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テクノブレイクしたけれど、俺は元気です  作者: 水月一人
4章・分速12メートル
105/124

にわかに信じられん

 新学期が始まり1週間が過ぎた。その間、ずっと天使を探していたのだが、しかし手がかりは全くと言っていいほど掴めなかった。


 人一人の痕跡を完全に消すと言うことなど、普通に考えれば不可能だと思う。天使と言う存在は確かに居たのだから、どこかしらになんらかの証拠が残されても良さそうなのに、それがさっぱり見つからない。


 これが彼女お得意の催眠術の仕業なのか。それとも、彼女もまた藤木の幽体のように、存在が曖昧なものであったのだろうか。考えても結論は出なかった。


 いっそ、本物の天使であると考えてしまえば、辻褄が合うのだが……逆にそれが本当なら、ますます手も足も出ないだろう。


 新学期からの学校生活は順調とは言えなかったが、トラブルも特に無い、比較的穏やかな日々であった。クラスメイトの藤木に関する記憶はかなりいい加減なもので、藤木? ああ、そういえばそんな奴もいたっけなあ……と言った感じの、なんと言うかクラスの2軍3軍の扱いとでも言えばいいだろうか? そんな感じなのである。


 特に害があるわけでもなく、気にしなければ別段困ることでもないのだが、しかしずっと仲良くしていたはずの連中に、こういう仕打ちを受けるのは結構応えた。そのせいか、藤木はクラスで誰かに話しかけることもしなくなり、そのせいでますます孤立を深めるのであった。


 彼らの天使に関する記憶については、立花倖が約束どおりに調べてくれた。それによるとどうやらこちらも職員室同様、彼女の存在は完全になくなっているようだった。もしくは始めから居なかったことになってると言えばいいだろうか。


 あれだけ、天使ちゃん天使ちゃんと金魚の糞のようにくっ付いていた鈴木たちが、手のひら返しのように彼女の存在を忘れてしまったと思うと、歯がゆいやら情けないやら、なんとも複雑な気持ちがした。しかしそんなことを言ってもどうにもならないのである。


 その鈴木たち、クラスの男たちについてはもう一つ、不思議なことがあった。


 ある日、小町が朝倉を訪ねてきたとき、藤木が軽く挨拶してからトイレに行こうと教室を出たら、クラスの男子がずらずらと後に続いてやってきた。我がクラスに男がぞろぞろと連れションする文化は無い。なんだこれ、リンチでもされるのか? と警戒しながら便所に入ると、


「おまえ、馳川さんと知り合いなのか!?」


 と詰め寄られた。


 何言ってるんだ、こいつは。知り合いもなにも、幼馴染じゃねえか、知ってるだろ……と言おうとした瞬間、ああそうか、知らないんだなとため息が漏れた。これから何かあると、事あるごとに説明しなければならないのかと思うとげんなりもしたが、ともあれ、


「小町とは家が隣同士で小中学校と一緒だった」


 と嫌々説明したら、何故か男子どもが色めきだつのだった。


 一体、どういうつもりなのだろうか? と訝しく思ってみていたら、どうやら彼ら言うところでは、馳川小町はこの学校のマドンナ的存在で(なんだって?)、特に男子生徒で知らない者などいないらしい(おいおい……)。何しろ、あれだけの美少女なのに、気取ったところが無くて、まるで天使のようであると……頭がクラクラした。


 なんじゃそりゃ。思わず、小便器に大便しそうになった。


 そういや、こいつらはいつも天使を囲んで、ちやほややってた記憶がある。もしかして、その設定が残っているのだろうか? 思い返せば、天使が消えたその翌日、藤木の母親も天使=小町と記憶が改ざんされていた。彼女たちは何故か見た目もそっくりだったし……やはり、何か関係があるのだろうか。しかしあの後、小町に聞いてみたけれど、彼女はちんぷんかんぷんって感じだったはずだ……どういうことだ。さっぱり分からない。


 とまれ、その後紹介してくれと言いだすクラスメイトたちに、マネージャーじゃないんだぞと断りを入れて、ほうほうの体でトイレから逃げ出した。物欲しそうな目で見られても、自分ではどうしようもない。


 大体、相手はあの小町だぞ。こいつら正気なのかよ……とも思ったが、


「そういや、こんなことが中学のときもあったな……」


 と、思い出し、藤木は何か複雑な思いを抱えたまま、また誰からも話しかけられることのない教室へと戻るのだった。とんと忘れていたが、それは嫉妬にも似た、懐かしくも苦々しい、忘れたい過去の思い出だった。


 

 

 結局、何の進展もないまま1週間が過ぎて、9月最初の週末。藤木は池袋に向かう電車の中にいた。


 新学期初日に白木に頼まれたので、彼女の兄の気持ちを探りに、新垣のマンションへ向かっていたのだ。


 ガタンゴトンと電車に揺られ、シートに座りながらうつらうつらと船を漕いでは、ハッとなって目を覚ます。それにしても、どうして電車の中というものは、こんなにも眠くなるものなのだろうか? 藤木は睡魔と格闘しながら、まだ夏の気配を色濃く残す、暖かな日差しを呪った。


 電車に乗っておよそ10分ほどで眠気がピークに達すると、藤木は観念して頭をふりふり席を立った。このまま眠ってしまって、もしも幽体離脱してしまったら……目が覚めた後、自分の体を捜すのに一苦労するだろう。何しろここは動いてる電車の中で、自宅ではないのである。


 勝手に幽体離脱さえしなきゃ凄く便利なのであるが……自分の体の不便を呪って、悪態をつきながら眠気覚ましにクーラーの下へと移動すると、途中で他の乗客の肩に触れた。


 ちっと耳障りな舌打ちが響く。「すみません」と頭を下げて、目を合わせないように通り過ぎようとしたら……


「……あれ? 藤木じゃねえか?」


 と、舌打ちした男性が素っ頓狂な声を上げた。


 おや? 知り合いだったのか? と、声をかけてきた男を振り返ったが……どうにも見覚えが無くて戸惑った。


 誰だっけ、これ? と素面のままじっと見ていたら、


「おいおい……久しぶりだからって、まさか忘れたとか言い出すんじゃねえだろな」

「…………もしかして、市川か?」

「もしかしても糞もあるか! てめえ、冗談にしては笑えねえぞ」


 市川とは、諏訪、大原に続く、サークル・カワテブクロ第四の男。ホモと淫夢ネタが持ち味の中学時代の同級生だった。卒業後、市外の男子校へと進学した彼とは、中学の時のようには会えず、実際凄く久しぶりであった。もしかしたら、卒業式以来と言っても過言ではないかも知れない。


「いや、悪い。すげえ久しぶりだったからさ。相変わらず、感じ悪い顔してんなあ。元気してたか?」

「ちっ……おまえの方が、よっぽど感じわりいよ。そっちこそ元気か? 最近、なにしてんのよ」


 最近は人のことを忘れるよりも、逆に人から忘れられやすい藤木であったから、新鮮と言ったら悪いと言うか、なんだか滑稽な思いがした。思えば、こうして声をかけられるのも久しぶりだ。普段だと、知り合いを見かけたとしても、声をかけていいのか迷ってしまうくらいなのだ。


 藤木は苦笑しながら近況を告げた。


「へえ、相変わらず、諏訪と大原とは仲良くやってんだな」

「まあな。市川は、もう漫画も小説も書いてないの?」

「おう……あれは、なあ……」


 歯切れが悪いのでどうしたものかと、突っ込んで聞いてみたら、何やら深刻な表情で、最近はネタでもホモのことを書けなくなってしまったとか言い出した。聞けば、高校で知り合った連れがホモだったらしく、市川がいつものようにホモネタで飛ばしていたら、ある日突然キレられた。ホモの気持ちも考えてよね! とヒステリックに叫ばれ、動転しつつも、「寧ろ今までよく我慢した」とか「カミングアウトするなんて偉いよ」とか言って、どうにかこうにか、その場は凌いだのであるが……それから暫く経って、落ち着いてきたら段々じわじわ来たらしい。


 そういや、夏休み、新垣の家で誰かが喋ってた記憶がある。


「あれ、ネタだと思ったら、マジだったんだ」

「マジよマジ、大マジよ。あれ以来、どこにホモが潜んでるのかと思うと、どうにもネタに切れが無くなって……」

「トラウマんなってんのな。ホモが駄目なら、レズ書けよ、レズ」

「簡単に言うなって……つーかもう、ああいう創作活動はいいや。こりごりだ」

「ふーん……深刻なんだな。しかし、そんなんじゃ、学校でも結構大変なんじゃね? 意識しちゃって」

「ああ、うん……それなんだけど……」


 市川は少し言いづらそうにしてから、ボソッと小声でやめたと言った。


「え? 学校やめちゃったの?」

「ああ、別に差別するわけでもないし、頭では理解もしてんだけどよ……向こうも我慢してたのか知れないけど、こっちだって我慢したくねえよ。でも、これって優しくない考え方なんだろう? ……そう考えたら、なんだかね。あほらしくて」


 男子校でホモにキレられ学校をやめるとは……しばらく見ない間に、とんでもない人生を送っていたものである。まあ、藤木には負けるだろうが。


 とまれ、学校をやめたはいいものの、理由が理由なので転校などは諦めて、


「中野に大検の予備校があってさ、そこ通ってんだよ。今も、これから行くとこ」

「へえ……そう言うのって、難しいんじゃねえの?」

「いや、言われてるほどじゃ全然ねえよ。あれ、沢山の試験通らないといけないんだけど、別に一度に全部受からなくちゃいけないわけじゃなくって、今年も既に1回受けたんだけど……」


 好奇心から尋ねてみたら、嬉々として語り出した。学校をやめて腐ってるのかと思いきや、意外と充実してるらしい。それはそれで重畳である。藤木は中学時代の連れの話を、黙って聞くことにした。気がつけば、眠気はもうどこかに吹き飛んでいた。


 やがて、高円寺を過ぎて電車が減速すると、市川は降車のドアに向かいながら言った。


「それにしても、元気そうでなによりだな」

「ああ、お互いにな」


 中野駅に到着し、続々と乗客が降りていく。市川はその流れに乗りながら、振り返って手を振った。


「春に会ったときは、なんか今にも死にそうな顔してたもんな、おまえ」

「え?」

「何があったか知らねえけど、もう平気なんだな。良かったよ」


 それじゃな。と言って、市川はホームへ降りていった。


 その背中を追いかけようかどうしようか……迷っているうちに、電車のドアが閉まった。


 電車が滑るように発進する。


 ホームに佇んだまま、市川がまだ手を振っていた。藤木も手を振り返してから、ドアに背中を預けて腕組みした。


 春に元気が無かった?


 思い返してみても、自分にはそんな記憶が無い。


 今年の春と言えば、落ちこぼれクラスにぶち込まれて、そこで鈴木たちと意気投合し、担任が新任の姉ちゃんだと知って期待してたのに、その駄目っぷりにがっかりさせられ、学校内では金持ち連中にイライラはさせられたものの、その鬱憤を晴らすかのごとく、放課後は案外はじけてたはずである。


 認識にずれがある。記憶に齟齬(そご)がある。向こうから話しかけてきたから、しっかりしてるのかと思ったが、もしかして彼もまた、やはりクラスメイトたちと同じだったのかも知れない。なんらかの影響がある。しかし、その何かが分からない。


 やがて新宿駅に近づくと、電車が大きく揺れ出した。藤木は胸の中に何かもやもやしたものを抱えたまま、手すりに捕まり踏ん張った。市川の言葉を反芻しても、やはり何も思い浮かばなかった。


 

 

 池袋の新垣のマンションに行くと、突然の来訪であったにも関わらず、よく来たよく来たと歓待された。にこやかな新垣に連れられて、夏休みに入り浸っていた家のリビングへと入っていったら、部屋の中央にデデデンと、中華製っぽいダッチワイフが鎮座していた。


 軽く脱力感を覚える。いやまあ、自分相手に気取ったことしなくてもいいけれども、一応来客であるのだぞ、こちらは。


「なんすか? これ」

「これはだな。究極のオナホがあるなら、究極のダッチがあったっていいじゃない! というコンセプトの元に開発を進めている、その名も究極のダッチワイフ試作1号機だ!」

「そのまんまやんけっ!!」


 力いっぱい突っ込みを入れつつも、変わりのない彼にホッとした。


 正直、池袋までやってくるのは面倒くさいことこの上無かったが、ここのところ、気兼ねなく話せる相手など、担任教師を除けば携帯電話のSiriくらいだったので、ほんのちょっぴり嬉しかった。


 ともあれ、ここへ来た用件を片付けねばなるまい。リビングで電気ポットのお茶を入れてもらいながら、藤木は新学期初日に話した白木のことを伝えた。


「む……安寿はそんなことを言っているのか?」

「ええ、ぶっちゃけ痴女みたいな人ですからね。最初ヤリたいとか言い出したときには、思わず壁に手をついてスカートをたくし上げろって、命令しそうになりましたよ」

「喧嘩売ってんのか」


 ぎゃあぎゃあと殴り合って、一息ついてから、


「つーか、まだ手を出してないって聞いてビックリしましたよ……どうしたんです? もしかして、ソープで貰った性病でも治してる最中とかですか?」

「……藤木君、君は割りと私に容赦ないね?」

「てへっ」

「そりゃあ私もね、聖人君子ではないのでね、もちろん本音はしたいのだけども……」

「どうしてしないんです?」


 今更格好付けるような間柄でも無かろう。性欲の強さもお墨付きだし、なんでなんだろ? と疑問に思ってると、新垣は、うーん……と唸ってから、溜め息混じりにこう言った。


「ぶっちゃけると私は、あの妹を相手に、ちゃんと避妊出来るか自信が無い……」

「ぶっ……げほげほ」


 返ってきた言葉に思わず咽た。いや、でも、まあ、確かに? 痴女だもんな……


「自分でも流されやすい性格だと思うし、実際にことに及んだら、歯止めが効かないかも知れないと思ってね……安寿もあと半年で卒業だし、その後の進路が決まってからでも遅くはない。それなら暫く我慢しようかと思って」


 そう言いながら新垣はポリポリと頬っぺたを指でかいた。


 藤木はちょっと感心した。思いの外、ちゃんと考えているようである。流石に兄貴であると言おうか。


「それならそうと、ちゃんと言ってあげたらどうなんですか」

「それはいかんだろう。あの妹だぞ? 半年後に中出しセックス出来ると思ったら、本来の進路を変えかねん。言うにしても、ちゃんと将来が決まってからだ」


 と、ニートに言われても色々説得力がないが、


「それじゃ、フォローくらいしときなさいよ。する、しないに関わらず、発情しまくってますよ、あの人。それこそ進路に影響がでかねないんじゃないですか」

「う……そうかね?」

「取りあえず、卒業するまではお預けってことで、あとはデートなりなんなりして、機嫌を取っておけばいいんじゃないですかね」

「なるほどデートか……デートならしているぞ。この間も二人で出かけたのだ」

「へえ……どこ行ったんです?」

「秋葉原のメイド喫茶に行ったり、とらのあなに行ったり」

「ひでえチョイスだな、おい……つかそれ、同じ建物に見えて、実は別々のビルに二人で分かれて上がってったりしてませんかね」

「よく分かったなあ」


 わからいでか。


 あのお嬢様が、メイドにお帰りなさいませお嬢様って言われてる姿は、ちょっと見てみたい気もするが……とまれ、他にどんなとこ行ったか聞いても何も無く、いっそ付き合う前に遡って聞いてみても、ろくな場所がなかった。


「そういうんじゃなくって、もっと夜景の見える綺麗なレストランで食事したり、海で綺麗な夕日を見たり、普通の恋人らしいことしてあげなさいと言ってるんです」

「お、お、お、恐ろしいことを言い出すね、藤木君。君は案外手馴れてるのかね? DQNなのかね?」

「誰がDQNだ。そんなわけないでしょ。つか、もうちょっと真面目に考えてくださいよ。曲がりなりにも自分の彼女のことなんだし」

「そうは言っても、そんなところ、私がまともにエスコート出来ると思うか。挙動(きょど)る自信なら大いにあるが」


 ああ、いかにもそうなりそうだ……それにしても面倒くさい。


「それじゃアウトドアとかスポーツは……あんたたち兄妹じゃ、悲惨なことになりかねんし……アミューズメントパークは? ディズニーでも行ってきたらどうですか」

「いきなりディズニーは、ハードルが高くないか?」

「いや、逆に良いって聞きますけど……? 嫌なら後楽園でもどこでもいいですよ。電車一本だし」

「う、うーん……この年で遊園地と言うのも恥ずかしいものが……」


 ぐずる新垣を何とか宥めすかして、取りあえずどこかしら定期的にデートに連れて行くと約束させた。


 これで義理は果たしただろう。藤木はお茶を飲み干すと、席を辞そうと腰を上げた。


「む、もう帰るのかね? まだ来たばかりではないか」

「ええ、まあ。つっても、やることないでしょ。もう、俺じゃオナホ作りの役に立たないでしょうし」

「そんなこと気にせず、好きにしててくれればいいのに……」


 と、引き止める新垣に断りを入れて、玄関へ向かおうとしたときだった。


 ふらり……と視界が揺れて、藤木はクラクラと床にしゃがみこんだ。目の前が真っ白になって、全身の血液がサイダーみたいにしゅわしゅわと泡立つ感じがする。


「ん? 大丈夫かね、藤木君。真っ青だぞ」

「……あいや、立ちくらみっすかね……」


 どうやら貧血らしい。しゃがみこんだままじっと我慢していたら、段々と目が見えるようになり、徐々に体が動くようになってきた。


「風邪か何かだろうか? 調子がよくないなら、やはり休んでいきたまえ」

「いえ、帰りますよ……」


 ぶっちゃけ、そうしたいのは山々だった。電車の中でもそうだったが、実はこのところ、藤木はずっと寝不足だった。


 毎晩、眠ると幽体離脱し、自分がどこへ行くか分からない日々が続くと、今度は藤木はそれが気になって眠れなくなっていった。倖が言っていた通り、眠っている間の自分がどうなっているのか、それが分からななくて不安になるのだ。


 眠ってる間、藤木は間違いなく幽体離脱している。しかし、その状態で何が起こってるのか、自分の魂がどうなっているかはさっぱり不明なのである。それに、体の方は仮死状態になってるはずなので、それがばれても大騒ぎになるに違いない。


 だから、おいそれと外出先で休んでいくと言う訳にも、いかないのである。


「しかし君、どうみても大丈夫そうには見えないぞ。悪いことは言わないから、休んでいきたまえよ」

「いや、でも……」


 そう言うわけで、せっかくの厚意を無碍にしてまでも、藤木は帰ろうと抵抗したのだが……そのとき、藤木の脳裏に、とある言葉が過ぎった。


『問、究極のオナホを壊したのは誰か?』


 ……天使の残したメモに書かれた言葉である。このところ、ずっと彼女の行方を捜していても、一向に手がかりすら見つからない。思い返せば、結局は最後に残された手がかりは、唯一これだけであった。


 この問いに答えるのであれば、それは新垣ノエルである。突拍子もない問いだったし、解決したからすっかり忘れていたが……結局、天使はこれを伝えて、どうしたかったのだろうか……?


 新垣と天使は何か関係があるのだろうか?


 藤木はふと思い立って、彼に天使のことを尋ねてみることにした。


「……む? いや、まったく心当たりがないな。一体、何者なのかね、その子は」

「えーっと、俺の妹と言うか……なんと言うか。説明すると長くなるし、多分、信じてもらえないと思うんですが」


 案の定、天使のことなど知らないと新垣は言ったが、もうずっと手詰まり状態だった藤木は藁にも(すが)る思いで、彼にこのところ起きている不思議な出来事について話すことに決めた。


 正直、関係者をいたずらに増やすようなことはしたくなかった。


 しかし、もう他に天使に繋がりそうな糸が何も無かったのである。


 藤木が春先にテクノブレイクしたことから話し出すと、新垣はにわかに信じられないといった表情をしながらも、黙って最後まで聞いてくれた。そして、


「にわかに信じられん」


 と、表情に張り付いた言葉をそのまま口にした。藤木は思わず笑った。


「ええ、そうでしょうね。信じるほうがどうかしてます。でも、証明は出来るんで、そうだな……試しに何か隠してもらって……」


 実際に幽体離脱したら信じるだろうと、藤木が口にしかけたら、


「いや、信じられないがね。信じないとは言っていない。藤木君。私は非科学的なことは一切信じないタイプだが、君のパーソナリティについては信用しているつもりだ。その君が言うのなら、何かおかしなことが起きているのは事実なのだろう。だから信じよう」


 と、新垣は言った。それは堅苦しくて、回りくどい言葉だったが、不思議と血の通った人間臭い温かさを感じさせた。藤木の口から自然とため息が漏れた。なんやかんや緊張していたらしい。


「信じた上で答えるが、やはり、天使などと言う子のことは何も知らないし、心当たりも無いな……」


 しかし、残念ながら彼の答えは変わらなかった。


「なんで、天使はこんなメモを残したんでしょうかね……」

「さあ、それは分からないが……それよりも気になるのは、そもそも君はいつからそんな体になったんだ?」

「それは、5月の連休明けにオナってたらですね……」

「それは聞いたよ。でも、それは嘘だったのだろう?」

「え?」


 唐突な言葉に、始めは何を言われてるのか理解が出来なかった。


「いや、君は別にテクノブレイクしなくても、幽体離脱が出来たのだろう? 天使と言う子が天使じゃなかった。嘘だった。だったらテクノブレイクで死んだという前提が崩れたと思って試したら出来た」

「…………」

「おまけに、君が始めてテクノブレイクしたと思った日に、その天使と言う子は現れたんだったな。しかもその子は不思議な催眠術を使う。記憶操作だ」


 認識にずれがある。


 記憶に齟齬がある。


『春に会ったときは、なんか今にも死にそうな顔してたもんな、おまえ』


 この部屋に来る前に、偶然に出会った中学時代の友達の台詞を思い出した。


 新垣が言う。


「君は、君の周りがどんどん君のことを忘れていくと言っているが、どうして君自身は忘れていないと断言できるのか。君は本当に、その日始めて幽体離脱したのだろうか?」


 本当に、一人でうじうじと考えていたのが馬鹿らしくなった。思いも拠らぬところから、こんなヒントが出てくるなんて……


 藤木は、天使の手がかりとは言えないかも知れないが、少なくとも自分の判断が間違って無かったと確信した。


「元からあった能力なら、もっと前から出来たとしてもおかしくないだろう。なのに何故その日から、君がテクノブレイクという形で、幽体離脱という現象を認識しはじめたのか。その切っ掛けの出来事があるはずなんじゃないだろうか」


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