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テクノブレイクしたけれど、俺は元気です  作者: 水月一人
4章・分速12メートル
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嫌いにならないでね?

 重厚なオートロックの自動ドアを潜ってエレベータホールへ。油圧式のゆっくりとしたエレベータに乗って4階に辿り着く。少し赤みがかった暖かみのある電球色の廊下を進むと、奥の一室の扉の前に立花倖の姿を見つけた。


 ホッとする反面、もしも忘れていたらどうしようかと言う不安が過ぎる。


 藤木のことを覚えているとしても、それは生徒としてであって、これまでのことを覚えてない。相談してもキチガイ扱いで、学校や家に連絡されたらどうしよう……


 そんなことを考えながら進んでいたら、家の前に居た倖が突然引っ込んだ。


 なんで? どうして? とパニックになりかけたが、なんてことない、中からバスタオルを持って出てきて、


「これで早く体を拭きなさい。あんた、唇が真っ青よ」


 と彼女は言った。


 体がブルブル震えていた。これだけびしょ濡れだし、突然の雨で気温も下がっていたのだろう。


 でも多分、震えているのはそれだけじゃない。藤木は緩慢な動きでそれを受け取ると、懸案事項を尋ねてみた。いつまでも不安なままでは居られないからである。


「あのさ……俺とユッキーって、その……今日、一緒に遊園地に……」

「わー! わー! わー! 今そんなこと言ってる場合じゃないでしょう?」


 言いかけたら、突然彼女はあたふたと慌て出した。その反応から察しても良かったが、そんなことも言ってられないくらい、藤木は疲弊していた。


「いや、はっきりして欲しいんだ。今日、一緒に居たんだよね? 遊園地に言って、観覧車の中で色々と話してくれた」

「……そうだけど……ねえ、一体何があったの?」


 倖は少々どぎまぎしながらも、藤木の様子がおかしいことに気づいて答えた。藤木はホッとすると、脱力してその場にしゃがみこんだ。


「母ちゃんが、俺のこと知らないって……家を追い出された」




 風呂は命の洗濯だと、有名なアニメキャラも言っているが、本当にそうだとつくづく思った。


 母親に忘れ去られたと藤木が告げると、倖は唇を噛みながら、「ありえない……」と呟いた。しかし、すぐに藤木がぐったりしていることに気づくと、「とにかく、まずは暖まりなさい」と言って、ぐいぐいと引っ張って風呂場に彼を押し込んだ。


 芯まで冷えていた体が、湯船に浸かるとヒリヒリと痛みが走った。キンキンと痛む鼻や耳たぶを触ると、氷のように冷たかった。


 やがて体が暖まってくると、体の震えと入れ違いに、ぐずぐずと鼻が鳴り出した。耳たぶを両手で暖めながら、余裕が出てくると、そういえばこの湯船って、多分倖が浸かった後なんだろうなと、要らぬ考えが頭を過ぎった。


 ずるずると鼻をすするたび、残り香が鼻の奥をツンと刺激する。


 するとムクムクと下半身の息子が蠢きだした。


「いかんいかん!」


 藤木はブルブルと頭を震うと、ザブンと頭のてっぺんまで湯船に浸かった。浴槽にブクブクと泡が立つ。


 倖は厚意で自分のことを保護してくれてるのだぞ? そんな相手に欲情してどうするんだ。自重しろ。


 ザバーッと音を立てて立ち上がると、藤木はギュッと奥歯を噛みしめて、両手で頬をパンと叩いた。今日は色々あったけど、とにかく今は意識しちゃいけない。少なくとも、彼女を傷つけるようなことはあってはならない。


 藤木がそう決意して風呂から上がろうとすると、


「藤木、居る?」

「ひゃいっ!」


 脱衣所から倖の声が聞こえて、藤木は再度ザブンと湯船に飛び込んだ。


「……? ちゃんと肩まで浸かるのよ? 今、コンビニまで代えの下着を買いに行ってきたんだけど、他にあんたの着れそうな服が無くってさ。今、あんたが着てた服を乾燥機にかけたから。もう暫く、そうしててくれる?」

「お気遣い感謝します」

「変な気を使わないでよ。気持ち悪いわね」


 そう言うと倖は脱衣所から出て、パタンとドアを閉めた。藤木はぶくぶくと湯船に沈んだ。



 

 言われたとおり、湯船に浸かっていた藤木だったが、それでも10分もしたら流石にのぼせてきて、仕方なく風呂から上がった。脱衣所には買って来たばかりのランニングシャツとブリーフと、洗い立てのバスタオルが置いてあった。


 バスタオルで体を拭いていたら、洗剤の匂いしかしないはずなのだが、なんだか次第にほんわかした気分になってきて、マイサンが暴れ出した。おかしい、普段なら乳首まで弄らないとフル勃起しないくせに……現金な息子に、メッ! しながら、余計なことをこれ以上もう考えないようにしようと、心頭滅却しながら乾燥機の中でクルクルと回っている自分の服を眺めていたら、


「……あがったの?」


 脱衣所の外から倖の声が聞こえてきた。


「うん。シャツありがと。今、他のが乾くの待ってるとこ」

「体冷えるわよ。中に入ってたら?」

「のぼせちまうよ」


 トンッと、脱衣所の扉に背中を預けた音が響いた。そのままズルズルとしゃがみこむ様な擦過音が聞こえて、下のほうから彼女の声が届いた。


「それで、何があったの? 詳しく話してくれないかしら」


 藤木が家に帰ってからの出来事詳しく話すと、彼女は一拍置いてから言った。


「……それは、おかしいわ。何かの間違いだったりしない?」

「そうだったらどんなに良いか……」

「でも、ありえないわよ……」


 そもそも、母親から忘れられるという状況が分からない。藤木が彼の母親から生まれたことは紛れもない事実で、仮に世界が変わってしまったとしても、別の女性から生まれたりなんてことはないはずである。


 とすると、母親が子供のことを忘れる、もしくは知らないというのは、どういう状況下でならありえるだろうか? せいぜい、生まれてすぐ生き別れたとか、実は藤木は彼女と血が繋がってなくて大昔に引き取られたとか、それくらいのものである。


「でも、もしそうなら、それこそ世界が変わったとしか思えないような変化があると思うわよ。ご両親は、あなたが居ないと言う生活を送ってきたでしょうから、同じ場所で同じように暮らしてるとは思えないし……なにより、あんたの部屋が、そのままあったんでしょ?」

「ああ、いつもの俺の部屋だった」

「とすると、藤木は今まで普通にそこで暮らしてたって考えるのが妥当よね。でもお母さんは忘れてしまった……」

「ユッキーのパラレルワールド説が間違ってるんじゃないのか?」

「そうなのかも……」

「おい、えらいあっさりだな」

「だって現状じゃ、確かめようが無いんだもん」


 確かにそうなのかも知れない。だいたい、倖を責めたところで何にもならない。


 藤木はもう一つある可能性に言及した。


「天使の関与はないだろうか。あいつなら、母ちゃんから記憶だけ消すことも出来ると思うんだ。思い返せば元々そうやって、ちゃっかりうちに居候してたんだし」

「……すると、天使ちゃんはまだどこかに潜んでいることになるけど」

「うん」

「何のために?」


 それは、そもそも始めから良く分からない。本当に、なんのために、あいつは藤木の下に現れたのか? 隠れてこそこそと、こんなことをする理由があるのだろうか? どうやったらこうも見事に姿を眩ませられるのか……


 それも確かめねばならないだろうが……しかし、目下の最大の懸案事項は、これからどうするかと言うことだった。


「藤木、これからどうするの? 行く当てはあるの?」

「……家には帰れないし、お金もないし……まいったね」


 まるで他人事のように藤木はぼやいた。なにしろ実際、現状では打つ手がないのだ。他人事とでも思ってないとやってられなかった。


 頼りにしていた諏訪も忘れているようだったし、他に気楽に泊めてくれなどと言える相手は、あとは新垣くらいのものであるが、場所が悪い。何か調べようと思っても、池袋と七条寺では離れすぎていて、フットワークがどうしても重くなるのだ。


 もう仕方ないから、駅前でダンボールハウスでも作ろうか……徳光がもしも自分のことを覚えていてくれたら、聞いてみるのもいいかも知れない。懇切丁寧に教えてくれるだろう……いや、あいつはホームレスじゃねえか……


 などと考えていたら、


「ここに居なさいよ」


 と、倖が言った。


 それは考えなかったわけじゃなかったが、


「いや、それは出来ないよ……」


 何しろ、ちょっと優しくされただけでこれである。このままずるずると世話になって、何かあっては事である。


「どうして?」

「あんた、一応女でしょ。それなのに、無防備すぎるだろ。大体、俺だってさ、野獣じゃないんだから、世話になってる相手を変な目で見たくないから……だから、一緒には居られないよ」

「……変な目で見るの?」


 オウム返しに返って来て、すこしムッとした。


「ああ、そうだよ! 言いたかないけど、俺は平均よりちょっと高レベルなスケベ男子高校生だぞ。我慢できるわけ無いじゃんか」

「ちょっとだって……あんた、割とずうずうしいわね」


 扉の向こうで彼女がくすくすと笑った。


 藤木は拗ねるように言った。


「なんだよう……意識しちゃ悪いか」

「ううん、いいよ。意識しても、何しても……」


 そして彼女はこう言った。


「あたしは、あなたのことが好きだから。ここに居ていいのよ」


 そう言うと、彼女はパタパタとスリッパの音を響かせて、扉の向こうから遠ざかった。


 藤木は咄嗟に、


「ちょっと待てっ!」


 と言うと、まだ途中の乾燥機からズボンを取り出して……生乾きであったから、スチームでも当てられたかのようなそれを、あちぃあちぃと口走りながら、急いで履いて……履こうとして何度もたたらを踏んで……バクバク言う心臓をドンドンと拳で叩いてから、脱衣所の扉を開けて彼女のことを追いかけた。


 遊園地では突然すぎて何もいえなかった。観覧車の中だったし、他に誰もいなかったし、気恥ずかしくて何も返せなかった。家に帰っても気持ちに整理がつかないから、色々と言い訳して何かの間違いだったとか自分に言い聞かせて、あまり考えないようにしていたけれども、ここまで来たらもうそんなこと言ってられない。


 彼女の言う好きって言葉は、一体どんな好きなのか、はっきり確かめないと意識しちゃって、もうこれからどう付き合っていけばいいか分からなくなる。


 頼れるのは、もう彼女だけなのだぞ……


 藤木は脱衣所から飛び出すと、倖のことを追いかけようと彼女の姿を捜した。


 でもそんな必要は無かった。彼女は扉から二三歩ほどいったところで、背を向けて立っていた。


 彼は彼女の手を取ると、ぐいっと引っ張って、その考えをはっきりさせようと、


「ねえ、その好きってのは……」


 言いかけて、固まった。


 振り返った倖は耳まで真っ赤に染め上げて、プルプルと小刻みに震えていた。なんじゃこりゃ。こっちの方がよっぽど意識しまくってるではないか……見上げる瞳が潤んでいて、目は口ほどに物を言うなんて格言を、藤木は馬鹿みたいに思い出していた。


「……ホントに好きなの?」


 見上げる瞳から、ポロリと涙が零れ落ちて、それから彼女は頷いた。


「だって……教師だし、年上だし、きもいとか思われるかも知れないし……」


 見つめる瞳から逃れようと、黒目をグルグル回してから、彼女がギュッと目をつぶるとポロポロと涙が溢れてきた。


「殺人事件を解決してくれたときから好きだった。何か恩返ししたいと思ってたのに、逆にお見合いで助けられるし……」


 藤木の手を引っ張るようにして、彼女は床に腰を下ろして、まるで駄々っ子みたいな格好で、拗ねるような口ぶりで言った。


「あなたに見て欲しいって思って、スタンドプレイに走って、天使ちゃん逃がしちゃうし……せめて何か役に立ちたいって色々考えても、何も出来なくって、なんかホント駄目駄目だし……」


 藤木の腕を引っ張る手に、ぎゅっと力が入った。藤木は言った。


「いや、そんなことないよ。凄い助かってた。本当だ」

「本当は、もっと良いとこ見せたかったんだ。学校でもさ。いっつも主任に怒られてるし、みんなに駄目な大人だって思われてるし」


 まあ、確かにそうなんだけど……


「だって、ずっと周りは大人の人だらけだったんだもん。みんな外国人だったし。同じ年代の日本の男の子なんて、どう接していいか分からないしさ……そもそも、藤木は同じ年頃じゃないじゃん。ずっと年下の子に入れあげちゃってさ。恥ずかしいじゃん?」

「えーっと……」


 恥ずかしいといったら、こっちだって凄く気恥ずかしいのだ。自分はガキなのに、相手は大人の女性なのだぞ。


「でも、初めて好きになった人が、年下だったんだもん。仕方ないじゃん」

「あ、ありがと……初めてなの?」

「……きもいよね。もう、おばさんだし、可愛くないし……」

「いや、あんたの年でBBAなんて言ったら、人類の大半を敵に回すぞ……それに……あー……可愛いし?」


 ポツリと付け加えるように言ったら、彼女は下を向ながらもビクッと反応した。


「服のセンスもさ、愛なんかと違って地味だし」

「それは自分に似合うものが分かってるってだけだろ」

「お化粧もあまりしないから、女っぽくないし」

「え? そうなの? 寧ろすっぴんで勝負できるって、相当凄いよ」

「おっぱい小さいし……スタイルも良くないよ」

「いや、スレンダーで、それこそどんな洋服も似合いそうだよ。あと俺、巨乳属性ないし……」

「あとは……えーと」

「おい……」

「ん?」

「顔がにやけてんぞ」


 肩をプルプルと震わせて、泣いているのかと思ったら、よく見たら顔を耳まで真っ赤にしたまま、彼女はどうしようもなくだらしない顔でにやけていた。


 藤木がふくれっ面で抗議したら、


「あははっ」


 と、彼女ははにかんだ。


 その笑顔が信じられないくらいまぶしくて、藤木は咄嗟に背を向けると、フンッと拗ねてる振りをして顔を背けた。


 心臓がバクバク言っていた。首から上が、火が出そうなくらい熱かった。今、自分はどんな顔をしているのだろうか? 想像するだけで怖かった。


 背中にコツンと彼女の額が触れた。


「嫌いにならないでね?」


 その言葉が耳に届くのと同じくらいの暴力的な速度で、彼女の触れたその背中から、麻薬みたいな感覚が全身に浸透した。


 それは体を突き抜けて世界に広がり、目に見える全てのものをバラ色に輝かせた。


 さっきまで薄暗かった廊下の電気が、キラキラキラキラと星が降り注ぐかのように光り輝いている。


 ああ、この人のこと、好きだな……


 そう考えたらもう居てもたっても居られなくなって、すぐにもその気持ちを伝えたいのであるが……でも、一体どうやったら後ろを振り返ることが出来るのか。彼には今それが、とても難しい人類最大の命題のように思えるのであった。


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