第18話「その娘、勇者級」
えっほえっほとニッカが走って行った先が、宮殿の一角にある兵士詰め所である。
室内に入ったニッカは、執務机の向こうにいる兵士長に向かって見たままを報告した。若干、自分の責任は少なめに報告したが。
三十がらみの兵士長は、白昼堂々たる美人侵入者、などという妄想じみた話を聞いて要領を得ない顔をしたが、それでもすぐに軍刀を手に取ると、部下に命じて人数を集めさせた。
「……淡い金髪の女剣士か」
兵士長は何事か思い当たるような顔をして訳知り顔につぶやいたが、
「知らんな」
肩をすくめるようにして言い放つと、ニッカの肩をずり落とさせた。
「知らないんスか?」
「知らん。とにかく出るぞ、貴様もついて来い」
嫌です、とは言えず、部屋を出た兵士長の後ろにニッカは続いた。
その頃、当の娘は宮中の中庭に当たる部分を歩いていた。
娘の名はフィオナと言う。
その名前はここルゼリアではつとに有名である。
不世出の天才剣士と謳われたミカゼの一番弟子として、術を覚え、業を修め、齢十五のときに王の御前試合で華々しく優勝を飾り、「天下無二」のお墨付きを得た。その後、師のミカゼとともにヴァレンス各地を渡り、噂によれば旅先で遭遇した伝説の凶獣・竜を斬ったとか斬らなかったとか。男前な経歴であるが、その容姿はたおやかな乙女のそれである。旅から帰ってきたフィオナが、師とともに王宮近くに居を定め、普通の市民のように暮らし始めたわけであるけれど、その暮らしが破られる事件が半年前に起こった。クヌプスの反乱である。
身分の違いを超えて旧知の仲であった王女アンシのために、フィオナは愛刀である魔法剣――魔法の力が込められた武器――を手にして、反乱軍と戦った。その力はすさまじく、彼女の一撃は、地を穿ち、天を裂くほどであった。特に宮門の一つに押し寄せる反乱軍を斬り倒し、門前に死体の山を作ったことは有名である。そこからついた二つ名が「死山のフィオナ」だった。一見、口さがない悪名のように聞こえるかもしれないが、あえて美名をつけないのはヴァレンスの常套である。醜い名前や不吉な名前をつけることによって、つけられた人が悪霊から守られるという名前に関する信仰がヴァレンスにはある。
本来であれば彼女は魔王を倒しに行く筆頭であっても良かったところ、都の守りのためにと特に王に請われ、ルゼリアを離れなかった。
名が知られている割に、その顔を知っている者は意外に少ない。これは、フィオナ自身が露出を避けたからだった。可能な限り自分のことを知られることを避けた。これは彼女の慎み深さもあるのだが、その方が都合が良いからでもあった。顔が知られるということは、それだけ敵の的になりやすいということである。戦場ではいいことではない。
その戦場での彼女は周囲に人を寄せず、一人あるいはわずかな仲間とともに戦っていたので、戦っているその姿を見られることもほとんどない。仮に、この人がフィオナだよと言われて当の彼女を見せられても、ルックスが全く中身を裏切っているので、それを彼女であると信じる人はほとんどいない。竜だよと言われて蜥蜴を見せられてもそれを信じる人がいないのと同じように。
遠くで雷鳴が響いた。
その下を行くフィオナ。
彼女は今、怒っていた。それもとてつもなくである。
普段彼女はあまり怒りを覚えるということがない。初冬の小春日和のような穏やかな性情なのである。何を言われてもされても気にしない。その基礎には生来の性格に加え、相手への尊重というものがある。相手がしたことにはそれなりの理由があるはずであり、それを慮るのが慎みというものだろう、とそんな風に思っている。
しかし、それにももちろん限界があり、彼女の大らかなリミットは今回、見事ぶち破られた。
その怒りをぶつけに行く先がこの宮殿の奥にいる。
本来であれば、宮殿奥までひそやかに忍び込むつもりであったけれど――というのも、まともに会いに行ってもすぐに会わせてもらえる相手ではないので――途中で飽きてしまった。というより、怒りによる胸のムカつきで正常な判断力をなくしていたと言った方が正しい。なので、一の宮門は、秘技「壁登り」を伝って超えたけれど、二の宮門については力づくでも門を開けさせてやろうと考えた。しかし、門番の青年があまりに平和な、つまりはガキくさい雰囲気を備えているので、力を行使する気が失せて、もう一度秘技を使う気になったというわけである。
落ちた壁の向こう側で軽く運動ができたのは幸いだった。ちょっと気分が落ち着いたし、体もほぐれた。いくら怒っているとは言っても、同胞をその手にかける気など毛頭なかったフィオナである。
今ひしひしと彼女が向かっていく先に、王女の玉室がある。
勇者級の力を持つ者が、怒りとそれを伝える刀をその身に帯びて、向かっている。
反乱軍がルゼリアへとひた迫った時よりもより大きな危機が、今まさに王女に迫っていると言えた。