第6話「勇者の奥の手」
ぎゅっと柄を握りながら、アレスは古い魔法の言葉を唱えた。
「『左の手と右の手を以って貫く木を取り外す……開け!』」
それは、背の剣の封印を解く呪文である。剣には魔法の錠がかけられており、鍵となる呪文を唱えないと、鞘から抜けないようになっている。そのように使用者を制限するということは、それだけ強力な力を秘めているということである。
背から引き抜かれた剣は、さびついてでもいるかのような汚れた赤色をしていた。刀身の中央には、古の言葉が刻み込まれている。何かをかたどったかのような象形文字だ。今はもう使われていないむかしむかしの文字である。
剣は、魔法の力を帯びた強力なものであり、魔王クヌプスとの戦いで使用された武器だった。この剣のおかげで勝てたと言えばそれはさすがに自分と仲間の力を卑しめることになるけれど、この剣の力が、勝利のための一助になったことは事実である。
そんな凶器を、仲間だと思っていた、しかも女の子に向けなければいけないとは! アレスにはやり切れない情があるが、しかし、やり切るしかないのが今の彼の立場である。
ここからただ逃げることはできない。逃げれば当然コウコは追いかけて来るだろう。どこまでもどこまでも。それは、アレスが逃げ込む先、すなわち仲間の所まで暗殺者を連れていくということに他ならない。
戦うしかないのである。
かと言ってアレスには、コウコと血みどろの殺し合いをする気はやはり無い。
しかし、そもそも殺しまでする必要は無いのである。
要は彼女を戦闘不能状態にして追って来させなければいいわけで、それは普通は、殺すことよりも難しくなるわけだけれど、背中の剣ならそういうことが簡単に……とはいかないまでも、かなり確実にできるはずだとアレスは踏んでいた。
アレスは通常、呪文を使うことはできないが、この剣の力を借りれば使うことができる。その魔法で、コウコを制するというのがアレスが考えたことだった。ちょうどいい感じの捕獲用魔法がある。
――ただ一つ、問題があるんだけど……
アレスは、コウコを見据えながら呪文を唱えた。そうして、拳大の魔法の雷球を宙に出現させた。触れるとビリビリっとして、体を麻痺させる効果がある。非常に便利極まりないものなのだけれど、ここで一つ問題が発生する。
というのも、発生した雷球は一つではなく、二つでも三つでもなく、数十個はあるからだ。一個でも十分に成人男性を昏倒させられるところそんなに当てたら、ショック死してしまうだろう。
アレスの剣は、城門をぶちこわしたり大地を割ったりと、派手なことは得手なのだけれど、ちょこまかとしたことは不得手である。
満天の星のようになって現れた雷球を周囲に感じながら、アレスは、はたして剣で斬り合うよりもマシなのかどうか自信が持てなくなった。なので、自分の判断を信頼する代わりにコウコの実力を信頼することにした。
――上手く避けて、一二個だけ当たってくれ!
アレスが剣先をコウコに向けると、雷球が豪雨のようにコウコに降り注いだ。その豪雨に少しだけ濡れることを期待するのだから、アレスのコウコへの信頼は大層なものであると言える。
そのコウコが立ち止まっているのを見て、アレスは眉をひそめた。
少女は相変わらず刀をゆるやかに構えたまま、微動だにする様子がない。このままでは、雷ボールに滅多打ちになってしまうにも関わらず。
「『……弾け』」
アレスの耳が、コウコの声をとらえた。
それは先ほど自分が唱えたのと同種の言葉だった。
呪文である。
太古の言葉に応じてコウコの刀が鈍い光を放つ。向かい来る数十の雷球を見据える彼女の瞳は澄みきっている。
大きく振り下ろされた刀は、続いて振り上げられた。それはぞんざいな一振りのように見えたけれど、彼女に向かって当たるハズだった魔法のボールは、綺麗に消失し、あるいは弾き宙や地に散らした。
「げえ、まじかよっ!」
アレスはまともに驚いた声を上げた。
事が終わったのち、コウコは事が始まる前と変わらぬ静けさの中にいた。
数十のビリビリ弾は、彼女にかすり傷一つ与えていないようである。
アレスが驚いているその虚をつく格好で、コウコが飛び込んだ。
しかし、アレスに虚は無い。声は上げても、心は明鏡止水、澄みきっている。
振られたコウコの剣を受け止めて、弾き返す。
「強すぎだろ! ふざけんな!」
そうして、距離を取る。
コウコの剣術はちまちま振るようなものではなく、一撃必殺を旨としているようで、連続して振られることがあまりない。その場にとどまるコウコに、
「てか、オレより強くねえ? お前が勇者になれば良かったのに!」
アレスは本心から言った。
そうして、無視された。
ターゲットと会話を楽しむ趣味はあちらには無いらしい。
「さて。盛り上がって来たな」
ズーマが心底楽しそうな声を出すのを、アレスは心底から憎いと思った。