そう、俺です
「なによ、あんた。そんなことでいちいちビビッてたわけ? あっはっは。あんたもヤキが回ったもんねえ」
ペチペチペチペチと脳天を叩かれながら、藤木は鬱陶しい幼馴染の仕打ちに耐えていた。
「このあたしが忘れるわけないじゃない。どんだけ付き合い長いと思ってんのよ。それなのに……ぷぅ~っ! あの時のあんたの顔、忘れらんないわ」
「うっせえなあ……おまえ、他人事だからゲラゲラ笑ってられっけど、実際に俺の身になってみろ、そんなこと言ってられないぜ」
「でも、以前のあんたなら、中沢に忘れられたところで、ケロッとしてたんじゃないの……いつの間にか情が移ってたのね……ふっ、あたしの目に狂いはなかった」
「……おまえが俺のことをどういう目で見てるか、よーっく分かったからよ。あれだけはもう勘弁してください。マジで」
マジで、自分が主人公のホモ小説を読む日が来るとは思わなかった。藤木は怖気に背筋を震わすと、サメザメと泣いた。
昼の様子がおかしかったからか、放課後になると小町は藤木の様子を見に2年4組に訪れた。教室の入り口から顔を覗かせて手招きするが、返事をするのも汚らわしいので、無視して別の扉をくぐって教室を出ると、「なに怒ってるの」と言って後ろにくっ付いてきた。怒らない奴がいるか。
それでも貫徹無視して生徒会室へと赴き、適当に書類仕事を始めると、彼女は当たり前のようにポットでお茶を汲んでくつろぎ始めた。溜め息一つ。仕方ないので、中沢に起きた出来事を説明したのであるが、
「……それじゃ、あの日起きた出来事は、みんななかったことになってるわけ」
「恐らく。確認して回ろうにも、そもそも忘れられてるんじゃ、方法がない」
「ふーん……そうなの…………ぃよしっ、ぃよしっっ!!」
藤木がふて腐れながら言うと、小町はそれを気にした素振りも見せず、逆に一人でガッツポーズしていた……どういうことだ?
ああ……女の子のおちんちんのことか。松本の様子から判断するに、小町のあれも忘れられただろうからな……
「しっかし、あんた、どんどんおかしなことに巻き込まれてくわね」
「俺がしたくてそうしてるわけじゃない」
どこかで人生終了しない限り、こういうことが起こり続けるのだろうが……だからって、はい今日死にますってわけにもいかない。
「ふーん……まあ、でも、天使が言うには、目立たず騒がず、大人しくしてればいいってことなんでしょ? なら、そうしなさいよ」
「……俺は基本的に、地味で目立たない日常を送ってたはずなんだけどね」
「まあ、確かに。特にこれと言って目立つわけでもないわよね、あんた。顔も地味だし。汚物収集家でもない限り、気にするような人なんて皆無でしょうけど」
「おまえにそこまで言われる筋合いあんのかよ!」
ぶつくさと文句を言っていたら、コンコンと扉をノックする音がして、学年主任が顔を覗かせた。
「……まだ残っていたんですか? 生徒は早く帰宅するように、先日から言い渡しているはずだけれど」
「あ、はい。ちょっと残務で。これやったら帰ります」
「そう……大変ですね。ほどほどにして帰りなさいね。先生は職員室に居ますから、何かあったらいらっしゃい」
ガラガラと戸を閉めて彼女は去っていった。おそらく、校内の見回りついでに、生徒が残ってやしないか、追い出しを行ってるのだろう。生徒会とは無関係の小町が当たり前のように居たが、特にお咎め無しだった。まあ、生徒会室に居る生徒は一括りとして扱ってくれてるのだろう。
小町が少し、感心した様子で言う。
「それにしても意外ね。あんたが、こんな仕事を嫌な顔せずに続けてるなんて」
「そうだな」
「生徒会長さんも居ないのに、自主的にやるなんて偉いわ、ホント」
「まあ、やってんじゃなくって、やってる振りなんだがな」
「ん?」
ちょっと用事があるのだ。校内に自然に残れる手段なんて他にないから、仕事をしている振りをして教師をやり過ごし、藤木は校舎内の人が居なくなるのを待っていた。
小一時間ほどして校内に静けさが訪れると、藤木はペンを置いて生徒会室を出た。校内に生徒はもう残っておらず、廊下の電気も消されているから酷く暗かった。非常口の緑色のランプが仄暗く浮かび上がる。二人分のキュッキュッとした上履きの音が、無人の廊下に心細く響いていた。
小町は何も言わずに藤木の後ろにくっついてきた。目的地は別に怪しい場所ではなく、ただの電算機室である。小町が一緒なのは誤算だったが、藤木は一度、出来るだけ余人を交えずに、立花倖と話しておきたいと思っていた。それで、放課後の時間を潰し、人が出払ってから、普段彼女がよくいる電算機室へとやってきたのだが、
「……ありゃ、居ないのか。当てが外れたな」
電算機室のドアは鍵が掛かっており、ガチャガチャと音がなるだけだった。
まあ、このところ、たまたま二回連続でこの場所で会ったものだから、何となくいつも居るようなイメージがあっただけだ。駄目なら駄目で、大学の駐車場にある彼女の車ででも待ち伏せるか……そう思い、窓から外を見たときだった。
旧校舎へと向かう道を、人影が通り過ぎていく。角を曲がると、玄関の方へと消えていった。
人影は二つ。遠目には良く分からなかったが、少なくとも制服は着ていなかった。しかし、教師かと言うとそれも違う。一人はラフな格好をした、おそらく男性。もう一人は女性。なんと言うか雑誌から飛び出してきたモデルのような、派手で気合の入りすぎた地方の大学生みたいな格好をした人物だった。
「どしたの? 藤木」
「あ、いや……」
そういえば、併設の大学があるのだ。事件の噂を聞いて、アベックが冷やかしにでも来たのではなかろうか。
旧校舎は昨日、警察が実況見分を終えたあと、閉鎖されて誰も入ることが出来ないようになってるはずだ。巡回の警察官も校内に居る。ほっといても捕まって追い出されるだろう。とりあえず、職員室に届け出るのが筋だろうが……
「……今、旧校舎に向かう人影を見つけて」
「え?」
「ちょっと追いかけてみよう。気になる」
大学と高校は地続きだが、守衛の常駐する門が途中にある。正門から回り込んでも、職員室の誰かに見つかる。フェンスを乗り越えたとしたら、あの気合の入った格好は解せない。じゃあ、あいつらはどうやってここへ入ってきた?
「ちょっとちょっと! 危ない人だったらどうすんのよ。それにあんた、そういう風に首を突っ込むから、おかしなことになったんでしょ。自重しなさい」
「じゃあ、小町は先に帰ってろよ」
「あっ、こらっ!」
小町の返事を待たずに階段を駆け下りた。裏口は閉め切られていたので、昇降口から外へでて裏手へ回る。旧校舎へと向かう道を、先ほどの人影と同じように辿り、角を曲がって旧校舎の前に来た。
数日前からのぐずついた天気と、ここ二日の人の出入りのせいで、すっかりぬかるんだ地面にたくさんの足跡がついていた。校舎は二日前に見たときと変わりなく、唯一違いがあるとしたら、全ての窓が閉まっていることくらいだった。
人影を追ってきたが、辺りに人の気配はない。警察官の姿もないから、多分、正門前に横付けされたパトカーにでも戻っているのだろう。当たり前だが、門番のようにしてずっと見張っているわけではない。
さて、それじゃあの人影はどこへ消えたのか……きょろきょろと見回しながら玄関の前までやってくると、その扉が薄く開いているように見えた。まさか? と思いつつ、手を触れてみると、それは簡単に開いた。
どうする? 戻って人を呼ぶか。それとも……
虎穴にいらずんば虎児を得ず。相手が危険なやつとも限らない。それに、少なくとも小町は、藤木がここへ来たことを知ってる。何かあったら彼女が気づいてくれるだろう。
藤木は旧校舎に足を踏み入れた。
二日前に換気をしてモップがけをしたから、埃っぽくはなかったが、長年の染み付いたかび臭さは拭えず、少し鼻がぐずぐずと鳴った。玄関を通り過ぎて廊下を左右に見渡し、階段の下までやってくると、階上から足音が聞こえてくる。
目的地は音楽室だろう。藤木は慎重に、足音を立てないようにゆっくりと階段を上った。四階までやってくると、静けさは雨音に変わった。どうやら窓を開けたらしい。きょろきょろと前後左右を確認してから、音楽室の方へと向かうと、件の教室の扉が開いているのが見えた。
間違いない……居る。
藤木はこっそりと近づくと、その中を覗きこんだ……
そして、そこに全く想像もしていなかった、とても事件と関係あるとは思えない、いや、それどころか、そこに存在すること自体が場違いすぎて有り得ない人物を見つけて、思わず、
「はぁ!?」
っと、大声を上げて驚いた。顎が外れそうになった。
突然、背後から声をかけられたその人物は、飛び上がらんばかりにビクリと肩を震わせて、物凄い速度で振り返った。
シルクのようにきめ細かい長い髪がふわりと舞った。鼻筋が綺麗に通った美しい顔と大きな瞳が藤木の顔を捉えた。まるで雑誌モデルの真似をした地方の大学生みたいだと思ったのは間違いだ。彼女はそのモデルそのものである。
「あ、愛ちゃん!?」
北辰愛。新進気鋭のアーティストで、七条寺が生んだマルチな才能。歌にドラマに大活躍で、去年の夏ごろにブレイクしてからすぐ、お茶の間で見かけない日はないほどの売れっ子になった彼女は、デビューわずか半年で武道館をファンで埋め尽くした伝説を持つ、間違いなく、今日本で一番売れているタレントである。
藤木は基本的に自分とは係わり合いにならないであろう女に興味はない。それが三次元であるなら、なおのことだ。大体、アイドルよりもAV女優の方が好きである。乳も見せないアイドルなど、コラージュの材料にしかならない。
しかし、目の前の彼女は違っていた。藤木は彼女のことを良く知っていた。その活躍ぶりももちろんだが、なによりも藤木のお気に入りのラジオ放送のパーソナリティを勤めているからだ。おまけに地元出身である。いわば家族のような親近感さえ抱いていた。
なんでそんな人がここに?
わけがわからなすぎて、藤木が二の句も告げないで居ると、彼女はじりじりと警戒感を隠そうともしない表情で後ずさった。
「え? いや、ちょっ? あれ? 愛ちゃん?」
「ひっ……」
いけないっ! なんかビビられてる!?
恐怖にガクブルする彼女は何か得物はないかと手をバタバタさせている。しかしそこには何もない。
あの、いつも余裕ぶってはケンスケさんに弄られてる愛ちゃんが、目の前でめっちゃびびってる。あわあわとしながら、藤木は混乱する頭で叫んだ。
「わあ! おどおどおど、驚かないでっ! 全然怪しい者じゃないから。そう、俺、俺はその……そうだっ!」
彼女はより一層身を竦めて後ずさったが、壁にぶつかりそれ以上進めなくなった。恐怖に顔が歪む。これ以上脅かしてはいけない……なんとかしなくちゃと思う藤木に、天啓が閃いた。
「そうだっ! あああ、愛ちゃん! 俺ですって! そう、俺です、ザーメンまっ黄色ですっ!! いやあ、こんなところで会えるなんて。偶然だなあ~」
「ひぅっ!!」
彼女はビクリと引き付けを起こしたかのように体を震わせた。
「いや、だから、そんな恐れないで。俺はザーメンまっ黄色なんですってば!」
「い、いや……こないでっ!!」
「ちょ、そんな! 知ってるでしょ!? 知ってるよね!? ザーメンまっ黄色です! ザーメンまっ黄色なんですっ!!!」
「い……いやああああああああぁぁぁあぁぁぁぁ~~~~~~~!!!!!!」
旧校舎中に悲鳴が轟いた。
さすが歌手であるからか、その声量は半端ない。ビリビリと震える鼓膜で、頭がキンキンとなる。
前後不覚になりそうな頭をぶるぶるふるって、一歩音楽室に入ろうとすると、
「なにやっとんじゃあ~~~! この変質者がっっっ!!!!」
いつの間にやらやって来た、小町にスパンっと頭を叩かれた。
涙の滲む視界の片隅に、男にしか見えない徳さんが腹を抱えて笑っていた。
え? なにこれ、ドッキリ?
混乱しながら小町に組み伏せられた藤木は、やがて悲鳴を聞いて駆けつけてきた警官に捕まった。おまわりさん痴漢ですと、有無を言わさず突き出された藤木がパトカーで連行されそうになったとき、職員室から飛んできた学年主任に助けられたが、そのまま教師と警官に左右からくどくど説教されるのであった。
何故だ。一体、自分の何がいけなかったというのか……