第19話「常在戦場」
見られている。
からみつくような視線を感じたのは昨夕のことである。
フィオナは、キッチンで夕飯の準備をしているところだった。
料理はどうにも苦手で、包丁を持つ彼女の手は何年経ってもスムーズに動くことがない。
「剣の方がよっぽど簡単だなあ」
そう一人ごちて、栄養補給以上の意味を持たない食事のため、肉や野菜をとんとんやっていたとき、窓の外に目を感じた。戸外では夕闇が濃くなりつつある。
フィオナはそのまま作業を続けながら、視線の意味についてちょっと考えた。そうして、
――仇討ちか何かかしら。
ということをいの一番に思いついてしまう彼女の人生はそれだけ凄絶なものと言える。
フィオナが考えたのは、自分が斬ったクヌプス反乱軍の兵士、その友人や家族が恨みを晴らしにきたのではないかというものだった。勇者が魔王を倒してから十日しか経っていない。反乱が完全に収束するまでは、まだまだ時間がかかるだろう。その間隙に起こる凄惨な一舞台。そんなものの上で復讐劇の悪役を演じる気はフィオナにはなかった。人を斬った自分を正当化する気は無いけれど、
「あれは戦場のならい」
と言って恥じないだけの覚悟でもって剣を握ってきた彼女である。もし怨恨の刃を向けてくるのであれば、その刃を叩き折るのになんの躊躇もない。
フィオナは夕飯を作ると、近くのテーブルにセットして食べ始めた。
不穏な視線を感じながら悠々と夕餉を取るその胆力は並みのものではないが、フィオナにしてみればそれは普通のことである。常に戦場にいるがごとくにせよ、というのが師の教えだった。
フィオナはスープをすすった。
孤独な食卓である。
「早く帰って来ないかな」
待ち人は二人。一人は師であり、もう一人は弟弟子である。二人とも現在、別々に旅の途上にあり、しかし、弟弟子の方はそろそろ帰って来ることになっていたので、フィオナは、今日帰るか明日帰るかと、そわそわする気持ちを抑えられずにいた。
そんなときに招かれざる客を迎えるのだから、タイミングがいいのか悪いのか。
「さて、と」
夕飯を食べ終えると、フィオナは剣をその手にして、ひそやかに外に出た。問題は即解決すべしも師の教えである。
夜空には月も星も無い。全くの闇。
漆黒の中を歩きながらフィオナは、もしかしたら視線は屈折した恋心のなせるわざじゃないかしら、とちょっとそんなことを空想してみたが、
「ぷぷっ。フィオナにストーカーとか。まぢ、ありえないし」
という弟弟子の声が聞こえてきて、それもそうね、と素直に納得してしまう彼女は自分の容姿をかなり過小評価していると言えた。
視線の送り主は肝をつぶしたことだろう。
家の灯が落ちて、てっきり眠ったと思っていたターゲットの声が、自分の背後から聞こえてきたのだから。
「なにかご用でしょうか」
家の近くにある雑木林の中で、茂みに溶けるようにして気配を消している相手を見て、フィオナは、彼もしくは彼女が只者ではないことを理解した。無駄だとは思いつつも念のため、相手が誰なのかを問いただしてみたところ、
「…………」
やはり答えは無言。
一瞬後、何かが飛来する気配。
フィオナはすかさずそれを剣で弾くようにした。
弾かれたそれは、フィオナの後方で、カッと爆発し、光をあげた。闇が割れた。
どうやら、閃光で敵の目をつぶすアイテムのようである。
「ぐっ……」
一瞬後、白くなった闇が再び黒に塗りつぶされると、同時に苦鳴が漏れた。
フィオナは、敵のアイテムを剣で払うとともに相手の胴に蹴りを叩きこんだのだった。
地に膝をつく気配に向かって、
「動かないでください。今度は斬りますよ」
フィオナが言う。
次の瞬間、ヒュン、と鋭く風を斬る音が聞こえ、フィオナはひらりと身を翻した。
闇の中にうごめく影が複数ある。
降って湧いたように現れた敵影にもフィオナは慌てない。そうして、これはもう単純な復讐でもなければ、まして狂気的な恋でもないことを認めた。彼らの身にまとう不吉な雰囲気には覚えがある。暗がりからひそやかに人を殺す者たち、暗殺者のそれだった。
フィオナは剣を構えた。
しかし、構えると同時に敵の気配がすっと退いていった。
蹴りを浴びせたはずの敵の気配もない。
速やかな撤退。なかなかのプロである。
フィオナは一息つくと、すたすたと一本の木の根元へと歩いていった。そこに、一つの棒状の投げ武器が落ちていた。さきほど、フィオナがかわしたものである。
明りを灯した家の中でそれを確認したフィオナは、うーん、と小さく唸ってみた。
どうにも面白くない。
棒手裏剣と呼ばれるその武器は、ここヴァレンスのものだったのだ。
ヴァレンスの武器を持つ暗殺者に狙われる。
そこから導き出される答えはすなわち、フィオナは、ヴァレンスの人間に命を狙われたということである。しかも、プロの暗殺者を雇うことのできる富力のある者に。




