンビニの裏まで向かった。そしてコンビニ裏に誰もいないことを確認すると、董家は邑楽の携帯をワンギリし、予め指示をされていた邑楽は、店員に理由を告げて裏から逃走。猛ダッシュで夜の街を駆けた。


 行き先は学校だ。木を隠すなら森。生徒を隠すなら学校である。邑楽は部室棟付近の雑木林で一夜を明かし、学生が登校してくるとその列に紛れて校舎内へと入った。そして先に来ていた董家に誘われ、屋上に身を潜めた。なんでそんなことをするのか、疑問にも思わない。心底びびっていた邑楽は、董家の言いなりだった。


 やがて、昼休みの近づく4限の授業が始まると、董家は頃合を見て教室を出た。名目はトイレだが、もちろん目的は屋上だ。彼は屋上へ出ると、潜んでいた邑楽と接触し、


「ちゃんと用意してきたか?」


 護身用に持ってこいと、邑楽に指示しておいたナイフを受け取ると、まったく躊躇を見せることなく、それで邑楽の胸を貫いた。


 え? なんで? 未だに何をされたか分かっていない邑楽が困惑の表情を浮かべる。


 どうだ、苦しいだろう。辛いだろう。おまえが犯した少女も、同じ苦しみを味わったのだ。助けを呼んでも誰も助けてはくれない絶望の中で、男たちのむせ返るような汗の臭いの充満した部屋で……董家が踏み込んだとき、真っ先に殴りかかったのはおまえだった……あれはおまえごときが触れても良い女ではない。そして董家が屈したとき、哀れみの言葉をかけたのがおまえだった……その言葉は屈辱以外の何物でもない。


 返り血を浴びないように、董家は邑楽から遠ざかった。邑楽はパクパクと口を開けたり閉じたりしながら、自分の胸に刺さったナイフに手をやると、泡を吹いて倒れた。藤後はそれからきっちり5分待った。


 5分が経ち、完全に死亡したことを確認すると、董家はゆっくりとナイフを引き抜き、その指紋を拭ってその場に捨て、また何食わぬ顔で教室へと戻って授業を受けた。

 


 

「聞かせてちょうだい」


 立花倖が問う。


「どうして、あんたがあいつらを殺したのか……どうして、あいつらを殺さなければいけなかったのか……」


 そんなのは言うまでもないことだ。分かりきっていることだ。


「それは、あいつらを殺さなければ、俺が立花成実、あんたの妹を汚したことがばれてしまうから」


 立花成実が好きだった。中学に上がる前、リトルリーグで自分より年下の藤原騎士に実力差をまざまざと見せ付けられたとき……始めて出会ったときから、彼女は彼の隣にいた。いつも彼の隣にいた。一目ぼれだった。


 中学に進学し、自分が部活の軟式に進んだのは、藤原騎士と比べられるのが嫌だったからだ。そして、董家は学校のエースとなり、ナイトはシニアリーグのエースとして共に野球を続けていた。


 共通点があった二人は、互いに尊重しあっていたが、でも誰の目にもその差は歴然としていた。何しろ、体のつくりからして違う。董家は野球部のエースとして学校では有名だったが、もしもナイトが同じ部活だったらと、いつも負い目を感じていた。実際、シニアに進んだ友達にはいつも言われた。おまえはこっちにこなくて正解だったと。


 中学で軟式野球部のスコアラーをしていた立花成実は、そんなこと気にしないでいいですよといつも笑顔で言っていた。それが悔しくて悔しくてたまらなかった。


 やがて高校に進学すると、彼女とは会えなくなった。会う口実がなくなったからだ。


 同じ町内に住んでいたから、学校の行き帰りや、買い物にでも出かければ、出会うことももちろんあった。でも、それだけだ。お互いに話すことも無かったし、共通の友達もいなかった。ただ、すれ違いざまに挨拶を交わすだけの関係で、一体、どうしたら彼女に近づけるのか、何も思い浮かばなかった。


 そんな時、秋季大会の壮行試合で、ナイトのチームと対戦することになった。それでどうこうなるわけではない。だが、俄然やる気になった董家は、いつも以上に気合が入っていた。


 結果は、初回から共に譲らずのゼロ行進。7回を完封した董家は、負けは無くなり、ベンチでナイトの投球を見守っていた。正直ほっとした。中学生相手とは言え、自分にはいっぱいいっぱいの相手だった。だから、お役ごめんで安心しきっていたとき、聞こえてきた彼女のがんばれ、がんばれには心底堪えた。


 試合前、ナイトと話す機会があったとき聞いた。彼は四国の強豪校から誘いがあって、そこへ進学することになったらしい。それはここ2年連続甲子園出場中の名門で、彼は間違いなく、将来甲子園のマウンドに立つと約束されたようなものだった。その藤原騎士と堂々投げ合ったのだ。だが、この差は一体何なのか。


 釈然としない気持ちを抱えたまま時は過ぎ、秋季大会を終えた晩秋。嫌なうわさが聞こえてきた。立花成実が行方不明になったらしい。


 行方不明と言っても、具体的な話が見えてこない。ナイトとの痴話げんかだとか、家出だとか、色々言われていたが、一番最悪なのが藤後の話だった。藤後玲はその夏、立花成実の姉であるアイドルを陵辱すると息巻いていたらしい。それを聞いた藤原騎士が激怒し、彼をボコボコにしたという噂があった。


 もしも……もしも成実の失踪が、その報復だったら……真っ先に考えたのはそれだった。


 もちろん、ただの憶測だったし、仮にそうだったとしても、これだけ分かりやすい符丁なら警察が黙ってるわけがないと高を括った。しかし、1日経っても2日経っても、一向に警察は動かない。その間、聞こえてくる噂は、どれもこれもろくでもないものだった。


 ナイトは一体どうしてるのか?


 中学には顔を出さずに、街中を駆け回ってるらしい。後で知った話だが、成実を拉致った不良連中に嘘を吐かれ、右往左往していたらしい。だが、それを知らない者から見れば、なにやらとんちんかんな動きをしていて、行動が読めなかった。


 だから、結局は自分で確かめることにした。話を聞く限りでは、もしも言われているような最悪の事態が起きているなら、それは邑楽修の家をアジトにしているらしいと。だったらそこへ踏み込んでみようと。


「……はじめは、助けるつもりだったんだ。本当だ」


 インターホンを鳴らしても入れてくるわけもないだろうから、オートロックを誰かが通り過ぎるのを待って、一緒に入った。そして邑楽の家に行くと、その扉が開くのを待って……どうせ一度きりのことだから……そして開いたら有無を言わさず部屋に踏み込んだ。


 むせ返るような臭いで鼻が曲がりそうだった。見知らぬ男たちが数人半裸で寝転がり、その中に彼女の姿を見つけた。董家は気が狂いそうになった。いや、気が狂っていたのかも知れない。半狂乱で部屋の中に飛び込むと、彼女に縋りつく男に飛び掛った。本当なら転進するべきだったのだ。そうすればその後のことはまた変わっていたに違いない。


「でも無理だった! あっという間に返り討ちにあって、俺は地面に寝転がされた……」


 ボコボコにされ床に這い蹲り、腕を捻られて身動きが取れない。そして、藤後が言うのである。見られたからには生かして帰せないと。


 董家はかつて、藤後に指を全部へし折られた男のことを思い出した。もしも自分がそんなことになったら……選手生命は終わりだろう。いや、それ以前に、この無茶苦茶男なら、本当に董家を殺してケロッとしているかもしれない。何しろ未成年だし、実名報道もされないし、何年か少年院に入ったらそれで終わりだ。それじゃ自分は無駄死にだ。


「だから仕方なかったんだよ……死にたくなかったら、共犯になれって……お、おまえの……おまえの彼女を、やれって」


 にやにやとしながら男たちが見ている。ベッドには茫然自失の立花成実。董家は足腰も立たない状況で……逆らったら、二人とも殺されると恐怖していた。少なくとも、従順に従っていれば、殺されることはないだろうと思った。その間に警察が来るだろう。もしくは藤原騎士が助けに来てくれるだろう。いや、近隣住人が異変に気づくかもしれない。もしかしたら、隙が出来て逃げられるかも知れない。そうだ、今は我慢するとき、耐え時なのだ。逆らったらいけない。藤後が見透かしたようにいやらしい顔で囁く。簡単な話だろう? 女を抱くか、俺たちに殺されるかだ。ここまで来たら自分たちももう後には引けない。董家の返答次第では二人揃って殺して捨てる。酒瓶をラッパ飲みしながら男がニヤニヤとしている。簡単だろう、ちょっと自分を誤魔化して時間稼ぎをするだけでいいんだ。絶対にチャンスはある。諦めるな。だから今は耐えるときなんだ。これは仕方ないことなんだ、自分は悪くない。悪いのは無能な警察だ。藤原騎士だ。俺は悪くない。俺は悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない……絶対に俺は悪くない。悪いのは助けに来ない奴らだ。こんなにも苦しいのに、辛いのに、助けに来ない奴らが悪い。だから俺は悪くない悪くないから良いんだ。もう良いんだ。逆らうな。やることやって楽になれ。俺は悪くないんだから……


「俺は悪くない! 俺は悪くないんだ! だってそうしなきゃ殺されてた! 俺もおまえの彼女もだ! そうだよ、そうだ! 俺が彼女を救ったんだ! もしも俺が踏み込んで、おまえの彼女を救わなければ、とっくに死んでたんだよ。だからおまえは感謝こそすれ、俺を非難する資格なんてないんだ! 俺は悪くないんだ、悪くないんだよおおお!」

「うおおおおおおおおおおおおおおーーーーーー!!!!!」


 キレたナイトの腰にしがみついて、藤木は彼を押しとどめた。物凄い力で引きづられた。だけど、彼の拳は董家には届かない。


「悪くない! はっはっ! お、俺は悪くない!」


 羽交い絞めにする刑事が董家を押しとどめる。「もう連れて行け……」そして刑事に引きづられて董家拓海は警察の車両に乗せられた。



 その後、逆にこうして藤後の信用を得ていった董家は、ついに隙を見つけて彼女を連れて逃げ出すことに成功した。それは、始めから藤後たちと居ながらも、流石に凶悪すぎてついていけなかった者たちの助けもあったらしい。やがて、藤後たちが食事に出かけると、董家は成実を連れ出すことに成功し、邑楽のマンションから一目散に逃げ出した。


 もう日が短くなって、まだまだ暗い早朝だった。もしも藤後たちにばれても、すぐには見つからないで済むだろう。これで助かった……早く警察に駆け込むんだ……逃げ出した二人が交差点に差し掛かると、信号が変わって車が横断し始めた。焦れながら信号を待っていると、突然、董家はドンと背中を押された。


 見ると、それまで生気の無かった成実が、怯えながら董家の背中を押していた……それはそのまま行くと車道に出る方向で……


「いやああ! いやああああ!!」


 彼女の非力な力では、誰もびくともしなかっただろう。だが、董家はその場に尻餅をついた。


 そして彼女は董家を置いて逃げ出した。

 


 藤原騎士と董家拓海が出会ったのは、この直後だった。日課のランニングの最中だと言ったそうだが、実際は立花成実に逃げられ、軽くパニックになっていたようである。


 彼女を探すのを手伝うと言って、ナイトについてきた董家がどんな心境であったかは憶測にしかならない。だが、立花成実の気持ちならば、誰でも容易に想像がつくだろう。


 立花成実はようやく悪夢から逃げ出して町をさ迷っていた。自分に起きた出来事がまるで信じられなかった。いっそ死にたいと思っていた。そんな時、通りの向こうから最愛の彼氏の声が聞こえた。助かったんだ、本当に自分は助かったんだ……このとき、どれだけ彼女は安堵したことだろうか? ……その背後に、自分を犯した董家拓海の姿を見つけるまでは。


 こうして、立花成実は逃げ出した。あとは知っての通りである。


 藤原騎士はせっかく発見した成実に逃げられ、さぞかし、わけがわからなかったことだろう。まさかその原因が背後にいるとも知れず……そして彼は半狂乱になって彼女を追いかけた。


 通りには車がビュンビュン走っている。


 無理に横断しようとしたら交通事故に遭ってしまう。だから危ない、やめろと董家が彼を引きとめた……


 さて、このとき、董家拓海の心境たるや、いかなるものであったろうか……


 それは憶測に過ぎないのであるが……


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