第14話「侵入堂々」
人の背で三人分くらいの高さを、娘はまたたくまにロープを伝って上って行く。ロープを手に門扉を蹴るようにしてサササッと上がっていく彼女は、その優しげな容姿とは対極の機敏さを醸し出していた。
「侵入者……ってことだよな、あの子」
娘の敏捷性と、彼女の着ているワンピースの裾からチラ見える下着に見惚れていたニッカがそのことに気がついたときにはすでに彼女の姿は門の上に消えていた。ロープはそのままにされている。
ニッカはロープをギュッと握ってから引いてみた。ロープの先には鉤状のものがつけられているのであろう。その鉤が門の上をしっかりとつかんでいるようである。ニッカは、うむ、とうなずくとロープから手を放し、その手を腰に装着されていた法螺貝へと移した。そうして手に取ったそれを口元に持っていき、ぶおおーんと吹いた。門を開けろという合図である。
合図に応じて、門はゆっくりと左右に開いていく。なぜ門を開けるのか、誰が来たのかということを確認しもしない門の向こう側のその怠惰さはニッカの職業的勤勉さを全く刺激しなかった。それに今はその方がありがたい。
――ん? でも、なんでありがたいんだ?
開いた門から中に入ったニッカは、そもそもなにゆえ自分が門内に入ったのかということを数秒の間熟考したのち、それを奇妙な娘に対する好奇心からだと結論づけてから、一瞬後慌てて、
「いや、侵入者を捕えるためだよ、もちろん!」
と考え直した。
「おい、止まれ!」
内部に入ったニッカは、荒い声を聞いて、びくっとしたけれど、それは彼に対して向けられたものではなかった。
内側から門を開けた兵士が、魔法のように現れた娘に気がつき、静止させようとしたのである。門の上からどうやって地面に降りたのか分からないけれど、とにかくニッカは娘の姿を確認した。
兵士たちがパラパラと集まり、あっという間に彼女は囲まれた。ぞんざいに門を開ける輩たちにしては、なかなか手際がいい。
娘は大の男たちに包囲されていても、全く怯えた様子を見せない。やっぱりちょっと頭がユニークな感じなのかなあ、と思いながらその包囲網に駆けつけるニッカを見て、開門部隊の隊長は、
「なぜ門を開けさせた?」
と今さらなことを訊いてきた。
どうやらタイミングが良すぎたせいか、門が開いたせいで娘が入って来たのだと、誤解しているらしいことにニッカは気がついた。なぜ門を開けるのか訊きもしなかったくせにそれは無いだろうと、ニッカは醜い責任のなすりつけ合いに応じる格好を取った。
――そもそも別におれのせいじゃねえし。その人が勝手に入ったんだし。
しかし、勝手に門内に入る人間を止めることはニッカの職務であるわけなので、彼の主張は当を得ていないことは言うまでもない。
開門隊長はチッと舌打ちするとニッカの責任追及は後にしようと思ったのか、侵入者の方に顔を向けた。
「で、何者だ?」
隊長は、部下四名に包囲させた娘に対して、高圧的な口調で言った。
四名の部下たちはみな抜刀してはいないものの、いつでもそうできるように身構えている。
そんな危険な雰囲気の中、
「わたしはアンシのお友達です」
娘はニッカに対してさっきしたのと同じほんわかした答えを返した。
「連行しろ」
隊長は、にべもなく命令した。
それに応じて、部下の一人が率先して、娘の腕を取ろうとした。ちきしょう、あのスケベヤロウ、とニッカが見当違いのことを思った瞬間、その兵士の体が横方向にくるっと四分の一回転して、パタンと地面に倒れた。
「な、なにをするかっ!」
と隊長が声を上げるまで少し時間がかかった。というのも、本当にそれが娘のしたことなのかどうか確信が持てなかったからである。ニッカにも分からなかった。娘は微動だにしていないように見えた。とはいえ、人間が前方とか後方に倒れるならともかく、横方向に自然に倒れることはありえないし、しかもどう見てもどこかから力が加えられたような強制的な回転であったので、部下に対し娘が何かをしたのだという隊長の判断をニッカも支持した。
娘は隊長の問いに答えず、倒れた兵士に向かって、すっと手を差し伸べた。
その可憐な顔には柔らかな微笑が湛えられている。
それを見た兵士は倒れたままの状態でちょっと頬を染めた。よっぽどその手を取りたいだろう、とニッカは思ったけれど、侵入者に助け起こされるような醜態を演じるわけにはいかない兵士は、もちろん自力で立ち上がった。ダメージは無いらしい。
「道を開けてくださいませんか。そうしないと、この方のようにみなさん地面に転ぶことになりますよ」
娘が、まるで子どもに言い聞かせるような優しい声で言う。
隊長は自分の考えが妥当であったことが分かって、しかし、ホッとするわけにはいかない立場である。
「貴様、抵抗する気かっ!」
聞かずもがなのことを隊長は言った。何かしら言わないと格好がつかないと思っているのだろう、とニッカは思った。
「みなさんが何もしなければ、わたしも何もしませんよ」
娘の答えに、
「全員、抜刀ーっ!」
隊長の命令の声が重なった。