第17話「伝令に走れ」
地に伏して土の冷やかさを感じていた兵士たちは、娘が去ったのち、おのおの立ち上がり始めた。ひとり隊長だけが立ちあがらなかった……いや、立ち上がれなかったわけだけれど、あえて隊長の元へと寄ってその意識を取り戻そうとする者はいなかった。隊長が意識を回復してもどうせ不機嫌な怒りの声を飛ばすだけの話である。それを聞きたいと思うような被虐趣味のある者は、兵士の中にはいなかった。
「そんでー、どうするんスか?」
立ちあがって人心地ついた兵士たちに向かって、ニッカが声をかけた。どうする、とはもちろん、侵入者の娘についてのことである。行かせてしまったものの、もちろんこのままにして捨ておくことはできない。何らかのアクションが必要である。そして、そのアクションを起こすべきは門の内側の彼らの役目であるとそう断じるニッカの口調は、完全に他人事のそれであったが、そもそも門の内側に入れてしまったのは彼の責任であるので、口笛でも吹き出しそうなお軽い調子で話す資格など彼には無いのであるが、そこを全く考慮しないのが、ニッカという青年であった。
四人の兵士たち、特に軍刀を奪われた兵士は一層いまいましげにニッカを見たが、にきび面の青年に対して責任を押し付けようとしたり、あるいは自分たちの責任を認めた上でニッカに八つ当たりしたりしても何の解決にもならない。そう考えられる程度にはみな大人だった。
額を寄せ集めた四人の兵士たちは、自分たちの直属の上司である今まさに気を失い中のおっさんの更に上司に当たる人へ報告しに行くということで意見を一致させた。その結論はすぐに出たわけであるが、では誰が行くのか。こちらはちょっとモメた。報告に行くのに四人も必要ない。一人で十分である。その一人を誰にするか。
「おれが行こう」
初めにやたらと力強く申し出たのは、娘に軍刀を取られた彼だった。
「武器もないし。報告役にしかなれない」
いかにも口惜しそうに言う彼の目の前に、一振りの鞘付き軍刀が現れた。
「おれのを使えばいい」
別の兵士が言う。
「む……」
「報告にはおれが行こう。お前はおれの刀を使え」
「待て待て。刀は戦士の魂だろ。それを人に貸すというのか」
「魂だと? 軍からの支給品を魂にした覚えは無い。さあ、使え」
「いや、いい。お前のやつ、なんか柄のところがべたべたしてそうだし」
「べたべたしてねえし。おれの性格みたいにさっぱりしてるし」
「よく言う。粘着質な性格してるくせによ」
「おれのどこが粘着質なんだよ。テキトーなこと言ってっと、ぶった斬るぞ!」
「その刀、おれに貸すんじゃないのかよ。なにを使ってぶった斬るんだよ、あーん?」
「うわ。マジむかつくわ、こいつ。ホントに斬っちまいてえ」
「お前のへなちょこ剣で人が斬れんのかよ?」
「試してみるか、おい」
味方同士であるにも関わらず、街中の不良少年同士のようにガンを飛ばし合う二人に、他の二人がなだめるように割って入った。
割って入りつつ、
「とりあえずだな、伝令にはおれが行こうじゃないか。おれ、足はええし」
兵士Cが参戦した。
すかさず最後の兵士が応じる。
「ざけんな。お前がはやいのは、女に出す手だけだろ」
「んだと、このやろ。てめえがモテないだけだろーが」
「おれはモテてる。モテまくってるね」
「へえ、じゃあどうして恋人いないんですかね」
「誰を選ぼうか決めてる最中なんだよ」
「なるほど。たくさんいる妄想上の恋人から選ぼうとしてるのか」
とうとう残りの二人もつまらないやり取りを始めて、もう何が何やら訳が分からなくなってきたところに、
「あのー、じゃあ、おれ行ってきますよ」
声をかけたのはニッカである。
四人は一斉に動きを止めて、ニッカを見た。
「ま、待て――」
と一人が声をかけようとしたときには、ニッカはすでに彼らの脇をすり抜けていた。
「くそっ」
という類の言葉を四人はそれぞれ吐き出した。
なにゆえ彼らがそんなに伝令役を望んだかと言えば、それが安全だったからである。というのも、侵入者を黙って行かせてしまった彼らであるが、だからといってこのままぼーっとしている訳にはいかず、職務上は当然に彼女を追跡しなければいけないわけである。足元にも及ばず、というか一合の刃を交える勇気さえ起こせなかった強者を。ほとんど向こうの気まぐれで助けられたようなその命を再び危険にさらし、仮に殺されなかったとしても、今のびている隊長のような目にあわされる可能性を承知して。
そこから逃れる唯一の方法が上司の上司への伝令なのであった。
その唯一は、ニキビ面の青年に奪われてしまった。
ふう、という重苦しいため息を四人が四人ともついた。
そうして、相互に目語し合う。
「……お前は隊長が気がつくのを待てよ」
兵士の一人が、刀を取られた兵士に言う。
「いや、おれも行くよ。刀なら隊長のがあるし」
四人は、無事に五体満足で帰れたら、あれをしようこれをしようと心に誓いながら、気持ちゆっくりとした足取りで娘の後を追った。