第4話「兎を狩る猟犬を狩る者」
刃を持った立ち姿は、まるで芝居のキメポーズのように綺麗だった。
そうして、芝居だとしたらこれから悪人がばっさばっさと斬られてしまう見せ場となるわけだが、現実に自分でそういう悪人役を演じたくないアレスは、念のため一歩下がることにした。
一歩下がったって別に悪いことはない。そうしたところで、彼女との距離は十分に声が届くほどの近さであることだし。念には念を入れて、アレスはさらにもう一歩下がっておくことにした。用心のためである。虚勢を張るのは匹夫の勇。勇者の勇とは細心の上に成り立つものなのだ。
「魔王を相手にして一歩も引かなかった勇者が二歩下がる」
頭上からからかうような声が降ってきたが、それに応じている時ではない。相手はすでにこちらへの害意で満ち満ちているのである。刀の先を向ける友好の挨拶などというのがあれば話は別であるが。
「で、どういうつもりだよ、コウコ?」
アレスは、問い質した。彼女は仲間である。まずは訊くべきだろう。仲間に剣を向けられても仕方ないような背徳的行為をした覚えはない。
「そりゃあさー、ちょっとはいやらしい目で見たりとかしたときがあったかもだけど、仕方ないだろ! オレは男なんだから!」
アレスの冗談に、少女は全く反応しなかった。
アレスは無駄だと分かっていても冗談をやらずには済まないこの素敵に残念な性格を愛してくれる女の子がいつか現れないだろうかともやもや考えたあと、いたらいたでそれもなんだかなあ、と思ってしまって精神の袋小路に迷い込み、テンションを下げた。
「恨みは無いわ」
少女の声は風に鳴る風鈴のように清爽としていたが、
「けれど、お前をルゼリアに帰すわけにはいかない。ここで死んでもらう」
口にした内容はさわやかさとは対極にあるものだった。
少女の足が地を蹴る。
アレスは二歩下がっていた自分の用心深さを心の底から称賛した。そのおかげで、抜刀して相手の刀を弾くまでの時間が十分にあった。
ぎいん、と鋼が撃ち合わされる音が空気を揺らす。
「どういうつもりだよ、コウコ!」
十字に重なった剣と剣越しに、アレスは少女の目をにらんで言った。
少女は艶のある口元を静かに開くと、
「ヴァレンスのためだよ」
それだけ言って、つばぜり合いをしたまま力任せにアレスの体を押した。
押し負けることは分かっている。
同じくらいの体格の女の子に力で負けるというのは悔しいことこの上ないが、そんな安いプライドにこだわっていると、高い命を失うことになるのが目に見えているので、アレスは押された反動を利用して、自分から後ろに跳んだ。
そこへ、風を巻いて少女が迫る。
振られる刀。神速と言ってよい動きだが、アレスは反応している。肩口に横なぎに襲いくるそれを自分の剣で受け止める。少女の細腕のどこにそんな力があるのかさっぱり分からないが、とにかく重たい、重すぎる一撃である。以前、陸上で最強の獣であるリーグルと戦ったときにその前肢の一撃を剣越しに受けたことがあったが、それと大差ない。そう言ったらさすがに言い過ぎではあるけれど、それほど過ぎもしないような気がするアレス。
少女というよりは、もはや可憐な容姿をまとった化け物である。つまり外見と内面が全然別物。
不安定な体勢で一撃を受けたアレスは、力を受けきることができず横に飛ばされた。ごろごろと地面を転がされたが、頭は冷えている。すぐに立ち上がると、追撃は無い。代わりに、真正面にコウコの姿。彼女は、長剣を構えたまま端然としている。よくよくと見れば剣は反りのある片刃。こちらはアレスからは見えないが、その刃には炎のような紋様が浮いていた。
――ヴァレンスの……何だって?
アレスは少しできた間に考えた。
確かヴァレンスのためだと言っていた。しかし、まさにそのヴァレンスのために、アレスはこれまで働いてきたのだった。もちろん、ヴァレンスとはこの場合、ヴァレンス王や貴族のことを指しているわけだれけど。
実際はアレスはそういうヴァレンスの支配者階級のために働いていたわけではなく、もっと個人的な目的で動いていたわけなのだけれど、しかし、彼の働きが客観的にヴァレンスのためになったことは誰にも否定できるところではない。
「それなのに何で殺されなきゃいけないんだよ!」
アレスは憤然とした声で言った。
しかし、心は水のように澄んでいる。このくらいで取り乱すようなヤワな人生は送っていないのだ。
「ずるがしこいウサギがいなくなると、それを狩る猟犬は必要がなくなる」
言ったのは、コウコではない。ズーマだった。
アレスは、ふうと息をついた。
ずるがしこいウサギ(魔王)がいなくなったので、それを狩る猟犬(勇者)は必要がない。必要が無いものを生かしておくのは無駄である。無駄は排除するに限る。そういう分かりやすい理屈。実にシンプル!
アレスは納得した。
納得せざるを得ない筋道。
納得はしたけれど、アレスがすっきりした気持ちにならなかったことは言うまでもない。