第15話「達人と対峙する経験」
曇天に向かって、ゆるやかに湾曲した片刃が五つ上がる。
女の子一人を部下である大の男四人で包囲させて、なおかつ軍刀を抜かせ、また自らも抜くという行為を
「恥ずかしい」
と思う気持ちは、隊長には無い。宮中内の不審人物は即逮捕が原則であり、加えて相手は部下に暴行を働いているのである。手心を加えてやる余地は無い。とはいえ、宮中内での刃傷沙汰は、可能な限り避けなければならない。ヴァレンス宮中は神聖な場所であり、血や死による汚れは不吉なものとして忌み嫌われている。
したがって、隊長も、何も娘を斬り捨てようなどという気はなかった。軍刀をプレッシャーにして大人しく言うことを聞かせようとしたのみである。刀を、しかも複数本向けられれば、萎縮してすごすごと従ってくれるだろうと思ったのだった。
しかし――
「どうぞ刀を納めてください。みなさんと争う気は無いんです」
娘はそれまでのリラックスした姿勢をほんの少しも緊張させたりせずに言った。
いよいよもって頭のネジが一、二本足りない子なのだろうか、と娘に憐れみの気持ちさえ持った隊長は、彼女が悠然としている理由に関して、他の可能性を考えるべきだった。しかし、実際問題、それは難しいことだっただろう。部下が一人転がされたにも関わらず娘を侮ったことに関して隊長が迂闊であったことは確か、しかし、どこからどう見ても町娘然とした雰囲気しか身にまとわない彼女に深刻な脅威を本気で覚えるには、隊長にはある種の経験が足りなかった。
人は見かけによらない。
その貴重な経験を彼は今からすることになる。
「昔、師によく言われました。人に武器を向けるときは、自分も死ぬ覚悟をしろ、と。みなさん、死ぬ覚悟がおありなんですね。さすがは、王女を守っているかたがたです」
娘は微笑しながら、脅迫的なことを言った。娘と兵士たちの輪の外にいたニッカには、それが脅迫に聞こえたけれど、彼女を囲んでいる兵士たちにはつまらない冗談にしか聞こえなかった。つい先ほど転んだ兵士にしても、彼女にやられたのだと確信を持っていたわけではなかったので、同僚たちと一緒になって、
「なんなんだ、この子。せっかく可愛いのに、勿体ないなあ」
という感想を持つにとどまった。
その彼の目に映る世界がぐるりと四分の一回転したのは、一瞬後のことである。
「また!?」
と思った瞬間には、彼は再び地面に横倒しになっていた。横っ腹を少し打ったくらいで肉体的には大したダメージでは無いけれど、衆目の前で二度も大地に寝そべる格好になるのは恥ずかしいことこの上ない。甚大な精神的ダメージを受けた彼がすぐに立ち上がろうとしたところ、その目に自分と同じようにして倒れる同僚の姿が映った。その数が、一つ、二つと増える。彼はゾッとした。計算が間違っていないとしたら、自分を含めた総勢四人、すなわち娘を囲んでいた全員が今地面に倒れ伏していることになる。彼は立ち上がる前に、状況を確認した方がいいだろうと考えた。そこへ、
「な、なにをするっ!」
聞き覚えのある声が聞こえてきた。
その声ははっきりとした怯えを含んでいる。
「足を払えば人は倒れるのが道理です」
隊長の問いに答える形で、娘の落ち着いた声が聞こえてくる。
その言葉で、一番初めに倒れた彼は、ようやく足を刈られたことを悟った。そう言われれば、倒れる前に右足のつけね辺りになにか柔らかな感触があったような気がしないでもない。
「立て! 立ち上がらんか、貴様らっ!」
いつまでも地面に伏している部下たちに、隊長の怒声が飛ぶ。
その声に応じて、立ち上がろうとした兵士たちに対して、
「そのまま寝ていてくださいな。起き上がったら、斬っちゃいますよ」
梢をふと揺らすそよ風のようなソフトな声がかかる。
そのソフトさが、今ではもうはっきりと無気味であった。
立ち上がろうとした兵士たちは、立ち上がろうとした恰好のまま固まった。なんとも間の抜けた姿勢だが、カッコつけることにこだわれば斬られる可能性があるのである。戦時ならばともかく、六カ月からの内乱が終わってようやく平和を手にしこれから日常をエンジョイしようとしていた彼らには、平時に死んではたまらないという意識が濃厚であり、その意識が彼女の声に逆らうことを許さなかった。
一連の流れをわきから見ていたニッカは、唖然として言葉もない。
娘を囲んでいたはずの兵士たちが次々とバランスを失って倒れる様は、まるで支えなしに立っていた細い木の棒が簡単に横倒しになってしまうような見物だった。足を払ったと娘は言っているが、その動きはニッカには全く見えなかった。
「何をしているっ! 立たんか、貴様らっ! この娘を捕えろっ!」
隊長が怒鳴る。
その声は空しく響くのみで、怒号に応える者はいない。
「そういうご自身で捕えてみたらいかがです?」
娘が言う。
部下たちは激しく同意した。
隊長はニッカを見た。
ニッカは首を横に振って、ついでに両手も振ってみせた。




