みっしょん、かもしれない・1
浜田美穂の住んでいる寺と、田辺弘樹の住んでいる神社は明治以前は一つだったのだそうだ。
「廃仏毀釈で分割された」
弘樹の説明を聞いて、龍生はフムフムとうなづいていた。
「えええっと、明治何年のことやったかいな? 」
「龍生、言葉が大阪弁のようで、大阪弁ではないなあ。けったいやで」
「しゃあないやん、日本中ウロウロして育ったさかい」
「無理せんでもええのんとちゃうか? 」
「その件は、まあ、ええわ。で、はいぶつきしゃく、何年や? 」
「慶応四年三月十三日に出た太政官布告と明治三年一月三日に出た詔やな」
「みことのり? 」
「天皇陛下の御言葉」
「なんでそないなけったいな言葉を使うのやろうな」
「知らんがな。なあ、龍生、お前が何で廃仏毀釈なんぞ、気にすんねん? 」
「はいぶつきしゃくなんぞ、どうでもええねん。お前ん所と美穂ん所の寺が分けられた時のいきさつが知りたい」
「美穂の祖父さんに聞いたらどうなんや? 」
「以前『神社と無理に分けた時、古い記録はみんな取り上げられた』って聞いた覚えがある」
「僕の親父は社会科の教員で考古学マニアやけど、古文書は確か一切、祖父さんが死んですぐ、どっかの大学の先生に預けたみたいや。あ、親父」
弘樹が視線を向けた先には、弘樹によく似た顔の中年男が立っていた。現在この神社の宮司も兼任している弘樹の父・芳樹だ。龍生の記憶の中の芳樹は常にグレーのスーツに真っ白いカッター、黒いニットタイというスタイルなのだが、今日もそのままの服装だった。宮司と言うより、ダンディな紳士という感じだ。靴は相変わらずイギリスのメーカー・チャーチらしい。
「なんでオッチャンは、いつもそういうネクタイしてはるんですか? 」
小学二年生の時、龍生はふと芳樹に尋ねたことが有った。自分の父親はニットタイを持っていないようだったので、珍しく感じたからだ。すると答は龍生の予想もしなかったものだった。
「オッチャン、ジェームズ・ボンドのファンやねん」
イアン・フレミングの小説の中のジェームズ・ボンドは、いつも黒の手編みのシルクのニットタイを結んでいるのだそうだ。簡単に手洗いできるし、アイロンの必要も無いそうだ。本当はフォーマルなものではないが、色が黒いと、どんな場所でもさほど浮かないのも具合が良いらしい。
身長百八十三センチ、体重七十六キロという小説のボンドの設定通りの体格なのも、オッチャンの自慢だったはずだ。今見る限り、メタボにもならずそのままの体型を保っている。
「おじゃましてます」
龍生は腰かけていた縁側から立って、一礼した。
「ああ、龍生君か! 久しぶりやな。大阪に戻ってきたんか」
「はい。父が本社勤務になりましたので」
「何ぞ、あったんか? 」
オッチャンはやはり、相変わらず鋭い、と龍生は感心した。
「(なあ、龍生君、あんたの隣にさっきからずっと白いおキツネ様が寄り添ってはるなあ)」
「(オッチャン、エスパーですか?)」
「(なんや知らんけど、昔からこんな具合や。龍生君も同類かいな)」
「(このおキツネ様、今朝がた俺の夢に出て来はったんですけれど、意思の疎通ができません)」
「(なら、待っていてや。急いで身を清めて着替えてから、おキツネ様を本殿におよびするわ)」
弘樹は龍生と父親が何やら互いに無言で見詰め合って、互いに何か心得顔になったのを、奇異に感じていた。
「なあ、親父と何を目と目で見交わして、二人の世界に入ってんねん。男同士で胸糞悪い」
「アホか。弘樹には、おキツネ様、見えんのやな」
「なんやて? 」
「朝からずっと、大きな白いおキツネ様が俺についてはるんやわ。このままではうまい事、意思疎通が出来んから、お前の親父さんはすぐに気が付いて、いま御本殿に来ていただくための準備をしてはる」
「親父が変な力が有るのは薄々知っとったんやけど、龍生は同類やったんか。そんでおキツネ様は、お前の隣にいはるのか。僕にはなんも特に見えんのやけど」
「ただただ、無言で脇にいてはるだけなんやけど、なにぶんデカイし、気にするな言う方が無理。ただ夢の中では不思議なことに言葉が響いてきて、神社と寺がバラバラなのは好かん。何とか一つにならんか、と言うてきたんやわ」
そうこうする内に芳樹は神職らしく身なりを整え、龍生と弘樹を本殿に呼んだ。
朗々と祝詞をあげる姿は、さすがに決まっている。さっきまでの英国風紳士とはずいぶん違うムードだ。
心願を以て空界蓮来高空の玉野狐の神鏡位を改め神寶を以て七曜九星二十八宿當目星有る程の星私を親しむ家を守護し年月日時災ひ無く夜の守日の守大い成る哉賢成る哉稲荷秘文謹み白す
祝詞の言葉からすると大きな白いキツネは稲荷大神であると、オッチャンは判断したようだ。
バチン!
大きな音がして、白い大キツネが神棚の中の鏡に入ったように見えた。
「(もともと隣の寺とこの社は一体であるべきもの。別れているのは不都合じゃ)」
「(ですが神の姿を感じ取れぬものたちに、どのように納得させれば宜しいでしょうか)」
確かに、正直な話をしても頭がおかしいと思われるのがオチだ。
「(お前の小倅と、寺の小娘を娶わせよ)」
「(人の世のならいでは、まだ嫁を娶ることはかないません)」
「(厄介じゃのう。そこな異界の龍の生まれ変わりに仲立ちをさせて、寺の小娘と住職をここによべ」
「(今すぐですか?)」
龍生は異界の龍の生まれ変わりと言われて、妙に自分でも納得した。
「(難しいか? ならば、我が今夜住職と小娘の夢枕に立とう。早くせぬと異界の龍、お前も困るのだぞ)」
「(俺がですか?)」
「(お前の穢れは完全に清めぬと、想いはとげられぬ)」
「(龍生は異界の龍だったのですか?)」
弘樹は気が付くとこの奇妙な会話に加わっていた。
「(そうだ。小倅、寺と神社が一体になるとこの地にあまたのよきことが有ろう。同時に異界の龍の前世での心願を果たす助けにもなる。よいか、みな心をあわせ、みっしょんを果たせ)」
バチン!
心霊現象のラップ音と言うには、余りに大きな音が響いたと思ったら、稲荷大神らしき存在の気配は完全に消えていた。
「(なンや、僕も変な力が目覚めたみたいやな)」
弘樹は戸惑いながらもテレパシーを使っている。
「(それにしても、ミッションですか。風変りですね)」
「(毎日御奉仕する私がスパイ小説が大好きだから、その影響を受けられたんだろう。多分、ミッションと言う言葉がぴったりだ、とおキツネ様は感じられたのだろう)」
「(あのおキツネ様はお稲荷様ですか?お稲荷様と呼ぶべきですか?)」
龍生はその点を芳樹に確認したかった。
「(私はそう考えるが、それでも神様のお名前を直接お呼びするのは、憚っているのだ)」
なるほど、尊い存在の名を軽々しく呼ばないというのは、日本古来の習わしだ。
「いきなり大変な事になった。ミッション・インポッシブルです! なんて言っても聞き入れられそうに無い」
芳樹は苦笑したが、その点に関しては龍生も弘樹も同じ感想だった。