第70話「王の死」
今から十四年前、ヴァレンスの離宮で産声が上がった。
王の子が誕生したのである。
待望の子であった。
現王の御代になってから、最も祝われるべきその瞬間に、しかし、子を取り上げた産婆は眉を顰めた。
子は双子であった。
一度の出産で、二人の子が産まれる。
それは自然に反する出来事であり不吉とされる。古い時代には、どちらか一方の子を殺すのが定法だった。現在では、殺しまではしないものの、一方の子は家から出してしまうのが慣習になっていた。それは、王の家でも変わらない。
産婆を務めた女官は、無事な出産を祈っていた王に、双子が生まれたことを告げた。
「女御子でございます」
玉室の王は、王女の誕生に喜びの声を上げたが、それが双子であったことには喜色を改めた。
「……本来ならば、喜びが倍になるはずなのだがな」
どちらかは王宮から出さなければならない。この慣習は王の力を以ってしてもゆるがせにはできなかった。いや、むしろ、王だからこそできないと言えよう。王だからということで慣習を破れば、国民に示しがつかない。
また、実質的な問題もある。
王位の継承者の席次を定めなければならないときに、王との血が最も濃い者から、濃さが同じである場合は、普通は年の順にそれを決めるわけであるが、双子であると、どちらかに決める基準が無いことになる。継承者の順位を決められないということは、君主国家の存立を危うくする事態だった。
「さて……」
王は、二人の女児の様子を女官に尋ねた。
血が汚れであるという考え方があるヴァレンスでは、王は直接、出産の場に立ち入ることはできない。
「おひとかたは、火がついたようにお泣きです。もうおひとかたは、まったくお泣きになりません」
「……分かった」
王は、泣いている方の子どもを、王都の外に出すことにした。より生命力がありそうな子が、外の暮らしにより耐え得るだろうという判断である。
二人の子を産んだ王妃は、産後の肥立ちが悪く、ほどなくして亡くなった。
王は、外に出す子に「コウコ」という名前を与え、重臣の一人にその養育を頼んだ。これは、ヴァレンス王宮の秘中の秘であり、知る者はほとんどいなかった。
アンシは、自分に、数分早く産まれた姉がいることは知らずに育ったわけだが、それがクヌプスの反乱の時に明らかになった。しかし、それはまた別の話。
姉の存在が明らかになったときほど嬉しかったことは、アンシには無かった。
その姉とともに、アンシは今、王の御前にいた。
お召しがあったのである。
昼下がりの玉室で、王は肘掛椅子に座っていた。
死に至る病で体はやせ細り、まるで枯れ木のようになっているが、目と口元にはユーモアの色のある微笑みが見える。
「お休みになってなくてよろしいのですか」
アンシが近くから声をかけた。
「今日は妙に気分が良くてな。どうやら、お前たち二人に別れを告げる時間を、地の神がくださったようだ」
そう言って、王は、軽くウインクしてみせた。
「そんな気弱なこと言わないで」
コウコが膝を床につけると肘掛にすがりつくようにして言った。
王は娘の赤い髪を撫でた。
「コウコ、お前にはどれほど詫びても足りない」
「わたしは幸せです。詫びてもらう必要なんて……」
「信じてもらいたいのは、お前のことを一日たりとも忘れたことは無かったということだ」
「信じます」
「ありがとう」
王の言葉は、王妃亡きあと、新たな妃をめとらなかったことを以って証明されているとアンシは思う。子の母を愛するということが、子を愛するということにつながっている。
王はもう一人の娘に目を向けた。
「アンシ」
「はい、お父様」
「この国は死に瀕している」
「存知あげております」
「お前次第だ」
「微力ですが、国の為に尽くします」
王は、ふふ、と静かに笑うと、二人の娘に目を向けて、
「美しいな、お前たちは。あれの若い時にそっくりだ。お前たちの上に、幾億の幸福な日月がのぼらんことを」
言うと、それで体力を使い切ったかのように目を閉じた。
「もう行きなさい、二人とも」
そう言われても肘掛から中々身を離そうとしないコウコを、アンシは優しく促した。
二人は一礼して、玉室を去った。
廊下でコウコは、うう、と泣き崩れた。
「……何とかして、治らないの?」
もう何度聞いたか分からない言葉を聞いたアンシは、もう何度言ったか分からない言葉を繰り返した。
「地に召されるときが来たのです」
涙を流さないアンシは、もう流し尽くしたと言うべきである。
「お父さんなのに……わたしのお父さんなのに……」
「ええ、そうですね、コウコ。あなたのお父様は大変立派な方です。だから、わたしたちも立派に生きなければいけません」
そう言ってアンシが姉の頭を撫でると、コウコが抱きついてきた。
アンシは、抱きしめ返した。
柔らかな昼の光の下で、しばらく二つの影が一つに重なっていた。
それから三日後にヴァレンス王は亡くなった。
安らかな最期であった。




