第84話「奪われる心」
「やあやあ、奇遇だねえ」
ネクロマンサー(仮)の少年は、アンシとアレスの前に現れた。
街路の上である。
近くを市民が忙しげに行き交っており、立ち止まる三人には目もくれない。
「ラハルと会って来たの?」
少年はローブの下から手を出した。
ハッと警戒するアンシとアレスの前で、彼は、手に持っていた焼き菓子のようなものをパクパクと食べ始めた。
「食べる?」
そう言って食べかけの焼き菓子を差し出すようにする。
アンシは、ただでさえテンションがダウンしているこのときに、屈辱的な振る舞いをされて、思わず一歩前に出かけたところを、アレスに止められた。
「落ち着け」とアレス。
「無理です」
「無理をやるのが王女だろう」
「それは勇者の役回りです。王女とは勇者にかしづかれる存在です」
「それはキミには荷が重いな」
「努めます」
早速アンシは、アレスにネクロマンサー(仮)の対応を任せて、真の王女になるためのトレーニングを始めることにした。
王女の命をいただいた勇者は、一歩前に出た。
「それで?」
「それでって?」
少年がやたらと綺麗な声で言う。背格好からするとおそらく年上だが、まるで年下のような幼さがある。
「あんたは一体何者なんだよ?」
「あ、ちょっと待ってね……」
少年は手にした焼き菓子をングングと食べたのち、「水、持ってる?」とアレスに訊いた。
「……斬っていいか、こいつ」とアレス。
そんなことを聞くということは、斬る気はないというこである。本気で斬る気なら他人に訊くまでもなく斬っている。
「ボクはナシャン。闇の神ゴモンドランの僕です。どうぞ、よろしく」
そう言って、少年はアレスに近づくと、その手を差し出した。
アレスはその手をじっと見た。
焼き菓子のクズがついている。
アレスは無言で首を横に振った。
「で、そのシモベさんが、何の用でここにいるんだ?」
「あの、名前みたいになってるけど、ナシャンだからね、ボクの名前」
「このケスチアの乱にはどう関わってる?」
「最高の勝ち方を教えてあげようか、勇者殿?」
「はあ?」
「国宝を奪うことでも、領土を奪うことでも、民を奪うことでもない。心を奪うことが最高の勝ち方なんだ」
「……それで、ラハルっていうおっさんの心を奪って、この市を自分たちのものにしたのか、ゴモンドラン教団は?」
「あれ? 見た目ほどバカじゃないね。その通りだよ。闇の神ゴモンドランは、他の神を認めない。差し当たっては、大地の神を信奉する国をこの大陸から消すつもりさ。そのための第一歩がこのヴァレンスってことだよ。しょうもない国だからねえ、ここは」
「ケスチアを最初にしたのは?」
「たまたまだよ。これからヴァレンス各地で次々と乱が起こるだろうね」
すらすらすらと少年が言う。
アンシは愕然とする思いだった。
ゴモンドラン教に染まった者が、ヴァレンスの各地にはびこり、着々と蜂起の瞬間を狙っている。
「クヌプスは最後の一突きができなかったみたいだけれど、ボクたちは違うよ。甘くないからね」
少年の舌のなめらかさは異常である。
確信があるのだ。
もう何をどうしても止めることができないだろうという確信が。
「今のうちに、ゴモンドランを信奉した方がいいんじゃないのかなあ。王女が改宗して、国を丸ごと教団に投げ出せば、余計な争いも起こらないと思うけど」
「暗殺教団が何を言う!」
アンシは激昂した。
これほどの怒りを覚えたのはかつてないことである。
「そういう蔑称はやめてもらいたいなあ。大体、王女様だって、これまで大勢、人を殺しているじゃないか。クヌプスに従った多くの人民を殺したよねえ、いっぱい。密やかにちょこっとの人を殺すのは良くなくて、大っぴらにたくさんの人を殺すのは良いことなのかい?」
アンシが反論しようとする前に、
「主義主張が異なれば戦うしかない、さっきも言ったけれど」
アレスが言った。
「やる?」
少年は、両手を広げるようにした。
かかって来いというジェスチャーである。
キッと少年を見るアンシは、手をアレスに取られるのを感じた。
「ラハルはオレたちを市庁舎で捕えなかった。借りを返す」
アンシは素直にうなずいた。
「紳士だね」
「紳士なんだ」
「じゃあまた会えることを祈っているよ、勇者様と王女様」
アンシは、アレスに手を引かれる格好で歩き出した。
ナシャンの隣を通り過ぎるとき、彼の方は見ずに、まっすぐ前を見るようにした。
前方に何を期待すれば良いのか、アンシには分からない。
しかし、分からなければ探すのみである。
「それで? もういいだろ、手を放しても」
ナシャンからある程度離れた時、アレスが言ってその手を放そうとしたが、アンシは放そうとしなかった。
「もう少し手を引いてください」
「もう少しってどこまで?」
「みんなところに帰るまでです」
「絶対嫌だね」
街路を抜け、市門の外に出て、彼らが乗ってきた馬車に乗るまで、二人の手はつながれたままだった。




