先輩と僕の不適切な関係・4
「なんで、そんなところに……」
突然、掃除用具入れから出てきた朝倉に対し、中沢はそう返すのがやっとだった。
「いや、ここで待ってたら、多分面白いものが見れますよって、俺が言ったからだ」
藤木がそういうと、中沢はキッと睨みを利かせてきた。おお、怖い。しかし、いつまでもこうして彼をからかってるわけにもいかない。
「もう、聞きたいことは全部聞いたから白状するが、中沢、おまえがどうせ嘘を吐くだろうことは分かっていた。じゃないと、いままであったことの辻褄が合わないからな。それはお前の話した過去のことじゃないぞ? ここ最近、この部室棟に何故か執着し続けていた、お前たちの行動の辻褄がだ」
藤木はドアノブの外されたドアを指差すと、
「夏の心中騒動の後、おまえたち三人は隔離されて、互いに会うことが出来なくなった。それは間違い無い。だが、その後唐突におまえがここへやって来て、保奈美を殺したなんてのは、いくらなんでも強引過ぎるだろう。しかし実際に、二年前のその日、ここで保奈美は自殺騒動を起こしていて、そして救急車におまえが同乗していたのもホントだ。じゃあ、その時何が起きたのか? おまえも知らないその内訳は、恐らく、こんな感じじゃないか」
「おまえは復讐だのなんだの言ってるが、実は保奈美のことなんて気にも留めちゃいなかった。ただ、もも子に会いたい一心で、ストーカーのように朝倉家のことを監視していた。朝倉家と玉木家は家が近所、というか、ぶっちゃけくっそ広いお前の家の敷地のすぐ脇にあったから、壁越しにこっそり見張ることが出来たんだ。何かの用事で朝倉先輩が出てこないかと、おまえは来る日も来る日もその家を見張った。そんなとき、朝倉家に保奈美が尋ねてきたのを目撃する」
その言葉に、中沢ではなく、朝倉が動揺した。何かを言おうとしたが、藤木はそれを手で制して、話を続けた。
「自分がたずねていっても、常に門前払いであったのに、保奈美は朝倉家の玄関を通された。そのことにショックを受けつつも、彼女が何をしているのか気になったおまえはそのまま家を監視し、やがて家から出てきた保奈美の後をつけた。どこへ行くのだろうかと思ったが、なんてことない、保奈美はかつて女子寮だったこの建物へ一直線に帰ってきた。会いにいってはみたものの、やはりおまえみたいに保奈美も追い返されたのかな? と思ったおまえは、女子寮を後にして家へと帰ろうとするが……しかし、そこで先輩のことを目撃した」
中沢は何も言わない。多分、それであっているのだろうと判断すると、
「まあ、学校から出てのバス停か、それとも駅辺りで見つけたんだろう。そんな場所で先輩のことを見つける理由は一つしかない。先輩は保奈美に会いに来たのだ。そう判断したおまえは、再度今度は朝倉先輩の後をつけて、またこの女子寮まで逆戻りした」
「案の定、先輩はここへやってきて、そして建物の中に入った。親族とは言え、男であるお前は、彼女が中でなにをやっているのか気になったが、男子禁制のこの建物に入ることも出来ず、その辺の雑木林に隠れて推移を見守ることにした。しかし、先輩はすぐに出てきた。恐らく、建物に入って五分も経っていなかったんじゃないか? あまりにも早いお帰りに、おまえは戸惑った。どうする? このまま先輩を追いかけるか。それともまた戻ってくるかも知れないし、ここに留まるか?」
「結局、おまえは先輩を追いかけることにした。目的はあくまで彼女に会うことだったから当然だ。しかし、タイミングが悪すぎた。保奈美の部屋に尋ねて行った直後に、おまえが現れるんだ、自分のことを尾けてきたことは明白だろう。だから先輩はおまえを拒絶した。そうですね? 先輩」
先輩は無言で頷いた。
「ともかく、先輩と逢えたおまえは、拒絶されながらも保奈美と一体何をしていたのか? と彼女に聞いた。先輩はそれなら自分で確かめたらいいだろうと突き放した。そして途方に暮れたお前は、再度この場所へと戻ってきて……女子寮の前に停まっている救急車を発見し、そして運ばれる保奈美の姿を見てしまった」
「驚いたおまえは、すぐに親族であることを名乗り出て、救急車に同乗した。看護師に何があったか聞いてみると、どうも保奈美は毒をあおったらしい。おまえは始め、また保奈美がやらかしたのだと思った。つい最近も山奥のラブホでやったばかりだから。しかし、すぐにその考えは否定された。何しろさっき朝倉先輩にあったばかりだからな。先輩はさっきここに居た。そして何故か数分もしないうちに出てきて家に帰ってしまった。もしかして、彼女はここに、保奈美を殺すために来たのではないか……」
「その憶測は、保奈美の手術に付き添っていたおまえに、やってきた祖父が告げた言葉が補足した。彼が言うには、さっきここへ来る前、朝倉の家で先輩が自殺未遂を起こした。保奈美もこの通りだし、一体何が起きているのか? そして、おまえは罪を引っ被ることにしたんだ。保奈美を殺そうとしたのは自分であると……」
藤木はここまで一気に喋ると、一区切りするかのように息を吸った。先ほどまで小町に押さえつけられていた中沢はもう解放され、ただ力なく床に腰を下ろして黙って話を聞いていた。
「しかしね、おまえ、これはとんでもないすれ違いだったんだよ。中沢、おまえは勘違いしている。保奈美は確かに自殺じゃない。しかし彼女を殺そうとしたのも、先輩じゃないんだ」
「……もも子じゃない?」
「ああ、せめておまえは先輩に尋ねるべきだった。聞けばきっと答えてくれたろう。だが、おまえは早とちりして、彼女が犯人であると決め付けた。そして自分がその罪を被ろうとした。そんな独り善がりが許せると思うか?」
「しかし……だって、もも子は自殺未遂まで起こしたんだぞ? 自分が犯人じゃないならなんでそんなことをしなきゃならない。それに、そうなら、罪を被ろうとしている僕に言うはずだ」
「それが言えなかったんだよ。何でかって言うと、俺の口から言っていいのか分からないんだが……」
だが、その必要はなかった。藤木の言葉を受けて、朝倉がポツリと零した。
「保奈美を殺したのは……私のお父さんだったんだよ」
だから言えなかったのだ。自分の父親が犯人で、そして長いこと玉木家の人々を苦しめていたということを、彼女は知ってしまったから。
中沢は唖然として言葉を失った。藤木はそんな彼に尋ねる。
「なあ、咲子が誘拐される前、何が起きたか思い出してみろ。その頃、おまえは咲子の虐めがエスカレートして、ちょくちょく怪我を負っていた。そして、それを見るに見かねた先輩がおまえを庇って……」
結果として、朝倉もまた虐めの標的とされた。
一人娘が虐められているのを見て、その父親がどう思っただろうか。ましてや、彼はかつて玉木家の事業拡大のあおりを受けて、倒産した会社の社長だった。女房には逃げられた。借金苦から両親もめっきり老けて、間もなく老衰死した。確かに仕事の面倒は見てもらっている、これがなければ娘ともども路頭に迷っていただろう。しかし恨みこそすれ感謝など考えたこともなかった。
そんな中、娘はよくやっていた。知恵遅れの玉木の次女に尽くし、ろくに友達も作らずに彼女のために頑張っていた。それなのに、そんな娘に対する仕打ちがこれなのか? 咲子の虐めがエスカレートするなか、朝倉の父は復讐の炎を燃え上がらせていった。
事件が起こってからの彼の行動に不審な点はなかったから、恐らく共犯者が居たのだろう。もしくは、共犯者が彼に計画を持ちかけたのかも知れない。咲子を誘拐し、身代金をふんだくろうと言われた彼は承諾し、玉木家に出入りしている庭師として、咲子の詳細なスケジュールを共犯者に伝えた。そして誘拐事件が起きたら、彼は警察とマスコミにそれをリークして、咲子を殺せと共犯者たちを唆した。
「そして復讐を果たした彼は、その罪の意識からか、より一層玉木家を憎むようになっていったんじゃないか。実際のところ、仕事の都合上、彼は手を下した玉木家が苦悩する様を見続けなければいけなかった。思えば、先輩と保奈美も、決して大人たちの思ってるような強制的な関係でもなかったろう。恐らく、彼女たちは本当の意味で親友だった。しかしね、ここでまた有り得ないことが起きた。おまえたち三人が逃避行を始めたからだ」
朝倉は家を出るに当たって、父親に何も伝えてはいなかった。自分は信用されてると言う自覚もあったし、保奈美だけじゃなくて中沢も居たから大丈夫だろうと思った。
しかし父親はかなり動揺した。何日も娘が留守にするにつけ、玉木老人に文句を言った。それは正当な抗議だから彼も何も言えずに、黙ってそれを聞いていた。そしてそんな中、最悪の結果が伝えられる。
朝倉と保奈美が逃避先で自殺未遂を起こしたという知らせだ。
「そりゃもう、普通の人の親なら怒り狂うだろうよ。ましてや、彼はさっきも言ったとおり、内心では玉木家の人々を憎んでいた。だから、朝倉先輩が目を覚ますまで、彼は今までの鬱憤を全て吐き出すかのように暴れまくったらしい。けど、目を覚ました先輩の言葉を聞いて、溜飲を下げざるを得なくなった。と言うのも、中沢、おまえも勘違いしてるようだが、先輩は自殺未遂なんかやっちゃいない」
「……え?」
「あの日、おまえを追い出した後、先輩はそれが保奈美の差し金だと気づいて文句を言いにいった。自分の部屋を出て、保奈美が居るであろうおまえの部屋へと行くが、しかし部屋の中に彼女の姿が無い。もしかして外に出たのか? とも思ったが、シャワールームのドアを開けようとしたとき、それが何かに引っ付いて開かないことに気づいて、先輩はすぐに何が起きてるか悟った」
「保奈美が逃避行を続けていたのは、実は結構マジだったんだ。彼女は母親が狂ったままもとに戻らず、新しく行った学校の環境にも馴染めず悩んでいた。だからおまえらと遊んでいる反面、彼女はずっと死に場所を探してた。それがあの日だったんだろう。彼女はおまえの背中を押して、そしてシャワールームで一人こっそりと死のうとした。しかし、先輩がおまえを拒絶したことで、意外と早くに見つかることになる。先輩は目張りしてある扉に体当たりして、必死にそれをこじ開けた。しかし、保奈美を助け出そうと中に入ると、息が上がっていた彼女はあっという間に一酸化炭素を吸い込んで意識が朦朧となり、シャワールームの中に倒れてしまう。そこへ運悪く、扉が閉まってしまい、こうして心中の構図が作られたって寸法だ」
病院で目覚めた朝倉は自分に死ぬ意思がなかったことを告げた。しかし、それで怒りが収まるわけもない父親は、玉木家を提訴すると息巻いた。実際に裁判になったらどうなったかは知らないが、玉木老人は彼の気持ちを慮って、殆ど彼の要求どおりに賠償金を支払った。裁判沙汰になってしまったから、そのことは子供たちには伏せられた。そして彼は玉木家の仕事を辞して、家も引っ越そうと新居を購入し、もう保奈美に関わらせないようにと、そこへ娘だけ先にいかせた。
「つまり、おまえが見張っていた朝倉家には、すでに先輩は居なかったんだよ。それを知らずに見張っていたお前は、やがてやってきた保奈美を見つける。彼女もまた先輩が居なくなったのを知らなかったから、直接尋ねてきたのだが、飛んで火に入る夏の虫と言うのだろうか、憎んでいる相手が何も知らずにのこのことやってきたんだから、彼はこのチャンスを逃すまいとした。機会があればと用意していた毒入りのお菓子を彼女に渡すと、保奈美が来たことを娘に伝え、そちらへ行くようにすると言った」
もちろんそんなつもりはさらさら無かった。しかし、幸か不幸か、保奈美が朝倉家へ尋ねてきたのを、玉木家のほかの使用人が見かけ、好奇心からか、それとも良かれと思ったからか、そのことを朝倉に連絡した。
連絡を受けた彼女は、一体何の用事だろうと、彼女の住む学生寮、つまりここまでやってきた。しかし、いざ彼女に会おうとするも、その扉をなかなかノックすることが出来ない。彼女もまた傷ついていたのだろう。今まで起こった数々のことや、中沢との最後の出来事が、彼女に思いの外ダメージを与えていた。
結局、保奈美に会う勇気がないまま、彼女は部屋の目の前まで行っておきながら何もせずにユーターンした。そして家へ帰ろうと夜の街を歩いていたら、背後から中沢に声をかけられたのだ。すぐさま、彼が何をしていたか悟った朝倉は不快に思い、彼を拒絶してその場を去った。そしてプンプン怒りながらもバスに乗り駅前までやってきてふと思ったのだ。保奈美は実家に行ったようだが、父はそのことについて何も言ってこない。多分、自殺未遂騒動があったから、娘を近づけまいとしての行動であろうが、それでも一言くらいあっていいじゃないか。そう思った朝倉はかつての玉木家のそばにある実家へと足を運んだ。来なければ良かったと、後悔するとも知らず。
実家に帰ってきた朝倉は、いつものように玄関の鍵を開けて家の中へと入った。父親は在宅中のようで、声をかけようと気配を探して奥の間へと足を運んだ。そこには祖父母の仏壇があるのだが、彼はその前で何かを一心に祈っていた。
そんなに信心深い父ではない。一体何事だろうか? と、彼の背後から仏壇を覗き込んだ彼女は固まった。そこにあったのは、かつて咲子が愛用していた扇子であり、事件後に見当たらなくなったものだった。
そして彼女は父親が何をしたのかに気づいてしまった。
おまけに彼は、両親に報告するつもりだったのか、保奈美のことも仄めかすように仏壇に向かって告白していた。
朝倉は狼狽し、その場にくずおれた。
父親は、突然背後に現れた娘に酷く動揺した。おまけに今まで隠してきた秘密を知られてしまい、それを言い訳するよりも、寧ろ怒りに任せて娘をしかりつけた。しかしそんな謂れはないはずだ。朝倉が逆に父親を糾弾すると、何も言い返せない父親が癇癪を起こして手当たり次第に物を投げつけ始めた。
それがガンっと彼女の額に当たって、大量の血が噴出した。
朝倉は意識が朦朧として、そのあと何があったか、あまり覚えていない。ただただ、身の危険を感じた彼女は、父親から逃げると台所まで言って包丁を取り出し、近寄ろうとする父親に向けて振り回した。
無我夢中で振り回される包丁に近づけず、また大量の血だまりを見て、冷静になった父親は、自分の行動を恥じた。そしてショックで記憶が飛んでしまった娘を置いて、家から飛び出した。朝倉は意識を取り戻すと、ただ暗い部屋に一人で座っていることに気づき、そして父親のしでかしたことを思い出すと、殆ど衝動的に手首を切った。
「次に目が覚めたとき、病院のベッドの上だった。私達の親子喧嘩は思った以上に騒がしかったらしくて、近所の人が通報してくれたのが幸いした。だけどね、思えばそのまま死んじゃっても良かったかも知れない。病院で気がついた私は、まず真っ先に警察の人に保奈美のことを尋ねられた。私は知ってることを告白して、そしてお父さんを探してくれるように頼んだの。でもその必要は無かった」
彼は首を吊って死んでいた。恐らく、娘を傷つけてしまったと言う罪悪感から、これまたその娘と同じように衝動的な行動だったに違いない。
「言葉も出ない私に警察の人がさらに教えてくれた。あなたが保奈美を殺したんだって、嘘をついていることを。すぐに分かった。きっと私が殺したんだって、勘違いしてることに」
父親が死んで、母親は行方知れず、天涯孤独の身になってしまった朝倉は、さらに保奈美の事件もあって心労に心労が重なり、ついに倒れた。世話をしてくれる者もいない彼女に対し、責任を感じていた玉木老人がその面倒を見たが、朝倉は中々もとには戻れず、日常生活に復帰するまで一年もの時間が必要だった。
そして彼女は成美高校へと編入した。それなりに境遇を理解してくれ、一学年留年しても、気にせず面倒を見てくれそうな学校が他に無かったからだ。あとは知っての通りである。編入した彼女は、かつて親友が暮らしていたこの部室棟4階廊下の片隅に立って、あの日ここまで来ながらも、扉をノックできなかった自分を思い出し、後悔していた。
その後悔が、扉を本棚で隠すことに繋がり、やがてその場に門番のように居続けることに繋がった。
「私は後悔していたの……もしも、あの時この扉を開くことが出来ていたら、保奈美は死なずに済んだんじゃないかって。もしも、毒入りのお菓子を食べたのが私だったら、お父さんも死なずに済んだんじゃないかって……それが悔しくて、悔しくて……私はこの扉の前からずっと動けなかった。でもね、それよりももっと悔しかったのは……」
朝倉は涙を流しながら、キッと中沢をにらみつけた。
「それは遅れて入学してきたあなたが、彼女を殺したのは、私なんだって勘違いしていたこと。勝手にそう思い込んで、私をここから引き剥がそうとしたこと」
中沢貴妙はうな垂れた。良かれと思ってやっていたことは、全て裏目裏目のことだったのだ。
彼が彼女のことを思えば思うほど、彼女は頑なになっていった。それは彼の勘違いが生み出した、彼女に対する裏切り行為だった。