第34話「父からの依頼」
「お嬢様。お父上がお呼びでございます」
忠実な家宰のしゃがれた声を聞いて、またか、とサカレは思った。
「何の用なの?」
一応訊いてはみたけれど、訊くまでもない話だ。
父の呼び出しの理由と言えば、我が娘に対するダメ出しに他ならない。
曰く、「勉強はしっかりとしているか」「武術の修練は怠りないか」「早寝早起きをしろ」「食べ過ぎるな」などなどなど。ありとあらゆる注意の言葉を、矢継ぎ早に投げて来て、娘を完膚なきまでに叩き潰す。そういう嗜虐的な趣味の持ち主が父である。
サカレは青天の下、明るい中庭のなかで、ため息をついた。
サカレの家、ニジェル家は大家である。父はヴァレンス国の大臣であり位は上から第三位。すなわち、王とその代人である王女を除けば、この国で三番目に偉い人間がサカレの父ということになる。
そんな父のことをサカレは尊敬しているが、一つだけ好きになれない、というか納得のいかないところがあって、それが父の自分に対する厳しさだった。サカレには兄弟姉妹がいるのだが、みな、父の溺愛気味の愛情を受けて、のびのびと暮らしていた。しかし、サカレだけは違った。父というよりはまるで師のような厳しさでもって対されるのである。その厳しさを、サカレは嫌悪の情と受け取った。
では、どうして自分だけ嫌われているのか。もしかしたら自分は妾腹の子どもで、兄弟姉妹とひとりだけ母が違うのかと思ったりもして、ある時それとなく母に訊いてみたら、引っぱたかれた。父は他に女人を囲うような人ではないし、なによりサカレのことは母が難産で苦しんでようやく産んでくれたということらしい。
サカレはナタのような肉厚のナイフを鞘に納めた。今は武術の鍛練中だった。これはサカレが望んで行っていることではない。幼いころに父に言われて習わされたところ、天稟があったらしく、十四という年になって貴族の子女としてはもうそろそろ結婚の話でも出ていい頃だというのに、社交界デヴューなどする代わりに、
「せっかくの才能だ。十分に伸ばすが良い」
ということでナイフを振るわされていたのである。
――いらないよ、そんな才能!
サカレは思う。
しかし、その指示さえも、父が自分を嫌っているからではないかと思うと、やり切れない。このまま、一生中庭で磨いたナタ術で、薪でも割って暮らすことになるのだろうか。
どうして父に嫌われているのか。まったく不明である。サカレは父に反抗的な態度を取ったことはないし、奇行はおこなっていない。貴族の子女として慎んでいるつもりである。
「お嬢様」
「分かりました、今行きます」
気分の重さに足が進まなかったサカレだったが、老家宰の声に促されて、足を動かした。
「お父上は執務室にいらっしゃいます」
サカレはうなずくと、中庭から石の回廊を通り執務室へと入った。
室内に入ると、どっしりとした執務机の向こう側で、難しい顔をしている父を見た。もっとも、サカレが会うときは大体不機嫌そうな顔をしているので、いつものことではあるのだが。
「来たか」
父が言う。
「お召しにより」
娘が答える。答えながら、一体今日はどんなお小言を言われるんだろうか、と身構えた。
父は、ふう、と息をつくと、眉根を寄せて、難しい顔をいっそう厳しいものにした。
これは相当なことだぞ、とサカレは思った。この頃、父の小言を聞くのが辛くなってきたサカレである。これまではなんでもハイハイと恐縮して聞いてきたが、齢十四を数えれば、理不尽な叱責に対してそうそう首振り人形のようにただうなずいているというのは自尊心が許さない。だからと言って、父に反抗するようなことはこれまでは無かったのだが、さすがにそろそろ、一言二言くらいはもしかしたら言い返してしまうかもしれないわ、とサカレは思った。
「お前を呼んだのは他でもない。頼みたいことがある」
父はやぶから棒に言って、そうして言ってから口を閉じた。
――頼みたいこと?
いつもとは違う風向きに、サカレは意外な思いだった。
父は言ったきり黙っている。
サカレは父の言葉を待った。
頼みたいこととは一体何だろう。
父が黙っている間に、サカレは考えた。
娘に何かを頼まなければいけないような非力な父ではないので、よっぽど分からない。そもそも自分に何ができるのかと考えたときに
――できることなんか無いなあ。
という結論に至るわけで、そんな娘に頼むことと言ったら何だろうか。
父は随分長い間黙っていた。
なので、娘も随分長い間考えることができた。
やがて、サカレは可能な答えを得た。ただ一つあり得る解答である。これならば、父が頼むというのも納得のいくことだ。
「お父様……分かりました」
「ん?」
「お父様のおっしゃりたいことが」
「なに? どうして分かった?」
父がびっくりした顔をするのを、サカレは余裕を持って見返した。そうして、
「分かりますとも。それで、わたしはどなたに嫁げばよいのですか?」
言った。
それを聞いた父は心底から分からない顔を作った。