第40話「うわさの彼の実際」
中に入り、受け付けカウンターで、勇者の泊まっている部屋を訊くと、頭頂部がいい感じで砂漠化した店主が、
「勇者様がたなら今あちらにいらっしゃいますよ」
と言って、食堂の一角を指し示した。
見ると、テーブルの一つに、明らかに異彩を放っている者たちがいる。かぶいた恰好をしているとかそういうことではなく、そのテーブルだけ空気の色が違うのだった。そういう雰囲気的なものを読み取れてしまうのも、鍛錬のおかげだった。いや、「せい」だったとサカレは言いたい。そんな能力、乙女に必要か?
「お取り次ぎいたしましょうか?」
「それには及びません」
サカレは仲間に、「行くよ」と目配せして、歩き出した。
サカレの気分は高揚した。いよいよ、噂でしか聞いたことのない勇者に会えるのである。
歓談しているところに割って入る非礼をサカレは詫びた。そのあと、
「勇者アレス様とお見受けします」
勇者とおぼしき少年の前で、床に膝をついた。それにならって、残りの三人も膝をつく。
少年はサカレの想像した通りの清々とした容姿をしていた。まるでリーグルのように美しく精悍な顔立ちである。テーブルについていたのは、彼の他、同じくらいの年の少年と少女がいたが、少女は論外であり、もう一人の少年の方はほっぺたがぷくぷくしていて、およそ勇者という感じではない。
「ああっ? 誰だ、お前?」
勇者がその容姿とは裏腹のまるで下町の不良のような声を出すのに、サカレは驚いた。しかし、その驚きを礼儀正しく秘め隠し、グラディ卿の使者である旨を、答えた。
「グラディの使者だと」
その瞬間、勇者のけして大きくはない体が、まるで天井にまで伸び上がるように見えた。
まぎれもない怒気である。
サカレの全身の肌が粟立った。
――この感じ、先生みたい……。
山刀の教えを受けた師と同質の気迫を勇者から感じ取ったサカレは、しかし、勇者の気は師のそれを超えているようにも思われた。
ここでようやくサカレは、父が危険だと言っていた意味を肌で感じ取ることができた。
「ふうん、それなりには使うようだな、お前ら」
勇者は立ちあがると、テーブルに立てかけてあった木刀を手に取った。なにゆえそんなところに木刀があるのか、考えている余裕はサカレにはなかった。
「中庭に出ろ。ちょっと遊んでやる」
勇者は不思議なことを言った。
「……どういうことでしょう?」
「察しの悪いヤツだな。それでよく使者になれたもんだ。グラディの用件とやらは、お前の技量がこの勇者様を満足させられたら聞いてやるってそう言ってんだよ。四の五の言わず、中庭に出ろ」
「お待ちください。いやしくもわたしは第一位大臣の使者、そのような物言いは無礼ではありませんか」
サカレは静かに言った。
こちらは礼を尽くしているという自負がある。
「……無礼? 無礼だと? おい、どう思う、サイ?」
ふっくらした少年が答える。
「先に礼を無くしたのはグラディ卿です。古人も、『礼には礼を、非礼には非礼を』と言っています」
勇者は、手にした木刀の先で自分の肩をとんとんとして、
「だよなあ、本来なら今すぐ斬り殺してやってもいいんだぞ、クソ共が」
暴言を吐いたあと、
「それを許してやろうって言ってるんだよ。代わりに、お前ら、オレの運動の相手になれ。……まあ、加減によっちゃ、死ぬかもだけどな」
そう続けてにやりとした顔は、とても勇者のそれとは思えなかった。
「まず話を聞いてからにしたら、どうです……勇者殿」とサイ。
「そしたら、オレと運動する意味がなくなるだろ」
「くれぐれもやりすぎないでくださいよ」
「さあな。まあ、四人もいるから大丈夫だろ」
せせら笑いの下で、サカレはおかしな成り行きになって来たと感じるとともに、勇者への淡い憧憬が雲散霧消していくのを感じた。
――こんなのが勇者!?
「分かりました」
サカレは心を決めた。子どもの使いに来たわけではないのだ。やらないと話を聞いてもらえないと言うのであればやるしかない。幸いにも、やれと言われていることは、サカレの得手の分野だ。
「ただし、お相手はわたしだけでいたします」
そう言って、サカレはすっくと立った。
後ろの三人が何か言いだす前に、
「わたしが正使ですので」
強い口調で続ける。
「いいぜ。可愛い顔に似合わず、いい度胸してるな」
勇者が言う。
サカレは、こんなときでさえ、「可愛い」という言葉に反応してしまう自分を好きになりたいと思った。がんばろう、うん!
「勇者殿!」
「なんだ、サイ? やっぱりやめろとか言うなよ」
「いえ、そのクッキー食べても?」
「好きにしろ」
食堂を横切って中庭へと出る勇者に続くサカレ。
中庭には大きな木が一本生えていて、その葉の影が庭の半分ほどを覆っていた。
サカレは、距離を置いて立つ勇者の木刀の先が自分に向けられるのを見た。それから、後ろからついてきた三人と短く目語した。「大丈夫だから、手は出さないでね」と言ったつもりだったが、伝わったかどうかは分からない。
「遠慮なく腰のものを使え」
勇者が言う。
サカレは、腰に下げてあった山刀を抜いた。