俺はオナったら死ぬ・1
七条寺駅北口からバスで約10分。遠い春日連峰から流れる秋川の辺に、広大な敷地を確保した成美高校はあった。猥雑な駅前の繁華街からはかなり離れているので、周囲は景観も麗しい閑静な住宅地であり、平日ならば鳥のさえずりくらいしか聞く音もない、勉学に勤しむのであればうってつけの朝であるはずなのだが、その日は違った。
「中沢やめろ!」「中沢やめろ!」「中沢やめろ!」
の大合唱に、河川敷をはさんだ対岸では、一体何が起こったのだろうかと、通勤途中のサラリーマンや、近隣の小中学生が成美高校旧学生寮、現部室棟を物珍しそうに目を丸くしながら眺めている。対岸では次第に人垣が出来、やがて高校の生徒が通学してくると、あたりは更に騒然となった。
騒ぎが大きくなり、次第に焦りが生じてきたのか、生徒会が再度部室棟へとやってこようとするが、それをトーチカに置いた機関銃で追い散らし、占拠側は更にヒートアップしてシュプレヒコールをあげた。
藤木はそれを横目で見ながら、拡声器を外し、傍らにいたクラスメイトに渡してから、部室棟内へと入った。建物からおよそ100メートルほど離れた舗装された道路の上には、先日乱闘になった生徒会やらのグループが、苦々しそうな顔でこちらを睨みつけていた。おお、こわい。
部室棟の使用権で揉め、意気消沈したままの朝倉につれない返事を受け、どうにもやりきれない思いを抱えた藤木は行動を起こした。
元々、出会ったときから朝倉が何かを隠しているのは分かっていた。更には中沢との間で面白くない何らかのやり取りがあったのは、薄々感づいてはいた。けれど、結局それは自分とは関係ないことだと、関わらずにいたのであるが……そうやって、騙し騙し付き合うのも、そろそろ限界だった。
決定打は、結局、巻き込まれてるのは自分だけでない……それに気づいたことだ。
「……天使か? どうだ死亡フラグは」
藤木は浴びせかけられる強烈な視線を交わし、スマホを取り出すと、駅前に置いてきた天使に電話をかけた。事を起こすに当たって、懸念した一つの確認事項があった。それが駅前の小母ちゃんの死亡フラグなのだが……
「残念ながら、死亡フラグは立ったままですにゃ」
天使の返事は素っ気無いものだった。藤木は見誤ったかと思ったが、
「ですが、先ほどゆらぎを感じましたにゃ。今後の行動しだいでは、未来が変わるはずですにゃ」
「……じゃあ、やっぱり、何か関係あるんだな。分かった。それじゃ、こっちに合流してくれ。まだ仕事があるからよ」
「人使いが荒いですにゃあ……」
って、おまえ人じゃねえだろ……ぼやく天使の返事を待たずに通話を切ると、鈴木が話しかけてきた。
「にしても思い切ったな……部室守りたいからって、建物自体を占拠するとはね」
「おまえら、やれってけしかけてたじゃねえか」
「ここまでやるとは思わんわい。これ、普通に考えて首謀者は良くて停学、悪けりゃ退学だよなあ……ああ、改造モデルガンもあるな。これって逮捕されるん?」
「さあ、知らん。今更びびんなよ。それに、保険もかけてあるしな……ほら、お出ましだ」
藤木に促され、鈴木が窓の外を見ると、遠くの橋の対岸から、一台の黒塗りの車がこちらへと向かっていた。
事が起こってから十数分。徐々に集まってくるギャラリーたちに遠巻きにされ、中沢たち生徒会役員は焦っていた。冷静になれば、自分たちに非はないのであるが、このありえない状況と、浴びせかけられつづける非難の声、そして鉄球を撃ちこまれたショックから、誰もが浮き足立っていた。
「まだ中と連絡は取れないのか!?」
苛立つ中沢から罵声が浴びせられ、腰ぎんちゃくたちの肩がびくりと震えた。
「そんなこと言っても、中沢君。あいつら狂ってるよ。あの機関銃、見た目だけじゃなくって、マジで血が出るくらい改造されてるんだけど」
「いてえ……いてえよ……」
撃ち抜かれた哀れな被害者が、半べそをかいて呻いている。
中沢はそれを忌々しそうに見ながら、
「僕が行こう。とにかく、話し合わないと何も解決しない」
そう言って一歩を踏み掛けるのだが……
「中沢引っ込めー!」「おまえと話し合うことなんざないわー!」「他人の意見なんか何も聞いてくれなかったくせにー!」
と、部室棟から恨みのこもった声が浴びせかけられ、足元にバシバシと鉄球が撃ちつけられ、近づくことは出来なかった。声を上げているのは、意外にも殆ど女生徒で、先日の会議の逆恨みに近かった。
くそ……これじゃ近づけない……
打つ手が無くてまごついていると、校舎に繋がる雑木林の小道から、複数人の教師たちがようやくと言っていいほど、遅れてやってきた。
その姿にホッとした者たちが口々に、
「よかった。先生! なんとかしてください」
「さっきから大変なんですよ。助けてください」
生徒たちに詰め寄られ、やってきた教師たちは仰け反った。眼鏡につり目のきつい顔をした、二年生の学年主任は、辺りをキョロキョロ見回してから、その場に居た中沢に声をかけてきた。
「これは一体なんの騒ぎですか?」
「見ての通りです。あそこに居る生徒たちが、学校中の机を使ってバリケードを作り、部室棟を占拠してるんですよ」
つまらないといった口調で言うが、その目は血走っている。
「……彼らは中沢会長にやめろと、言ってるようですが? 何があったんですか。そこから話してください」
きっと教師たちが場を納めてくれる……ホッとした生徒会役員たちが、先日の会議について説明するが、
「……ああ、そのお話なら聞きましたね、近日中に部室棟の部屋の入れ替えを行うと。ですが、それは生徒会が責任を持って、入れ替える全ての部活動を説得したと言っていませんでしたか?」
「それは確かに先日の会議でかたをつけたんですが」
「しかし、見ての通り、誰も納得していないようですよ……先日の乱闘騒ぎといい、ちゃんとお互いが納得いくまで話し合いが行われたのか、いささか疑問なのですけど」
つれない返事に、中沢はイライラして答える。
「したに決まってるでしょう? あいつらは一度決まったことが気に入らないからって、駄々をこねてるだけですよ!」
「だから、駄々をこねているのは、納得がいってない証拠じゃないですか。事を起こすなら、その駄々を含めて、責任をもたないといけないのでは。そもそも、会議の前にあなたたちは、彼らに議題を周知させていましたか? 我々職員にも事後報告でしたよね」
「確かに、その点は不手際でしたが、僕たちは与えられた権限を使い、ルールに従ってやったまでです。それが気に入らないからと反故にするんじゃ、法も秩序もあったものじゃないじゃないですか」
「それが?」
「え?」
「元々、学校にはそんな大層なものはありませんよ。私達教師に、あなたたち生徒をどうこうする権利がありますか? 生徒会だって同じことです。与えられたのは自由裁量権であって、強引に何かを押し進められる権利じゃありません。それに、権利だなんだと言うのであれば、彼らにだってデモ権があるでしょう」
突き放すような言葉に、勝手に教師は自分たちの味方だと思っていた生徒会役員たちは、ショックを受けたようだった。中沢は歯軋りしながら強気に言った。
「そうは言っても、あなたたち教師には学校運営を円滑にする義務があるでしょう。その義務放棄して生徒に脅しかけるのはどうなんですか。耳を疑いますよ」
「さて……そんな義務がありましたかね。それは理事会とやりあっている、あなたがたが一番よく知ってるのでは。残念ながら、私達には理事会の決定事項以上に、出来ることはありませんよ」
暗に金持ちの団体、白露会のことを批判してるのか……そう受け取った、中沢は脅しかけるように言った。
「……先生方は、それを踏まえた上で言ってるんですか。でしたら、話は簡単ですね。今から我々が理事会に掛け合いますから、先生方はさっさとあの不届きな連中をどうにかしてくださいよ」
周囲の一般生徒をドン引きさせながら、彼は学年主任に詰め寄った。流石に不敬にすぎると思ったか、むっとした顔の男性教諭が間に割って入るが、それすらも、
「先生は我々白露会に逆らってまで、僕らに意見するんですか」
と、無茶な物言いで言ってのけ、威嚇するかのように教師たちをにらみつけた。しかし、学年主任は涼しい顔をしたままだ。
中沢がこの調子なので、腰ぎんちゃくの金持ちたちも強気になってきたのか、教師たちを威圧するかのように詰め寄った。その態度にたじたじになりながらも、なんとか教師の威厳を保とうと、男性教諭が彼らを押しとどめる。
その時、ファーンとクラクションが鳴って周囲を取り巻いていた人垣が割れ、黒塗りのベンツが敷地内へと入ってきた。
学生たちが見守る中、車はゆっくりと滑るように進み、やがて中沢たちが集まる部室棟最前線までやってくる。
もちろん、学内への車の侵入は禁止である。その車は間違って迷い込んだといった感じでも無い。その場に居た全員が何事かと眉を顰める中、しかし中沢はぎょっとした顔でその車を見つめた。
車が止まると、運転手が駆け下りてきて後部座席のドアを開いた。
中から白髪に髭を生やした老人と、それに付き従うように、成美中学の制服を着た女生徒が降りてくる。
現れた老人はムスッとした不機嫌そうな顔を隠そうともせずに、
「中々どうして、頭の痛い問題を抱えてそうだな、この学校は」
「恐縮です……」
老人の言葉に女生徒が答えた。
やってきた老人が何者か分からなかったのか、教師に突っかかっていた金持ちの一人が苛立たしそうに言う。
「あなたは? ここは部外者以外立ち入り禁止なのですが」
「わしはこの学校の理事じゃよ。部外者というわけでもあるまい。今日は頼まれて視察に来たのじゃが、この騒ぎこそ一体なんなのだ。呆れて物も言えん」
その言葉に何を勘違いしたのか、周りが止める間もなく、
「ああ、あなた理事の一人なのですか。だったら話は早い。この馬鹿げた騒ぎを早く止めるよう、教職員に命令してもらえませんか。白露会の名前は知ってますよね。俺らはそのメンバーなんですが」
不遜な言葉に、鼻白んだ老人が眉を顰めると、血相を変えた中沢がその金持ちのボンボンを引っ叩いて押しのけた。
「申し訳ございません、お爺様。彼は少々混乱しておりまして……」
「……お爺様?」
中沢を取り巻く腰ぎんちゃくたちがどよめいた。不機嫌な顔を隠そうともしない玉木老人に、付き従っていた女子中学生、晴沢成美がそっと耳打ちをした。
「米川のところの小倅か……親父に似て可愛げのない顔をしとるな」
祖父と晴沢氏は仕事上の関係もあり、同じ市内に住む同士、懇意にしていた。したがって、その孫の成美もかつて何度か玉木の屋敷で見かけたことがあった。しかし今何故、晴沢成美が一緒にいるのか? 理由が分からない……ともあれ、それは気にはなったが、血相を変えて中沢は祖父に尋ねた。
「それで、お爺様、今日はどうして突然?」
「だから視察だと言っとろうが。わしがここの理事なのはもちろん知っておるな? ……それをなにやらそこの小僧は、利用しているようだが」
老人に食って掛かっていた男が青ざめた。戸惑う中沢を押しのけるように、学年主任が前に出て言った。
「玉木理事、ようこそいらっしゃいました。お見苦しいところをお見せしましたが、よろしければ校舎の方までご案内させてください。校長がお待ちです」
「構いませんよ。せっかくだから、これを見学させていただきましょう」
「ですが……」
「いまは、これより面白いものも無いでしょう。校長先生も用事があるなら、向こうから出向いてくるよう言いなさい……朽木!」
朽木と呼ばれた運転手は、トランクを開けると折りたたみ椅子を取り出した。玉木老人は二つあるそれに座ると、
「お嬢さん、お座りなさい」
もう片方に、一緒に車に乗ってやってきた晴沢成美に座るよう促した。周囲の視線が突き刺さるが、逃げるわけにもいかず、苦笑いしながら彼女は座った。
中沢はその姿を見てピンと来た。何故、彼女が祖父と一緒に現れたのか……
「貴妙」
「はい、お爺様」
「それで、おまえはこの事態をどう収める」
生徒会で弱小クラブの調査をしたときに聞いた。彼女は文芸部に入り浸っている者の一人だったはずだ。その彼女が今日、突然祖父と一緒にやってきたと言うのは、恐らく彼女がここへ来るように、祖父を促したからだろう。理由は言うまでもない。彼女は今日、ここで何が起こるか知っていたのだ。要するに、あの建物を占拠している者たちとグルなのだろう。
思えば、教職員の態度もおかしい。本来なら、学校の施設を占拠されたら、自分たち以上に焦っていいはずだ、なにしろ教師なのだから。それなのに、どちらかと言えば我関せずといった素振りで、行動は起こさず、寧ろこちらに説教じみたことを言ってくる始末である。何かあったに違いない。
それに、ただやってこいと言ったところで、祖父が動くとも思えない。彼は確かに理事ではあるが、名前を貸しているだけで、この学校の理事会に参加したことはなかったはずだ。だから、ここへ彼を連れ出すには、よっぽどの何かがなければおかしい。
部室棟の方からは、今でもシュプレヒコールが鳴り響いている。中沢やめろ、中沢やめろ。飽きもせず同じ文言を繰り返している。そんな中、首謀者である藤木は屋内に引っ込んで、なにやら携帯片手に指示を飛ばしているようだった。
仕込みは十分と言うわけか……藤木がどうやったのかは知らないが、中沢が頼りにするところの、親の七光りも、教師による介入も封じられたと見て間違いない。つまり、事態を収めるなら、中沢本人の力でどうするしか他無いのだ。
「お任せください、お爺様。僕がたちどころに解決してみせましょう」
中沢は落ち着きを取り戻すと、いつものように無駄に爽やかな笑顔を作って、祖父にそう宣言した。
玉木老人はつまらなそうに、
「当然じゃな。おまえも玉木の人間であるなら、あのような圧力程度に屈しては困る」
そう言って、中沢を睨み上げた。
当然、そのつもりだ……藤木は自分のことを見誤っている。自分は誰かにどうにかしてもらわないと、何も出来ないお坊ちゃんではない。直接対決したいと言うのなら、いいだろう。踏み潰してやる……中沢は心のうちで燻っていた怒りの炎が、めらめらと燃えがっていくのを感じた。




