A・E・D! A・E・D! ・2
鬱だ、死のう……と言っても死んだ後の話である。
もちろん、藤木も人の子であるから、これまで数々の賢者モードを体験してきた。しかし、今回のものほど深刻なのはかつて経験したことがない。アリストテレス級である。気持ちがどんよりして動くのも面倒くさい。明らかに今回はやりすぎた。いっそ死んでしまいたい。尤も、とっくに死んでいるのだが。
と言うか、なんで学校でやるしかないと思ったんだ。チャレンジャーすぎるだろう。まあ言い訳するなら、AEDは高いものだから、借りパクは流石にまずいと思ったのだが……いや、それ以前の問題である。見通しが甘すぎた。せめて小町の所在を確認してからにすべきだった。
取りあえず、やっちまったものは仕方ない。小町を探してきて、どうにか生き返らせてもらえないかと、頼み込むしかない。駄目ならもういっそのこと、駅前まで行って天使にあの世に送ってもらおう。どうせ、そんなに大した人生でも無かったし、ここまで意味不明な死に様なら、発見されても警察もテクノブレイクとか思う前に、何か別の事件を疑うに違いない。よし、世間体は保たれた。
やけっぱちになりながら、藤木はトイレからふよふよ飛び出した。
誰も来ない学校の隅っこのトイレから出て、良く分からない広場を通り過ぎ、高校の旧校舎を突っ切って、焼却炉のある裏庭まで戻ってきた。
何度か経験していたので空中浮遊は慣れたものだが、死体からこれだけ離れたのは初めてだった。なにか変な影響は無いだろうかと確認してみるが、特に目だった変化は無い。漫画なんかで有りがちな、死体と霊魂を繋ぐ紐みたいなものが伸びてるかな? と思ったが、そんなことも無い。
というか、思った以上に自由である。壁は通り抜けられるし、空中浮遊の高度も思い通り好きに変えられる。試しに上へと登ってみたら、あっという間に屋上よりも上空へと飛び上がることが出来た。一体どこまで行けるのだろうか?
グラウンドの運動部の姿をつぶさに見て取れた。普通は校舎からは見えないはずの、遠くの校門から下校する生徒たちの行列さえ、ここからなら良く見えた。
空を自由に飛びたいな。
「はい、マスターベーションってか?」
つまらないことを口走りながら、更に上空を仰ぎ見る。晴天の雲ひとつない空に吸い込まれそうな気分になった。もしかして限度なんかなくて、成層圏の上までもいけるんじゃなかろうか……なにかおかしなことになりそうで、怖くて確かめる気にはならなかったが。ガガーリンは軌道上で、ヒゲ面の爺さんなんざ、どこにも見当たらないと言ったそうだが、今の自分なら見つけてしまいそうな、そんな気がする。
「そのまま帰って来れなくなったりしたら、洒落にならんしな」
独りごちて、屋上に降り立つと、そのまま床を突き抜けて校舎内へと入った。
取りあえず、下手な考えはやめて小町を探すことに集中しよう。もう、放課後に入って結構な時間が経っているから、下手したら家に帰ってしまっているかも知れない。そうだとしたら厄介だが、まだ学校に居るなら、自分の教室か、学食を開放したカフェか、どこか特別教室あたりだろう。
当たりをつけて見渡せば、手近にあった電算機室が真っ先に目に付いた。ここなら常時ネットに繋がっているので、暇つぶしにはもってこいだ、7G制限もないし。小町は居ないかしらん? と、ふよふよ漂いながら室内へと壁抜けした。
室内に入るが、残念ながら小町はおらず、それどころか人も全然居なくて、奥のほうでただ一人、誰かがカチャカチャキーボードを叩く音が響いているだけだった。もう少し人がいるかと思ったが、まあ、学校でネットサーフィンするくらいなら、素直にスマホか家に帰るかしたほうがマシか。変なフィルターもかかってそうだし。駅前にネカフェもあるので、そっちの方がいいかも知れない。
そう考えると逆に誰が電算機室なんて使ってるのだろう? と気になって奥を覗きに行って見れば、良く見知った顔がそこにあった。担任教師のユッキーである。大方、学年主任から隠れて暇つぶしでもしているのだろう。それよりも、せっかくだから、
「おーい、ユッキー? ユッキーもしかして聞こえない? ……立花先生やーい」
知り合いなら藤木の声が聞こえないかと思って試してみたが、やっぱりそう都合よくはいかないようだった。それが可能なら、さっき藤木が上空でうろちょろしていたときに、誰かが気づいてもおかしくないはずだ。そんな素振りの人間は一人も居なかった。
落胆しながら教室を出ようとしたとき、ピポッ! というビープ音が聞こえてきた。何をしているのだろう? と気になって、そのパソコン画面を覗き込んでみると、なにやら見慣れないOSの起動画面が映し出されている。
Initializing interactive core system
Setting up window server
Setting up multi socket directory
Entering runlevel : 2
Loading udev: ok
Loading ACPI driver...ok
Starting System log daemon...ok
Starting System message bus...ok
..........
..........
..........
***Welcome to AYF_OS release 1111111111***
command >
なんだこりゃ、UNIX系とか、なんかそんな感じだろうか? 真っ黒の画面につらつらと文字列が流れる。手馴れた調子でキーボードを叩き、そのコンソール画面を操作する女性と、普段のイメージがかけ離れて一致しない。しかし堂に入ったものである。
こんなスキルもあったのか……教師ではあるが、基本馬鹿だと思っていた。意外すぎて溜め息も出ない。それにしても、さっきから一体何をやってるんだろうと、俄然興味が沸いてきた藤木がじっと見守っていると、ユッキーはふんふん鼻歌を歌いながら、なにやらコマンドを打ってエンターキーを押し、
command > mykl -lnf /tmp/var/keylogger.log | less
T99rs0001:k13cikel
S10fr0003:abcdefgh
T99qr0015:asdfghjkl
T99xo0008:pw0123
S10de0001:secle
S10ec0002:aizawa
T99cl0004:azazaz
*******
そして新たに表示された文字列を、モニタに顔がくっつきそうなくらいの距離で、熱心に眺めはじめた。なんのデータだろう? 一見すると意味の無い機械的な文字列にしか見えないが、
「あれ? ……これって、良く見るとIDだよな?」
教職員や学生に発行される、電算機室用のIDのように見える。一般生徒はパソコンの授業があるときにしか使わないので一瞬スルーしかけたが、この文字の並びは間違いなく、学校内の教職員や生徒に配られる、パソコン使用のためのユーザーIDだ。
それじゃ、横にあるpw0123とかって文字列は……
「って、keyloggerって思いっきし書いてるじゃねえかっ! やべえ、この人学校のパソコンになに仕掛けてるの!? 頭おかしいおかしいとは思っていたが、どんだけアンタッチャブルなんだ……」
藤木は引きつった笑みを浮かべてどん引いた。尤も、彼女も学校のトイレの中で、全裸でオナって死んでるような奴に言われたくないだろう。そのユッキーはお目当ての物が無かったようで、
「ちぇっ……また駄目かぁ。早くルート盗らないとログがなあ……」
などと不遜なことを呟き、口を尖らせていた。
藤木はそれを見なかったことにして、そっと教室から外に出た。
要らないことで時間を食ってしまったが、小町を探さねばならない。まだ帰ってないといいが……と思いながら、他の特別教室をしらみつぶしにし、2年3組を覗き、結局一番最後にいった学食で目的の人を見つけた。
学食は放課後おばちゃんたちが帰ってしまうので食事は出来ないが、隅っこに置かれた自動販売機コーナーが稼動しているので、そこで飲み物を買って、各々が持参した菓子類を摘みながら、テーブルでお喋りをしてから帰る、という生徒がちらほらといた。成美高校は授業に差支えがなければという前提で、部活動をする生徒の間食の持ち込みを許可していた。尤も、ここに集まって駄弁っているのは殆ど帰宅部であったから、ルールはあってないような物である。
小町は学食の片隅で、2年3組の女生徒たちと卓を囲みながら、和気藹々と会話を楽しんでいるようだった。藤木はようやく見つけたという安堵感から、まったく周囲のことを気にせずに、
「おお、いたいた。おーい、小町ぃ~! 死んじゃったんだよ。助けてくれよっ!」
と遠慮会釈なく声をかけた。
「ぶぅぅぅーーーーーっっっ!!!!」
完全に虚を突かれた小町は、ストローでちゅるちゅるしていたジョアを盛大に噴出しながら、突然咳き込みはじめた。顔を真っ赤にしながら悶え苦しむ彼女に対し、クラスメイトたちが一斉に立ち上がり、慌てふためいて駆け寄った。
「わああ! どうしたの、馳川ちゃん!? 大丈夫?」
「へ……へいき……ごほっ、げほごほげほっっ!」
小町は鼻から垂れるジョアを泡立てながらクラスメイトに応えるが、
「まるで鼻ザーみたいだな。やるじゃん(※注、藤木の声は以下略)」
「絶対ぶっ殺すっ!!」
「ひっ!?」
不謹慎なことを言う藤木に突っ込みを入れたら、関係ないクラスメイトたちが半泣きになりながら慄いていた。
「ちっ、違うのよ? 違うの、別に怒ってないからね?」
そわそわと言い訳する小町に、おっかなびっくりクラスメイトが問う。
「ほ、本当に大丈夫? 保健室いく?」
「いいの、ほっといて。あのさ、あたし、ちょーっと急用を思い出したっていうか……やらなきゃいけない使命があるというか」
拳を握り締め、徐々に興奮してきたのか、ぶるぶる小刻みに震えながら言う小町に対し、
「う、うん、分かったから、ごめんね? なんか分かんないけど、ごめんね?」
クラスメイトたちは身を寄せ合って、ハイエナの群れに囲まれたインパラみたいに切ない目をしていた。
小町は精一杯の愛想笑いを作って、ゆらりと学食から出て行った。周りの関係ない生徒たちも何だか尋常でない雰囲気を感じ取り、沈黙でそれを見送っていた。
廊下に出ると、小町はふらふらとよろめき、壁にぶつかりながら進んだ。あまりに頭に血が上りすぎて、逆に貧血になってしまったようだった。
やばい、めっちゃ怒ってる。
ぶるぶる震えるその背中に、どうにかフォローをしようと声をかけるが、
「あの……小町さん?」
「……ちょっと、いま、話しかけないでくれる? 目に付く全ての人間をぶち殺して回っても、収まりきらない気分だわ」
「あ、はい……」
しかし、それ以上声をかけることも憚られ、ダークなオーラを身にまとった小町の後ろに、藤木は死刑執行を待つ囚人のような気持ちで付き従うよりほか無かった。と言うか、まだ自分がどこで死んだか言ってない。彼女はどこへ向かうつもりか。
結局、そのまま行き先を告げることも出来ず、二人は校舎内をぐるぐると、二周も三周もする羽目になった。時折、頭を抱えながら歩く彼女が、ふらつき壁に激突するたびに心配になった、主にこれから起きる惨劇の遺体の損傷具合とかが。
「気づいてたんなら、さっさと言いなさいよっ! 無駄に歩き回っちゃったじゃん!」
「いや、だって声掛けたら怒りそうだったし」
「怒るわよ! 怒るよね? 怒らないわけないじゃないっ!! あんた、そんなにあたしのこと怒らせて、何が楽しいわけ!?」
「わあ! すんません! ホントすんません」
怒り狂う小町に対して、藤木は成すすべなく、平謝りするほかなかった。滅茶苦茶怒られたが、呆れられたり軽蔑されたりするよりマシである。そう考えると、小町は意外といい奴かもわからない。それとも、とっくに軽蔑されきってるから、怒られまくってるのか? あれ?
「って言うかさあ、なんであたし、律儀にあんたを生き返らせようとしてるんだろう? よく考えたら、ほっときゃいいじゃないの」
「わっ、そこに気づいちゃったか!?」
「帰るわ。帰ります。もういいよね? 警察にはちゃんと現場を通報しとくから」
「うわー! 待った待った! 話し合おう! 話せば分かる」
「何を話し合うっていうのよ。今後のことを考えても、ここで見捨てておいたほうがいいと思うわ」
「反論出来ないボヤキはやめてっ! 分かった、こうしよう、今後おまえに助けてもらったら、なにかしら言うこと聞くから。いや、いっそのこと、もうお金払うから」
「お金って、あんたねぇ……そんなの貰えるわけないでしょ? カツアゲじゃないんだから。はぁ~……まったく、そうまでしてやりたいわけ? 話には聞いてたけど、男の子って理解できないわ」
「まあ、風俗に通ってると思えば安いもんだし」
「人を特殊性癖者が通うような風俗嬢扱いするなっ!」
そんな具合に、小町とぎゃあぎゃあやりながら、高校の旧校舎裏にさしかかろうかと言うときだった。
「しっ! ……静かにっ」
突然、小町はそう言うと、辺りをキョロキョロと見渡して、耳をそばだてた。しわの寄った眉間がピクピクと苛立たしげに動いた。
静かにするもなにも、藤木の声はどうせ誰にも聞こえやしない。だがその点を指摘して余計にいらいらさせても仕方ない。藤木は声を潜め、
「どうした?」
と問うが、小町は手招きをして、ついて来いと言うだけで答えてくれなかった。
周りを見渡しても何もない。耳を済ませても遠くのグラウンドの声の他は、風の音が聞こえるくらいだ。何に気づいたというのか? 良く分からないが、小町の後ろを息を殺しながら着いていった。
彼女は校舎裏の雑木林に入ると背を屈めて、生い茂る木々に身を隠しながら音も立てずにスルスルと進んでいった。そんな隠密みたいな動きが出来るのは、こいつくらいのものだ。もしも自分が幽体じゃなくて、実体があったら、彼女についていくのは無理だったろう。苦笑いしつつ暫く進むと、少し先のほうから藤木にもやっと分かるくらいの声量の声が聞こえてきた。
あれが聞こえたと言うのか? どんな地獄耳してるんだ……と若干呆れながら、先行して身を隠す小町の横に辿り着く。
「あれは……?」
「……中沢ね。先に見つけて良かったわ。あいつに見つかるとうざいんだもん」
と言う声が苦々しい。耳障りな声ほど良く聞こえるという奴だろうか。
人気の無い旧校舎の校舎裏で、二人の男女がなにやら口論のようなものをしていた。一人は白露会の会長、この学校の金持ちのリーダーである中沢貴妙。
「いつまであいつのことに拘っているんだ」
「…………」
もう一人は声が小さすぎて全然聞き取れない。
「あそこへ近づくのは、もうやめるんだ。そんなことのためにこの学校へ来たというのか」
「…………」
しかし、その顔はよく知っていた。小町がポツリと呟く。
「あれ、あんたのクラスの留年生よね。確か、朝倉とかいう。どういう関係なの?」
「……さあ?」
さっぱり分からない。なにしろ、こんなツーショットは初めて見た。中沢はいつも取り巻きを連れて派手だったし、逆に朝倉はいつだって孤独そうだった。朝倉はそもそも、クラスにだってロクに友達が居なかった。あの美貌と、あの額の傷、リストバンド、そして他人を拒絶するかのような、淡々とした口調と無表情。実際、藤木やなるみ相手でも、あまり会話は得意そうではなかった。藤木もクラスでは遠慮して話しかけないでいるくらいなのだ。
「藤木みたいな男には、もう近づかせたくない。汚れがうつる」
「…………」
おいおい……藤木は自分の名前が出てきて、何ともいえない気持ちになった。
「あんた、なんであいつにあんなに嫌われてるわけ?」
「俺が知るか」
小町の冷たい視線を尻目に、藤木は別のことを考えていた。確かに自分は中沢に嫌われているようだ。それは彼が小町のことが好きだから、藤木に対する対抗心や嫉妬心を持っているからだとばかり思っていた。だが、どうやらそれだけじゃないようだ。それに、朝倉に近づくなといってる、あそことはどこのことだろう?
「もう、全てを忘れて、動き出さなきゃいけない。僕はそのためにならなんだってする。嫌な奴らの真似事だって」
「…………」
普通に考えれば、部室のことだろうか? しかし、あそこには何も無いぞ? 他に朝倉が近づきそうな場所と言えば……何も思いつかない。
せめて、朝倉の声も聞こえたら、もう少し意味のある情報を得られたかも知れない。幽体である藤木なら、もっと近づいて二人の会話を聞くことが出来ただろう。しかし、残念ながらそれに気づいたのは、その二人が去った後だった。
結局、彼らが何をしていたかは分からなかったが、そもそも、そのことのために校舎裏に来たわけではない。藤木たちは人が居なくなったのを見計らうと、雑木林を抜けて、藤木の遺体が転がっている、学校の隅っこにあるトイレへと向かった。全裸の。