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テクノブレイクしたけれど、俺は元気です  作者: 水月一人
4章・分速12メートル
118/124

気がつけば、俺は叫び声を上げていた

 新生活は順風満帆とは言えなかった。


 元々、義務教育を終えたら出て行く決まりであった施設を出て、法廷であてがわれた後見人の紹介で、入社した住み込みの建築会社は、絵に描いたようなブラック企業であった。相部屋になった先輩が、新入社員はみんな一ヶ月で辞めると豪語するような始末である。


 案の定、その相部屋の男が天王台にちょっかいをかけてきて、まさか相手がホモだとは思わず、一瞬、暴行を受け入れかけた天王台は冷や汗をかきながらも男を叩きのめし、それが社内に知れ渡ると、悪いのは新入社員のほうにされた。


 腹は立ったが、元々そんなブラックに長居する気は無く、社長に嫌味は言われたが、最低限の賃金を得ると彼は寮から飛び出した。後見人は、自分で何とかしろと言って助けてくれる気がなく、仕方なくネットカフェで寝泊りした。


 初めは真面目に働こうと職を探したが、中卒待遇のあまりの冷遇っぷりに嫌気がさし、彼は早々に諦めると、FX口座を開設してそっちで儲けることにした。


 藤木に止められてから、あまり使わなくなった能力だったが、そのチートっぷりは健在で、天王台は瞬く間に巨万の富を得ると、それを元手に家を買おうとし、それが後見人に知れると手のひら返しのように彼は養子縁組を持ちかけてきて、気分が悪くなった天王台が別の弁護士と裁判所に相談を持ちかけたら、今度はロクにあったこともない親戚連中が、次から次へと大挙して押し寄せてきた。


 人間の浅ましさに嫌気がさした天王台は、高額だが事務的に処理してくれる弁護士に相談して、欲の無い未成年後見人と、セキュリティの高いマンションの一室を借り、そこへ棲家(すみか)を移した。


 ようやく手に入れた安住の地……しかし金は手に入れたが、彼にはやることが無かった。ネットをぼんやりと眺める以外は、他にやれることと言ったら投資くらいで、気がつけば彼は仕方なく、何かに追い立てられるかのように、資産を増やし続けるのだった。


 そして資産が増えるたびに、また別の人間が彼に近づいてきた。どいつもこいつもクズであり、それは彼の資産が増えるに比例して酷くなる。


 結局、夏が来て、秋が来て、冬になるまでに、天王台は5回も住居変更することを余儀なくされた。


 行く先々で住所が割れるので、弁護士を切ったら、嫌がらせがより一層酷くなった。だが、その頃にはもう、天王台は日本でも有数の資産家になっており、金の力で全てを黙らせた。


 もう、何日も人と会話をしていない。


 資産が増え、それが一線を越えると、今度は逆に彼の周りから人がどんどん居なくなっていった。彼自身が遠ざけたからだ。金さえあれば何でも買えると思っていた。しかし、金はあっても彼は孤独だった。


 自分はやりすぎたのだろうか……しかし、自分の身を守るためにも金が必要だったのだ。そして新しいトラブルを解決するために、またどんどんどんどん金が必要になっていく……


 なんだかもう疲れた……きっと、世界中の誰もが自分の生活を羨むであろう。だが、実際に彼にあるのは孤独だけで、何一つとして手に入れちゃいない。これからさきの未来、自分がどうなっていくのか、その展望が全く見えない。自分が何をしたいのか、欲求すらわかないのである。


 ああ、まるで死んでいるみたいだ……いっそ死んでみるか……


 彼はカラカラと笑った。すぐにゲホゲホと咽るのだった。久しぶりに声を発したから、文字通りそれは乾いていた。


 思えば、自分は自分の能力に翻弄される人生だった。こんなことになるなら、使わなきゃ良かったとつくづく思う……どうしてそれが分からなかったんだろう。


 その時、ふと、彼は思い出していた。


 かつて、この能力をあまり使うなよと、彼に助言していた男がたった一人だけ居たはずだ。


 藤木藤夫。天王台はその懐かしい顔を思い出して涙した。


 彼は今頃、いったいどうしているだろう。


 幼馴染の彼女とは上手く行ったのだろうか?


 懐かしく思った彼は、久しぶりに家を出た。


 気がつけば、年が明けていた……

 

 

 

 久しぶりに会った親友は、何も変わっていなかった。


 新しい制服を着て、新しい友達に囲まれていたが、遠巻きにそれを眺める天王台に気がつくと、すぐに駆け寄ってきていきなり殴った。


「どこ行ってたんだ、馬鹿野郎。おかえりっ」


 怒ってもいいとこだが、自然と涙が出た。彼は、


「ただいま」


 と言うと、思いっきり殴り返した。


 それから、学校帰りの彼を待って、よく一緒に遊ぶようになった。徳さんなる浮浪者みたいな男を紹介されたが、彼も藤木同様、金に頓着しないので好感が持てた。


 そんなこんなで懐かしい話に花を咲かせていると、次第に小町の話になっていった。藤木と彼女は、未だにどうともなっていないらしい。それどころか、藤木には今気になっている別の女性が居ると聞いて、天王台は戸惑った。


 藤木と別れて、久しぶりに小町と会った天王台は、どうなっているのか尋ねてみた。


 卒業式の後、藤木はかなりの間、天王台を探して回っていたらしい。親友が突然姿を消してしまったことに、少なからぬショックを受けていたようだった。そしてやっかいなことに、それは自分が幼馴染との仲を邪魔したからじゃないかと思い込むようになってしまった……


 良かれと思って姿を消したはずだったが、それが仇となっていた。小町に聞かされた天王台は、自分の浅はかさを呪った。それは金に群がるあの亡者どもと大差ない。


 それを知って、改めて藤木と話をしていたら、彼は迷っているようだった。新しく知り合った部活の先輩のことも気になってはいるが、本当はその気持ちが小町に対する代償行為であることに、(さと)い彼は気づいていたのだ。


 そこで天王台は一計を案じた。


 だったら、その気持ちを後押ししよう。自分が壊してしまった、幼馴染に対する気持ちを取り戻してやろうと。


 やがて、春休み間近、天王台は藤木たちの目の前で、商店街の福引のスキー旅行を的中させた。そして彼は、一緒に旅行に行こうと提案した。藤木と、天王台と、小町と、藤木が最近気になると言う学校の先輩と。そこで、小町の後押しをしてやろうと思ったのだ。


 明けて三月下旬。七条寺駅北口ターミナルを徳さんに見送られながら、天王台たちはスキー旅行に出かけた。近県の有名スキー場で、春休みのシーズンだったから、とても混雑していた。


 山の天気は変わりやすいとは、よく言ったものである。着いた初日は好天に恵まれたが、二日目になるとあっという間に雲が翳ってきた。それでも滑れないほどではないから、昼間はスキーを楽しんだ。だが夜が近づくにつれ、天気が急速に崩れ出し、スキー場は季節はずれの猛吹雪に見舞われた。


 ホテルに缶詰になった彼らは手持ち無沙汰で、吹雪の山を見守る以外にやることが無くなった。天王台は、藤木と小町が二人っきりになれるように、いろいろと画策していたが、それはとっくにばれていた。


 彼は藤木に呼び出されると、もうやめてくれと言われた。


「でも、どっちにしようか、おまえだって迷ってるんだろ」


 天王台が言うと、藤木は溜め息混じりに言った。


「選ぶとか迷うとか、そんなんじゃないんだ。人の気持ちは、そんな風に割り切れるものじゃないだろう?」

「俺はただ、藤木に勘違いをやめてほしいだけだ」

「勘違いって?」

「俺が、小町を好きだってことさ。まるでそれが原因で、俺が消えたみたいに思っていたんだろ」

「違うのか?」

「違う」

「本当にそうなのか? ……おまえの能力で、選び取ってしまったんじゃないのか」

「……え?」


 天王台は耳を疑った。そんなこと、考えたことも無かった。


「三年三学期、突如として噂が立ち、周りがおまえらをくっつけ始めた。俺も二人ならお似合いだななんて、思ってしまった。そして、突然、お膳立てのように俺がモテ始めた……俺が望めば、誰だってより取り見取りな感じだった」

「それは、単におまえがモテてたってだけの話だろ」

「じゃあ、おまえは少しも小町のことを好きじゃなかったと言えるのか?」

「……それは」


 言えない。天王台は小町に少なからぬ好意を抱いていた。しかし、それは藤木と言う親友を通してのものであって、恋愛感情とは程遠いもののはずだ……


 しかし、今その親友に、その気持ちが本当だったのか? と問われると、彼は返答に窮した。絶対とは言い切れないからだ。だって、人間は憧れと言う気持ちだけで、異性と付き合うことが出来る。それが恋に発展することもある。軽い気持ちで、小町と付き合いたいと思ったことは無かったろうか。


 そしてその、軽い気持ちが自分にとっては致命傷なのだ。


 あの時、自分は何を考えていただろうか……藤木の台詞にショックを受けていたが、実際それは問題ではない。


 何でも思い通りの人生を歩んできたのだ……自分が望めば、それはなんでも叶うのだ。


 返答に窮する彼を置いて、藤木はその場を去っていった。天王台は一歩も動くことが出来なかった。


 また、この能力か……


 思えば、自分の人生は、この能力に翻弄されてばかりだ。何でも思い通りのはずなのに、肝心なときには何の役にも立たない。思い通りにいかない。それどころか、自分の人生の大半は、こいつのせいで酷い目にあってばかりではないか……


「ねえ、さっき藤木が走ってったけど、どうしたの?」


 自分の選択に後悔しながら、その場を一歩も動けずいると、小町がやってきた。


「……藤木に、余計なことすんなって怒られた」

「ああ……あれは正直ちょっとね」

「……おまえも気づいてたの?」

「あれだけ露骨にあたしたちを二人っきりにしようとすればね。朝倉に少し同情したわよ。邪魔者にされてるのが丸分かりだもん」


 でも、能力に頼っていたのは、他ならぬ自分ではないか。施設で気に入られようと、能力を使うことを選んだは他ならぬ自分だ。就職先を追い出されて、路頭に迷っていたときにFXで手軽に儲けてしまったのも自分だ。本当なら、そんなことは絶対に出来ないのだ。施設で気に入られようとしたら、一生懸命お手伝いをしたり、おべっかを使ったりすれば良かったじゃないか。路頭に迷っていたのなら、どうして市役所や、友人に相談しない?


 もし、あの時、藤木に助けを求めていたら、彼はきっと何とかしてくれたはずだ。


 こんな糞みたいな人生を選んだのは、他ならぬ自分ではないか。


 天王台の口から、長い長いため息が漏れた。


 そうだ、選ばなければいけなかったのだ。本当なら、自分で正解を掴み取らなければいけないのだ。安易に能力に縋っても、自分の力じゃなければ嬉しくもなんともない。執着が無ければ、何だって簡単に手放してしまえる。その結果がこれだ。


 これは本当に自分が選んだものなのか? 選ばされただけじゃないか。より楽な方に、楽な方にと、逃げてきた結果じゃないか。


 だから、今度こそ選ばないといけないのだ。能力なんて使わないで、採算など度外視で。人付き合いってのは元々そんなもんだろう。好きな人に好きって言うのも、嫌いな奴に嫌いって言うのも、もの凄くエネルギーの要ることなのだ。でも、それをみんな当たり前のようにやっている。それから逃げていても何も始まらない。


「小町、唐突なんだけど、真剣だから、真面目に答えて欲しいんだ」


 天王台は小町のことをじっと見据えて言った。


「なにかしら?」

「俺は、小町のことが好きだ。付き合ってくれないか?」

「はあ?」


 突然の告白に彼女は面食らい、一瞬むっとした顔をしたが、すぐに直前の言葉を思い出して居住まいを正すと、真面目に答えてくれた。


「えーっと……気持ちは嬉しいけど、あたしは好きな人がいるから……」

「そうだよな……そうだよ! そんなの、誰だって分かってるじゃんなあ!」


 天王台が勢い込んでいうと、小町は仰け反った。


「……あんた、どうしちゃったの?」


 小町のことを好きな男なんて、どれだけ居ると思ってるんだ? 学校のアイドルだったんだぞ? そして俺が小町のことを少なからず良く思ってるのも、誰だって分かりそうなもんじゃないか。でも、それは友情に勝るようなものではない。友達との関係をぶち壊してでも得たいような物じゃない。


 そんな当たり前のことも信じてもらえず、あいつは一年間もくよくよと悩んでいたのか。


 こっちだっていい迷惑だ。


「頭来た。あいつのこと、殴ってくる」

「なんか知らないけど、頑張ってね」


 天王台はそう宣言すると、藤木を追いかけて走った。


 部屋に戻ったのだろうと、帰ってきてみたが、部屋はもぬけの空だった。風呂か、ロビーか、その内帰ってくるだろうから、ここで待っていようか……と考えていたら、藤木の荷物がなくなっていることに気づいた。


 慌てて外に飛び出すと、エレベーターホールの自販機コーナーに、浴衣姿の朝倉もも子を見つけた。


「んー? 藤木君なら、もう帰るって駅に向かってったよー。もう少しゆっくりしてけばいいのにねえ」


 と、のんびり言ってのける朝倉に、こいつも相当いかれた奴だと、引きつった笑みで礼を言ってから、天王台は急いで一階ロビーから外に出た。


 二重になっている自動ドアを潜ると、外は猛吹雪と言って良いほどの風で、雪の結晶がべちべちと顔に当たって、目を開けてるのも困難なほどだった。


 駅へ向かう送迎バス乗り場に来てみたが、バスはついさっき出て行ったばかりようで、周囲を見回しても藤木の姿は見当たらない。みやげ物屋兼任の係員に、藤木がバスに乗らなかったかと尋ねてみたら、彼はそれを覚えていたらしくて頷いた。そして運の悪いことに、天気が急激に崩れたので、ついさっき出て行ったバスが、今日の最終になると告げるのだった。


 この時点で、藤木を追いかけることはほぼ不可能だったろう。


 しかし、鉄は熱いうちに打てじゃないが、時間を空けることを嫌った天王台は、今日中に追いつこうと無茶をした。彼は乾燥室においていたスキーを取ってくると、それを履いてバスを追いかけたのである。


 自殺行為だったかも知れない。しかし山道とは言え、駅までは舗装されたバス道で、数十メートル置きに街灯もあったから迷いようが無い。普段なら、1時間もかければ歩いても(ふもと)まで下りていけるはずだった。


 彼は思い切ってスキーを滑らせると、バスのわだちを目印に、彼を追いかけた。


 しかし、30分もしないうちに、後悔した。


 思った以上に急速に勢いを増していく吹雪は、今となっては視界を真っ白に染めて、数メートル先も見えないほどになっていた。履いていたスキーも、新雪が積もって進まなくなり、今は脱いで担いでいた。十数メートル置きに見える街灯の明かりだけが頼りで、もしもこれが無ければ、暗い夜道で崖から転落でもして、今頃お陀仏だったのではなかろうか。靴の中はびしょ濡れで、もう感覚が無い。


 厚着をしていたからウェアの内部で汗をかいて、かえってそれが仇となった。やがて、寒気を覚えて身の危険を感じる頃には、天王台はもう引き返せないほど先に進んでしまっていた。


 どこまで行っても白い世界が、耳鳴りのように轟々と音を立てている。平衡感覚が無くなって、時折眠気も感じる。


 もしかして……これって相当やばいんじゃないか?


 ブルブルと頭を振るって弱気を振りほどくと、前を向いて街灯を探した。本当にもう、これだけが頼りだった。


 ああ、馬鹿なことしている。仮に駅に着いても、もう藤木はとっくに居ないんじゃないか……正確な数字は怖くて見てない。だが、体感的に2時間くらい経つと、俺は弱気に支配され、やがて幻聴まで聞こえてくる始末だった。


 ファーッと、どこかで汽笛のような音が聞こえた。周りは一面真っ白の山の中。仄暗い街灯の明かりしか見当たらない。もしかして、とっくに|麓についていて、これは電車の汽笛だろうかとも思ったが、それならもっと民家なりなんなりがあるはずだ。


 いよいよ頭までいかれて来たのだろうか? 朦朧とする意識の中で、頭をコツコツと叩きながら先に進んだ。担いでいたスキーはとっくに捨てた。しかし、幻聴は未だに鳴り響いている。ファー! ファー! っとうるさいくらいに……


 やがて、先に進むにつれて、それがどうやら空耳ではなく、本物だと分かってきた。汽笛だと思ったその音は、発生源に近づくにつれ、車のクラクションのものだと判別できるようになった。


 こんな山の中で、立ち往生だろうか?


 もしかしたら、自分と同じように路頭に迷ってる人かも知れない。


 さっきまで重かった足取りが、ほんの少し軽くなる。救助じゃなくて悪いが、もしもこの音の主と合流できたら助かるかも知れない。そして、必死に歩を進めること数分。とんでもない光景を目の当たりにした。


 多分、晴れていたらそれが急カーブであることが分かっただろう。比較的緩やかな勾配ではあったが、ヘアピンカーブと言って良いほど急なカーブのガードレールがなぎ倒されて、そこにぽっかりと大きな口が開いていた。


 いつ崩れるか分からなく怖くて近づけないが、数十メートルはあるであろう崖の下から、クラクションの音がいつまでもいつまでも鳴り続けていた。


 タイヤがスリップしたような跡は、新雪に埋もれてもう見えない。しかし、恐らくそれが落ちるときになぎ倒したのであろう樹木の根っこが、ありえないことに天を向いて、まるで前衛芸術のような雪像を作っていた。


 四つんばいになって崖の下を覗くと、そこには大きなバスのシルエットが見えた。他にこんな場所を走るバスがあるとは思えない。だから多分、藤木の乗ったバスである。


 咄嗟にポケットに入っていたスマホを取り出し、通報しようとしたが、圏外ではどうしようもなかった。仮にアンテナが近くにあったとしても、この吹雪ではまともに繋がらないだろう。


「おおおおおおーーーーーーーいいいい!!!!」


 居ても立っても居られず、大声で崖下に叫んだが、返事は返ってこなかった。叫んでみて初めて分かったが、高熱にうなされたときのように頭がズキズキと痛んで、どうやらそろそろ自分も限界のようだった。


 どうする?


 戻って助けを呼んでくるか、このまま駅に向かって助けを呼んでくるか……それとも……


 俺は迷うことなく新雪を掻き分けると雪濠(せつごう)を掘り、その中に自分の身を横たえた。そして、じっと自分の体を見つめると、真っ暗で何も見えないはずなのに、自分の体が二重にぶれて見える。


 意識を集中し、二つの世界の選択を回避し、この世界から飛び出すようなイメージを作る。すると次の瞬間には俺の魂が体から抜け出していた。


 自分の能力が一体なんなのかは分からない。


 だが今、この窮地を救えるのは自分以外、他に居ない。


 幽体離脱した俺は一目散に崖下へと向かうと、そこへ無残に横たわっていたバスに乗り込んだ。バスの中身は凄惨なもので、幾人もの人々が折り重なるように血を流して倒れている。中には意識のある人も居るようで、先ほどの俺の声が聞こえたのだろう、しきりに外を気にしていた。


 運転手が崖から落ちるときに咄嗟に押したのだろうか、クラクションがずっと鳴り続けている。そのけたたましい音の中、後部座席に藤木を見つけた。


 藤木は目立った外傷は無かったが意識が無く、もしも明るかったら、その顔は真っ青に青ざめていただろう。俺は力なく横たわる藤木の体に触れると、その体に憑依した。


 初めての経験だったが、当たり前のように彼の体を乗っ取ることに成功すると、痛む体を無理矢理たたき起こして、うめき声のする車内に呼びかけた。


「誰か、生存者はいるか?」


 あちらこちらから、安堵のため息が漏れる。


 ここに居る、助けてくれ。


 その全てに答えようと、俺は必死に体を動かした。


 藤木ならばそうすると思ったからだ。


 腕を折った奴には添え木をして、血を流して倒れてる者には止血をして、崖下に転落したとき、子供が窓から放り出されたと聞いたら、急いで掘りおこしにいった。面白いことに幽体離脱すると、その全ての動きが分かり、外に投げ出された人が居ても位置が手に取るように分かった。


 そうやって、一晩中救出活動を続けていると、やがて世が明けて空が白み始めていた。


 どうやら、吹雪も止んだらしい。


 相変わらず、けたたましいクラクションが鳴り続ける中で、俺は上空からバラバラと言う別の音が聞こえてくることに気がついた。多分、ヘリが遭難したバスを探しているのだろう。


 飛び出して、上空に向かって手を振ったら、ヘリは二回三回と旋回してから町のほうへと飛んでいった。


 応急処置で息を吹き返した何人かが、涙をこぼしながら歓声をあげた。


 助かる……これで助かる。一時はどうなることかと思ったが……


 ありがとう、君が居なかったら、きっと自分たちは助からなかった……ありがとう。


 涙でくしゃくしゃになった顔の男が、俺の手を握りながら言った。


「ありがとう。ところで、君の名前はなんて言うのかい?」


 

 

 二人は揉みくちゃになりながら、土手をゴロゴロと転がり落ちていった。何度も木にぶつかって、その度に体のあちこちに激痛が走った。口の中が切れて、鉄分を含んだ血の味が口いっぱいに広がった。膝も肘も擦りむけて、ヒリヒリと痛んだ。


 ドカッと背中からがけ下に転落した俺は、肺の空気がいっぺんに抜けて、呼吸困難に陥っていた。


 俺の上で衝撃を和らげた小町がゆっくりと立ち上がると、俺に止めを刺そうと拳を振り上げる。


 そうはさせじと、酸欠の頭で必死に足を絡め取り、小町をすっ転ばせると、二人はまた揉みくちゃになって地面をゴロゴロと転がった。


 小町の拳が顔面に何度も何度も入って火花が散った。


 俺も容赦なく彼女の顔面を殴りつけた。


 周りからはもの凄い数の悲鳴が上がったのだが、もう二人にその声は届かなかった。


 二人はもう、お互いの姿以外、何も目に入らない。


 ボタボタと俺の鼻血が落ちて、小町の涙と混ざり合ってマーブル模様を描いた。ぐしゃぐしゃに泣き腫らした彼女の顔で、それはとんでもなく汚く見えた。


 小町は殺意を孕んだ瞳で俺を見上げた。


「あんただけには言われたくない……」


 俺は背筋にぞくりと悪寒を感じた。その瞳が本気だと告げていた。


「あんただけには言われたくない……」


 見上げる瞳が俺の心臓を射抜いていた。


「あんたにだけは……」


 俺は……


 俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は


 小町のその瞳は、もはや最も近しい幼馴染を見るものではなかった。ただただ、憎むべき敵を見ている……そんな、どうしようもなく過酷なものだった。


 どうして、気づいてしまったのだろう……


 部室棟脇の雑木林で、殴り合いを続ける二人を取り巻くようにギャラリーが遠巻きに眺めていた。


「藤木っ!!」


 そのギャラリーに押しとどめられて先に進めず、人垣の向こうでぴょんぴょんと、最愛の人が飛び跳ねている姿が見えた。


「藤木っ! 藤木っ!」


 俺はその言葉に耳を塞いだ。とても聞いていられない。


 俺は小町を突き飛ばすと、笑ってしまって動かない膝を引きずるようにして後じさった。腰から下がガクンガクンと震えて、まるで自分とは違う生き物のようだった。


 360度、あらゆる方向から投げかけられる敵意の視線を浴びて、血液が沸騰するかのように煮えたぎる。


 毛根がチリチリとしたかと思うと、ばっさりと髪が房となって落ちていった。


「あああああああああああああああああああああああああああああああああ」


 気がつけば、俺は叫び声を上げていた。


「藤木っ! 藤木っ! しっかりしてよっ! 藤木ぃ!」


 立花倖の必死の呼びかけをかき消すかのように。


 俺は弾かれたかのように体を起こすと、ギャラリーを突き飛ばして駆け出した。狂人でも見るかのような視線で、かつてのクラスメイトたちが睨みつけていた。


 立花倖の声が追いかけてくる。彼女の呼びかけに、俺は応えることが出来ない。


 だって俺は藤木じゃない。天王台元雄だから。


 ボタボタと、鼻血が彼女の顔を真っ赤に染めていく。


 ボロボロボロボロと、小町の瞳から止め処なく涙が溢れてくる。


 そのマーブル模様が、二人の未来が、もう決して交わることがないことを暗示しているように見えた。

 

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