第80話「リーダーの速やかな決断」
ネクロマンシーは、そもそも宗教上の儀式の為に編み出された法であると言う。
先王の霊を慰めるために、貴家の若い子女を殺し死者を躍らせるという儀式があり、そのための技法がネクロマンシーであった。この儀式は、古代、大陸中のどの国でも行われていたが、王から貴族へと主権が移るにつれ、また命に対する意識が高まるにつれて、次第に廃止され、それとともにネクロマンシーもすたれていった。
大陸の中で最も古法を重んずるヴァレンスでさえ、ネクロマンシーは既に失われた業である。王女のアンシでさえ、古文書でしかその存在を知らない。
よって、今、眼前に繰り広げられている情景が、ネクロマンシーによるものか分からないが、パッとアンシの頭に浮かんだのが、それであったのだった。
しかし、真正のそれではないのだろう。なにせ、今アレスとゾウンに向かって行っている兵士たちは死んでいないからだ。ただ気を失っているだけである。
「これ、どうすればいいんだよ、アンシ。やるのか?」
スローリーに近寄ってくる兵士たちを見ながら、アレスが訊く。
訊いておいて、アレスは斬りかかった。
訊く意味があるのだろうか、と思ったアンシだったが、とりあえず斬ってみてから考えるというやり方を許す力が、アレスの剣にあることは分かっていた。
アレスの剣にかかった兵士は、あっさりと倒れた。
倒れはしたが、しかし、すぐにむっくりと起き上がった。
アレスの顔に驚きの影が走る。
「そうだ、一つ教えておいてあげるよ、勇者様」
戦場に、少年の声がやたらと綺麗に響いた。
「そいつらは死なない限り止まらない。ただし、死んだら、ボクの魔法によって死人として生き返る。面倒だねー」
面倒だがそれはどうとでもなる、とアンシは思っている。
真に憂うべきは、そんなことではない。
今倒れ伏している兵士たちは、反乱を起こしたとはいえ、同胞であるには違いなく、アンシには同国人をできるだけ殺したくないという思いがある。だからこそ、殺さなくて済む呪文を使ったわけだった。それが殺さなくては止まらない兵士となって向かって来る。いや……見も知らぬ少年によって、向かわされてくるのである。
――……一体、彼は……。
「ボケっとしてんなよ、アンシ」
ゾウンが近づきながら言った。
少年に刺されて死んだ兵が向かって来ている。
ゾウンが自分を助けるために来たわけではないことを、アンシは知っていた。そういう、かばい合うような戦い方をしていたらとても生き残れない戦場を、アンシは踏んだことがある。その場にはゾウンもアレスもいた。アンシは守られる対象ではなく、戦力の一人として、その場にいたのである。
ゾウンの剣が一閃する。
その見事な一撃は、死体兵の首を飛ばした。
生者であれば死んでいるところである。
しかし、死者に二度目の死は無い。
首の無い兵は、無いままで、足取り確かに向かって来て、ゾウンに剣を振るった。
かわしたゾウンは、距離を取って、
「おいおい……マジかよ。薄気味悪いもん作っちまったぜ」
と嘆息した。
首無しの体が歩いている。
並みの精神であれば耐えられないほど気色の悪い情景だった。
「アンシ! 指示をよこせ! リーダーはお前だろう!」
アレスが、十人の生体兵の攻撃をかわしながら、声を上げた。
いつからわたしがリーダーになったのかしら、とアンシは思ったが、それはさておき、どうにも手づまりである。
「足でも落としてみるか、アンシ?」
ゾウンが訊く。
首が無くても歩けるが、足が無くては構造上歩くことはできない。いくら死体とは言っても、肉体上の基本的な理には従うはずだ。
しかし、アンシは首を横に振った。これ以上、死者を冒涜したくない。
手……というか、なすべきことはただ一つである。
すなわち、術者を倒す。
ネクロマンシー使いを倒せば、ネクロマンシーはやむ……かどうか、本当のところは分からないが、術者を倒せば術が効果を失うのは魔法の定石だった。。
幸い、彼は遠く離れた位置にいるわけではない。
十分にアンシの呪文の射程にある。
しかし、どうにもあまりいい予感がしない。これは単なる勘に過ぎないが、今、このタイミングで攻撃を仕掛けるのは危険である、と本能が告げている。
結局、アンシは、
「撤退!」
と、片手を上げた。
「えー、帰っちゃうのかあ。つまんないなあ」
間髪を入れず、少年が声を上げる。
アンシは、「アレス! 殿を!」と勇者に声を投げると、すっと少年に背を向けた。そうして、三人の侍女とズーマに向かって、
「出ますよ」
と声をかける。
「ヴァレンスの勇者パーティも大したことないんだなあ。拍子抜けしたよ」
敵の実態も分からないまま闇雲に戦うような行為は勇気とはいえない。勇気とは、もっと神聖なものである。
アンシは四人を伴うと、入ってきた門の穴から外に出た。
そのあとからゾウン、さらにアレスが続く。
王女への諫言のための反乱。
少なくともそんな牧歌的なものではなさそうであるということを、アンシは知った。