ホントかなあ?
必要なときに限って見つからないようになっている、そんなパズルのピースみたいだ。
天使が消えてからおよそ10日。その間、全く彼女を探していなかったわけではない。ただ、手がかりが無さ過ぎて結果的に身動きがとれず、仕方なく別のことをしているうちに、どんどんと後回しになっていく。いかんいかんと思って、軌道修正を行ったら、手がかりがありそうなところから、それがさっと消えてしまう。そんな感じだ。
それに、天使がいないことで困ることなどあまり無かった。だから昨日、病院の喫煙所で天使の声を聞くまで、ぶっちゃけ彼女のことなど忘れていた。しかし訪れた強烈な出来事に身が引き締まって、やはり彼女の行方を捜さねば……と思ったら、通っていた学校のデータからも消えてしまう。
天使、天使と言ってはいるが、まるで幽霊みたいな話である。
しかし、彼女は一時的にしろ現実にこの学校に通っていたし、毎日放課後に遊び歩いていたくらいだから、友達も沢山いたはずだ。誰か、天使のことを覚えている者がいてもおかしくないのでは……と考えたところで、はたと気づいた。
天使の交友関係といえば、殆どクラスメイトである。その殆どのクラスメイトは、藤木のことを忘れている。断言は出来ないが、多分、天使の能力で記憶を消されてしまったのだ。そして今、こうして新学期が始まって誰も騒ぎ出さないところを見ると……その可能性は絶望的だと考えて良さそうだった。
クラスメイトは当てにならないだろう。誰か他に、彼女の痕跡くらいは覚えてるような、そんな人物がいないだろうか……廊下で体育館へ向かう列を作っている最中、キョロキョロと周りを見回してたら、3組の先頭の方に馳川小町の姿を見つけた。
流石にあいつは覚えてる。と言うか、覚えていたはずだ。何か手がかりが見つかるかも知れないし、ちょっと話をしてこよう……と列を離れてコソコソと3組の方へと向かっていたら、
「こら、勝手に列乱さないでよ」
壁に背中を預けて腕組みしていた立花倖に怒られた。
「すぐ戻るから、大目に見てよ」
「駄目に決まってるでしょ。あたしが学年主任から怒られるのよ」
「気にするなよ。俺がどうこうせずとも、どうせ勝手に怒られてるだろ、あんた」
「なんですって~?」
と言った声が思ったよりも大きかったからだろうか。廊下の先のほうに陣取っていた学年主任がギロリと鋭い眼光を飛ばしてきた。倖は生徒の列に身を隠すように、背中を丸めて小さくなった。藤木は顔を近づけるようにして小声で言った。
「つーか、天使のこと、気づいてるんだろ?」
「……そりゃまあ。先に調べてたのあたしの方だし」
「あいつの痕跡でもいいから見つけたいんだ。こうまで見事に消えられると、何かあったとしか思えない」
「うーん……わかったわ。先生方にもそれとなく探りを入れてみるけど」
「助かる。小町にも声を掛けてみるけど、ユッキー放課後は空いてる?」
「今日は職員会議あるから、すぐってわけには……」
そんな風に二人でコソコソやっていたら、クラスメイトから声がかかった。
「つーか、おまえら仲良いな。付き合ってんの?」
「そんなわけあるかっ!」
二人して背筋をピンと伸ばし、仰天してハモった。恐ろしいことを言い出す奴らである。すると何が面白いのか、クラスメイトたちが一斉に笑い声をあげ始めた。
え? なにこの雰囲気……いじめ? いじめなの? こわい。身震いしながらふと前方を見てみたら、学年主任がいよいよ怒り心頭と言った感じの鬼の形相で、こちらを睨みつけていた。
こりゃやばいと背中を丸めて、仕方なく列に戻った。流石にこの状況で小町のいる3組まで行っていたら、下手すりゃ呼び出しを食らってしまう。こそこそと列へと帰る道すがら、クラスメイトたちのニヤニヤとした嫌らしい視線が突き刺さる。
おいおい、本気でこいつらは自分と担任教師をくっつけようとでも思ってるのか? そんなこと有り得ないだろう。知らない仲じゃあるまいし……と思ったところで、ようやく気づいた。
そうだ、知らないのだ。
藤木のことを覚えてないのなら、藤木と倖の関係も白紙状態なわけで、そんな時に必要以上に仲良くしてたら、そりゃ悪目立ちもするだろう。
列に戻っても、まだチラチラと突き刺さるこそばゆい視線に耐えながら、藤木は今後は軽率な行動は控えようと心に誓った。
新学期初日の全校集会を済ませたら、あと連絡事項の書かれたプリントを配るくらいでさっさと終わった。担任が学年主任に怒られていたせいで、他のクラスより開始が10分遅れた2年4組は、当然のごとくHRが放課後にずれ込んで、それが終わる頃にはあらかた他のクラスは下校したあとだった。
小町に声を掛けようと思っていた藤木がダッシュで3組に行ったときには、既に彼女の姿は無く、クラスには殆ど人も残っていなかった。まだバス停に居るかも知れないし、電話して呼びとめようかと少し迷ったが、そもそも職員会議がいつまで続くかも分からないので、無理に引き止めるのはやめた。
とまれ、小町は諦めるとして、自分はそれまでどうやって時間を潰せばいいものか……ネットに繋がる電算機室も捨て難いが、ここはやはり部室であろう。夏休みに入ってから1ヶ月、一度として顔を出してないので、どうなってるか気になった。
特に何かを置いているわけでもないし、そもそも廊下に居座ってるのだから、変わりはないだろうと断言できるが、まあ、元もとの習慣だったしと思い足を向ける。
下駄箱で靴を履き替えグラウンドへ。正門へ続く道で中等部の制服を見送りながら、右手に曲がって西洋風東屋のある庭園を突っ切り雑木林へ入る。そしてサバゲーをやった雑木林の階段をてくてくと下り、部室棟の前にやってきたら、中から賑やかな声が聞こえてきた。
どうやら新学期早々、色んな部活がもう活動しているらしい。キーンという金属バットの音が響いて振り返れば、河川敷の球場で野球部が練習していた。いつ見ても元気な奴らである。
ガヤつく建物に入り、階段を登って4階へ。辿り着いたこちらは他の階とは違って、少し大人しい雰囲気であった。さすが弱小クラブ。やる気が無い。あんなにみんな必死になって部室を守ったくせに……あ、そうか、忘れてるのか。などと思いつつ、廊下を奥へと進むと、端っこにあるパーティションの中で人影が揺れた。
多分、朝倉もも子だろう。こちらは365日、雨が降ろうが槍が降ろうがマイペースなものである。せっかくだし挨拶しようと近寄っていったら、「えー? うっそー」とか「それはないって」などという女生徒たちの声が聞こえてきた。どうやら来客らしい。とすると、思い浮かぶのは、最近彼女と仲のいい小町である。
これ幸いと、藤木は廊下の奥に駆け寄って、パーティションの上からぬっと顔を突き出して中を覗いた。
「あ、いたいた、小町。おまえのこと探してたんだよ」
文芸部の部室……の前の廊下であるが、そこには3人の女生徒が座っていた。朝倉と小町と、品川みゆきである。この元生徒会長、確か受験で忙しいとか言ってなかったか? コミケでも大活躍だったが……余計な考えを振り払いつつ、小町の方に向き直る。
「なによ、藤木……」
「いや、朝も声かけたんだぜ。だけどおまえ先に行ってたみたいだから」
小町はぷいっと横を向いている。最近は何だかずっと機嫌が悪い。傍らに座っていた、朝倉と品川がじーっと藤木のことを見ていて、何だか妙にやりづらかった。
「えーっと、このあと時間あるか? ちょっと話したいことがあるんだけど」
「あたしには無いわよ」
「俺にあるんだっつの。嫌なら無理にとは言わんが……」
「……別に、嫌とは言ってないわよ」
「なんか知らんが、頼むよ。なんなら晩飯奢るからさ」
と言うと、小町ははぁ~っと、わざとらしい溜め息を吐き、
「しゃーないわね……それで手を打ちましょう」
と応じてくれた。何で上から目線なんだと思いつつも、
「おう、頼むわ。あ、そうそう、ユッキーも居るんだけど、構わんよな?」
クラスが違うが知らない仲では無いだろう。人見知りするような女でもないし……と思って何気なく言ったつもりだった。
「……あたし、やっぱ行かない……」
しかし、いきなりそんな返事が返って来た。
「へ? いや、今良いって言ったばかりだよな?」
「やっぱりやめた。帰るわ」
そういうと、小町はカバンを引っつかんで立ち上がると、朝倉や品川に挨拶もせずに、ずかずかとパーティションから外へと出た。藤木はその手首を咄嗟に掴み、
「おい、ちょっ……ぎゃああああああ!!!」
つかんだ瞬間向こう脛を蹴られて、もんどりうって倒れた。
「ふおおお! ふおおおおお!!! なにすんじゃこらあああああああ!!!」
猛烈な痛みで涙が滲む。藤木は廊下をかけていく背中に絶叫したが、小町は一切振り返ることなく階段を駆け下りていった。多分、追いかけても無駄だろう。何しろ小町は身体能力だけは化け物級である。普段でも本気で逃げられたら追いつける自信が無い。
バタバタと床を叩きながら悶絶していると、パーティションの影から女性と二人がそっとこっちを覗きこんでいた。その視線がなにやら冷たく見えて、藤木はクラスメイトの反応を思い出し、背筋が凍る思いがした。
「えーっと……朝倉先輩。会長……お久しぶり?」
どう声をかけていいか分からず、控えめにそう言ってみたら、
「藤木君……あれはないと思うなあ」「ねえ……あと、私はもう会長じゃないわよ」
と返事が返って来てホッとした。少なくとも、彼女らは藤木のことを知らないわけではないらしい。
「あれは無いって……どういうこと?」
痛みを堪えて足をさすりさすり、彼はどうにか体を起こすと、よちよちとパーティションの中のパイプ椅子に座った。二人は顔を見合わせてから、
「どうって……」「ねえ?」
「なんか、最近あいつの様子おかしいんです。俺、なんかやっちゃったんかな」
「何かって……藤木君。小町ちゃんは多分、嫉妬してるんだと思うよ?」
「はあ?」
寝耳に水と言った感じだった。何を嫉妬することがある? 藤木が本気で分からないといった顔で尋ねると、朝倉が溜め息混じりに言った。
「藤木君。最近、とある女性と仲が良いんだって?」
「はあ……? なんじゃそりゃあ……そんなもん、あるわけ……」
……あった。
仲が良いとは白木のことか? いやしかし、
「ああ、確かに仲はいいけど……ええ!? だって俺、別にそんな……ねえ?」
「ねえじゃなくって……どうなの? 藤木。付き合ってるの?」
と、品川が横槍を入れてきた。そのウキウキとした声を聞けば見ないでも分かる。もの凄くゲスい顔をしていた。
「いやいやいや、付き合ってるわけないじゃないですか。恐ろしいこと言いますね、あんた」
「そうなの?」
「当たり前でしょう。だって、あの人、彼氏いるんですよ?」それもきっとヤリまくりの。「そんなのと俺が付き合ってるわけないっつの。アホか」
と言うと、二人は「エーッ!!!」と同時に仰天して叫んだ。
「ええ!? ホントに? 知らなかった」「本当なの藤木君。全然気づかなかったよ」
「マジでマジで。俺、相手にも会ったことあるもん」
「はぁ~……そうなんだ。彼氏居たんだ……まあ、言われて見れば確かに、ちょっと変わってるけど、美人だもんね。あの人」
「ああ、そうだな……ちょっとどころか、相当変わってるがな」
「いつから付き合ってるのよ?」
「つい最近だけど。大分前から好きだったみたいだぜ」
「そっか……ああ、なるほどなあ」
言うと、みゆきは得心言った感じで頷いた。
「つまり、そんなことを話せるくらいに、あんた達は仲良いわけね。やましいことが無いとしても、それは勘違いするかも……」
「やましいことなんてあるわけ無いでしょ……つか、この話オフレコにしといてくださいね?」
よく考えてみたら、彼女らに教えてないんなら、藤木が勝手に言ってしまえることではない。一応、彼女は学校では良家のお嬢様で通っているし、何よりもあの兄貴の存在はインパクトがありすぎる……
早計だったかと藤木が後悔しつつも、聞かされた二人の方は、
「大丈夫、言わないわよ」
「ホントかなあ?」
「流石に私もそれくらいの分別はつくっての。信用なさい」
朝倉はともかく、会長の方は信用ならない……と思いつつも、どうしようもないからそれ以上は突っ込まなかった。
「にしても、そう言うことなら小町ちゃんにもちゃんと説明してあげたらどうなの」
「言う必要もないし、言う機会もなかったし」
「でも、あれだけ嫉妬されてたら、普通気づくでしょう」
「……いや、全然気づかんかった」
「藤木君、そんな鈍い子でもないよね……」
朝倉が言う。その言葉に少しムッとしたが、
「本当に気づかなかったんですよ。だって……」
藤木はその言葉をぐっと飲み込んだ。
何故って、彼女の方こそ……
小町の方こそ彼氏がいると言うのに……
どうして、自分の方が嫉妬されるいわれがあると言うのだ。分かるわけないだろう。自分はそんなモテキャラじゃないのだぞ。
朝倉と会長はまだグダグダと言っている。二人は多分、知らないのだ。恐らく、小町は言わないだろう。なのに、藤木が言うわけにもいくまい。
二人はまだワイワイと色々聞いてくる。
藤木はそれを適当に交わすと、頃合を見て席を立った。言えることはもうほとんどない。だから、適当にフォローしておくと言って席を立ち、パーティションから抜けて廊下へ出た。
少し言いすぎたかな? と言った塩梅の朝倉が、「またね」と声を掛けてきた。
「また」と返して藤木は歩き始めた。
胸の中はもやもやとしていた。しかし、それを発散する術を藤木は知らない。もう、何年も前からずっとそうだ。藤木は誰にも聞こえないように、小さな溜め息を吐いた。背後で二人が噂話に花を咲かせている。それ以上聞きたくなくて、藤木は歩を早めた。
と言うか、職員会議が終わるまでの暇つぶしにきたつもりだったのだが……
これからどうしようか。やはり電算機室に行こうか? しかし今、電算機室の鍵を借りようと思っても、職員会議の真っ最中で拒否られるのではなかろうか……
と、そんな風に、どうしたものかと頭を悩ませながら、階段手前の茶道部室の前に差し掛かった時であった。
バタン!
と音を立ててドアが開かれ、
ギュッ!
と腕をつかまれ、部屋の中へいきなり引きずり込まれた。蟻地獄か。
「ごきげんよう、藤木様」
あまりの出来事にぽかんと口を開いていたら、藤木を引きずり込んだ犯人がにこやかな笑みを浮かべつつ、いつものように芝居がかった挨拶をしてきた。
いや、あんた。ついさっき、あんたと自分の関係が疑われてたんだけど……こういうことしないで欲しい……
ドン引きしつつも、「ごきげんよう」と藤木は返事した。
「つか、一体何事ですか? 手馴れたレイプ犯みたいな早業で、全く反応できませんでしたよ」
「部室へ来たは良いものの、部員が誰も居らず……一人でお茶を飲んで暇をつぶしていたのですが、そうこうしていたら藤木様がやってきたのをお見かけしまして……あの、お願いがございます」
嫌な予感しかしないが、断る勇気も無いので聞くことにした。と言うか、断ってもこの様子じゃ、駄々をこねて大騒ぎをするはずだ。品川みゆきを呼び寄せてしまっては都合が悪い。
しかし、結論から言ってしまえば、そんな気を使うことなどしなきゃ良かったと後悔することになる。
何故なら白木は人差し指と中指の間に親指を刺しこんで、グッと藤木の顔の前に突き出し、
「私……したいのですわ!」
鼻の穴をでっかくしながら、そうのたまった。
聞かなきゃ良かった。