第48話「ボンラ到着数時間前」
前方に鋭い気が立っているのを感じたのは、ボンラまであと幾時間もないときのことだった。
御者台にいたユーフェイは、馬車を停めるよう御者に命じた。
勘としか言いようのない感覚である。
このまま進んでいくと街道沿いの少し離れたところに木立があるのだが、そこに何かがいる。
いるような気がする。
ユーフェイの指示に応じ、御者は素直に馬を停めた。
この一団のリーダーがユーフェイであることは心得ているのである。
それに応じて、他の四台の馬車も動きを停めた。
馬車には、四五人の警護の者がついており、総勢二十名ほどがリマリの守りについていることになる。みな、それなりに腕が立つ者たちだ。しかし、あくまでそれは「それなりに」であり、自分以上ではないことをユーフェイは知っている。それは己への過信ではなく、単なる客観的な事実である。
「どうしたの? ユーフェイ」
停車したことに対していぶかしんだリマリが、客車から顔を出す。
「それを今から確かめて来ます。しばらくお待ちを」
リマリの元を離れたくはないが、かと言って、他の者を偵察にやるのは心もとない。その心もとなさも勘でしかないのだが、戦場での己の勘には頼るべきものを感じているユーフェイである。
――戦場……。戦場なのか……?
きょとんとした顔のリマリを残し、ユーフェイは馬車を降りると、御者に向かって、
「みなに、密集隊形を取りリマリ様をお守りする態勢を取るように、言え」
と言い残すと、歩き出した。
単なる盗賊・野獣の類か、それとも……。
グラディ卿には政敵が多い。そちらの方かもしれない。だとしたら、もうじき目的地に到着するであろうホッとしているこのときに仕掛けてくるのは中々見事であると言わざるを得ず、そういう用意周到さはイコール、卿への敵対心の強さを表している。
――エグザム卿あたりか……。
ユーフェイは、グラディ卿の次席である第二位大臣の姿を思い浮かべた。
五人の大臣同士は熾烈な権力争いを繰り広げているが、中でも特に第一位と第二位の二人の争いは水面下で激しくバチバチしていた。
街道を外れ、木立に近づくにつれ、嫌な気が大きくなる。
やはり何かいるのだ。確実に。
ユーフェイは膝あたりまで生い茂った夏草を踏み分けながら、木立へ迫った。
不意にざわわっと草が鳴って、青空に影が舞った。人影である。
ユーフェイは、地を蹴って横に少し跳んだ。
人影は二つ。どちらも、ユーフェイがいた場所へ降り立った。
背を丸めた人影は大地に溶けるような緑と茶の色の衣を身につけており、手にはそれぞれ短刀をきらめかせている。
「何者か!」
などという問いを、ユーフェイは発したりしなかった。誰何している瞬間に襲いかかられる危険が多分にある。互いに口上を述べあってからおもむろに戦いを始めるなどというのは、上古の、まだ戦場に雅味があった頃の話でしかない。
ユーフェイは腰に帯びていた剣を抜いた。
細身の剣である。刀身の刃が波打つようになっており、持ち手付近に繊細な装飾が施されている。
フランベルジェと呼ばれる武器である。
影の一つが短刀を逆手にして迫る。
もう一つは、どこから取り出したのか、鎖のようなものをひゅんひゅんと回している。鎖の先にはおもりとなる分銅がついているようだ。
ユーフェイは、短刀の突進をかわし、かわしざまに突きを放った。
フランベルジェの主な用途は突きである。
影はユーフェイの一突きを横にかわした。
次の瞬間、前方から宙を一直線に飛んでくる黒い紐状のものがあって、ユーフェイはそれをかわすために跳躍した。
跳躍した地点に、今度は短刀が迫る。
鋭くコンパクトに振られる短刀を、ユーフェイはかわしたが、上着の裾のあたりを少し切り裂かれたようだ。これだから新しくおろした服は中々着られない。
鎖分銅が空を裂く。
ユーフェイがかわす。
さらに動こうとしたユーフェイは、なにかにぐいっと引っ張られる感触を感じた。
かわしたはずの分銅がユーフェイの剣にからみつき、分銅使いがユーフェイの動きを止めようとしているのである。
そこへ短刀が三度迫る。
なかなかのコンビネーションである。
――手ごわい……。
しかし、そんなことを考えられるユーフェイにはまだ余裕があると言える。
分銅使いとの距離を縮める方向に短刀を避けたユーフェイは、そのまま分銅使いの元へと走り、鎖にからまったままの状態で突きを放った。突きは相手の首もとへと向かったが、それは首の皮を一筋切り取るだけで、かわされた。しかし、その拍子にからまれた鎖は外れた。
後ろから迫る殺気を帯びた気配に、ユーフェイは横に跳んだ。
短刀使いの攻撃をかわしたユーフェイは、二つの影にはさまれる格好になった。
ひゅんひゅんという風切り音が左から聞こえ、右からは短刀使いがじりじりと迫るのが分かる。
しかもまだ木立から立ちこめる妖しげな気は消えていない。
つまりユーフェイが感じたのはこの二人の気ではないということだ。
ふう、とユーフェイはため息をついた。
――やるしかないか……。
ユーフェイが呪文を唱える。
その声が、二つの影を動かせた。




