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テクノブレイクしたけれど、俺は元気です  作者: 水月一人
4章・分速12メートル
110/124

あれはなんだったのだろうか……

 しとしとと雨が降っていた。


 連休初日、夜の特快(とっかい)下り列車はガラ空きで、時折流れるアナウンスのほかには、くたびれたスーツのおっさんが立てるいびき位しか聞こえなかった。都心を抜けて住宅地に入ると、車窓はギラついたネオンから柔らかな灯りに変わり、ところどころ暗闇が目立つようになってきた。民家から発せられたほの灯りが雨に滲んで、白い線になって流れていく。


 あれはなんだったのだろうか……


 思い出すと、なんだか心がふわふわとしてくる。


 沈黙のまま遅々として進まない観覧車の中で、永遠とも思えるほど長く気まずい一時を過ごして、ようやく地上に戻ってきたら雨が降ってきた。にこやかな笑みを湛えたスタッフが、いい発見が出来ましたか? などと追い討ちのように声かけてくる中、逃げるようにアトラクションから離れたら、すっかり出来上がった顔をした白木兄妹が満面に笑みを浮かべて、藤木たちを迎えた。


「名残惜しいが、そろそろお開きにしようか」


 冷たい雨粒が鼻の頭を叩いた。閉園時間まで余裕はあったし、小雨でまだ遊べそうでもあったが依存はない。新垣が宣言し、入場ゲートの前で別れを告げると、まるで若年夫婦のように仲睦まじい様子で、白木兄妹は去っていった。後楽園方面へ向かったので、もう東京ドームホテルには興味ないらしい。良かった……いや、良かったのか? なんかあの二人、すっかり出来上がっちゃってるけど……


「それじゃ……あたしは車だから」

「あ、うん……」


 兄妹をぼんやりと見送っていたら、傍らに立つ倖がそう言って踵を返した。上手くそっちの方を見ることが出来ない。だから表情も窺えない。ちらりと横目だけで見てみたが、サラサラの髪がするりとすり抜けていくだけだった。一体、どんな顔をしていたのだろうか……


 東京ドームから吐き出されてきた気の早いG党が、カンカンとガードレールをメガホンで叩きながら歩いてくる。序盤の大量失点、援護の無い貧弱な打線を大いに嘆くその流れに乗って、水道橋駅で電車に乗り閉まるドアをぼんやり見ていたら、ふと思った。


 どうせ帰る方向は同じなんだから、普段だったら車に乗せてってって、言ってるだろうに……どうしようもなく意識していた。


 七条寺駅に着いて、団地へ帰ってくると藤木はバスを飛び降りて猛然とダッシュした。同じバス停で降りた住人がぎょっとした顔をしたが、お構い無しに駆け出すと、敷地を囲むように張り巡らされた金網を掴んで強引にカーブを曲がり、団地へ続く階段を一足飛びに飛び降りて、ホタル族のおっさんが煙を吐き出しながら見守る中を、全力疾走して自分の家の棟まで駆け抜けては、ダンダンと地面をわざとらしく踏み鳴らし、階段を3段抜かしで一気に駆け上がって、ただいまも言わずに自宅の玄関に飛び込んだ。


 そして、雨と汗とでびしょ濡れになった体でお構いなく、自室のベッドへダイブした。


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ~~~~~……あうあうあ~~~」


 枕に顔を埋めて悶絶しつつ、藤木はゴロゴロゴロゴロと転がった。


 ドテッと音を立てて、ベッドから転がり落ちた。


 ああ、もう何をやっているのか。少女じゃあるまいし……


 しかし、何しろ自分はモテキャラと違うから、こんな経験初めてなのだ。しかも相手があれだぞ? 6つも年上の女教師だ。美人だし、大人だし、社会人だし……


 いや、どっちかって言うと、ちょっと子供っぽくて可愛いと言うか、いつも怒られてて社会人ぽくないというか……


 いや、割と本気でガキで社会人失格だと思うけども……


 彼女の顔を思い浮かべたら、顔から火が出そうなくらい熱くなった。鏡を見なくたって、それが真っ赤になってることが分かるくらいだ。


「うがあああああああああ……」


 藤木はもんどりうつと、ガンガンと床に何度も何度も頭をぶつけた。


 落ち着け。床の寿命と、近隣住人の忍耐と、頭髪の生え際が心配だ。


 藤木は気を落ち着けて深呼吸した。


 そもそも、好きと言ってもいろんな形があるじゃないか。例えば藤木はホモじゃないけど、新垣のことが好きだぞ。男の友情だって好きの形の一つだろう。小町のことも好きだし、母ちゃんのことも好きだ。白木にいたってはいいズリネタだ……立花倖にしたって、こうやって意識する前から好きだった。面白い先生だと思うし、なにより話しやすい友達みたいな感じだったし……そう、人間的に好きだった。


 もしかしたら、倖の言う好きと言うのも、藤木の人間性が好きってことかも知れないじゃないか。


「セルフコントロール……セルフコントロール……」


 そういうのを確かめずに帰ってきちゃったのだから、ここで悶絶していても仕方ないだろう。実際、間違いだったら、次、どんな顔をして会えばいいんだ? 意識のしすぎも良くないだろう。


 額の汗を拭うと、藤木は自分が全身水浸しであることに気がついた。汗なんだか、雨のせいなのだか分からない。心臓がバクバクと鳴っている。全力ダッシュしてきたから、未だにぜえぜえと荒い息を立てていた。


「やれやれ……」


 こっちの方をどうにかしなきゃならない。


 藤木はよろよろと立ち上がると、冷たい飲み物でも取りに行こうと台所へと向かった。


 しかし、その時にはもう、世界は取り返しのつかないほどに変わっていた。

 

 


 部屋を出てリビングへ向かう。そろそろ彼岸も近いと言うのに、未だにフル稼働のクーラーが、ガンガンに利いたリビングからキッチンに入ると、冷蔵庫を開けて麦茶を取り出した。


 食器棚からコップを取り出し、麦茶を注ぐと腰だめに手をあててグイグイと飲み干した。


 視界の片隅に母親の姿をちらっと捉えたから、何の気なしに藤木は聞いた。


「母ちゃんも飲む?」


 タンッと、飲み干したコップをテーブルに置いて、二杯目を注ぎながらリビングにいた母親のほうを覗いてみたら、なにやら様子がおかしかった。


 なんだろう? とさして気にも留めず、二杯目に口をつけていたら、


「あ、あ、あ……あんた、だ、誰よっ!!」


 何ともいえない、緊迫した表情で母親がそんなことを口走った。


 なんだそれは、ボケるところか?


 二杯目を飲み干して、麦茶を冷蔵庫にしまってから、キッチンのシンクでコップを洗った。水気を拭いて乾燥棚にそれを置いて、その時になってようやく藤木は違和感に気づくのだった。


 ギョッとして振り返る。


 振り返った先には身重の母親が、ブルブルと震えながら包丁を手に持って突き出していた。そして、


「あ、あんた誰よ! 警察呼ぶわよっ!!」


 と、叫ぶように言うのである。


 おいおいおいおい、なんじゃこりゃあ?


「ちょっと待て、なにやってんだ、あんた……包丁って……冗談にしては度を越えてるぞ」

「出てけっ! 出てけぇ! ふぅーっ! ふぅ~~っっ!!!」


 興奮した母親が、目を血走らせながら肩で息をしている。藤木がいくら落ち着けといっても、聞く耳持たないと言った感じである。


 藤木はごくりと生唾を飲み込んだ。


 なんだこれは? なんの冗談だ? 笑い飛ばせれば良かったのであるが、とてもそんなことは言えない緊迫感があった。


「あああああああああああ!!!! あああああああああああああ!!!!!」

「ちょっ! 母ちゃん! やめっ!」


 ブンブンブンブンと、母はリビングにある物を手当たり次第に飛ばしてくる。


「いやあああああああ! あんたなんか知らないわよっ!! 助けてぇっ!!! 誰かっ! 警察警察警察呼んで~~!!!!」


 ブンブン飛んで来る物を避けながら、藤木は言った。


「わかった! わかったから! 落ち着いて! あんた、お腹の子に悪いからっ!」

「ぎゃああああああああああああ!!!!」


 気が触れたかのように、包丁を振り回す母親の姿を見て、藤木は脱兎のごとくその場から逃げ出した。


 おいおいおいおい!? 一体何があったんだ?


 はっきり言って、それはさっぱり分からなかったが、しかしそれが何であれ、身重の母親のことが気にかかった。このまま興奮を続けて、もしも流産なんてことになったら……


 藤木はリビングを飛び出すと、取る物もとりあえず、玄関から外へと飛び出した。


 背後から、まだキチガイのような声が聞こえてくる。


 藤木が転がるように階段から降りてくると、近所の人たちが眉を顰めてこちらの方を覗き込んでいた。


 なんか知らんがまずい気がする……


 藤木は一目散にその場から離れると、団地の雑木林に身を潜めた。


「……どういうことだ? 何が起きた……?」


 すぐに思い当たったのは、藤木がまた知らず知らずのうちに、平行世界を移動していたということだった。しかし、相手は母親だぞ? 多分、平行世界のどこまで行っても母親のはずだ……そのはずなのに、あの豹変っぷりは一体……どんな世界に移動したら、ああなると言うのだろうか。


 藤木はプルプルと首を振るった。


 とにかく、考えていても埒が明きそうにない。正直、今となってはその行為に意味があるのか分からないが、藤木は幽体離脱すると、自分の居なくなった家の様子を覗きに戻った。


 母親は藤木の部屋で、腰を抜かしたように呆然と座っていた。先ほど、藤木が悶絶して濡らした床の水滴を、指でぼんやりとなぞっている。どうも放心しているようだ。


 取りあえず、このまま放って置く訳にも行くまいと、藤木は壁抜けをして隣室の小町の部屋へと訪れた。幸い、小町は在宅中で、いつものように机の前に座っていた。


「良かった……おーい、小町さん小町さん」


 しかし、藤木が話しかけても彼女は全く反応しない。


「あれ? おい、小町。俺だよ、おれおれ……ガン無視かよ。確かに、もう壁抜けしてくんなって言われたけどさあ……」


 ただ、先ほどの騒ぎが気になったのか、時折隣の藤木の家のほうを気にする素振りを見せていた。


 気になるなら助けてくれよ。その隣室の母親のことでお願いがあるんだけどな……と思いながら、三度声を掛けてみた。


「つか、小町? ……もしかして、聞こえないの? ガン無視とかじゃなくて……」


 身震いがした。


 でも、何となくそんな気はした。


 小町の反応が、今までに無いほど徹底しているから。


「おーい、小町!」


 藤木は改めて小町の眼前に飛び出したり、体に触れたり試行錯誤してみたが、彼女はまったく反応を示さない。


 何故? 何故? 何故?


 疑問符が脳裏をクルクル回ってる。しかし、よくよく考えても見れば、これが普通の反応なのだ。小町以外のほかの誰だって、藤木が話しかけてもこうなるはずだ。


 何故と言ったら、それこそ何故だろう……?


 思えば、どうして小町だけが、幽体離脱した藤木と会話出来たのか……?


 こいつは天使のような存在じゃない。ただの幼馴染のはずだ。もしかして、これも天使の仕掛けかなにかなのか?


 藤木はプルプルと頭を振るった。


 分からないが、どっちにしろ、話しかけられないなら仕方ない。ここでこうして考えてる間も、本体は外で無防備な状態で転がっている。


 藤木はそれ以上どうすることも出来ず、体へと戻った。

 


 

 しかし、これからどうしよう……


 雨を吸ってジュクジュクとなった靴が、カッポカッポと音を立てた。びしょ濡れて重くなった上着を、いくら搾っても水滴が落ちてくる。


 母親のあの様子からして、冗談ではないのだろう。多分、このまま家に帰っても、警察に通報されるのが落ちである。考えたくないが、母親はどうやら藤木のことを忘れている……


 どうしてこうなった?


「母親に忘れられるって……どうしたらそんなことになるってんだよ」


 藤木は自嘲気味に笑った。


 親にまで忘れられるなんて、一体自分は何者だ? まるで生まれてきたこと自体が、間違いだったみたいじゃないか……なんだそれは。


 もしかして、倖の立てた仮説も間違っていたんじゃないか?


 きっとそうだ、大体、あんなとんでも理論、誰が信じると言うのだ。証明だって不可能だ。きっとまだ天使がどっかに潜んでいて、自分のことを苦しめてるのだ。何のためか知らないが、そうでも考えないと、意味が分からない。


 ……とにかく、一旦どこかで落ち着かなければ、暗い考えしか浮かんでこない。さっきから雨に打たれすぎて、体が冷たく身震いしていた。


 すぐに思い浮かんだのは諏訪の顔だった。


 小中学校時代の連れで、小町の次に付き合いの長い相手だ。きっとこいつなら……一抹の不安を抱えながら、藤木は諏訪の家へと足を向けた。


 しかし、その必要は無かった。


 藤木は諏訪の家へと行く途中、近所のコンビニから出てくる諏訪の姿を見つけた。彼は咄嗟にそいつを呼び止めると、


「ああ、良かった、諏訪。今から行くとこだったんだ。今日、泊めてくれないか?」


 突然、行く手を阻むように現れた藤木に対し、諏訪は眉をしかめ言った。


「はあ? ……おまえ、誰? きもっ……」


 呆然と立ち尽くす彼の横をすり抜けて、諏訪は傘を差し行ってしまった。


 ザーッと、突然雨脚が強まった。


 それはゲリラ豪雨みたいに容赦なく藤木の体を叩いていく。水を吸った洋服が体に張り付いて、チクチクとまつわりついてくる。


 まるで服を着たまま、水の中にいるようだ。


 もがいてももがいても、上手く泳げない。引き潮に飲まれる枯れ葉みたいに、岸へ辿り着くことさえ出来ない。


 

 

 市内にある高級マンションの、オートロックの前に藤木は居た。スピーカーから声が聞こえる。


『はい……』

「あの……俺、成美高校の生徒で、もしかしたら印象にないかも知れないんだけど、先生のクラスに居るから、きっと出席簿かなんかで確認してもらえれば多分分かると思うんですけど……いや、決して怪しい人間じゃないんです。宗教じゃないし新聞でもないし勧誘でもないし営業でもないし、ただ、ちょっと出来ればその辺と、ほんのちょっと確認してもらえればですね……2年4組の……」

『……なにがあったの? 藤木』


 自動ドアが静かな音を立てて開いた。


『早く上がってきなさい』


 藤木は必死に涙を(こら)えた。きっと全身びしょ濡れなのは、それを隠すためなんだろうと思った。


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