第5話「覚悟は瞬時に決めろ」
必要が無くなったから捨てる。
不用品扱いされたアレスの上から、
「しかし、アンシの意志ではないな、おそらく。君の独断か、コウコ。それとも、ヴァレンス上層部の意志か」
ズーマが続けた。
アンシというのは、かしこくもヴァレンス王女の御名である。それを呼び捨てにして口に出せるということが、ズーマの怖いもの知らずの一端を表していた。そうして、おそらくはズーマに怖いものなど皆無であろうということを、アレスは知っている。
ズーマの問いにコウコは答えない。彼女はただ、アレスを見つめるだけである。
王女の意志ではないだろう、とアレスも思う。というのも、仮に王女の意志であったとしたら、この事態は拙劣に過ぎるからだ。
――もしもオレを殺したいとしたら……。
そんな想像を平然とできるところが、アレスがいかに冷静であるかを物語っている。想像はできるが、いい気分でないことはもちろんである。
想像の結果は、もしも王女が自分を殺したいとしたら、何食わぬ顔で王宮に呼び寄せて、そこで捕殺するだろうというものだった。それが一番簡単である。アレスは、のこのこと王女の御前でかしこまった自分が、武装した兵に周囲を固められる図を思い描いて、ぞっとした。そういう可能性を今の今まで一度も考えなかった自分の迂闊さに腹が立ったが、凱旋した勇者が王女によって捕えられる可能性を考えろなどというのは無茶苦茶であって、アレスは誰からも非難されることはないだろう。
王女の意志でないとしたら、誰の意志か。
アレスは一応コウコに尋ねてみたが、答えは返って来なかった。
返されたのは氷のように冷たい視線だけである。
まるで、その視線でもってアレスを突き殺そうとでもいうかのような鋭さだった。
アレスは、同じ見つめられるにしても、恋するまなざしで見つめられたいもんだと切実に思った。
「で、どうするんだ、アレス。大人しく殺されてやるのか?」
ズーマの声は、大きく張り上げているわけでもないのに、やたらとよく響く。
「魔王を倒したってのに、仲間に殺されてたまるかっ!」
アレスは強い声で答えた。
声は強く張り上げたものの、これはなかなかに不利な勝負である。
殺意を抱いてかかってきた者を「仲間」と呼ぶところにアレスの甘さがあり、しかもそれが女の子であるということになると、
「女の子はガラス細工のように繊細! 取り扱い厳重注意!」
との教育を師や姉弟子から嫌というほど受けてきたので、自然と、女の子に対する時にはソフトになってしまうのである。
それでも実力差に大きな開きがあれば別であろうけれど、目前の少女が自分と同程度の実力を持っていることをアレスは知っていた。そうして、同レベルの人間を抜き身の剣で傷つけず制すなどということはまずもって無理。
――とすれば、なすべきことは一つしかない!
アレスは決断の男である。
彼が速攻で決めた作戦とは、
「三十六計逃ぐるに如かず」
アレスが唯一覚えている兵法だった。
つまり、すたこらさっさーと逃走するのである。
――いやいや、てか、ちょっと待てよ……。
どこへ逃げようかと考えて、当然仲間の元であるという結論に達した時、そこから想到した事態にアレスは慄然とした。そうして、自分一個のことなどよりもまずその点に思い至らなかった不明を深く恥じた。全く心乱れていないように思われてちょっとは慌てていたのか、あるいは単なるアホか。後者だとは思いたくないアレスである。
思いついたことを確かめようとする前に、少女によって突きつけられている刃のその先が不意に大きくなった。
コウコの突き。
アレスはのど元へと伸びあがるようにして向かってきた剣の切っ先をかわした。かわしたけれど、首の皮がこそぎとられたような気がする。アレスは、交わしざまに切りつけたい気持ちでいっぱいだったが、どうにかこうにかそれを押さえて地を蹴った。
距離を十分に取ってから、アレスが訊く。
「おい、コウコ! 刺客はオレにだけか。それとも、スタフォロンにも送ったのか?」
魔王を倒したメンバーはアレスだけではない。勇者は一人ではなく、パーティなのだ。確かにアレスは中心人物であるけれど、だからと言って他のメンバーは軽視されてしまうような小さな存在では全然無かった。客観的にも、アレスの心情的にもである。
不要になった猟犬は他にもいるのだ。
とすれば、そちらにもコウコ的な人物が送り込まれている可能性がある。
やすやすとやられるような可愛い仲間では全然無いが、今は手負いの身である。いつもなら万が一の可能性も今なら万が百くらいになっているかもしれない。
「これから死にゆく者に教えても仕方がない」
それがコウコの答えである。
アレスは、なるほどそれもそうだな、と思った。
そうして、自分の感傷と仲間の命を天秤にかけた。
後者の皿がすぐに傾く。
アレスは、覚悟を据えると、持っている剣をポイっと捨てた。
コウコが怪訝な様子を見せたかどうかは、アレスには分からない。
剣をなくしたアレスの手が、自分の背に回り、もう一つの剣の柄を握った。