第49話「振りかかる火の粉を振り払う炎」
「『厳しく火を重ね――』」
呪文の完成を待っていても何もいいことはない。
影二つが瞬時に動いたのはいい判断である。
しかし、ユーフェイは、後方に跳びつつ、すぐに呪文を完成させた。難しい呪文ではない。
「『――人が帯ぶる所の兵と為せ……炎剣』」
鎖分銅が空を走る。
ユーフェイは、剣に蛇のように鎖がからまるのを見た。
ギュッと引っ張られるようにするのに耐えながら、その場に立つユーフェイに、短剣が迫る。
それは必殺のタイミングであったろう。
分銅に動きを封じられた少女。その脇腹に白刃が突き刺される図が、影二人の脳裏に描かれたに違いない。
しかし――
短剣使いの足が止まる。
ひゅうん、という鋭い風切り音とともに、何か危険なものが迫るのを感じたのである。
音は剣が空を斬るものだった。
短剣使いがもう少し突っ込んでいたら首の付け根にヒットしていただろうその凶器は、短剣使いの胸のその前の空間を切り裂いたのみである。それに安堵する気持ちよりも、訝しがる気持ちの方が短剣使いにとっては大きかった。一体自分に向かって何を振られたのかという話だ。敵の武器は相棒がからめとっているはずである。
答えはすぐに出た。
出たが、その答えはすぐに別の疑問を生んだ。
目前に剣を構える少女の姿があり、少女の持つ剣から炎が噴き出している。
そうとしか見えない。燃え上がる火炎が細身の剣を覆うようにしてゆらめいていた。
その剣にからみついていた仲間の鎖は無く、それは彼女のいるあたりの草むらに焼き切られるようにして残骸として転がっているのだが、そこまでは見えない。
あの剣は何だ、という疑問を抱いた瞬間、胸に軽い痛みを感じた。当たらなかったはずの剣に、かすかに斬られていたのである。しかし、薄皮一枚、大したダメージではない。だが、次の瞬間、胸元から、ボオッという音とともに、突然火炎が上がった。
短剣使いは、ううっ、と呻きながら後ずさった。
その火炎は、短剣使いの胸より上を焼かんとするような勢いで燃え上がる。
短剣使いは火に包まれながらその場に倒れると地面をゴロゴロと転がった。
それを見届けたユーフェイは、もう一人に向かって、疾走した。
何度も言うが、ユーフェイの武器は突き専門である。刃はついているがそれは突き刺しやすくするためであり、けして斬るためのものではない。なので、突き以外の動作で使っても大したダメージを与えられない。しかし、彼女はその剣を縦一文字に振り下ろした。分銅がなくなった分銅使いはそれをかわしたが、ユーフェイは連続して剣を振る。突き専門の細身の剣は軽く、いくら振っても疲れない。その上、速い。何振りかしたときに、その剣身が分銅使い(分銅無し)をとらえた。横に払った一撃であり、相手の胴にヒット。
通常であれば、多少の怪我は負うものの命に至るはずのものではないその一撃から、火炎が生まれ、あっという間に、分銅使いの上半身は炎に包まれた。
ユーフェイの剣は、魔法の力を与えられた特殊な武器であった。「魔法剣」と呼ばれる武器の一種である。
人の肉の焼ける嫌な臭いが漂って来る。
ユーフェイは顔をしかめた。
火炎に包まれた二人は何とか火を消そうと、その装束を脱いだり、地面に体をなすりつけたりしている。
しかし、火はなかなか消えず、恐怖と苦痛が続く。
ユーフェイは、二人に向かって、
「それは魔法の炎だ。わたしが消そうとしない限り、消えはしない。貴様らの素姓とここにいた目的を話せば消してやる。そうしなければ死ぬぞ」
冷然とした声を出した。
それには一部ウソがある。実は、ユーフェイのアクションを待たなくても、火はいずれ消える。ただし、消そうと思えば消せるのは事実であり、その事実は脅しをかけるのに役に立つ。
「わ、分かった。消してくれ、話す」
一人が言った。
「話が先だ」
ユーフェイが言うと、
「我々はエグザム卿に遣わされたものだ」
という答えを得た。
「目的は?」
「リマリ嬢の誘拐」
「お前たちの後ろの木立に隠れているのは誰だ?」
「なんのことだ?」
「『骨に連なりたる肉よ、水の勢いにて……消えよ』」
ユーフェイが呪文を唱えると、彼女の剣と二人の誘拐未遂犯の体から炎が消えた。
ユーフェイは、馬車に目を向けた。
特段の異常は起こっていないことを確認する。
――この二人は偵察部隊か……。
この地で誘拐をしようとしたわけではないようだ。それにしては実行力がお粗末すぎる。
炎に蝕まれた体を地に沈める二人にユーフェイは、
「誘拐はやめるようチームを説得しろ。次に向かってきた者たちは命を取る」
そう言って、立ち去るように告げた。
火炎によって精神的・肉体的ダメージを受けた二人だったが、何とか立ち上がるとよろよろと歩き出した。
――さて……。
ユーフェイは、件の木立に目を向けた。
気配は相変わらず存在する。さきの二人が知らなかった様子から連れではないようだが。
「いるのは分かってる。燃やされたくなかったら出て来い」
ユーフェイは木立に向かって声をかけた。