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テクノブレイクしたけれど、俺は元気です  作者: 水月一人
2章・がんばれがんばれ
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誰がために

 丁度下校途中であったからか、気がつけば階段の踊り場は人垣が出来ていた。教師が集まってきた生徒の追い出しにやっきになっていたが、焼け石に水のようだった。大暴れしていた野球部の1年生は、事件の検分のために訪れていた警察官に連れられてどこかへ消えた。


 多分、練習の時間がさらに削られたからミーティングでもしていたのだろう。野球部の連中が教師に事情を聞かれては、こってりと搾られていた。


 藤木は呆然とした顔で踊り場で腰を抜かしていた藤原騎士に近づくと、何があったか問いただそうとしたが、


「ほら、あなたたちはもう帰りなさい! 警察の方の邪魔になるから」


 教師が人垣を散らそうと大声を張り上げていたので諦め、代わりに未だに尻餅をついたままのナイトに手を差し伸べた。ショックで頭が回らないのか、彼は一瞬藤木の手のひらをじっと見つめてから、ワンテンポ遅れてそれを握って立ち上がった。


 立ち上がると背丈の差は歴然で、藤木が見上げるようにしてナイトを見たら、その額から一筋の血がつーっと垂れ落ちてきた。さすがにバットで殴られてこれだけで済むわけがないから、どこかでぶつけたのだろう。


「おい、怪我してるぜ。保健室行った方がいいな」

「あ、じゃあ俺が付き添うよ」


 騒ぎの中心で、邑楽修(おうらおさむ)を押しとどめていた二年生部員の董家拓海がそう買って出て、他の部員と一緒にナイトの肩を担ぐと、人垣を割って騒ぎの輪から出て行った。教師に怒られていた最中だから、上手いこと逃げ出した格好だ。


 意外と抜け目無いなとその後姿を見送っていたら、割れた人垣の先から、呑気な顔をした鈴木たち、クラスメートが近づいてくるのが見えた。


「……あ! ポチッ!」


 彼らの間に居た天使を見つけて、藤木は大声でその名を呼んだ。自分の妹を犬呼ばわりするとは、どういうつもりだ……古来より妹は奴隷、兄は神ということわざもあると言うし。ゴクリ……と言った冷たい視線が突き刺さる。いや、しかしそいつの通名は天使(えんじぇる)だぞ。アルテミシアと張るほどのDQNネームだ。今更ポチくらいでガタガタ言って欲しくない。


 体面を気にするつもりはないが、鬱陶しい視線を避けて、藤木は天使の手を取ると、


「すまん中沢、あの話はまた明日だ」


 と言って、彼女を連れて逃げ出した。また今日も一緒に遊びに行くつもりだったのか、クラスメイトたちから非難の声が上がる。基本的に放置していたが、マジで不純異性交遊とかに発展していないだろうな……母親と一緒に仲良く入院なんてことにならないで欲しいと切に願った。


 しとしとと降り続く雨が薄い霧のようになって校庭を白く染め上げていた。下校する学生たちの傘の花が校門へと続く道に咲き乱れていた。


 傘を叩く雨の音が周囲の音を消していたが、これから話すことを考えると、それでも人目は出来るだけ避けたかった。正門に差し掛かると、橋の先にうっすらとマスコミの姿が見える。こっちの方向はまずい。藤木は踵を返すと、庭園を抜けて雑木林を潜り、部室棟へとやってきた。


「それで、一体どうしたんですかにゃ?」

「実はちょっと、おかしなことになってるらしいんだ」


 開け放たれていた玄関の扉を閉めると、部室棟はしんと静まり返っていた。いつものように文芸部室へ向かうために階段を上り四階へ。窓の外には雨に煙る町並みが、いつもより不気味に静まり返って見えた。殺人事件に逃走犯とくれば、外出する気もなかなか起こらないのだろう。


 正門前の橋を渡った先に、マスコミのカメラと、それを睨みつけるような格好の制服警官の姿が見えた。全員レインコートで着膨れしてて、見ているだけで暑苦しい。


 廊下の一番奥まで来るとパーティションを開けて、廊下に誰かこないか見えるようにしてから腰掛けた。気になるなら部屋の中に入ったらどうなんだ……と言いたげな顔をしながら、天使が机の対面にパイプ椅子を置いて座った。


「放課後、中沢が教室にやってきたのは知ってるだろう……」


 その後、彼に連れられて生徒会室へと行き、そして学校の多くの生徒から、先日の部室占拠事件の記憶が欠落しているらしい、と言うことを聞かされた。こんな超常的な現象が起こりうるのは、十中八九、藤木のテクノブレイクが原因だろう。


「……と言うわけで、おまえなら何か分かると思って」

「ふーむ……揺り戻しですかにゃ」

「揺り戻し?」

「もっと簡単に言えば、反動ですにゃ。藤木さんが、この世に与えた影響の。以前、お父さんがオナって死ぬんじゃないかと、大騒ぎしたことがありましたにゃ?」

「ああ、あったな。そんなことも」

「あのときにも説明したのですが、この世は確定事象に対しては、絶対にそうなるように修正力が働きますにゃ。また逆も然りで、ある方向に修正しようする力があれば、未来は確定される。お父さんが死んでも、それをなかったことにしようと、藤木さんとポチが暗躍する。ポチたちが絶対にそうすると決めたなら、お父さんがオナって死ぬという現象自体が、絶対に起こらないようになりますにゃ」

「……あの時は良く分からなかったが、要するに未来に介入できるってことか?」

「そうです。起こって欲しくないことを、起こらないようにすると宣言する。すると可能性が否定されて、今後絶対にその事象は起こらなくなる……ポチにはそういう力がありますにゃ。ただ、思い出して欲しいのですが、ポチが出来ることは催眠による記憶操作くらいのものですにゃ。お父さんが死ぬという現象自体を、どうこうする力はありません」

「要するに、親父が死んでも、記憶操作してそれを忘れさせてしまうってことだろ」

「そうです……ところで、藤木さん。あなたが5月19日に死んでから、お父さんがオナって死んだことはありましたかにゃ?」

「いや、無かったよ。お前も知ってるだろうが」

「本当に? もしかしたら、お父さんは何度か死んでいて、その度にポチと藤木さんが無かった事にして回っているのかも知れませんにゃ」

「そんな馬鹿な。だってそんな記憶は無いんだぞ」


 自分で言って、そのことに気づく。記憶がないって? 目の前に、その記憶そのものを弄れるやつがいるんだぞ。


「そういう事ですにゃ。藤木さんはお父さんを助けた。でも、その記憶を無くしてしまっているかも知れない」

「おまえ、まさか……」

「これは信じて貰うしかありませんが。神に誓ってポチはそんなことはしていませんにゃ。ただ、ポチ自身が、ポチ以外の誰かによって記憶をなくしてる可能性がある」

「誰かって……誰だよ?」

「それは世界そのものですにゃ」


 あまりにスケールのでかい言葉に二の句が告げない。笑うことも、怒ることも、泣くことも出来ない。唐突に、お釈迦様の手のひらで踊らされた、孫悟空になったような気分になった。そしてそれはあながち間違いでもないのだろう。


「ここまで言ったら、もうお分かりかも知れませんが、藤木さん、あなたは5月19日にこの世からお亡くなりになりましたにゃ。そのあなたが、こうして生きて普通に生活をしている……それは本来、有り得ないことなのですにゃ」


 ドキリと心臓が高鳴った。最近は意識していなかった……いや、最初から信じては居なかったのかも知れない。自分が死んでしまったと言う事を。


「そして、有り得ないことは有り得ない。世界にはそういう修正力が働いているんですにゃ」


 カタカタと窓が揺れた。相変わらず振り続ける雨のせいで、窓の外の視界は真っ白にぼやけて見えた。静寂に沈む町がどこか頼りなく見える。死後の世界とは、もしかしてこんな風景なのではなかろうか。


「……中沢の言う、記憶が抜け落ちてる奴らは、そう言うことだと」

「恐らく、藤木さんの起こした、本来なら有り得ない出来事を清算しようとする力が働いているのかも知れませんにゃ。ただ、少々強引に過ぎるように思えますにゃ」

「どういうことだ」

「藤木さんが起こした部室占拠事件は、確かに学校を揺るがす出来事だったかも知れませんが、それでも世界にとっては些細なことですにゃ。藤木さんが起こしたという記憶はいずれは改ざんされるでしょうが、それでもせいぜい数年後、同窓会などで集まった際に、昔こんなことがあったね、ところであれをやったの誰だったっけ? と話題に上る程度の話なんですにゃ。中沢さんのように、明らかに他人との記憶の齟齬を感じて戸惑う人が出てくるのは、少々行き過ぎですにゃ」

「なるほど。確かに……」

「藤木さんは、やりすぎたのかも知れませんにゃ……今、学校で起きている様々な事件、その物語の中心にはいつも藤木さんがいる。部室占拠事件はもちろん、気がつけば殺人事件にまで巻き込まれている。あまりにも多くの人に影響を与えすぎて、修正が追いつかなくなっているのかも知れませんにゃ」

「うーん……それで、昨日と今日で、こうも劇的に変わったんだろうか」

「藤木さん、昨晩、小町さんに頼んで事件のことを調べましたにゃ? 幽体離脱を駆使して。これだって、本来絶対有り得ない方法ですにゃ」


 ……確かに。普通に生きている分には、絶対に知ることの出来ないだろう情報を、藤木は簡単に手にすることが出来る。その情報によって世界に影響を与えると言うのは、本来なら藤木と言う人間が存在しえない世界にとって、どんなことなのだろうか……


「別に、やりすぎるなとは言いませんにゃ。でも……藤木さん、ちょっと考えてみてください。いまあるべき姿から逸脱しようとしている世界にとって、一番不要な存在が誰かってことを」


 暗に口を濁していうが……言わんとしていることはわかる。きっとやりすぎたら、取り返しのつかないような出来事が起こるはずだ。


「……あの日からそろそろ1ヶ月ですか。今の生活にもずいぶん慣れたでしょう……でも、当たり前のように思えても、これはれっきとした奇跡なんですにゃ。夢みたいな物なんです。あなたのことを可哀相に思った、神様の贈り物で、人生の放課後みたいなものなのですにゃ」


 あのテクノブレイクをした日、霊魂を迎えにきた天使は、藤木に現世に留まるタイムリミットは無いと言った。けど、きっとそんな余裕はないだろうとも……


「殺人事件ですか……なるほど気にはなるでしょう。でも一体、誰のために藤木さんがそんなことをしなきゃいけないんですかにゃ? 放っておけばいいじゃないですか……もう、殆ど残っていない、あなたの余生なのだから、自分のために使ったらいいじゃないですか……」


 しとしとと雨が降り続ける音しかしない静寂の中、藤木は天使と見つめあった。天使の言葉は、ひどく当然のように思えた。そもそも、本来藤木は利己的な人間なのだ。誰かのために自分を犠牲にするのはキャラではない。


「……ああ、そうだな」


 吐き出すようにして、ようやくそう言えた。何か、大事な物をごっそりと持っていかれた気がした。どうしてだろう、指先が震えて、ちりちりと焦げるような痛みを感じていた。


 けど、彼女の言うとおりだ。これ以上、事件に関わらない方がいい……たまたま第一発見者になってしまったから、その義務を果たさねばならないが。野球部がどうだとか、ユッキーがああだとか、自分には関係ないではないか。忘れた方がいい。


「それじゃ、帰るか……」

「帰りにどこか寄ってきますかにゃ? 付き合いますにゃ」

「……おまえが寄り道したいだけだろ」


 そんな風に、他愛の無い言葉を交わしながら、藤木は席を立った。


 そして本当に何となく、何気なくだったのだけれど……壁際に置かれていた掃除用具入れのことがふと気になって、ガチャっとその扉を開けたのだった。


 半笑いの晴沢成美がそこにいた。


「……あ、その~……えへっ」

「えへじゃねえよ。何でこんなとこ入ってんだよ。お兄さんちょっと、わけわからなすぎて突っ込みも出来ないよ」


 ガタガタと音を立てながら、なるみは掃除用具入れから出てくると、スカートの埃をパンパンと叩きながら言った。


「いやその、お昼はどうするんだろう? って、今日は突然午後の授業が無くなっちゃったじゃないですか? でもお弁当は持ってるし……一応、部室に来て確認してから帰ろうかな? と思って来たんですけど。窓から下を見ていたら、先輩がやってくるのが見えたんで……」


 驚かせようとして掃除用具入れに隠れたのか……なんだかこれ、もはや文芸部員の定番のような気がしてきた。


「女生徒を連れていたので、てっきりもも子先輩かと思ってたんですけど、上がってきたら全然知らない人だし、こんな人気の無い場所に女の子を連れ込むなんて、これは是非じっくりと確かめねばと……出るに出れず」

「ドキドキしながら見守ってたんかいっ!」

「それで、一体どういった関係なんですか!?」


 物凄く嬉しそうな顔で聞いてきた。ちょっと首を絞めてやろうか。


「妹だよ、妹!」


 血の繋がってないな。


「ああー……そういえば、妹さんが居るって言ってたことありましたっけ……ちっ」

「何故舌打ちする」

「……それにしても、似てないですね。あれ? って言うか、この顔」

「そのやりとりももう飽きたよ……昼飯は今日はみんなバラバラだよ。用事も無いなら帰らないか」


 そう言って、藤木はカバンで天使のケツをドンと叩くと歩き出した。左右に天使となるみが並んだ。


「……ところで、なるみちゃん……話はどこまで聞こえてた?」

「……えーっと……雨の音でところどころ聞き取れませんでしたけど……有り体に言えば、全部……」


 ですよね。


 さて、どういってこの窮地を切り抜けようか……天使の催眠術でかたをつけるのが、一番手っ取り早いか……そう思いつつ、一応話を逸らしてみる。


「ゲームだよ、ゲームの話」

「あー、ゲームの話ですか……私、ゲームやらないからなあ……」


 特に深く突っ込んでも来ないし、知らん振りしてくれるなら、それでもいいかと思うことにした。大体、いちいち消して回っていたら、小町や中沢はどうするのだ。そもそも、あんな話を聞いたところで、誰が何を信じると言うのか。どうしても何か問題あるなら、世界の修正力とやらでなんとかしてくれ。


 なげやりな気分で三人で1階まで降りてくると、丁度見回りにきた教師と鉢合わせして、さっさと帰るように注意された。すみませんと謝って、傘を広げて正門へと続くアスファルトの道を歩き出した。


 それにしても、あの掃除用具入れはどうにかした方がいいかもしれない。少なくとも、今後は中身を常に警戒した方がいいだろう……そんなことを考えながら正門までやってくると、なにやら沢山の傘が人垣を作っている。小首をかしげてなるみが問う。


「なにかあったんでしょうか?」

「さあ? 今日はよく人垣が出来るなあ……ちょいとごめんよ、通してくれ」


 何食わぬ顔で人ごみを掻き分けて列の前に出ると、回転灯を回したパトカーが一台、校舎の方からやってくるのが見えた。


 ああ、あの邑楽とかいう一年が護送されるのか。さっさと通り過ぎてくれ、道を渡れない……うんざりしながら、通り過ぎるパトカーの中を覗き込んだら、


「……ユッキー?」

「……藤原さんも居ましたね」


 狭い車内に苦しそうに体を屈めた藤原騎士と、不機嫌そうな顔を隠そうともせず、人ごみに藤木となるみを見つけては、腕組みをしたその指でブイサインを返してよこした、立花倖の姿が見えた。


 あの担任教師……また聴取だろうか?


「なあ、なるみちゃん?」

「……なんですか?」

「俺は藤原という男の人となりを良く知らない。だから、ちょっと尋ねたいんだが……邑楽って一年の男が言うには、藤原騎士ってのは人を殺すようなヤバいやつらしいんだ。多分、その件で連れてかれたんだろうな……だが、なるみちゃんはどう思う?」


 そんなの聞くまでも無いと言いたげに、少し怒気を含んだ声で、なるみは言った。


「絶対にありえませんよ! きっと何かの間違いです」


 それなら何故あの一年は半狂乱になって暴れだしたのか……


「……そうか。なら、なるみちゃんは、あいつのことを信じてやれよ」


(もう、殆ど残っていない、あなたの余生なのだから、自分のために使ったらいいじゃないですか……)


 さっき言われたばかりの、天使の台詞が頭の中をぐるぐると回った。


 本当は係わり合いにならない方がいいはずだ。気にしなきゃいいんだ。自分には関係ないことなのだから。だから馬鹿なことを考えるのはやめろ。


 自戒の言葉がいくつもいくつも浮かんでは消えていく。でも、


「俺は、ユッキーのことを信じようかと思う」


 誰かのことを見ないふりして、自分のためになんて生きられるものか。そんなのは死んでいるのと変わらないではないか。おかしな話だ。自分はもう死んでいるはずなのに……なにを恐れることがある。


 それに多分、自分が動いたところで、事件に影響を与えるようなことなど、何も出来やしないだろう。一体自分は何様だと言うのだ? きっと、馬鹿の考えなんとやらみたいに右往左往しているうちに、警察が片付けてくれるに違いない。


 なら、やれることはやるべきだ。考えることは考えるべきなのだ。


 藤木はマスコミの間を掻き分けるようにして去っていくパトカーを見送りながら、事件の記憶を一から精査しはじめた。


 天使はその姿をじっと見ていた。

 

 

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