第3話「再会の仲間」
アレスが馬車にブレーキをかけたのは、感じたからである。
なにやら怪しげな鬼気とでも言うべきものを、前から来る人馬から。
それに備えるために、馬車を止めた。
魔王戦が終わりハッピーエンディングを迎えたからといって、勇者アレスの心に油断は無い。遠足は、家に帰るまでが遠足である。せっかく魔王を倒したのに、それに浮かれて帰りの道中で石にでもけつまずいて頭を打って大地に還ってしまったりしたら、目も当てられない。まだキュートな女の子といちゃいちゃもしてないのに!
「家に帰るまでオレは油断しないし、絶対に可愛い子と知り合ってみせる!」
アレスは心をあらたにして、馬が近づくのを待った。
案の定である。
馬はアレス達の少し手前で止まった。
鹿毛の美しい馬だったが、その乗り手はさらに美しかった。
アレスと同じ年ほどの少女である。
馬から降りてアレス達に近づいてきた彼女は、すらりとした肢体と烈火のような赤い髪、薔薇色に上気させた頬を惜しげなく日の下にさらしていた。少女は、土色の旅装であったが、まるで沐浴直後ででもあるかのような清新さの中にあった。
少女が立ち止まる。
アレスは、彼女の翡翠色に輝く目をじっと見つめた。すでに御者台から地面に降りている。御者台に座ったままでは変に応ずることができないからだ。そうして、アレスの手には剣が握られていた。もちろん、鞘におさめられた状態である。勇者たるもの、いきなり抜き身の剣で人に向かうような酒場のチンピラ然としたチキンぶりを見せつけるわけにはいかない。その剣の他に、マントをはおったアレスの背には、もうひと振り剣がある。
「さて、見知った顔だが、ここまでわざわざ出迎えに来てくれた様子でもなさそうだな」
御者台を降りてアレスの隣に立っていたズーマが、面白そうな声を出す。
少女は知り合いだった。単なる知り合いというだけではなく、この反乱を共に戦った仲間である。ラストバトルには参加しなかったけれど、今回の戦を力を合わせて乗り切った一人。名はコウコ。
「今は王都にいるはずだけどな」
そうつぶやいたアレスは、この反乱中に何度も嗅いだにおいを感じて、顔をしかめた。
そうして、すぐにでも剣を抜きたくなった。もうチキンがどうこうとか勇者の名誉に関する話などどうでもいい気分である。
というのもアレスがかいだにおいとは、腐臭――血と肉、すなわち死の臭いだったからだ。
仲間の少女と会って、なぜそんな臭いが漂ってくるのか。日なたの匂いとか、花の香りとかならともかく。訳が分からないアレスだったが、その訳のわからなさに向かい合えるだけの意志の強さを備えている。
ただし、もちろん、一緒に向かい合ってくれる者がいれば、それに越したことはない。
隣にいたズーマがすすすっと離れようとしたところを、アレスは逃さなかった。
「なにをする?」とズーマ。
「それはこっちのセリフだ。どこに行くつもりだよ」
アレスは、まるで人見知りの子どもがお母さんにするように、ズーマの服の裾をしっかりと手で握っていた。
ズーマがアレスの手を引き放そうとしながら言う。
「離れて見物しようと思っただけだ」
「オレたち一心同体だろ」
「いや、二心異体だ。放せ。せっかく面白い見物になりそうなのだ」
「誰が放すか!? 見物役になんかさせねー!! 絶対にお前も巻き込んでやる!」
アレスとズーマがごちゃごちゃやっているのを、少女は冷えた目で見ていた。
アホくさいかけあいをしている最中にも、アレスに油断はない。いや、むしろ、相手の油断を誘おうという意図を若干は持っていることを、彼の名誉のために付記しておく。アレスは注意深く少女の一挙手一投足を心の目でじっと見つめていた。そんなことをするくらいなら、相棒としゃべくるのをやめて肉眼で見ればいいのにという批判もあることだろうが、その批判は正当であると言わざるを得ない。
アレスとズーマはしばらくの間ぐだぐだとやっていたが、やがてアレスの手はズーマの服から離れた。
ズーマはすかさず一声放った。
その言葉は、今はもう日常生活には使われていない古い古いものである。
声と同時に、ズーマの体はふわりと宙にいた。そのまま、すーっと馬車の屋根まで浮かんで行ったズーマは、屋根に腰を落ち着かせた。魔法である。それから長い脚を組んで、アレスと少女見下ろした。まさに高見の見物である。
アレスはその様子をうらめしげに見上げてから、そろりと少女の方に目を向けた。どうやら彼女にはひとりで対するしかないらしい。
アレスは覚悟を決めると、一つこほんと咳払いをしてから、
「よ、コウコ! お久ー!」
快活な声と手を上げた。
それは、なにやら薄暗い雰囲気を吹き飛ばそうとするためにことさらに為したものだったので、わざとらしいことこの上なかった。
少女は無言で、右手を左腰のあたりに差し入れた。
まるで髪を直すかのような自然な仕草である。
するりと、少女の手が出現させたのは、見事な白刃だった。