第85話「謝罪のとき」
「呆れた、それでただ帰って来たの?」
マナエルの容赦ない言葉に、アンシは、すみません、と素直に謝った。
みなのところに帰って事の次第を説明すると、まず彼女が声を上げたのだった。
「その場でラハルっていう人を倒して、さっさとケスチアを奪回してくれば良かったのに」
マナエルの言葉はもっともである。
しかし、アンシにはそれができなかった。
戦場で、正々堂々戦って、倒すというならともかく、執務室の中でこそこそとやり合うのは何か違うような気がしたのである。もちろん、ラハルへの情もある。
「自己満足じゃん、それは。ラハル一人をその場で倒さなかったことによって、もっと多くの人が死ぬことになるっていうのに」
マナエルは耳の痛い言葉を続けたあと、
「あたしだったらやってたな」
とどめを刺すようなことを言った。
確かにマナエルだったらやっていただろう。アンシもそれは認めるところだった。貴族階級ではないマナエルには、現実主義の強さがある。
「そんで、どうすんだよ、結局」
続いて、ゾウンが言った。
どうするもこうするも無かった。
「ルゼリアに戻ります」
「はあ?」
「わたくしは負けました。敗者は撤退するのみです」
「今からもう一回やればいいだろうが」
「やりません」
「ここまで遠足にでも来たのか、お前は」
「結果的にはそうなりますね」
「アホか」
「言葉もありません」
事はアンシ一人の手に負えるものではなくなったのだ。仮にケスチアをどうにかできたとしても、ナシャン少年言うところの、ゴモンドラン教の跋扈に対応することはできない。そちらの方が大事である。それを重臣に諮らなくてはならない。
「どうにもピンと来ませんねえ、暗黒教団を信奉する者がそれほどこの国にいるとは」
サイが会話を引き継いだ。
「教団の力は他国でも大したことはなく、それを国教にしている国は、わたしの知る限りではありません。それが、ヴァレンスでのみ、そこまで民衆に根を張っているとは。にわかには信じられない話です」
「ですので、早急な調査が必要です」
「信仰の話は面倒くさいことになりますよ、殿下」
「……分かっているつもりです」
「一つご忠告差し上げます」
「お願いします」
「やるなら徹底的にやることです」
「徹底的?」
「はい」
「……アドバイスとして承ります」
そこでアンシは、アレスに向き直った。
「ミナンへいらっしゃいませんか?」
「ミナン?」
「ええ」
「…………」
アンシはマナエルとゾウンとサイ、そしてラミのそれぞれに頭を下げた。
「わたくしの力ではみなさんをこの国におとめすることはできません。大変、申し訳なく思っています」
アンシは随分長い間、頭を上げなかった。
誰かが、上げて良し、と言うまで上げるつもりはなかった。
「王女って言っても名ばかりね、何の力も無い」
「無能だな、本当に」
「ですね。国を救った英雄を追い出そうとする。この国はもう長くはないかもしれませんね」
誰も「頭を上げろ」とは言わない。
それも当然のことだろう。「頭を上げろ」どころか、「その頭を胴体と離してやろうか」くらい言われても仕方が無いことをしている。
――申し訳ありません……。
アンシは心の中で詫びた。
目の前に誰かが立つのを見た。
小さな足がアンシの視界に入る。
「みんな、王女様をいじめちゃダメ!」
ラミの声である。
「王女様にだって色々事情があるんだよ。みんなは、勇者のパーティでしょ! 勇者は王女様を助けるんだからっ!」
ラミの言葉は、アンシの胸に温かく染みた。
しかし、既に、王女は勇者パーティによって助けられたあとなのである。そのパーティに礼をせずに、今また言うことに従えと言う。どんなわがまま姫だ、ということになってしまう。
いまだ、「頭を上げろ」という声は聞こえない。
アンシは地面を見続けた。




