第87話「一年の喪に服す」
王都への帰路、一日したところまでアレス一行は同道していたが、そこで道を分かった。
「アレス」
別れ際にアンシは声をかけた。
「何だよ?」
「コウコのことを頼めませんか?」
「頼むってなにを?」
「あの子はあなたのことを愛しています」
「おいおい……」
アレスは小さく天を仰いだ。降り出しそうな曇天である。
「オレ言わなかったっけ、あいつに殺されかけたんだぞ」
「コウコ自身から聞きました」
「だったら、何で愛なんていう話になるんだよ。愛してるヤツを殺そうとするなんて、どんな屈折した愛だよ」
「そういうこともあります」
「そういうこともあるって言われてもなあ」
「コウコは、王室に囚われています。解放できるのはあなただけです」
アレスは、黒髪をガリガリとかいた。
「オレは誰にも何もしてやれない。自分のことだけで精一杯だよ。他人の人生を引き受けることなんてできないんだ」
「意気地無しですね……勇者なのに」
「意気地がどうとかって問題じゃないだろ」
「どうしてもですか?」
「コウコは自分のことは自分でやるさ」
「分かりました」
アンシは、アレスに身を寄せると、その頬に軽く口づけた。
「いくひさしくすこやかに、アレス」
「お前もな、アンシ」
そう言うと、アレスはきびすを返して、仲間の待つ馬車へと向かった。
一度も振り返ることはなく、それは確かにアレスらしかったけれど、
――ちょっとくらい名残惜しそうにしてくれてもいいのに……。
というのがアンシの真情だった。
しかし、そういうセンチメンタリズムは、自分の馬車に乗るまでに消しておかなければならなかった。王女がいつまでも町娘のように振る舞う様を見せていては、付き従ってくれる者に申し訳が立たない。
アレス達と別れ、再び馬車を走らせてから二日。
ルゼリアに到着した。
行きと違って、山賊には会わなかった。
アンシは、レニアとキュリアを、王女の親衛隊である竜勇士団に勧めた。二人とも、十分にその素養があると感じたのである。
レニアは畏まってそれを受けたが、キュリアの方は、
「わたしなんか、そったら畏れ多いこと……」
と恐縮したので、無理には命じなかった。竜勇士団は死と隣り合わせの職務である。その覚悟が無いものを入れれば、当人ばかりか、他の団員にも被害が及ぶ。キュリアは元々、宮中で女官を務めており、今回の御者に選ばれたのは、アンシの秘書的立場にあるグラジナの判断による。キュリアには再び、女官に戻ってもらうことにした。
「本当はあなたにも竜勇士団に入ってもらいたいのだけれど」
アンシは、サカレに言った。
しかし、彼女は第三位大臣ゴラの秘蔵っ子であるようなので、それはできなかった。
「お父様の元にいらっしゃい」
今回の件の礼を言ってから、三人と別れたアンシは、謁見の間に、第一位大臣、すなわち宰相であるグラディ卿を呼び出した。
「首尾はいかがでございましたか?」
グラディ卿の問いに、アンシは不首尾を伝えた上、自分の目で見たことを伝えた。
「ほお、なるほど、興味深いですな。ゴモンドラン教ですか」
その言葉通り、心底から面白そうな顔をするグラディ卿に、アンシは、
「卿、わたくしはこれより一年間、先王の喪に服します。この間の政務は一切を卿にお任せします。ケスチアの反乱の件とゴモンドラン教の件も含めてです」
言った。
「それを一年でですか、退屈しそうにありませんな」
「なによりです」
グラディ卿が去ったあと、アンシは玉座に座って、別れた仲間のことを考えた。
会うことは無いが、できる限り援助はできるように連絡をするよう各メンバーに伝えてある。
アンシは立ち上がると、玉座の後方にある壁高くに掲げられた鉞を見た。
鉞は、古代、戦を指揮するための道具であった。戦を指揮するのは王に他ならず、ゆえに鉞は王の象徴たる意味を持つ。
あの鉞を手にして戦を始めるのは一年後のこととなる。
しかし、実質的に既に戦いは始まっており、一年後にうまいスタートを切れるかどうかは、まさに今にかかっていると言ってよいであろう。
アンシは昼の明るさの中で、しばらく鉞を見つめていた。




