第67話「逆襲の王女」
その日、グラディ卿は屋敷の庭内で、安逸な午後を過ごしていた。
政務がない日……というのは、グラディ卿には無い。引退しない限り、年中無休である。なので、休みは自主的、意識的に取るしかない。
白いテーブルに、ティセット。
相伴してくれる者はいない。
グラディ卿は椅子の背にもたれかかりながら、見上げた青空の向こうに、末娘を想った。
すると、生き生きとした少女の姿が浮かんで、さっと消えた。
グラディ卿は微笑した。そうして、今度はその末娘の世話役を引き受けてくれた娘のことを想った。
「ユーフェイ……」
末娘が元気でいる代わりに、疲労を濃くしているであろう少女に、グラディは心の中で詫びた。
微風に、庭木がかすかに揺れる。
さくっ、と後ろから聞こえてきた芝を踏みしだく音に、グラディはさすがにどきりとした。
――なにヤツ?
と振り向いてしまいたい気持ちをどうにか抑えて、カップに指を持っていくと、次の瞬間、背筋が震えた。
恐ろしいほど濃密な殺気を感じたのである。
それほどの殺気を感じたのは、グラディ卿の長い人生の中でも、二度しかない。その一人が、剣聖ミカゼ。もう一人が、魔王クヌプス。
「ごきげんよう、宰相」
音楽的な響きである。
カップをソーサーに置いたあと、声に応じる形でグラディが振り返ると、そこにはマント姿の小柄がある。フードで顔を隠しているので姿は分からないものの、声には聞き覚えがあった。
「殿下……であらせられますか」
グラディは席を立った。
影は、フードに手をかけると、それを脱いで、赤い髪をあふれさせた。
ヴァレンス王女アンシ・テラ・ファリアがそこにいた。
グラディの心胆は寒くなった。
どこからここに至ったにせよ、見張りの兵がいたはずである。
「このようなところから、失礼しますよ、卿」
アンシは再びフードをかぶるとテーブルについた。グラディにもつくように言う。
「お話に参りました、卿。この頃、満足にお話もしていませんでしたので」
確かに話はしていない。というより、王女の玉体は常に宮中の奥深くにあり、そもそも会うのも一苦労である。
「陛下のお加減はいかがですか」
「小康状態というところでしょうか」
「そうですか……」
ヴァレンス王の命は風前のともしびだった。それは分かっていた。しかし、分かっていても確かめざるを得ないことがある。
「わたくしにはあなたという方が分かりません」
「とおっしゃいますと」
「父王のことを疎んじながら、そのような悲しい顔をなさる。その辺りの心の機微が」
「殿下……陛下は、お恐れながら、良き敵でいらっしゃいましたので」
グラディは言った。「ました」という過去形を使わなければならないところが悲しかった。
「なるほど」
「それで、殿下、お話とは」
王女の用件に興味のあるグラディである。
アンシは、懐から封書を取り出すと、ぽいっとテーブルのまんなかに投げた。
「これは……」
グラディは書面の一通の中を改めると、一驚した。
中には、グラディとの交誼を改める、という内容が書かれていた。
出したのは、ヴァレンス周辺諸国の大臣位にある者である。
グラディは、ヴァレンスと国境を接している国の大臣とは友好関係にある。お互いに助け合う仲だ。仮に、国同士が戦い合っていても、相互の大臣同士は横でつながっている。それは、グラディに限ることではなく、どの国の大臣も同じだった。
そのつながりを切るという内容の絶縁状。何をしたかは分からないが、それが王女の工作であるとすれば、
「お見事です、殿下」
と言わざるを得ない。
「ありがとう、グラディ卿。それで?」
「それで、とは?」
「あなたのゲームをこれ以上、続けますか?」
「ゲームとおっしゃいますか」
「もしも真剣にやってるとおっしゃるなら、滑稽極まりないですね」
「…………」
「わたくしも、あまり気が長い方ではないのですよ、卿」
少女は続けて言った。
その瞳がすっと細まって、危険な光が溜まる
「その上、婚儀の相手と友を失っていらいらしております」
「分かりました。ゲームオーバーといたしましょう、殿下」
「よかった」
「しかし、これだけは申しておきましょう。殿下。勇者パーティの抹殺については、わたしだけの考えではないということを。姉君の意志が確かに通っています」
アンシは、席を立った。
「そちらはアレスがうまくやるでしょう」
「信頼していらっしゃる」
「さあ、どうでしょうか」
「……いいでしょう。しかし、殿下、もしも殿下がこの国の真の王におなりにならないときは、どうぞ、ご覚悟を」
グラディは、しっかりと王女の目を見据えていった。
アンシは、その目を見返すと、
「もしそうしなければあなたが、わたくしを殺す?」
訊く。
グラディはゆっくりと首を横に振った。
「いえ、このヴァレンスという国が殺すのです。第二、第三のクヌプスを生んで」
「……肝に銘じておきましょう」
グラディは、王女の後ろ姿を見送った。
ようやく人心地ついたところ、グラディは肩で息をしている自分を感じた。




