第2話「開幕ベル静かに」
アレスは今のんびりと石畳の街道の上、馬車を走らせている。
空はどこまでも高く高く、青く澄み渡って雲のかけらさえ無い。
バーサス魔王戦というラストバトルから一週間が経過していた。傷ついた仲間の看病をするためと王都を攻めていたクヌプス軍の動向を見守るため、この一週間はスタフォロン城内に滞在していた。
そこへ王都帰還の命が王より下されたのである。と言っても、王は現在病床にあり、代わって政務を執っているのは王女であるので、実質的にはその王女からの命であるが。
「帰って来てください」
その命は、速やかに反乱収拾の第一功労者を賞し反乱の終結を宣言することによって、国の体裁を良くするのが目的である。
仲間のなかにはまだ満足に動けない者もいる。王女からの帰還の命はできるようであれば全員、難しいようであれば勇者一人でもというものだったので、アレスは、傷ついた仲間とその看護のメンバー、すなわち自分以外の全員を残し、一人スタフォロンを出た。残していく仲間に後ろ髪を引かれる思いのアレスであったが、王女の命を無下にするわけにはいかなかった。
「ああ、ひとりはいやだなあ。みんなと一緒だったらどんなにいいか……」
御者台の上で、アレスは呟きをもらした。
枯れて落ちそうになった葉のついた枝をさわさわーっと揺らす秋風のような、いかにもさびしげな声である。
それはただ今の好天にまったく似つかわしくなかった。
すると、
「ひとりとはどういうことだ。わたしは数に入れられていないのか?」
すぐ隣から、呆れたような声が上がる。
アレスは隣を見たりしなかった。それが目の保養となるような美少女ででもあれば話は別だけれど、二十歳がらみの男を見たってしょうがない。なので、前を見ながらぞんざいに答えた。「うん」と。
「つれないな。これから長い旅を続けることになるというのに。ある意味では伴侶と言ってもいい存在であるのに」
隣からの声は微笑を含んでいる。
「気色悪いこと言うなよ」とアレスは応戦した。「オレが伴侶にしたいのは、感じのいい優しい女の子だ」
「当てがあるのか?」
「ない、全く」
アレスはきっぱりと言った。しかし、そのあとに、
「でも、オレみたいにいい男にはそういう子が見つかるはず!」
と、これもきっぱりと言い切った。
「一カ月お前と付き合って得たわたしの勘によると、お前にはどうもそういう子は見つからないような気がする。アレス」
「ええっ!」
アレスはびっくりして、隣を見た。
豊かな銀髪を無駄に日の光にぴかぴかと輝かせた青年が口の端を少し上げている。
「前を見て運転しろ。アレス」
「えー、なんだよ、ズーマ。お前、もしかして、そういう能力があるの?」
アレスは言われるまでもなく進行方向に視線を戻しながら、訊いた。
「そういう能力とは?」
「予知能力的な」
「勘だと言っただろう」
「勘か……変な勘を持つなよ!」
「変と言われてもそう感じたのだから仕方あるまい」
「じゃあ、その勘で、オレにはどういう女の子が見つかりそうだって感じたわけ?」
「ふむ」
ズーマは意味ありげに沈思黙考した。
街道脇にそっとたたずむ白い花が、そよ風に楽しそうに揺れている。
「厄介な女の子が見つかるな」
「厄介?」
「ああ」
「『厄介』ってどんなんだよ」
「トラブルメーカーだな。トラブルにお前を巻き込む素敵極まる女の子だ」
「どこがステキ!? トラブルなんて御免だね。オレはまったり暮らしたい」
「それではわたしが面白くない」
「オレはお前を楽しませることまでは約束してないからな」
「なるほど、確かに。しかし、結局はそうなるだろう。わたしの勘は良く当たる」
ズーマは低い声で言った。
次の瞬間、突然びゅうっという強い風が吹いて、アレスの黒髪をはちゃめちゃにした。
アレスは、手ぐしで髪をなでつけながら、不気味そうに隣の青年を見た。
「嫌な風だったな、アレス。何か起こりそうだ」
ズーマがすかさず言う。
「なにを、何かの前振りみたいなセリフ言ってんだよ! 新たな魔王とか、そういうの要らないからね!」
「魔王で済めばいいがな」
「魔王より厄介ってどんなんだよ」
「そんなものはいくらでもあるがな。単に殺し合いをすればいいだけの問題など実は取るに足らないものだ」
「オレとみんながこの半年やってきたことを過小評価するなよな!」
そうツッコミはしたものの、アレスはズーマが言ったことを心底では認めていた。この世には、もっと厄介なことが色々とあるのである。十四年しか生きていないアレスでも、すでに一つ二つはそういうものを経験済みだった。
そうして、そんなアレスの前に、魔王バトル以上の厄介事を経験するチャンスが、再びか三度かは分からないが、今まさに迫りつつあった。
「前から馬が来るようだな」
ズーマが言う。
なるほど、彼の言うとおり、前方からひとつの馬影が近づきつつあった。もちろん、馬がひとり(一頭)で気ままにお散歩しているわけではなく、騎乗している人がいる。軽快に疾駆してくる様子から、乗り手が中々の腕であることが分かる。
アレスは馬車を停めた。