まるで整合性の取れない記号みたいな
変態が変態オーラ漂わせて変態電話をかけてきた。それによると藤木と遊園地でデートして欲しいとのことである。嫌よ馬鹿犬アホ犬とでも罵って、電話をガチャ切れれば気も楽なのであるが、例え相手が変態でも、目上でそこそこお世話になってる変態であるし、
「一体何があったんですか、順を追って説明してください」
と、仕方なく釈明の余地を与えた。
新垣によるとこうである。藤木が彼の家を辞してから、白木をデートに誘おうと思い電話を手に取ったまでは良かったのだが、いざ電話をかけようとしたら……あれ? なんか思った以上に緊張する……と、考えても見れば生まれて初めて女性をデートに誘うと言う行為に恐れを成し、悶絶したりくよくよしたりして無駄な時間を大いに浪費しまくった。
それでも、どうにかこうにか勇気を振り絞って、ようやく電話をかけてみたは良いものの、デートなどという単語はついぞ発せず、オナホ製作で必要だから(遊園地に行くのとオナホにどういう関係があるのか知らないが)、どうしてもと言うならば仕方なく連れてってやらなくもない……的なことを上から目線で言ってしまったそうなのだ。だめだこりゃ。
ところが、白木は滅茶苦茶喜んだ。あまりにも喜ぶものだから……
「そうそう、藤木君も一緒に来るから……と気がつけば口走っていたのだよ」
「なんで!? 俺、全然関係ないっすよね!!」
「いや、その、咄嗟に……仕方なかったのだよ! それはそれは凄い喜びようだったのだぞ? あんなに喜ばれてはハードルが上がりすぎて、こっちもどうしていいのか分からなくなったのだ」
「子供か、あんたは……」
「頼む、藤木君。一人では心細いのだ」
藤木は溜め息を吐いた。とは言え、そんな状態の白木にホテルに連れ込まれたら、成すすべも無いだろう。もっと相手してやれと煽ったのは藤木だったし、
「仕方ないですね……つっても、俺が白木さんの相手しても仕方ないから、本当についていくだけですよ?」
「おお! 来てくれるのか。それは助かる。一時はどうしようかと」
そこで、藤木はふと思い立った。
「あ、そうだ。どうせだったら、俺の知り合い誘ってもいいですかね。ほら、ダブルデートって奴? それならハードルも下がるでしょう」
「ん? おお、素晴らしいアイディアだ。是非頼むよ」
「分かりました」
詳しい日程はまた後ほど……と言うことで、藤木は電話を切った。
誘おうと思ったのは小町である。丁度、その幼馴染に電話しようと思っていたところだし、せっかくだから誘ってみようと思ったのだ。
ここのところ少し関係がギクシャクしていた面もあり、関係修復に役に立つかも知れない……確か、品川みゆきや朝倉もも子が言うには、小町は白木に嫉妬していたらしいし、その白木がラブラブなところを見れば、彼女も安心するだろう。
「……って、安心するって?」
なんだそれは……
藤木は頭をブルブルとふるって馬鹿な考えを追い払うと、そろそろ目的地に近づきつつある電車の車窓から外を眺めた。
「はあ? 嫌に決まってるでしょ」
「にべもねえ!!」
やがて七条寺駅に着いてホームに下りたら、藤木はすぐさま幼馴染に電話した。
遊園地行こうぜと言ったらこれである。
「なによ藤木。遊園地なんて行く玉じゃないでしょう、あんた? 何考えてるのよ」
「だから、知人のカップルが心細いから着いてきてくれって……」
「それが本当なら尚更嫌よ。なんで、そんな他人の恋愛の出汁にされるようなこと、あたしがしなきゃならないのよ」
「あ、そうですか……そうですよね……」
ごもっともな意見である。普段の藤木なら、彼女と同じように考えるはずだ。ぐうの音も出ない。
「ところで、知人って白木さんなんだけど」
未練がましく、ちらっと顔色を窺うような感じで言ってみたが、
「ふーん、そうなの」
と、どうでもいいと言わんばかりの生返事が帰ってきた。
おい、品川。嫉妬してるんじゃなかったのか? やはり、あの女は面白がるだけで当てにならねえ……
藤木は頭の中で先輩に悪態をつきつつ、ともあれ、断られたら断られたで、それはそれでいいやと思い、他にも聞くことがあるので話を続けた。
「ところで、ちょっと聞きたいことあんだけどさあ」
「なによ?」
「おまえ、四月に何か変わったことが無かったか、覚えてないか?」
「四月ぅ~? ……うーん、特には。って言うか、そんな半年も前のこと、よく覚えてないわよ。四月になんかあったの?」
「なんか、複数人からの情報でよ、俺の様子がおかしかったなんて言われたから」
「それなら藤木は普段から頭おかしいよね?」
「ほっとけよ! 何も覚えてないなら別に良いんだよ。ちょっと天使のこと調べててさ……どうにも、おかしなことになってて」
「なにそれ……詳しく話してみなさいよ」
興味本位であるだろうが、まあ、元々関係者だし、藤木は最近あった出来事をつらつらと語って聞かせた。
「それで市川が、元気の無いあんたの姿を見かけたと……」
「ああ。つっても俺には身に覚えが無いんでな。何かの間違いじゃないかと思って、ユッキーに相談してみたんだ」
「……なんで、立花先生に」
「そりゃあ、頼りになるし。そしたら、ユッキーも四月の俺が変だったって言うんだ。どっちか一人ならともかく、二人となると流石に変だろ?」
「……さあ。どうかしら」
「なんだよ。連れないなあ。まあ、月曜になったらユッキーに出席簿見せてもらえるんで。それで不自然な点が無ければ良し。少なくとも、俺が学校をサボったかした日は分かるだろうから、そのころに何か無かったか聞き込みすれば、解決するんじゃないかと思ってるんだ。その時はまた聞くから、頼むわ」
「知らないわよ」
「……え?」
「なんで……いつから、あんたたちそんなに仲良くなったわけ?」
「いつからって、それはだな……?」
「何よ、さっきからユッキーユッキーって。馬鹿みたいに連呼してさ。そんなに先生がいいんなら、そっちに相談すればいいじゃない。あたしには関係ないわよね」
「えーと」
「遊園地だって先生を誘えばいいでしょう! その気も無いくせに、あたしのこと巻き込むんじゃないわよ! 馬鹿!」
プチッと通話が切れた……
きっと昔ながらの黒電話なら受話器を叩きつけられて、今頃ドラマのように耳がキンキンしているに違いない。
藤木は通話の途切れたスマホの画面を唖然と見つめた。
なにこれ?
始業式の日、文芸部の二人の言葉が脳裏を過ぎる……嫉妬? マジで嫉妬してるのか? アホか、相手は教師だぞ? 自分なんかを相手にするわけ無いだろう……
藤木は呆れながらもフォローの電話を入れようと、折り返し電話をかけなおそうと思ったが……
「……やめた」
思いなおして、スマホをポケットにしまった。
なんで、自分がそんなことしなければならないのか。自分と倖がどうこうなるなんて有り得ないし、そもそも、嫉妬される覚えも無いのだ。
なんでこんなことになっちゃったんだ。あの女、何を考えてるんだ……
藤木は頭を振るうと、イライラしながら既に乗降客が通り過ぎてがら空きの、駅の階段を二段飛ばしで駆け上がった。
やっと七条寺へ帰ってきたというのに、すぐに帰宅する気にはなれず、仕方なく駅前をブラブラとうろついていた。先ほどの今で帰るのもバツが悪い。別々の家ではあるけれど、部屋は壁を一枚隔てて隣同士なのだ。帰ったら帰ってきたとすぐに分かってしまう。
幸い、日が翳ってきて過ごしやすい時間帯になってきた。少し早い夕飯でも食べてから帰れば丁度いいだろうと、家に電話をしながら北口ターミナルへとやってきた。
近隣の歓楽街になっている北口は、九月に入ると夏の人気の無さとは打って変わって、人ごみが途切れなくなっていた。飲食店なり、カラオケ屋なり、アーケードへ遊びに向かう人ごみにアピールするかのように、ストリートミュージシャンが声を張り上げる。
さっきの小町の態度にむしゃくしゃしながら、テクテクと歩いていると、前方の植え込みの影に見知った顔を見つけた。
「よう、徳さん」
言わずと知れた風来坊、徳光こと玉木保奈美である。何しろ暑かったから、ここのところとんとご無沙汰であったが、暫くぶりに見かけた彼女は相変わらず少年のようにしか見えなかった。
「やあ、藤木君。暫くぶりだね」
「そろそろ過ごしやすくなって来たもんな。ついにおまえらがまた出没する季節になったか」
「人をゴキブリみたいに言うんじゃないよ」
言いながら、相変わらずわけの分からない文言の書かれた紙をずらずら並べていた。これ、売れるのかなあ? と心配になるが、そもそも、売る気など無いのだろう。元々こいつは金に困るような家柄でない。
時折それをチラチラ見ながら通り過ぎる人もいたが、立ち止まる人は滅多に居なかった。徳光は呼び込みなどせずに、ただじっと座ってそれを眺めていた。
「暫く見かけなかったけど、実家に帰ってたの?」
「ああ、こう暑くてはね。夏はどうしようもないよ。クーラーのガンガン効いた部屋の中で、アイスを食べながらペナントレースを見ていた。今年のセリーグは混戦で目が離せないねえ」
「終わってみれば、結局巨人が勝つだろうよ。今来たところ? 飯でも食いに行こうと思ってたとこなんだけど」
「うん。まだ来たばかりでね、お誘いは嬉しいが遠慮しておくよ」
「そうかい。邪魔したな」
無理に誘うことも無いので、また帰りに寄ればいいだろうと、藤木は彼女の前を通り過ぎようとして……ふと思い立って聞いてみた。
「そういや、四月なんだけど……」
基本的に何も無ければ、朝から駅前をブラブラしている徳光である。例の市川の話のとおりなら、平日の真昼間に藤木を見かけたとしたら覚えているかも知れない。
「自分のことなのに、君はおかしなことを尋ねるね」
「ああ、学校をサボってブラブラしてる俺を見かけなかったか?」
「どうだろう。見たら話しかけたろうし、覚えてないな」
「そうか。いや、何か深刻な顔をした俺を見かけたとか言われてさあ、そんな覚え無かったもんだから……」
「ふーん……まあ、あの頃の君は何故だか少し元気がなかったしね」
「……え?」
多分、何も無いだろうと、歩きかけた足が止まった。寝耳に水と言った感じで、思わず藤木は聞き返してしまった。
「俺が? 元気なかったの?」
「ん? ……ああ、そう思うけども……気のせいだったかな?」
何しろ、当の本人に不思議がられるのだから、バツが悪くなったのか、徳光は話を取り下げようとした。しかし、
「その話、詳しく聞かせてくれないか?」
と、これまた当の本人に言われて、困惑しながらも答えてくれた。
「あれは四月じゃなくて三月の末日だったけど……君たちがターミナルでバスを待っていたときに、僕から話しかけただろう? 覚えてないのかい?」
「えーっと……すまん、続けてくれる?」
「おかしな人だなあ……大荷物を背負ってるのでね、好奇心からどこ行くのかと聞いたらスキーに行くと言うから、それじゃ楽しんで来てねと送り出したんだ……数日後、駅前で君を見かけてどうだったかと声をかけようとしたら、なんだかそんな雰囲気じゃなくってね。何があったんだろうと思っていたんだが……」
「俺が……スキーに?」
まるで記憶に無い。春休みは宿題もないから、日がな一日のんべんだらりと暮らしていた。外出も何もしないから3キロも肥えた。そんな記憶しかないのである。
戸惑う藤木をよそに、徳光は更に付け足した。
「そういえば、天王台君はどうしたんだい。最近見かけないけれど」
「……天王……台?」
「ああ、君たちは仲良しだったろう。あの旅行の時も、一緒に見かけたけど、いつの間にか来なくなったなあ……喧嘩でもしたのかい?」
「いや……」
後頭部をガツンとやられた気分だった。
まるで、それを避けるように誘導されていたような……
いきなり、情報が洪水のように頭の中に溢れ出す。
「藤木君? どうしたんだい、大丈夫なのか!?」
突然、眩暈がしてふらつき出した藤木に対し、徳光が手を差し伸べた。
「いや、だいじょぶ……大丈夫……」
藤木は頭を振ってその手を拒否すると、唐突に踵を返して来た道を戻り始めた。
「おーい、藤木君?」
徳光はそれを怪訝な表情で見送った。
ありえない……ありえない……ありえない。
藤木は家に帰ると近所迷惑などお構いなしに、部屋中をひっくり返してそれを探した。隣には小町が居るだろう。だが今はもう、そんなことなどどうでも良かった
コンコンと部屋のドアがノックされる。朝に出て行った息子が突然帰ってきて変なことをしはじめたので、母親が驚いて聞いてきた。
「藤木、どうかしたの? 何か探し物かしら」
「卒アル!」藤木は母親に尋ねた。「母ちゃん。俺の卒アル、どこにしまった?」
「ええ? 卒業アルバムのこと? ……知らないわよ。お母さん、そんなの弄ったりしないもん」
「くそっ……」
藤木は悪態を吐くと、持っていた本を床にたたきつけた。
本棚も、押入れも、机も、ベッドの下も。どこを探しても目的の物が見つからない。
もしかして、と思って子供の頃から撮り貯めた普通のアルバムの中にも、スマホの写真データの中にも、やっぱりそれは見つからない……
そんなことは絶対にありえない。
すぐにピンと来た。多分、天使の仕業だろう。
彼女は藤木がそれを思い出さないように隠したのだ。
藤木は隣の部屋の壁を見つめた。
多分、小町なら卒業アルバムを持ってるかも知れないが……
「母ちゃん、ちょっと出かけてくる!」
藤木は部屋の入り口に佇む母親を押しのけて家を出た。目的地は諏訪の家である。彼ならば目的のものを持っているだろうし、詳しい事情も聞けるはずだ。
天王台元雄。
徳光の口からその名前を聞いた瞬間、藤木はガツンとやられた気分になった。なんでこんな忘れようにも忘れられない奴のことを忘れていたのだろうか……
天王台は、藤木たちが中学時代に結成した同人サークル・カワテブクロの一員で、元々は藤木の連れだった。昼も夜も休日も関係なく、一年中彼らは一緒だった。言ってしまえば親友と言っていい間柄だった……
確かに、少し喧嘩もして、疎遠になりつつはあったけど……
けれど、もう顔も合わせたくないなんて関係ではなかったし、ましてや顔を思い出せないなんてことなどありえなかった。
そう、思い出せないのである。
天王台の名前を聞いた瞬間、すぐにその存在は思い出した。かつて、自分には親友と呼べる友達がいた……それを忘れていたことにショックを受けると同時に、しかもその親友の顔を全く思い出せないことに胸を撃ちぬかれた気分になった。
なんで? そんなの天使の仕業に決まってる。でも、なんで?
ぐるぐるぐるぐると、何故、何故、何故の文字列が頭の中に回ってる。諏訪の家へ向かう道すがら、頭に血が上って沸騰しそうだった。汗が止め処なく流れ落ちた。
やがて、諏訪の家に着いた藤木はインターホンのチャイムを押すと、返事を待たずに玄関を開けて、
「お邪魔しまーす! 諏訪いるかっ!!」
と、躊躇無く諏訪の部屋へと駆け上がっていった。
「うわっ! なんだよ、藤木」
何故かズボンをゴソゴソと上げている諏訪に向かって、藤木はパンっと拍手を打つように頭を下げて拝むと、
「すまん、諏訪。卒アル見せて!」
と言って、これまた返事を待たずに彼の本棚をゴソゴソと漁りはじめた。諏訪はむっとしながらも、
「なんだよ、いきなりだな……卒アルだったら、こっちだよ。ちょっと待ってろ」
といって、机の棚から一冊のアルバムを取って藤木に差し出した。彼はそれをひったくるようにして奪う。
「……卒アルなんて見てどうすんだ? つーか、おまえ、持ってないの?」
「見当たんなくて……なあ、天王台って何組だっけ?」
「天王台? ……そりゃ1組だろ。おまえ」
乾いた笑いが零れた。
そんなことすら忘れていたのか……唐突に現れる親友。まるで整合性の取れない記号みたいな情報だけの親友を、今藤木は頭の中で懸命に呼び覚まそうとしていた。
1組の集合写真を見て、ずらりと並んだかつての級友たちを右から左に流し見る。しかし、どれが目的の人物かさっぱり分からず、すぐに個人撮影のページへ移動しようと指を舐めたところで……
藤木は体が固まった。
見覚えは無いが、見たことのある顔がある……
「諏訪……」
「なんだよ」
「天王台って……これ?」
「はあ?」
諏訪は突然やってきて、いきなり奇妙なことを言い出す藤木に対し、いよいよ頭でも狂ったのかと言わんばかりに引きつった笑いを浮かべながら、
「あたりまえだろ。何言ってんの、おまえ」
その写真はあの日……
夏休みの最後の日、母親の付き添いで行った病院で、夢なんだか現実なんだか、曖昧な状況の中訪れた病室の中で……
心電図の音がピッピッとエコーする、静寂の中で……
ベッドの中で横たわっていた男の顔が、今、目の前にあった。
藤木はよろよろと、力なく床に腰を下ろした。
なんだこれは? あの男が天王台? しかし、あの病室は、あのあと跡形も無くなくなったのだぞ?? じゃあ、この男は一体どこへ行った……
そうか。あれは夢だったとして、現実の天王台は別に居るはずだ。
藤木はそう思い当たり、ハッとなって問うた。
「諏訪! 天王台はいま何してるんだ!?」
しかし、パニック状態で座り込む藤木に、更に追い討ちをかけるかのようなことを諏訪が言った。
「そりゃ、おまえ…………死んだよ」
「え?」
「そっか。なんか様子がおかしいと思ったら……おまえのせいじゃないんだ。だからもう、気に病むな」
ピリリリリ、ピリリリリっと、胸ポケットでスマホの着信音が鳴り響いた。
諏訪が迷惑そうな顔をしているように思えたから、何も考えずに電話に出た。
「もしもし? あたしだけど……」
立花倖の声が聞こえる。
「あのあと気になったから学校来て調べてみたんだけどさ。あんた、4月はずっと皆勤よ。遅刻の1回も無かったわ」
その事実は、今までに判明したことと照らし合わせると少し奇妙なものだったが、藤木は取り立てて気に留めることはしなかった。
「藤木、聞いてるの?」
上手く、物事が考えられない。
藤木は倖の呼びかけに応えず、ただ呆然とスマホを握ったまま座っていた。




