せめてDQNネームはやめてくれ・5
朝は急いでいたせいで、藤木はパン一枚しか食べていなかった。腹がグーグー鳴っている。空腹をさすりさすり、昼飯はどうしようかと思案に暮れていると、教室の入り口に小町がふらりと姿を現した。
教室の中心で人垣を作っている天使に目を丸くしながら、彼女はそれを迂回して藤木のもとへとやってきた。
「……手を焼いてるかと思ってきてみたら。凄い溶け込み方ね」
「よう、飯か?」
「流石にほっとけないでしょ。あんたたちどうするのかなって、お弁当持ってきたんだけど……余計なお世話だったかしら。あれは邪魔しない方がいいわね」
「ああ、もう少ししたら何人か引き連れて学食でも行くかね」
天使を遠巻きにしながら、珍しく女子力を発揮している幼馴染をぼんやりと見つめる。
物欲しそうな顔で小町が抱えていた弁当を眺めていたら、
「食べる?」
と聞いてきた。
「いいのか?」
「午前中に調理実習あったのよ。クラス見回してみたら、お弁当広げてるのなんて誰もいなくてさ。空気読んで出てきたわ」
「それでよくまだ食う気になるな。どんな基礎代謝してんだ。やはり行使する暴力の質が違うからか……いてっ! いてっ!」
「要らないならいいわよ。自分で食べるから」
「すみません、いただきます」
平身低頭して恭しく午後のカロリーを頂戴しようと手を差し伸べる。仕方ないなといった塩梅で、彼女がそれを差し出そうとしたとき、
「小町っ!」
教室の後ろの扉がガラガラと開かれて、良く通ったさわやかな声が教室中に響き渡った。
「小町、こんなところに居たのか。探したんだぜ」
見ればどうしようもなくリア充オーラを漂わせたイケメンが、ダパンプみたいな連中を引き連れて、藤木のクラスの扉を塞ぐようにして集まっていた。イケメンが集まると、やけに高圧的に思えるのは何故だろうか。
ガヤガヤとざわついていた教室内は、ぴたりと会話が止まった。
小町は見えないように、ちっ……と一回舌打ちすると、すぐに愛想笑いを作って、
「もう! 呼び捨てにしないでって、いつも言ってるでしょ」
「ははっ! わるいわるい」
今にも侵入してきそうなリア充たちを制するように、教室の後ろの扉まで歩いていった。午後のカロリーはどうなるのか。
「上田先輩と田川先輩と白露会のメンバーで昼にするから。小町も来いよ」
「中沢、あんたちっとも悪いって思ってないわよね」
「大成モールのオープニングイベントの打ち合わせでさ、放課後も僕らでつるむんだ。ノブリスオブリージュのメンツ。それで小町も入ってるから」
「なにそれ、聞いてないんだけど……」
「小町が来るなら品川先輩も来るっていうからさ、品川先輩が来るから、もちろん来るだろ」
「ええーっと? 会長さんが来るの? あたしが行くの?」
「オープニングには晴沢さんとかさ、市長も来るんだ。小町もこんな学校卒業しても何にもならないって分かってるだろ。今から人脈広げなきゃ。マジ、将来にわたってさ、絶対力になるから」
「えーっと、ふーん……そうなんだ?」
「そうそうそんで白露会で集まるしさ……ああ、昼食は弁当だったのかい? 白木先輩が超すげえの作ってきたんだよ。中庭の芝生の上にさ、シート広げてピクニックとか言ってて、超うけるんですけど」
「あ、そう。へえ」
「学食とか超混んでるじゃん。人がご飯食べる場所じゃないぜ。こっちこいよ。不衛生だろう」
「あー、そうね、外よりはいいと思うんだけど」
「白木先輩と松田先輩とか有名人が集まって超豪華だよね。品川先輩も木下が今呼びに行ってて絶対来るし」
うぜえ。鬼気迫るリア充オーラに中てられて教室中が意気消沈した。天使を囲んでくっちゃべっていた鈴木たちが苦しみ悶えている。バイオハザードレベルである。
そんな中、朝倉先輩だけがマイペースに、いつものように復習ノートに板書を書き写してから、トントンとそれらを整理して、小さくて可愛らしい弁当箱と、手製のカバーがかけられた文庫本を持って、教室の前の扉から涼しい顔して出て行った。この流れに乗るしかあるまいと、教室に残っていたクラスメートが続々と後に続いた。
すると天使を囲んでいた人垣が割れて、目ざとく見知らぬ女生徒を見つけた中沢が、「あれ? 君は誰だい?」と言いながら、教室内に一歩足を踏み入れた。教室の空気が一気に重くなった気がする。
空気を読んだ小町がそれを制するように阻み、
「今日来た転校生よ。白露会の代表なんだから、生徒の出入りは把握してるでしょ」
「え? んー、どうだったかな。覚えてないわけないんだけど……まあいいや。僕は中沢貴妙、よろしくね」
「……どうもですにゃ」
天使は軽く頭を下げて挨拶すると、藤木の背後に隠れるように引っ付いてきた。返事を待っていた中沢の眉がぴくりと動いた。
「彼女は藤木の妹なのよ」
「……藤木の?」
中沢は意外といった感じで目を丸くして藤木を見た。それから、
「恐ろしく似てないな。小町の妹って言われた方が信じられる」
「ああ、俺もそう思うよ」
何回、同じネタを繰り返せばいいのか。いい加減食傷気味である。中沢は藤木のぼやきを無視して続けた。
「妹さんも一緒にどうかな? うちの学校の中心グループとこれから食事するんだけど。きっと気に入ると思うよ」
「お断りですにゃ」
「ふっ……それは残念だ」
「中沢君振られたー」「あはは、超うける~」「マジ、今日のニュースじゃね?」「号外号外ー! 中沢君振られるー」「ぎゃはははは」
取り巻きがへらへら笑っている。もうこれ以上は耐え切れないといった感じの苦悶の表情を浮かべ、鈴木たちが机をガタガタ揺らし始めた。
段々いけない雰囲気に変わりつつあることを察し、小町が慌てて中沢を廊下へ押し戻した。
「ほら! 他人の教室に迷惑でしょう! お昼いくなら、早く行こうよ」
「ん? ああ、そうだね」
「じゃあね、妹ちゃん」「今度は俺らとも遊んでね~」
小町にグイグイ押されながら、取り巻き連中を従えて中沢が去っていった。災厄は過ぎ去ったが、教室の空気はもはや取り返しがつかないほど沈んでいた。
「あー……昼飯どうすっかな」
と、鈴木がぼやく。さっきまで腹がグーグー鳴っていたのに、今は何か口に入れるのも苦痛であるほど胸やけがしていた。
「取りあえず、学食いって考えっか」
「俺ら庶民だしなー」
「あいつら居ないとこなら、どこでもいいや」
各々、溜め息混じりに口走ってから重い腰を上げた。藤木も背中に隠れる天使を促して、財布を尻ポケットに突っ込み立ち上がった。
藤木たちがぞろぞろと連れ立って廊下に出ると、まだそれほど遠くに行っていなかった小町と目があった。中沢たちは学食とは逆方向へ向かっていたので、鉢合わせはしないで済むだろう。安堵の溜め息を漏らしつつ、軽く手を上げて小町に応え、鈴木たちの背中を追いかける。
学食に行ったら何を食うか。今は何を食っても胃もたれしそうだし、うどんかソバか……などと献立を頭の中で考えていたら、
「藤木っ!」
背後から声が掛かった。
小町が小走りにこちらへやってくる。
「はい、これ」
そして、持っていた弁当箱の包みを藤木に押し付けると、一緒に居た鈴木たちに手を合わせて申し訳無さそうに、
「ごめんね?」
と言って去っていった。
遠くで中沢が露骨に嫌そうな顔をして睨んでいる。藤木はそれを涼しい顔で受け流した。
敵視される謂れはないのであるが……まあ、やっぱり、あいつは小町のことが好きなのだろうな。
藤木はそう結論付けると、やれやれといった感じに溜め息を吐いて、鈴木たちに合流しようと足を向けたが……バシッ! と頭を強かに叩かれ、地面に伏す羽目になった。
「痛えっ! 何しやがるっ!?」
「こっちの台詞だ、リア充しねっ!!」
悪鬼羅刹の権化と化したモテない友人連中に、藤木は廊下に転がされて滅茶苦茶にボコられた。
「糞がっ! 見せ付けやがって……糞があっ!!」
「ぺーっぺっぺっぺっぺーーー!!!」
小町にもらった弁当を腹に抱え、必死に抵抗するが、友人たちはそんな藤木を容赦なく足蹴にした。どさくさに紛れて、天使が尻ポケットから財布を抜き取っていった。
「ぎゃああああああああ!!!!」
全校に響き渡るほど盛大な悲鳴が辺りに木霊する。
廊下の片隅で激しい暴行が行われているのに、道行く人々はまるで関心を示さずに通り過ぎた。人々の心が荒んでいるわけではない。わりと良くある光景なのだ。
藤木は理不尽な暴力に耐えながら天を呪った。一体自分が何をした。しかしそれに応える神はなく。天使は財布の中から紙幣を取り出し、一枚二枚と数えていた。