楽しい学校生活が始まりそうだ・4
当たり前だが、女子高時代を通して未だかつて無かった、前代未聞の大乱闘を演じて滅茶苦茶怒られた。よほど慣れていないからか、警察に突き出そうとか言い出す教師も現れたが、喧嘩の片割れが金持ち連中だと気づいて撤回し、結局喧嘩両成敗ということで訓告と反省文の提出と言うことで落ち着いた。
藤木は容疑者としてしょっ引かれたが、実際何もやっていないのだから溜まらず抗議した。しかし何を言っても聞いてはくれない。寧ろ、相手がよほど滅茶苦茶言っているのか、首謀者扱いされていた。因みにもう一人、あの乱闘に加わっていなかった中沢は、当然のようにお咎めなしである。
「ちくしょう! 恨むぞ、おまえたち……」
そんなわけで、職員室でこってり搾られたあとは、教室に戻って反省文を書かされている。
「んなこと言っても、おまえよう、あの場面で助けに行かなきゃ友達じゃねえだろ」
「ボッコボコにやられてるお前が悪いわ」
「そうだそうだ」
「あれはわざとやられてたの! こっちから手を出せないんだから、仕方ないだろ」
「なんだよ。じゃあ本気なら勝てたってのか」
「ボコボコにやられたに決まってんだろっ!」
「力いっぱい肯定すんなっ!」
「ちょっとちょっとちょっと! あんたたちいい加減にしなさいよね! 黙って反省文書きなさい、付き合ってるこっちの身にもなって欲しいわ……」
教卓でうんざりした顔をした立花倖が、頬杖をついてぼやいた。
「あーあ……もう帰ろうとしてたのに、あんたらのせいでこれから職員会議よ。どうしてくれるの」
「それが仕事と言うものだ担任教師、諦めろ」
「張本人に言われると、本当にムカつくわね……ところで、結局何が原因で揉めてたわけ? いまいちはっきりしないんだけど」
「……生徒会の奴らから聞いてないの?」
「会議のことで相手が突っかかって来たって、それだけね。それで納得されちゃうんだから、あんたたちって物凄く信用されてるわよねえ。いつか何かやるって」
「狂犬か何かと思ってるのかね……新年度始まって二ヶ月ももったじゃねえか」
「なあ?」
「そうだよな」
「二ヶ月しか……じゃないの。で、何だったってのよ」
「まあ、大体は生徒会の連中が言ってる通りだよ。会議で揉めて、そのあと文句言ったら乱闘になった」
藤木はことの経緯を一から説明した。弱小クラブを排除されそうになったこと、野球部に部室を与えること、そのために自分たちが部室を追い出されること。
「なんだそりゃ!? なんで生徒会がそんなこと出来んだよ」
「全然関係ねえじゃん。あの金持ちども、マジで頭おかしいんじゃねえの」
案の定、沸点の低いクラスメイトたちが憤った。倖がきょとんとした顔で聞いてくる。
「え? あんたたちあそこ追い出されちゃうわけ? ……それは困るわね。数少ない息抜きの場所だってのに」
「ユッキーは、どこでだって息抜いてるだろ」
「そんなこと無いわよ。職員室とか。職員室とか」
他にないのかよ。
「で、おまえ本気でそんな理不尽受け入れるつもりなのか?」
「まあな……」
「ざっけんなよっ!!」
「いや、なんでおまえが怒んの。仕方ねえだろ。揉めれば確実にお嬢様連中巻き込むんだぞ。可哀相じゃねえか」
「藤木ってそういうとこ冷めてるよなあ。普通、そこんとこ含めて頑張っちゃうんじゃないの? 男だろ」
「だよなー。お嬢様とお友達になれるかも知れないじゃん」
「下心丸出しかよ……俺は現実主義者なの。疲れる喧嘩はしないの」
「……マジで諦めちゃうわけ?」
「まあ……そのつもりだったんだけどね……」
そうも言っていられなくなった。と言うのが現実である。
書きなれている反省文をさっくり書いて、手間取る鈴木たちを残して教室を出た。同じ階であるが、遠くの2年1組の扉が開いて、中から先ほど揉めた中沢の取り巻きの一人が顔を覗かせた。確か、最初にぶん投げてやった奴だ。思いっきり睨んでくる。
藤木はニコニコ笑って手を振ると、踵を返して階段へと向かった。これから、楽しい学校生活が始まりそうだ。
6月に入り、大分日が長くなってきた。もう18時過ぎだが、空はまだ明るかった。しかし、梅雨も近いからか、遠くの空に黒い雲がかかっている。もう暫くしたら一雨くるかも知れない。
玄関を抜けて外へ出ると下校のチャイムが鳴り響いた。疎らな影が校門へと続いている。藤木はそれを横目に庭園を曲がると、雑木林を抜けて部室棟へと向かった。
時間も遅いからか、内部はしんと静まり返っており、ときおり、どこかの部室から物音や、誰かの靴音が聞こえてくるが、外の雑木林の立てる風音の方が大きいくらいで不気味である。
4階へ上がると、これから追い出される部室を惜しんでか、思いのほか人の気配が感じられた。だが、どれも閉め切った室内のことなので、よく分からない。ともあれ、そんなドアの前を横切って、藤木は廊下の端っこへと足を向けた。
パーティションの影から中を覗くと、いつものように朝倉がポツンと座っていた。外はまだ明るいが、屋内は流石にもう薄暗い。そんな中、電気も点けずに座っている彼女は、まるで幽霊のように見えた。
「……ごめんね」
本に視線を落としたまま、身動き一つせずにそう呟いた。どきりと心臓が高鳴った。まだ声もかけてないのに、どうして……と思ったが、なんてことない、多分足音に気づいたのだろう。
「ごめんね。巻き込んじゃって」
いつものように、平板な調子でそう言った。前髪に隠れた表情も殆ど変わらない。呟きは風に流され、必死に拾い上げなければ、全て散り散りになってしまいそうなほど小さくて、か細かった。思えば、はじめてここで会ったときから、彼女はずっとこんな風に何かを諦めたような顔をしている。
それが何故なのか、今までずっと、聞かずにスルーし続けてきた。でも、そろそろ一歩踏み込まなければいけないようだ。
「先輩は、どうしてここに居るんですか。初めは単に、本が好きなのかなって思ったんですけど……その内、静かなのが好きなんだろうと思うようになりましたが……でも、どうやらそのどちらでも無いんですよね」
朝倉の返事はない。
「実はさ、この間、高校の旧校舎裏で見ちゃったんですよね。先輩と中沢が口論しているのを。何を言い争っているのかははっきりと聞き取れなかったんだけど、何となくその会話に違和感を感じてたんです。それがなんなのか、今日はっきり分かった。先輩は何故か知らないけど、この場所にこだわりがあるんですよね? それが中沢は気に食わない。だから、色々と理由をつけて、先輩をここから引き剥がそうとした。違いますかね」
朝倉は何も答えない。
確信はしているのであるが、何故なのか、それはさっぱり分からない。なにしろ、ここには何もない。古いとは言え、せいぜい築40年にも満たない西洋建築風の建物で、ついでにここは部屋のなかですらなく、廊下をパーティションで区切っただけの空間だ。特別な何かなんて何もない。
だから、それが何かを教えてくれなければ、藤木はこの場所を守る理由が殆どない。部活を続けるなら、他の場所でやればいいのだ。生徒会に何を言われても、それならそれで別にいいやくらいの気持ちであった。しかし……
ポツポツと、雨粒が窓を叩く音が聞こえた。それはやがて速度を増して、窓の外に水滴を作っていく。雑木林の葉が揺れて、サーッという音が流れていった。遠くの町並みが徐々に明かりを灯し、それは雨に煙ってまるでネオンのようにキラキラしていた。
「……先輩。俺は先輩のこと、結構好きですよ。普通に、女の人として好きです」
藤木は一拍置いて、深呼吸をした。
「本当のことを言えば、最初にここへたどり着いたのは殆ど下心でした。なんか適当に部活でもやって、女の子とお近づきになりたいなって、そんなもん。だから始めからやる気なんて無かったしさ、今だってはっきり言って無い。先輩が好き勝手やらせてくれるから続けてこれたけど、他の部活だったら多分とっくにやめてたと思います。それに先輩のことだって、言うほど尊敬もしてないし、ずっと一緒にいたら、いつかもっと仲良くなって、エロいことが出来るかもって、そんな風に思ってたんだよ。なんていうか、ぶっちゃけると狙ってた。一年間、ずっとスケベな目で見てました。そんな感じです」
付き合えないかなとか、セックスしてえなあとか、そんなもんだ。開き直るつもりもない。
「でも、なるみちゃんが来て、ユッキーも加わってさ。段々みんなで居る方が楽しくなってきて、そしたらもうそんなこと考えなくなった。いや、他の女がよくなったとか、そういうんじゃないですよ? いや、もちろんなるみちゃんは可愛いけど……ええい、話を戻すけどさ。ここはもう、先輩と俺だけの場所じゃなくって、みんなが居るから文芸部なんだなって、そう思うんですよ。だから、先輩がこの場所に居たいと言うのなら、先輩がどうだからとかじゃなくって、自分の意思でこの場所を守りたいと、そんな風に考えてるんです」
なんだか上手く言葉が出てこない。本当はもっとシンプルでいいはずなのに。
「だって先輩が居て、なるみちゃんが居て、俺が居て、ユッキーも居て、それで初めて文芸部でしょう。だから、先輩がもし何かに困っているのであれば、俺に教えてくれませんか」
言葉を紡げば紡ぐほど、何かが逃げて行きそうだった。だからそれ以上待たず、断言することにした。
「この場所は、俺が守ります」
言ってしまった以上、もう後には退けない。
藤木はそのまま返事を待ったが、結局朝倉は何も返してくれなかった。
駄目か……
ならば仕方ないだろう。何が出来るかわからないが、この部室を守るために動き出せなければならない。やれるだけのことはやろう……彼女のことも含めて。
手始めにやることはもう決まっていた。言わないのであれば、暴くまでだ。藤木は溜め息を吐くと、こちらを一瞥もしない朝倉に深々と頭を下げた。
「ごめんね……」
下げた頭の上で、か細い声が聞こえてきた。
こちらこそ、ごめんよ。
藤木は心の中でそう呟いて、返事をせずに踵を返した。そして藤木が振り返るや否や、
バタバタバタバタンッ!!!
四階の部屋のドアが一斉に閉まった。
そこには弱小クラブの部室がずらりと並んでいる。今日はセンチメンタルな気分なのか、みんなが遅くまで残っていたようだが、
「……おい」
今の会話、聞いてたの? おかしい、来るときは全部閉まっていたはずだ。朝倉と同じように足音で気づかれたか? いや、そもそも廊下で喋ってるこっちの方が悪いのだし……いや、でも……えー……
「うがああああ!」
頭を掻き毟りながら、藤木は悶絶した。なんか今、自分格好いいこと言ってましたっけ? いや、ぎりぎりセーフだと思うんだけど、駄目かなあ? 明日からこの廊下を通り過ぎるのが怖い……
泣きべそをかきながら廊下を抜けて階段に刺しかかろうとしたとき、突然ドアがバタンと開いて、
「あの、これ……使ってくださいっ!」
中から出てきた妙に髪形が派手なお嬢様が、ツンデレ幼馴染みたいに目線を合わせず横を向きながら、折り畳み傘を突き出した。その顔は真っ赤に染まっている。
「はい、アウトー! 俺、恥ずかしいこと言ってましたっ!」
藤木は折り畳み傘を受け取ると、半泣きになりながら、階段を二段飛ばしで駆け下りていった。




