そっくりでしょう
痴漢未遂で警官にこってりと絞られたが、それは相手も同じようだった。どうやら、北辰愛は徳さんの案内で校内に入り、こっそり殺人現場に行ったらしい。何のために現場を閉鎖し、こうして警察官も常駐しているのか考えろと、かなり厳しく怒られていた。
しかし、何故テレビやラジオでお馴染みのタレントが、わざわざこんな場所にお忍びで来ているのだろうか。ただの興味本位か、それとも理由があるのだろうか、徳さんとの関係よりも、そっちの方が気になった。
尤も、それを知りたくとも、警察が痴漢の被害者と加害者を一緒にしておくわけもなく、藤木は一人離れた場所で説教を食らうと、さっさと帰れ馬鹿野郎と追い返された。小町が橋の向こう側に立ってこちらを睨んでいる。次はあいつに怒られるのか……やれやれと思いつつ振り返ると、北辰愛の可憐な姿が目を引いた。かなり後ろ髪を引かれたが致し方なし、ぐずぐずしてるとまた怒られそうだし、家路に着こうと歩み出すと、
『七条寺1より七条寺3。センターより入電。たった今、市内北3丁目付近、藤後玲の携帯電波が確認された。市内北3丁目、藤後玲の携帯電波を感知。現場に急行されたし』
『七条寺3、了解』
……これ、聞いちゃまずかったんじゃね?
パトカーの中から聞こえてきた無線の声に足が止まる。
恐る恐る、警官の顔を盗み見るが、別段気にした様子はない。自分たちに関係ない内容であったからか、それとも藤木が聞いたところで、意味が分からないと高を括っているのか。
未練がましくその場に佇んでいると受け取られたのだろうか、警官の一人にじろりと睨まれると、藤木は大慌てでまた歩き出した。
聞くとは無しに聞いてしまったこの情報をどう料理すべきか……確か、北3丁目は二中の学区内だったはずだ。とすると、藤後玲は中学の伝を頼って逃げ回っているのだろうか……どうする? ちょっと帰りに寄ってみようか? いやしかし、藤木が行ってどうなると言う物でもない。
あまりの逃げ足っぷりに、その存在自体がもはや疑わしい逃走犯のことを考えつつ、橋をてくてく歩いて渡っていたら携帯電話が鳴り出した。
「もしもし?」
「やあ、藤木君。先に帰ってしまうなんてつれないなあ」
振り返ると、携帯電話を手にした徳さんが手を振った。あまりじろじろ見ていると、また警官に怒られそうなので、藤木は背を向けて小声で言った。
「警官がすげえ顔して睨んでくるんだよ……ったく、一体なんでこんなことになってんだか、あとで教えてくれよ」
「それなんだけど、丁度僕らも君に連絡を入れようと思っていたところでね。いや、学校に残っているとは思わなくてね。おかげで変なことになってしまった」
「なんか知らんが、俺に用事か? つか、お前とつれは一体どういう関係なんだ?」
「その件も含めて、どこかでゆっくり話せないものかな。ちょっと人には聞かれたくない話なんだ」
人の来ない場所なら、学校内にいくらでもあったが、今追い出されたばかりなので戻るわけにもいかない。
「それなら、駅前の商業施設にいきつけの店があるんだ。今の時間帯だとビュッフェになっているから、そこで時間を潰しててくれないか。あとで追いかけるから」
「バイキングか……おごり?」
「ん、まあ、いいけども」
「っしゃ! ゴチになります」
と、突然ガシッと肩をつかまれた。振り返ると小町が何かを期待するような目で、じっと藤木を見上げている。なにこれ、万力のような力でロックされて外れそうにない。
「……一人、追加していい?」
気前良く快諾する徳さんの声に、小町は小躍りしながら浮き浮きステップでバス停へと駆けていった。強請り集りは小町の十八番。こいつの方がよっぽどルンペンみたいな生活してるよな……と呆れながら、藤木は彼女の後を追いかけた。
バスに乗って暫くするとにわか雨が降りだした。突然の雨に町は黒く染まり、次々と点灯する街灯の光を反射してギラギラと光った。駅前に着くと駅ビルの軒先に、雨宿りの人々が列をなし、手持ち無沙汰に空を見上げていた。
降りだしたときよりは勢いは弱まったものの、まだまだ小雨とは呼べない中を、ダッシュで小町が駆け抜けていく。小町なら雨粒を避けてしまいそうだが、残念ながら藤木は目的地までの数十メートルで、盛大にずぶ濡れてしまった。
エントランスに飛び込むと、ビニールの傘袋があちこちに散乱していた。そりゃ、自分の仕事じゃないから当然かも知れないけれど、そのゴミの山のすぐそばにガードマンが佇んでいるのを見ると、なんとも言えない気分にさせられた。藤木は上着の水滴を手で払い、ビニール袋を一枚失敬すると、ぷーっと膨らまし、
「チンコプターだ、マラマラマラマラマラマラマラマラ……」
腰だめにぐるんぐるん回転させたら、小町にグーで殴られた。ガードマンがピクリと動いたが、一体どちらを止めようとしたのだろうか。
最上階の展望ラウンジにいくと、徳さんの言っていた通りビュッフェになっていた。その値段を見て、自分には関係ない世界だとビビりつつ、やってきたレセプションスタッフに連れがあとで合流するからと、玉木保奈美の名前を出したら、やたら丁寧に窓際の席に案内された。
地方都市とは言え、そこだけで全てが完結する、それなりの規模の都市である。ネオン輝く雨にぬれた町はキラキラとして、訪れたカップルたちをうっとりさせるには十分な効果を上げていた。しかし、目の前に居る女は、茶色い飯をかっ込むことにしか興味ないらしく、次々と大盛の肉の皿を運んできては、一心不乱にかじりついていた。
藤木もそれに応戦し、二人で黙々と飯を食い続けていたら、胸焼けしたらしい周囲の人々の会話が無くなっていた。やがて徳さんが店に顔を出すとスタッフが飛んできて、奥の座敷に案内された。心なしか、最初のときより対応が冷たい。
「で、俺に用事って?」
飯は十分堪能したので、食後のデザートを注文し、スタッフがぱたりと密室のドアを閉めると藤木は切り出した。徳さんはまだ食べるのか……と呆れた顔をしつつ、
「うん。多分気づいてるだろうけど、用事があるのは僕じゃなくって彼女のほうさ」
駅前の大衆にばれない様にであろう、帽子と眼鏡を外しながら、目の前の女性、北辰愛が慎重に自己紹介した。
「はじめまして……えっと、藤木君だったっけ」
ザーメンまっ黄色ではなく。
「あ、はい。いやあ~、覚えててもらう自信はあったんですけどね、すみません、ただのラジオの一リスナーなんて覚えてないっすよね。いや、あの時は興奮してすみませんでした。藤木藤夫です。どうぞよろしく」
「えーと、いいのよ。その……多分、あなたは勘違いしてるでしょうから、先に断っておくわ。私は北辰愛であるけれど、おそらく、あなたの知ってる彼女とは別物なの」
テレビでよく見かける顔で、彼女はそう言った。
漫画雑誌のグラビアでも、インターネットの広告でも、様々な場面で見かける北辰愛の顔である。見間違えようがない。
何を言ってるのかさっぱり分からなくて、ぽかんと口を開けていたら、彼女がじれったそうにこう続けた。
「私の名前は立花愛。立花倖は私の姉って言ったら、分かるかな」
「へ?」
隣で食後のお茶を飲んでいた小町がげほげほと咽た。
「え? うそ、だって、ユッキーだよ? あの人……いや、まあ、言われて見れば確かに……似てなくもなくない? いやあ~、でもなあ……」
立花倖は確かに整った顔立ちをしていたが、その生き様が破天荒すぎて、少なくとも藤木は美人のカテゴリーから除外していた。娘の給食費を使い込む父親とか、パチンコ狂いの母親とかとどつき合いしてる方が似合ってそうで、とても美人で芸能人の妹が居るなんて想像も付かない。
「これを見て」
いまいち信じ切れないでいる藤木に対し、仕方が無いなといった感じに彼女は一枚の写真を差し出してきた。
そこには三人の仲良さそうな姉妹の姿が写っていた。どこか日本ではない外国で撮ったもので、背景には茶色い石レンガの建物が見える。一人は立花倖、三人の中央で、いつも学校で見せている面倒くさそうな顔をして、カメラとは違う明後日の方向を向いて退屈そうにしていた。
そして、その両側には……
「そっくりでしょう」
両側には、二人の北辰愛と言っても過言ではない女性たちが、嬉しそうに破顔しながら、倖の両腕に絡み付いている。左右対称に分かれた騙し絵のようにも思えたが、よく見ると、二人はその体格や肉付きなどが微妙に違う。二人は双子のように似ていたが、多分双子じゃない。片方はどこか幼くて、もう一人はしっかりしている。
そして明らかにこちらの方が年上だろうと思われる女性を指差し、
「これが私」
と、立花愛はそう言った。
では、もう片方は?
「それじゃ、これが立花成実ですか……」
うーん……と唸り、ためつすがめつ藤木が写真を見ながら言った。およそ色々な兄弟姉妹を見てきたが、これほどそっくりな姉妹は見たことがなかった。
はぁ~っと感心したような素振りで愛が溜め息を吐く。そして隣でくつくつと笑っている徳さんに目配せすると、それまで以上に真剣な顔で、藤木に向かってこういった。
「あなたから先にその名が出るとは思わなかった。そう。その子が私の妹の成実。そして、あなたが良く知ってる北辰愛よ」
「どういうことです? あ~……気を悪くしないでください。俺は、立花成実は死んだって聞いてたんですけどね」
「ええ、表向きは死んだってことになってけど……でも彼女は生きてるわ」
つい最近までそんな人がいたな……徳さんに目をやると、にやりと笑った。
「……とても辛いことがあったの。それこそ、死んでしまいたいくらい。そして成実は実際に、去年、ビルの5階の踊り場から飛び降りて……」
それは晴沢伊織に聞いたとおりだ。原因は藤原騎士にあるらしいが……
「でも死に切れなくて……病院で何日間も生死の境をさ迷って……そして、目覚めたら私に……北辰愛になっていた。あの子は自分自身、立花成実と言う存在を殺して、北辰愛になることを選んでしまったのよ」
何が何だかわけわからんが、
「理由を尋ねてもいいんですかね」
「それは……ごめんなさい」
歯切れが悪い。人の生き死にが掛かってるのだから当然だろうか……まあ、別に他人の家の詮索がしたいわけではない。必要なことならその内嫌でも分かるだろう。それより、
「そうですか。で、俺に用事ってのは?」
と言っても、考えられるのは一つしかない。旧校舎の殺人事件のことだ。
「折り入って頼みがあるの。この間の殺人事件の第一発見者にあなたが居たのは、もしかしたら幸運だったのかも知れない。玉木さんが言うには、かなり頼りになる人だって言うから……半信半疑だったけど、どうやら信用出来そうね。あなたは既に動き出しているみたい」
なんだこれは。誉め殺しか? いいのか? 勃起するぞ。あんまり誉めると、容赦なく勃起するぞ。
暴れん棒を股に挟んで、鼻の下を伸ばしていたら、ギリギリギリと物凄い力で太ももをつねられた。
「いてててて」
「あんた、また変なことにならないように、大人しくしてるんじゃなかったの……」
「まだ何の話も聞いてないだろうが」
大人しくするも何もない。まず、頼みごとが何なのか、聞いてみないことには始まらない。
「あなたには、姉が潔白であることを証明して欲しいのよ」
そして立花愛は言った。
「姉さんが警察に疑われてるのには理由があるの。あの人は、成実を元に戻したがっている。そして、今みたいなことになった原因を見つけて、それを正そうとしていた。そのために成美高校に赴任したのよ」
それはある程度予想していた。何か胡散臭い動きをしてるのは、前々から感づいてはいたが……
「そして、その原因の一つに、今回の被害者が居る……あの人は、殺人事件の被害者である台場聖に恨みがある。そのせいで、警察に疑われている」
旧校舎で見せたあの顔と、呟きで、それも薄々気づいていた。
「でも、私は姉さんが人を殺すなんて……そんなこと有り得ないと思ってる。あの人は聡明な人よ……もっと他にやりかたがあると思うの。だけど、姉さんは人を食ったように、彼らに対する殺意を否定しないし……もし、このまま犯人が見つからなかったら、大変なことになるんじゃないかって……」
確かに、彼女が人殺しをするなんて有り得ないとは、藤木も思っていた。
「だから、犯人を見つけろとは言わない。ただ、姉の潔白を証明して欲しいのよ」
そして、立花愛の気持ちも痛いほど良く分かるのだが……
「……それ、多分、無理です」
縋るような目で見る彼女に、藤木は冷静に言った。
「あの日の彼女の行動から判断するに、ユッキー……失礼。お姉さんが台場を殺すことは可能なんです。信じるのはそりゃ勝手ですけどね。それに、警察がどう考えるのかも知りませんが……残念ながら、俺はその可能性を否定することは出来ない」
きっと、藤木がなんとかしてくれると、その場に居た者は思っていたのだろうか……
彼の返事を聞いて、場は重苦しく沈黙するのだった。