第46話「第一位大臣の末娘」
卿の元を辞したユーフェイは、その足でリマリの部屋へと向かった。
広大な屋敷である。
移動するのも一苦労で、馬でも使えればいいのに、と考えても詮無い無茶なことを考えながら、ユーフェイは勤勉に足を動かした。廊下には夏の日の明るい光が射し込んでいる。
「ユーフェイ、いらっしゃい」
リマリの部屋に入ったユーフェイは、歓迎の笑顔を受けた。
侍女にかしづかれた十二歳の少女が、豪奢な家具に装われた部屋で、優雅にお茶をすすっていた。まっすぐに流れ落ちた黒髪の中で、桜色の頬をした白面が可憐である。
「わたくしの結婚のお話、お聞きになりましたか? ユーフェイ」
ユーフェイは、すすめられるままに、テーブルにつくと、
「サンマーク様にお聞きしたのですが、さきほど卿からもお聞きしました」
お茶は飲んできたばかりなので、断った。
「あなたをつけてくださるようにお父様にお願いいたしました」
「お聞きしました。お伴いたします」
「良かった」
少女は、心底から嬉しそうに、両手を打ち合わせた。
「それにしても唐突ですね。卿からお聞きしたお話だと、ご自身が望んだとのことでしたが」
ユーフェイが訊くと、少女は、「まあ」と驚いた声を上げ、
「別に望んだわけではありません。お父様が、『今現在、誰か想い人がいるか?』と唐突なことをおっしゃったので、『おりませんが、女と生まれた以上、魔王を倒した勇者アレス様のような方と添い遂げたいものです』とお答えしたところ、突然このようなお話になってしまって、わたくしも戸惑っているんですよ」
と答えた。
いつものことながらユーフェイは、自分より年下であるはずの彼女と話していると、なぜか自分の方が彼女より子どものような気分になってくるのだった。
「でも、ちょっと楽しそうなので、良しとします。ただ、アレス様がわたくしとの縁談をお断りになったら、慰めてくださいね、ユーフェイ」
ユーフェイは、はい、とうなずいた。
縁談を断ったら殺せ、と卿から言われたことは特に彼女に告げる必要を感じなかったので言わなかった。
「あなたがいてくださって、本当にわたくしは幸せです、ユーフェイ。もしもあなたがいなかったら、わたしにとってこの世の中は灰色でしょうね」
「恐れ入ります」
「あなたにとってもわたくしがそういう存在であれば、これほど嬉しいことはないのだけれど」
そう言って、ちょっと小首を傾げるようにする少女に、ユーフェイは思わず吹き出してしまった。
「あざとかったかしら?」
リマリが笑いながら言う。
ユーフェイは首を横に振った。瞳が少し濡れているような気がして、パチパチとまばたきした。
「では、リマリ、わたしは失礼します」
「一つ訊きたいことがあるのですけれど、ユーフェイ」
「なんなりと」
「この話し方、疲れませんか?」
「……失礼します」
部屋を出て少し歩いたユーフェイは、視界の端に怪しげな黒装束を見た。全身黒ずくめの、外身からでは男か女かも分からない長身。目の部分だけ横一文字に開いている。
ユーフェイは黒ずくめに近づいた。顔見知りである。と言っても、顔は見たことがないのだが。
「何か用か?」
ユーフェイが訊くと、
「リマリ嬢の件でお前に連絡すべきことがある」
冷えた声が返って来た。奇妙に中性的で、声からも男女が分からない。
「会見はボンラ村で行う。そこで、こちらの提案が断られた場合、われわれがお前のバックアップを行う」
「ボンラか」
グラディ卿の領地の一端にある小さな村である。ここから二三日の距離にあり、スタフォロンからの距離もちょうど同じ程度である。
提案が断られた場合、というのはすなわち対勇者との戦闘に突入するということだ。
「バックアップはいいが、こちらはいちいちお前たちを気にしてはいられない。こちらの近くには寄るなよ」
ユーフェイが言う。
黒装束は、了解した、とうなずいた。
話はそれで終わりだと思っていたのになお黒装束がとどまっているので、ユーフェイが、
「まだ何かあるのか?」
訊くと、
「フィオナのことだ。居所が分からなくなった。念を入れておけ」
という答えが返って来た。
「分からなくなった?」
「つけていた部下が殺された」
「殺しはお前たちの得意分野だろう」
「われわれが殺すのは人だ。化物じゃない」
「……そのフィオナが勇者に合流するということ?」
「さあな。注意はしておけ」
「それは好意か?」
「いや、卿に頼まれただけだ。お前に伝えよと。わたし自身は、お前のことなど知ったことではない」
そう言って黒装束はきびすを返すと廊下を歩いていき、やがて階段に消えた。
――化物ね……。
魔王を倒した者たちである。化物でなければ嘘だろう。勇者の姉的な存在である死山のフィオナもしかり。そんな化物たちを相手にしなければいけないユーフェイに、しかし、恐れは無かった。なすべきは、ただ力一杯なせばいいのであって、結果は地の神の業。
――とりあえず、うまく行くことを祈りましょうか。
縁談の話である。
可能性が低いことは認めざるを得ない。




