見たことも聞いたことも無い
夜半過ぎから降りだした雨は翌朝になってもしとしとと続き、朝なんだか夜なんだか分からないような空模様は、どんよりとした気分を一層暗くさせた。
数日前は天国だったのに、今日の夢見は最悪で、バットを持った小町に旧校舎(何故か外に出られない)の中を散々追いかけられた挙句、滅多打ちに惨殺されて、惨たらしい肉塊に変えられたそれを、天使が不思議なパワーで生き返らせては、また容赦なく鬼ごっこが始まると言う、なんとも救いようのない生き地獄が延々と続く内容だった。
思ったよりも気疲れしていたのか、まるで眠った気がしなく、体のあちこちが軋むように痛んだ。直前に見ていた夢の内容も相俟って、起きてるのか寝てるのか良く分からない、頭がボーっとした状態でベットに腰掛けていると、いつまでも起きてこない藤木を起こしに天使がやってきて、思わず背筋がヒヤッとした。無邪気な声がまだ頭にこびりついて離れない。ぴぴるぴるぴるぴぴるぴー。
早く起きないと遅刻するの声に、嫌々重い腰を上げて、顔を洗ってリビングに行くと、テレビで昨日のニュースが流されていた。LIVEのテロップが右上に表示された画面には、成美高校の校門が見えた。正直、今日はあそこを通りたくないな……と思っていると、藤木の部屋のドアを開けて、小町があたふたと慌てながらやってきた。玄関から来なさい、玄関から。
「藤木、ニュース見た? うちの学校で殺人事件だって!」
「だから、昨日からそう言ってるじゃねえか……」
事がことだけに連絡網が回ってきて、テレビをつけたらこのざまである。マスコミが通学路に陣取ってマイクを向けてくるが、相手にしないようにとの通達だった。藤木家にはまだかかってこないが、当事者だから飛ばされたのか? と思ってると、リビングの電話が鳴り出した。
『朝早く失礼します。○×テレビのものですが……』
一体どこで聞いてきたのだろうか、藤木が目撃者であることも、家の電話番号も。返事はせずに受話器を置いた。玄関から出たら待ち構えてやしないだろうか。
学校へ登校すると、やはりと言うか、1限は全校集会となった。講堂に集められた全校生徒に校長が、昨日残念なことに我が高の生徒が凶手に倒れ帰らぬ人となった。仲のいい者はショックだろうが、どうか気を落ち着けて欲しい。我が校はこの理不尽を忘れない。ってな感じのことを時折感情の高ぶりを見せながら長々とスピーチした。
眠気に逆らいながら、まるでテレビドラマみたいだな……と思っていると、空気を読んだ女生徒が数人、グスグスと鼻をすする音を立てた。いやしかし、入学して2ヶ月。思いっきり孤立してそうな奴だったみたいだが……案の定、9割がたの生徒はただただ困惑していると言った感じで、悲しみよりも、寧ろ得体の知れない殺人者の恐怖に怯えているといった顔をしていた。
隣町の刺傷事件の逃走犯、藤後玲は未だに発見されておらず、そして旧校舎の事件も起きては補習だなんだと言っていられる状況でもなく、警察の捜査に協力するという建前で、今日は午後の授業は廃止にすると言うことになった。まあ、仮にやったとしても、こんな状況では誰もが上の空だろう。
昼になると今日から少なくとも週末までは、放課後の補習は無しと通達され、変わりに宿題をたんまりと出された。今日に至っては午後の授業もないから、宿題を出されるのは当然なのだろうが、そんな自主性があるなら2年4組なんかに居やしない。ホームルームが終わるや否や、鈴木たちクラスメートが集まってきて、教科の分担をディスカッションし始めた。
「それじゃ、藤木は国語担当な……つか、おまえ、昨日旧校舎に居たんだって?」
「まあな」
「どんなんだったんだ? 詳しく聞かせてくれよ」
詳しくと言っても……話せば、立花倖が怪しいという話になりかねない。昨日、幽体離脱して仕入れた逃走犯の情報も、うっかり口に出しかねないので、警察から事件のことは誰にも喋るなと口止めされていると言って誤魔化した。
「ほらっ! あんたたちいつまで残ってるのよ。さっさと帰んなさい」
居残るなと言っているのに、だらだらとしている生徒たちを追い出しに教師が各クラスを回っていた。急き立てられて、カバンに荷物を詰めていたら、
「藤木、ちょっと顔を貸してくれ。生徒会室だ」
教室の前の入り口に、中沢貴妙が顔を覗かせた。まるで不倶戴天の敵でも迎えているかのように、教室中がざわめく。いや、別に今となってはそんな警戒するような相手でもないのだが……相変わらずリア充オーラに弱いな、こいつらは……などと思いつつ、分かったと返事を返すと、
「……なんか知らんが、おまえら最近仲いいな」
「冗談は止してくれ。生徒会の仕事の都合上、仕方なくだ」
「ああ、生徒会の……そういや、おまえなんで生徒会の仕事なんかしてんの?」
「はあ? 今更そんなこと聞くかあ?」
もう二週間も走り回ってるのに、この言い草である。その間、こいつらは放課後の補習が終わったら、毎日のように天使と遊び歩いてたんだよな……そう思うと殺意すら湧いてくる。
鈴木たちに適当に別れを告げて教室を出ると、中沢が腰ぎんちゃくを引き連れて、最近はあまり見せることがなかったリア充イケメンモード全快で、高慢ちきな会話をぶっ放していた。
「ああ、それならこの間、高木先輩と、北野先輩がエグゾディアの相沢さんとコラボしてレベル8の橘木さんが、キューヴェルで集まるからってパー券を配ってたんだけど」
「マジで? 流石中沢君」「エグゾディアって超すごくね?」「世界的」
なんじゃこりゃ……なんだか無性に壁に向かって、無慈悲でどす黒い衝動を叩きつけたくなる……
藤木が体を捩りながら苦しみに耐えていると、
「それじゃ、僕は生徒会があるからこれで。マスタングのオーナーには僕から話しておくから」
「ちょー、中沢君最近つれないよー」「超さびしーんだけど」「付き合い悪くね? つか、藤木とか有り得なくね? レベル低いじゃん」「中沢君とは釣りあわないよ」
おい、本人目の前にいるんだが、やるか? やるんだな?
歯噛みしながら睨みつけると、中沢がはははっとイケメンっぽく笑って、やんわりと腰ぎんちゃくたちを追い払った。と言うか、よくよく顔を見てみれば、数日前に1組から出てくるときに、思いっきり陰口を叩いていた連中だった。
もう手のひら返したのか? 呆れるやら、その変わり身の早さに感心するやらしていると、
「……今朝、学校にきたら、もうこれでね」
中沢は、最近ではそっちの顔をしていることが多い、むすっとした不機嫌そうな顔で藤木を促すと、生徒会室まで歩いていった。
生徒会室内には誰もおらず、品川みゆきが後から来るのかな? と思いつつ、椅子に腰掛けてぼんやりとホワイトボードを眺めていたら、中沢が唐突に変なことを言い出した。
「昨日、君と野球部の連中が仲良くしているところを見たときから、少し違和感があったんだが……」
「なにが?」
「君たちはいつ仲直りしたんだ。まるで何事も無かったかのように」
それは自分でも思っていた。かといって、付き合いやすくなって文句を言うやつはいない。
「部室の件が片付いて、それで手打ちってことじゃないのか? まあ、運動部の連中って勝負の世界に居るからか、そういう捌けたとこあるし」
「……僕も最初はそう思ってたんだけどな。今朝、学校にきたら、さっきの連中が近寄ってきたんだよ」
「ああ、おまえ、あのナントカさんとカントカさんは俺の友達、超凄くね? みたいに自慢するの、やめたほうがいいよ。超かっこ悪いから」
「……彼らは僕じゃなくって、僕の背後に興味津々でね、他人事を話していたほうが喜ぶし、結果的に重要なことは何一つ話さないで済むのさ。君はあんな奴らと腹を割って話せるか?」
「あ、そうですか。すんませんでした」
こいつはこいつで色々考えているようである。
「それはさておき、彼らは僕に興味があるわけじゃないからな。落ち目だと思ったらさっさと手のひらを返したのだが……今朝になって、急に何事もなかったかのように、以前と同じように話しかけてきた」
「どういうことだ?」
「どうもこうも……僕だってそんな無神経なことをされたら腹も立つ。しかし、さすがに様子がおかしいから、探るように話をあわせてみたんだ。そうしたら、どうやら彼らは、この数週間の出来事は、本当に何事も無かったと思い込んでるようで……具体的には、君が部室棟を占拠したあの事件の記憶そのものが欠落していた」
「……はあ?」
寝耳に水の出来事に、開いた口が塞がらない。
「もしも、野球部もそうであるなら辻褄があう。僕はさっき、松本に会いに行って、それとなく探りを入れてみたんだが……結果は案の定だよ。彼は何も覚えていない。部室争奪戦のサバゲーにも参加していたと言うのに」
「…………」
「一体これはどういうことだ。藤木、君はいったい何者なんだ」
何者かと言われても、藤木は藤木藤夫でしかない。普通の男子高校生で、背格好は中肉中背、別段イケメンというわけでもない。成績は中の下か、下の上とでも言おうか、そんなどこにでも居る少年である。
ただちょっと、オナったら死ぬだけだ。
こんなわけの分からない事態、おそらく説明が出来るのは天使くらいのものだろう。何かよからぬことが起きているのであれば、早めに対処しなければなるまい。
しかし、中沢に気づかれるとは……厄介だなと思っていると、
「正直、何が起こっているのかは、僕の手に余るんだろう。しかし、どうしても聞かないといけないことがある。君は、今回の殺人事件に、何か係わり合いがあるのか」
「はあ!? じょじょじょ、冗談じゃないっ! 何言ってんだよ、おまえ」
心臓がどきりと高鳴った。殺人なんて、滅相も無い。しかし、ふと脳裏に死亡フラグという言葉が過ぎった……いや、しかし、まさか……
「……人の記憶が消えたり、殺人事件が起こったり、あまりにもタイミングが良すぎてね。僕の考えすぎなら、それでいいんだ。ただ、藤木、君にもしも心当たりがあると言うのなら、僕に話してくれないか」
真摯に問いかける瞳がまっすぐ藤木を捉えた。まず、天使に確認しなくてはならないが、心当たりが無いわけではない。だが、それには藤木に起こっている、アホみたいな出来事から説明しないといけない。
別にそれを隠す必要は無いだろう。現に小町は普通に知っている。じゃあ、なんで誰にも言わないのかといえば、言ったところで信じるはずもない馬鹿馬鹿しい話だからである。
だが、それを証明しようとするなら、別にできないこともないのだ。小町に手伝ってもらって、何か幽体離脱しなければ絶対分からないような出題をしてもらって、それに答えれば、多分、殆どの人間が、何か超常現象的なことが起こってると信じざるを得ないだろう。
どうする? ……こいつに話すか? 話しても良いんだが、言って何か得するわけでもなし……
そんな風に藤木が頭を悩ませていると、
「うおぉぉぉおおおおおおああああああぁぁぁ~~~~!!!!」
と、雄たけびのような声が校舎中に響き渡った。
藤木と中沢は目を合わせると、同時に立ち上がって廊下に飛び出した。
「おいっ! やめろっ! やめろっ!!」「なにやってんだ、馬鹿!」「離せっ! 離せよぉ!」「やめろっつってんだろ!」「どうしたんだ、邑楽!」「うるせえ、離せえええええ!!!!」
声の主はすぐに分かった。生徒会室を出て、少し行った階段の踊り場で、複数人の男子生徒がバタバタと埃をたてて大暴れしている。
見れば野球部の連中である。
「おいっ! おまえら、何をやってるんだ! 乱闘なら外でやれよ」
叫びながら近づくと、人影は10人くらい。なにやら興奮した様子の男が、バットを振り回そうとして掲げているのを、周りの連中が必死になって止めていた。
「離せっ! 離せよぉー! そいつだっ! そいつが殺したんだっ! 今そいつを殺っておかないと、俺が殺される!」
男は羽交い絞めにされながら絶叫すると、気が狂ったように体を震わせる。どれだけ力を振り絞っているのだろうか、押しとどめようとする複数人の男を引きずって、ジタバタと手足をめちゃくちゃに振り回した。階段の踊り場に、足音が反響する。
対して、男の前方には床に尻餅をついて後ずさる巨漢の姿が見えた。そのサイズで顔を見なくても分かる。藤原騎士である。
「なにをしてるんですかっ! あなたたちっ!」
職員室から教師が出てきて、その背後には警察官の制服も見えた。旧校舎の捜査に来ていたのだろうか? 階段の踊り場は一気に人口密度が増えて、大暴れしていた男はなすすべもなく取り押さえられた。しかし、これで一件落着とはいかない。
取り押さえられたその顔は、昨日旧校舎で見かけた。アンポンタンのポンであるところの、確か名前は邑楽修である。彼は真っ赤な顔をして、敵意を隠さない憎しみのこもった目つきでナイトを睨みつけて叫んだ。
「離せっ! 離せよっ! そいつを殺さなきゃ……殺さなきゃ、今度は俺が殺されるんだ! 台場を殺したのは、こいつだっ! こいつが犯人なんだよ! だって、みんな知ってるだろ、こいつが一体何をやったのか! こいつは人殺しなんだよ!」
狂ったように叫び続ける邑楽を、警察が羽交い絞めにして連れて行った。多分、このまま警察署で取調べだろう。
何故、こんなことになってしまったのか。その経緯は聞いてみないと分からないし、彼の叫んでる言葉の信憑性も、正直良く分からない。ただ、ひとつだけ気になる言葉があった。
「みんな殺される……台場も、藤後も、立花成実も……次は俺の番なんだよぉ~……」
連行される彼の口から零れ出た、未だかつて見たことも聞いたことも無い誰かの名前は……それが一体どこの誰なのか、藤木はすんなりと理解することが出来るのだった。




