第13話「宮中に遊びに行こう」
ニッカが守る門を通り抜けるのは、貴族のお偉がたに限られる。それもそのはず、この門を通るということは、王あるいはその代理である王女に謁見するということを意味しているからである。というわけで、門番であるニッカが当門辺りで見る人間と言えば、高慢が服を着て歩いている貴族か、同僚の宮中警備兵に限られるわけである。
そんなところに、カジュアルな服を着た市民風の娘が歩いて来たのだから、ニッカは驚きを通り越して、呆気にとられてしまった。
ニッカと同じくらい、二十歳くらいの娘である。まるで休日の街路を行くかのように軽やかに歩いてくる彼女はニッカの前まで来ると、春風の精のような優しげな面立ちを見せて、いよいよ彼をぼうっとさせた。淡い金色の髪が滝のように腰まで流れていて、まるでそれ自身が光を発しているかのように、薄曇りの空の下で輝いている。
「こんにちは」
と言った彼女の声が、どこか遠くの方から響いてくるかのようにニッカには感じられた。
ニッカは、頭を振った。
門番としての職務を思い出し、「しっかりしなくては!」とか思ったわけではなく、単なる反射的な行動である。人間には現実にとどまろうとする本能がある。
頭を振って、引きずり込まれそうだった夢の世界から戻ってきたニッカは、ここで何をしているのか、彼女は誰なのか、問い質した。口調は強くない。もしかしたら貴族の子女という可能性もあるし、なにより美人である。美人に強い口調で対応できない自分をニッカは恥ずかしく思っていない。しようがないのだ、と開き直っている。
「アンシに会いに来ました。通らせていただきますね」
娘は、にこりと魅力的に微笑んで、再びニッカの頭をくらくらさせると、彼の横を通り過ぎて、門へと向かった。
アンシがヴァレンス王女の御名であることは、既に述べた。王女を呼び捨てにして堂々とするなんてなんて子だろうと、と驚いたニッカだったが、やる気は無いにしても自分の仕事を忘れておらず、またそれ以上に、
――こんな可愛い子と話したら、ヨークのヤツに自慢できるぜ。
という思いもあり、もしかしてもしかしたらお近づきになれるかもしれないぞ、という下心まる出しの考えでもって、
「君、ちょっと!」
たおやかな後ろ姿に声をかけた。
「はい? なんでしょうか?」
振り返った彼女はやはり笑顔である。
思わずほんわかして弛緩した頬を、ニッカはあわててキリリっとさせようとした。しかし、あまり成功はしなかった。
「ここからは関係者以外立ち入り禁止ですよ」
ニッカが言うと、
「わたしは関係者です」
即答が返ってきた。
ニッカは、やはり貴族だったのか、と思ってひやりとした。そうして、それ以上にがっかりした。貴族の子女だとしたら、平民であるニッカが手の届かせようの無い高嶺の花ということになり、お知り合いになるチャンスなど皆無ということになる。短い夢だった、とニッカはがっくりした。そうして、どの家の貴族の方なのかを、慣れない敬語で尋ねた。
次の瞬間、ニッカの夢は再び立ち現われた。
「わたしは貴族ではありません。平民です」
娘が言う。
絶望の淵に沈んでいたニッカは、希望の岸へと這い上がることができて喜んだが、喜んでばかりもいられないということにさすがに気がついた。貴族でないとするとどうしてこの宮門を抜けようとしているのか、というかそもそもどうやってここまで来たのか。
「お友達であるアンシに会いに来たんです。どうやってここまで来たのかというと、がんばって来ました」
「いや……お友達って言われても。それに、がんばってって……」
ツッコミどころ満載の答えに、ニッカは呆れた。
まるで子どもが遠くの友だちの家に遊びに来たかのような風情である。
「門、開けていただけますか?」
小首をちょっと傾げるような仕草が可愛らしくて、つい「はい、ただ今すぐにー」と言いそうになってしまったニッカは、そう言うのをどうにかこうにかすんでの所で押しとどめた自分のプロフェッショナルを誇らしく思った。
お願いが拒否された娘はニコニコしたまま、くるりとニッカに背を見せて門の前まで歩いて行った。ニッカが一瞬遅れてその後を追う。
何をする気なのかと不審に思うニッカの前で、娘は、コンコンと門をノックした。
「いや、そんなことしても開くわけないからね」
もしかしてこの子は頭がちょっと普通と違って独特な子なのだろーか、とニッカは考えた。
――いや、だとしてもここまでどうやって……?
ヒュンヒュンヒュンと、何かが風を切る音が聞こえてきた。
ニッカはびっくりした。
いつの間にか、娘の手がロープのようなものを回している。そのロープの先には鋼色の何かがついていて、それを回す娘の手はまるで車輪を装着しているように見えた。
「えいっ」
気楽な感じのかけ声ととともにロープの先が空に上がり、門の上にガキッと引っかかった。
そのロープを娘は、扉を足場にしてタッタッと上り始めた。
ニッカは、なるほど、と膝を打った。
彼女がどうやってここまで来たか理解できたのである。




