第71話「反乱の火の手」
王が死んだ。
悲しみに浸ることができないのが王女の悲しさである。
第一王位継承者としてアンシは、王の死に関する諸事を取り仕切らなければならない。
葬儀、周辺諸国への通達の使者派遣、弔問客への対応など、もちろん、大臣たちの助けはあったにせよ、せわしないことこの上なく、父王の死を悼む心の余裕は無かった。
アンシとしてはその方が良かったかもしれない。
忙しさに紛れて、悲しみを感じずに済んだ。
その分、コウコが泣いた。
アンシは、涙の海に溺れそうな姉を慰めることによって、自分の悲しみを紛らわすことができた。
王自身の遺言により、葬儀はかなり簡略化されたものになった。
殉死は禁じられ、副葬品も入れないようにいう指示だった。
国事多難のおり、喪に服す期間も通常の一年ではなく、三カ月にせよとの遺言もあったが、
「それはいかに先王のご遺言であれ、従うことはできません」
と、アンシは聞き入れなかった。
「父を追慕する期間が三カ月では、周辺諸国から親不孝のそしりを免れないでしょう」
そう言ってアンシは、できる限り早く、喪を空けて即位するようにという大臣たちの嘆願を退けた。
しかし、それだけではない。
アンシの頭にはある企画があり、それを行うには三カ月では少なかったということである。
喪中は、政務を執らなくて良い。大臣に任せることができる。これを利用して、この猶予期間になすべきことが、アンシにはあったのである。
それは、ヴァレンスを救うという大事だった。
現在、ヴァレンスは、先王が危惧していた通り、危機的な状況にある。
その状況に対するには、思い切った改革か、それとも諦めるか、二つに一つ。
アンシは、もちろん諦めるつもりなどなかった。
それでは、地下の先王に申し訳が立たない。
すると改革するしかないわけで、これは既に先王が存命中から密かに考えていたことである。そうして、そのためには、いま少し時間が必要であったのだった。
「もうそろそろ行くね」
先王が逝去してから、一週間が経った頃、コウコが言った。
アンシは手紙を差し出した。
「これは?」
「ミナンヘの経路が書かれてあります。ここを通って行けば、安全です」
「分かった」
「……コウコ」
「ん?」
「わたくしのことはどうかお気になさらないでください」
「どういうこと?」
「お戻りにならなくても、お恨みしません」
コウコの手がアンシの額へと伸び、指でそのおでこを弾いた。
「痛いです」
「わたしは戻ってくるよ」
「それでは、玉座におつきになりませんか?」
「わたしは、十四年前に死んだの。死人が女王になることはできないわ」
「…………」
「そんな顔しないで、折角の美人が台無しだよ」
「まあ……」
「アレスの真似」
「誰にでもそういうことを言うところが憎らしいところです」
「そうね」
「では、どうか道中お気をつけて」
「うん」
姉が去るのを、アンシは見送った。
姉のことが気がかりだった。宮中とはほど遠い市井で育ちながら、いやもしかしたら、だからこそと言うべきか、コウコはヴァレンス王室に格別の想い入れがある。何よりも大切に思っている節がある。アンシとアレスを結婚させないようにしていることも、その想いの一だった。
コウコにはもっと自由に生きてもらいたい、とアンシは思っている。王室にとらわれるのは自分だけで十分である。彼女を解放してくれるかもしれない、と、ある少年に希望を託したわけだけれど、どうにも期待外れのようだった。とはいえ、人に救ってもらえるような悩みは本当の悩みではない。コウコが解放されなかったのは当然であるかもしれない。
アンシはグラジナを呼んだ。
この忠実な女官は、主人に言われていたことは全てこなしたと答えた。
「ありがとう。あなたがいなくては何もできないわ」
「恐縮です」
「いけにえの件は?」
「竜勇士団に既に命じてあります」
いけにえ、とは、先王の御霊を鎮めるための供物になる人のことであり、先王が特に恨んでいると考えられる人間のことである。それを殺し、その名を霊前に告げることによって、鎮魂の儀とするのだった。アンシは、反乱軍を率いていたクヌプスの一族をいけにえにすることにした。そうして、生死を問わずとらえるよう命じた。これには、今述べたとおり宗教上の意味の他に、更なる反乱の芽を摘むためという意味もある。
竜勇士団というのは、王直属の近衛兵のことである。身分の別を問わず実力のみで選抜された王の部隊であり、父の遺産であった。アンシは、竜勇士団に、クヌプスの血に連なるものの粛清を命じた。
「お疲れのご様子ですが、殿下」
グラジナが心配の声を上げた。
「いいえ、大丈夫です」
「今日はお休みになったらいかがでしょう」
「そうね、そうさせてもらうわ」
その日、アンシは夢を見なかった。
翌朝、グラジナの切迫した声で、目が覚めた。
「ケスチアで反乱が起きました、殿下」
アンシは床から跳ね起きた。
「反乱?」
「はい。先ほど、ケスチアから落ちのびた兵が参りました」
「会います」
「既に待機させております」
アンシは、夜のものから朝のものへと、衣服を改めた。