騎兵戦線「草原の種」
草原の丘、草原の光の続きです。これで一区切り。
自陣に戻った馬厳たち遊撃隊は、様々な表情で迎えられた。すでに銀騎兵との遭遇戦については伝令を出してある。ことのあらましは、主だった者の耳に入っているはずだった。
「さすが馬厳様だ」
「三騎兵の実力は並みではない」
兵卒たちの囁きは、壊滅的な被害を受けた槍兵隊の敵を討ったということで、歓迎の色が濃い。しかし、上層部の声は固かった。招集の命令を無視し、勝手に出陣した遊撃隊を快く思っていない者もいた。
「いつから遊撃隊は、偵察の任を受け持つようになったのですかな?」
参謀長が嫌みったらしく口火を切った。痩せ細った長身の男だ。良家の三男だか四男で、家督を相続する見込みがないと見切りをつけて、軍学を修めたらしい。よく聞く話だ。
「たまたまやつらがいたから、ぶちのめしただけだ。そもそも遊撃隊がいちいち命令を待っていたんじゃあ、出遅れるぜ」
馬厳の大声に参謀長は怯んだ。
「此度の戦では、馬厳殿は大隊長の指揮下に入っているのですぞ。それを無視されては、軍の体裁が保てぬ」
「体裁かよ」
馬厳は吐き捨てた。
「その態度は何か! 王家直属の三騎兵と言えど、軍規には従ってもらう!」
「姜史、そのくらいにしておけ」
大隊長の郭玄が笑いながら止めた。齢五十を過ぎた宿将だった。皺深い顔に幾筋もの白い傷跡が走っていた。歴戦の勇士だということは顔でわかる。
「遊撃隊に行動の制限があってはならぬ。招集に応じなかったのは、時がなかった。違うか?」
郭玄は姜史に言い諭す。最後は馬厳に向けての言葉だ。
「しかし」
「銀騎兵のやつらとやりあったことがあるのは、俺と馬孫だけだ。それも数ヵ月前だぜ。やつらの力を図る必要があった。まだ、近くにいる可能性があるなら、なおさらだ」
馬厳は大隊長の視線を真っ向から受け止めていた。
「貴様、目上の人間に対する口の利き方を知らんのか!」
「よい」
郭玄の一言で姜史は黙った。
「馬厳殿は、いくつになるかな」
「あ? 二十八だが」
馬厳が首を捻ると、郭玄は深く頷いた。
「若いな。それ故の行動力か。儂も年老いたものだ」
郭玄は踵を返した。
「郭玄様?」
「不問」
姜史の弱々しい声に一言答え、郭玄は歩み去った。
「だとよ」
馬厳が睨み付けると、姜史は慌てて逃げていった。
侵攻計画は、一時的に停止した。別経路から進軍を続ける部隊もいることから、いつまでもというわけにはいかない。増援を要請したが、おそらくは、槍兵を除いた騎兵のみで継続となる公算が大きい。
「小休止か」
馬厳はすぐにでも馬を駆りたい気持ちでいた。馬と一緒にいることが何よりも好きだった。根っからの騎兵なのである。毎日駆け通しても飽きはしない。
「あいつは起きたか」
「まだ目を覚ましていない」
銀騎兵との戦闘で拾ってきた異国人は、火のそばに寝かせていた。外傷はないに等しかったが、意識はまだ戻っていない。呼吸も正常だ。疲労による睡眠と考えるのが妥当だ。体を冷やさないように、寝かせておくしかなかった。
「あの娘のことは報告したのだな」
「あ」
馬厳が言葉を詰まらせたことで、馬孫は溜め息をついた。
「あとで知られたら、面倒なことになるぞ。特にあの参謀長は、軍規だなんだとうるさいのだろう」
つい今しがた、やりあってきたとはとても言えない。
「どうするか」
馬厳は火にあたりに行った。空の色が変わり始める頃合いだ。すぐに冷え込んでくる。
異国の女は寝息を立てていた。頭の傷は縫うほどではなく、念のため清潔な布を巻き付けていた。汚れを拭うと、端正な顔立ちが現れていた。男と見間違ったことを彼女は知る由もないが、謝罪しなくてはと思わせるに十分だった。ましてや、馬厳は彼女の女の部分に触れてしまったのだ。
火から少し遠い気がする。馬厳は女の下に敷かれた毛布ごと抱えあげた。
「馬厳。お前という奴は、意識のない娘としけこむつもりか」
「なに、馬鹿なことを言っている」
馬孫のからかいは、副官の気苦労の発散だった。
「馬厳様、なんたることを!」
二人の上官の会話を耳にした小隊長の一人が、狼狽して駆け寄ってきた。
「無抵抗の婦女を手込めにするなど、英傑のなされることではありませんぞ」
「おい、誤解するな。火に近づけてやる――」
「馬厳様が暴行を働いた」
「異国の味がどうのこうの」
話を聞き付けた兵士たちが、騒ぎ始めた。
「お前ら適当なことを言うな!」
馬厳の怒声が響き渡る。その声をもっとも近くで聞いた娘が目を開けた。
「起きたか」
抱き抱えたままの娘を火のそばに下ろした。たちまち、女の悲鳴が耳を震わせた。
「やっちまったなあ」
馬孫は大笑いした。
聡い眼差しだった。
ただの娘ではないと、馬厳も馬孫もすぐに理解した。落馬したときに気を失っただけで、今は意識もしっかりと戻っていた。
「私は西方から参りました。名はシュラミス」
「何故、華の国にいた?」
馬厳の問いに娘は答える。
彼女の国は、東方への侵略を模索していた。銀の鎧を支援し、なおかつ、効果的な運用方法を教えたのは、東方域の中でも、西に位置する華の国を侵略の尖兵とする目論見からだった。
「華は、隣国の央。つまり、あなた方の国を恐れていた。いつ攻め込まれるか、不安だったのです。ちょうどその時、我が国からの申し出があり、軍備を増強するきっかけとなった」
「ちょうどだと」
「もちろん、時期は計りました」
事も無げにいうシュラミスの目は笑っていない。時を選んだのは誰であるのか、答えを聞くまでもなかった。
「侵攻の意図は明らかだったのです。先般、北でも砦を落としましたでしょう。東側からの最短経路と、北回りの裏経路」
「まさか」
馬孫は自国の軍事行動にそんな意味があるとは考えていなかった。馬厳に同意を求めようとして、息を飲む。
「そこまで分析ができたのか」
「本当なのか」
馬厳は頷いた。北に、三騎兵の紅一点が攻略にあたっていた。
「国境の村を襲い、勢いに乗るはずが、思いの外、警備隊が強かった。緒戦で破れた罰として、あんたは前線に送られた。銀の鎧を着させられて」
「まったく、そのとおりです。何故わかったのです?」
「華の国のやつらのやりそうなことだ」
馬孫は髭を撫でた。
「よく生きていられたと思います」
シュラミスは暗く笑った。生き残ったが、それでどうするという顔だった。馬厳に捕らえられている状況で、逃げられる見込みはない。たとえ華の国に逃げ戻ることができたところで、扱いがよくなるはずもない。また前線に送り込まれるだけだろう。
「何を企んでいる」
馬厳の問いに、女はわずかに動向を縮めた。馬厳は見逃さない。
「何も」
「お前は、何者だ」
女は口ごもった。
「お前の命は俺が預かっている。ことと次第によっては、今その首を刎ねても、誰も何も言わん」
馬厳の威圧感に、馬孫は背筋を冷やした。先程までは面白おかしく茶化していたが、そんな場面があったことさえ、とうの昔の出来事だった。他の小隊長や兵卒は地面に座したまま、微動だにできない。
「目的は、なんだ」
シュラミスは怖じ気づいた様子を見せなかった。それが引っかかっていた。歴戦の戦士でも、これだけの兵に囲まれた陣で平静ではいられない。ましてや、若い女である。怯えて口を開けないのが普通ではないのか。それを、淡々と自国の戦略を語った。肝が太いだけでなく、何か思惑があるとしか思えなかった。
「私は」
シュラミスは一度伏せた目をあげた。汗が顎の先から伝い落ちた。
「私は力が欲しいのです。この国に三騎兵と呼ばれる方々がいると聞きました。彼らと、彼らを要する国の力で、我が国を滅ぼしていただきたいのです」
それだけ言うと、シュラミスは荒い息を吐き出した。
「滅ぼす、だと」
馬厳は、シュラミスに当てていた気を緩めた。見えない圧力をかけ、追い込むことで、虚言を弄す余裕をなくさせていたのである。
「あの国を消すのが、私の復讐。忌まわしい記憶を――」
そこまで言って、シュラミスは意識を失った。
「危険だ」
馬孫は低く呟いた。腰の短刀に手をかけていた。
「この女は、俺が預かる」
「よせ」
「従わせる」
馬孫は鞘から手を放した。
「知らぬぞ」
そう言いながら、面倒を見る羽目になることは予想できていた。
遊撃隊の面々には、他へ口外しないことを言い含めた。今日これから、同じ部隊の仲間ということにした。
「お前が当の三騎兵と知ったら、彼女はなんと言うかな」
馬厳はシュラミスに毛布をかけてやった。
「気づいたさ。だから、隠さず戦略の全貌を語った。あれで俺が驚いたら、あてが外れたということだ」
「そんなものなのか」
馬孫はわからぬというふうに首を振った。
「飯にしよう」
馬厳は彼の肩を叩いた。
恐ろしいのは――
国境での緒戦から、今日の遊撃隊との遭遇戦まで、彼女の思惑が働いていたのではないかということだ。そう考えれば、銀騎兵の中隊があの場にいた理由がわかる。偶然ではすませられない。
馬厳はシュラミスの汗を拭ってやった。細い首は女のものだ。軽く手を添えれば、息の根を止められる。
衝動に身を任せるか、暗い感情を抑え込むか。
「飲むか」
馬孫が杯を差し出した。
「ああ」
共にシュラミスを殺そうとしながら、互いを止めることになろうとは、馬厳は思いもよらなかった。
「一杯だけな」
女のつきの良さに杯を捧げた。