一体誰のしわざだ
翌朝。二人分の教科書をカバンに詰めると、病院で天使を拾って学校へと向かった。母親の容態は落ち着いているが、まだまだつわりが酷いので、もう少し様子見をするとのことだった。また放課後に寄ることにする。
学校へ来ると、1時間目は急遽ロングホームルームになって、昨日の凶悪犯逃走事件がまだ解決していないことを知らされた。捕まったと警察から連絡がなければ、今日もまた放課後は早めに下校するように要請されたらしい。補習がなくなったクラスメイトたちがガッツポーズを決めるが、野球部などの比較的真面目な運動部は複雑な顔をしていた。そろそろどこも夏季大会が近いはずである。遊んでは居られないのだろう。
正直、あまり興味なかったが、生活に影響が出てきてしまったので、軽く事件のことを調べてみた。
一昨日、午後、七条寺の隣町の雑居ビルで、貿易会社経営の50代の男が複数人の少年グループと口論になった末に、ナイフで刺突された。傷は深く、現在も集中治療室に居るが、幸い命に別状はないそうだ。男性を助けようとした部下の数人が同じく切りつけられ、治療を受けている。
グループは4名で、昨晩、七条寺郊外で逮捕されたリーダー格の男(20歳)を除いてあとは全て未成年であり、報道規制のせいで逃走中の容疑者の顔も住所氏名も、詳しい事件の内容も殆ど分かっていない。口論の原因は仕事上のトラブルとされ、激しやすい少年の一人が男性を刺し、乱闘になった末に全員が逃走。怪我人が出ていたことから、119番されて、病院から警察に通報された。
少年相手に仕事上のトラブルとは、刺された男性も本当にまともな人物であったか、穿った見方を禁じえないが……その後4人は七条寺市内で目撃されたのを最後に行方がわからなくなり、検問の状況から市内に潜伏しているものとして、警察は捜査範囲を絞り、それが昨日の放送に繋がったらしい。
結果的にこの捕り物で3名が捕まったそうだが、依然として1名が未だに逃走を続けており、警察は全力でその行方を追っているとのことだ。この対応からするに、多分、逃げ続けてるのは最初にナイフを持ち出した奴なのではなかろうか。
少年グループは七条寺を中心に活動しているグループで、市内に友人知人がたくさん居て、潜伏先にはことかかないらしい。捕まえた少年らから事情聴取をして、一つずつしらみつぶしに探しているが、未だに発見には至らない。ネットでは両親が叩かれているが、家で息子とは会話もなく、係わり合いになりたくないといった雰囲気がプンプンしていた。
そんなこんなで、補習授業は潰れたが、
「あー……もう最悪よ。いつまで続けなきゃならないのかしら」
生徒会の引継ぎのための再選挙がまた延期されて、品川みゆきが愚痴っていた。
昼休み、文芸部室でおかずの取り合いをしていると、グダグダと管を巻きながらみゆきがやってきて、勧めてもいないのに勝手にパイプ椅子を持ち出して、長机に突っ伏した。
「公示だけでもしたらどうですか。どうせ二度目ですから、立候補者はあつまらないでしょう。ゼロなら推薦者を立てて、押しこんでしまう手もありますよ」
何故か今日も、当たり前のように部室に顔を出していた中沢貴妙が、サンドイッチ片手にむすっとした顔でそう告げた。ボールペンを握った右手は絶えず動いており、昨日みゆきに押し付けられた書類仕事を黙々と片付けていた。
「と言うかね、あんたらなんでここで集まるの。生徒会室にいけばいいだろ」
「あそこに居たら、下手な雑用押し付けられるじゃない」
「教室で僕が色眼鏡で見られるのは君のせいだろう」
二人揃って、えらいネガティブな答えが返って来た。中沢はまあ、朝倉がいるのも理由だろう……みゆきの方は、野球部の件が片付いて、もう交代ムードでいたのに、これ以上何もしたくないと言ったところか。積極的に逃げ出す算段であるなら、乗らないわけでもない。
「つっても、推薦者って当てはあるのか? 無理矢理おしつけたらこの人みたいなことになるぞ」
「あんた、私のこと相当軽く見てるよね。いいわよ、表出るわよ」
「君がやればいいじゃないか。元を質せば君が悪いんだから」
「アホか。俺ならこの学校を三日で滅茶苦茶にする自信があるぞ、それでもいいのか?」
「……君の場合、それを本気で言ってそうだから返答に困るな」
「藤木ならやるわ、間違いないわよ」「藤木君ならやるねー」「あの……来年、私が入学する学校が無くなっちゃったら困るんですけど」
何この圧倒的アウェイ感……
悔しさにほぞを噛んでいると、コツコツと廊下に誰かが近づいてくる音が聞こえた。ユッキーか? また何かやらかしたのか……と思ったら、パーティションの影からひょっこりと顔を出したのは、学年主任の方だった。
「あれ、立花先生なら今日はまだ来てませんけど?」
「……別に私はいつも立花先生のことを追いかけているわけではありませんよ……品川さんも居たのですか、丁度良かった。昨日の放課後に申請された旧校舎の使用の件ですが、理事会から受理したとの連絡がありました。今週中にも、野球部の件は早急に、かたをつけるようにお願いします」
申請書類を書いた覚えはないが……誰がやったのか。
それじゃあ、早速野球部に伝えてやろうと、その昼休みは早めに別れた。
「なんだか、文芸部じゃなくなっちゃったみたいですね」
と、なるみが嘆いていたが、以前もみんな好き勝手やっていたので、それほど変わりはないはずだが……真面目なのがいけないのか? そうなのか?
野球部に伝えに、昼練をしているグラウンドへ行くと、それまでとはうって変わって松本が愛想良くなっていた。まるで不倶戴天の敵のような扱いだったのに、この手のひら返しはいかがなものかと周りを見渡してみるが、あれだけ殺気立っていた連中も、別段気にしてる素振りは感じられない。
ああ、おたくらのキャプテンはこういうキャラなのね……と呆れつつ、高校の旧校舎の使用許可が出た旨を伝えると、
「早速移動したいんだけど……まいったな」
放課後の練習を禁じられてしまったので、今日も明日も朝練と昼練をみっちりやっているせいで、とても時間が取れそうにない。なんとか、夕方も活動できるように学校と掛け合ってくれないか? と言われるが、何しろ学校も警察に要請されてるわけだから、そういうわけにもいかないだろう。
「どうせ凶悪犯つっても小僧らしいし、すぐに捕まるだろう。放課後解禁されるまで、待ってたらどうなんだ」
「遠征試合も始まると、本当に時間が無いんだ。おまえら、俺たちが野球ばっかしてるように思ってるだろうけど、勉強の時間もちゃんと確保してるんだよ」
2年4組とは違った理由で補習授業があるらしい。それを封じられて、スケジュール的にかなりキツキツだそうな。
「まあ……理事会も野球部に甘いだろうし、一応聞いてみるけど。少なくとも今日は無理だぜ?」
感謝する松本を尻目に、生徒会室へと移動すると、何も言って居ないのに、中沢が申請書類をさらさらと手馴れた様子で書いてくれた。どうしてこいつは生徒会をやめてしまったのだろう。一体誰のしわざだ。
書類を職員室に提出して、退屈な午後の2限を終える。生徒会長に昼の出来事を簡単に報告して別れ、天使と小町を連れて母親の入院する病院へ行くと、大分回復したらしい母親が談話室に陣取って、井戸端会議の田原総一朗みたいなポジションで、偉そうに振舞っていた。まるでベテラン患者のようである。明日、盆栽でも持ってきてやろうか。
「あらー、小町ちゃん悪いわねえ、わざわざ、もうちょっとしたらもう退院できるとおもうけど、あらいやだ、そんな気を使わなくってもよかったのにー、いいの? 悪いわねえー、そうなのよー、娘が二人いるみたいでしょう? 可愛いのよー、やだー、そうそうところで奥さん聞いた?」
小町と天使は小母さん連中に捕獲されて身動きが取れなくなったようだった。母親は二人をまるで自慢の娘のように紹介して、誇らしげにしている。ところで息子はどうなった。
へとへとになった二人が解放されるまで、藤木は病棟をグルグルと回って時間を潰した。入院患者のためにだろうか、意外と病院には色々揃っているので、退屈はしなかった。もっとも、ずっとここに押し込められたら、そうも言ってられないのだろうが。
家へ帰ると、父親が置いていったらしい、もみじ饅頭がキッチンのテーブルの上に置かれていた。日中、病棟に顔を出したそうだが、母の元気な姿を見て、またどこぞに出張で行ってしまった。
しかし、ろくに家に寄り付かない男である。どこぞに別の家族が居て、二重生活でも送ってないだろうか……本気でありえそうだから笑えない。藤木は考えることをやめた。
明けて翌日。始業前のホームルームで、今日の放課後も補習中止と告げられた。まだ逃走犯は捕まっていないらしい。何をやってるんだ? 警察は。
未成年者……つまり藤木たちと同年くらいの犯人なので、成美高校の学生も数人が警察から事情を聞かれたらしく、それを自慢げに話していた。付き合いの如何を問わず、小中学校が同じだった連中に聞き込みをしているようだった。
先に捕まった奴らの供述もあるだろうし、ここまでして捕まらないところを見ると、もう誰かに頼っているとかではなく、浮浪者に混じっていたり、土手に穴でも掘って隠れているんじゃなかろうか。もしくは死んでいるか。
一見、凶悪犯っぽいやつが、実は気が小さくて、パニックで大暴れしたあと、冷静になってことの重大さに打ちのめされて自殺……なんてことが往々にしてあるものだ。
とまれ、こうまで生活に影響が出ると面倒なことこの上ないので、さっさと捕まって欲しいものである。
そして昨日、申請しておいた野球部の件は受理されて、昼休みにまた文芸部室に学年主任がやってきた。
他の部活動の手前、大勢で残るのは禁止するが、人数を搾って教師と生徒会の監視下でなら、18時まで居残りを許可するとのことだった。生徒会て……品川みゆきがぶち切れる姿が容易に想像できる。
放課後を告げるチャイムが鳴る。
カバンに教科書を詰めて、病院の方は天使に任せていそいそと教室を出ようとすると、天使を誘おうとして振られた鈴木に、母親になにかあったのか? と聞かれた。事の次第を告げると、鼻血が出るほど爆笑された。まあ、確かに、弟か妹か知らないが、生まれてきたら藤木と18歳も違うわけだ。はじかきっ子というレベルではない。だが鈴木、おまえはいずれ殺す……
そう決意して旧校舎へと向かうと、先に来ていたみゆきと、恐らく学年主任に狩りだされたユッキーがプンスカと不機嫌を隠そうとしない顔で出迎えてくれた。別に藤木が悪いわけでないのに、ダブルでこれは酷いんじゃないの……見上げると暗雲が立ち込めている。日当たりの悪い旧校舎の周りは、まだ二日前の雨の影響でぬかるんでいた。