えらいこっちゃ・2
「やっぱり、夢ではないわな……日記帳はこうしてここに有るし……」
高志は先ほどまでここに居た少女が、真実母親の生まれ変わりなのだろうと思いながらも、余りに突拍子も無い『事件』をどう受け止めるべきか、悩んでいたようだ。先ほどから鍵の開いた母親の遺品の日記帳をパラパラ捲ったり、頭を抱えて唸ったりしている。
康子は食べ終わった昼食の後片づけをしながら、ちょっと見た目には平静に見えるが、水道の水を出したまま手が止まっていたりする。
「お母ちゃん、お母ちゃん? 水出っ放し」
杏が声をかけるまで、ぼんやりしていたのだ。杏の見る所、フェリシアのいきなりの出現がよほどショックであったらしい。
それでも康子はどうにかこうにか食器を片づけ、買い物に出かけるようだ。
「夕飯のお買い物に行ってくるわ」
「なんかお母ちゃん様子が変だから、私も一緒に行くわ」
高志は一人で祖母の残した日記帳をゆっくり読みたいのでは無いか? 杏はそんな気もしたのだ。
母娘で休日に商店街に出かけるのも久しぶりだ。幼いころの様に道すがら話をした。
「私、今、変かなあ」
「変。フェリシアさんが出てきたのが、そんなにショックやった? 私は三度目やから慣れたけどな」
「さっき中学の屋上でって言っていたけれど、他にはどこで? 」
「お神社の田辺君のお父さんや、お寺の浜田さんのお祖父さんと一緒に会った。その前に大きなおキツネ様に会ったんだけどね。そのおキツネ様が三つの宝珠、ってものを探していて、そのお手伝いのためにフェリシアさんと旦那さんのマークさんがお神社に呼ばれたみたいだった」
杏はおキツネ様の様子を詳しく説明すると、康子は「なんだか大変ねえ」とため息をついた。
「お母ちゃん、今日は『何、意味不明な事言っているの』って言わんねえ」
「あれだけ奇妙な体験をすれば、そんな狐もいるのかなって結構すんなり話を聞けたわ」
杏はこれまで色々と奇妙なものを見てきた。霊魂とか妖怪とかの類では無いかと思うのだが、康子は「そんな非科学的な話、信じられないわ」などと言って取り合ってくれなかったのだ。田辺弘樹の父親である神主の芳樹や、浜田美穂の祖父で住職である正覚は、そうしたものに対する感覚が普通の人より鋭いようで、杏の話も笑わないで真面目に聞いてくれたし、同じ幽霊や妖怪を見て浄化したり調伏したりと言う事もあったのだった。
「じゃあ、田辺さんや浜田さんのおうちの方は、あのフェリシアさんの事を承知してるのね?」
「うん。弘樹君のお父さんと美穂ちゃんのお祖父さんは、今の旦那さんのマークさんとも話をしたわ。その時は自分が皇帝やなんて話はしてへんかった。『異世界の龍の器をやっております。マークと言います』言うのンが自己紹介やった」
「何なのかしら? 龍の器って」
「私もようわからんけど、異世界に金銀一対の龍がいて、金色の龍がマークさんに、銀色の龍がフェリシアさんに宿っているというか寄生しているというか、そんな状態らしい。田辺君のお父さんが一番色々詳しく分かってはるみたいやった」
「宮さんのおうちの方は、どうなのかなあ」
「龍生は全然そういう話は、家族にせんみたい。そうそう、おキツネ様が言うには龍生は異界の龍の生まれ変わりだって。マークさんが龍生も異世界の関係者だって言ってた」
「ねえ、宮さんの奥さんの前では龍生なんて呼び捨てはやめてよ」
「小さい頃からそうやったやん」
「それでも、中学生になったのだから礼儀というか節度というか、わきまえないといけないわ……それにしても、龍生君て、龍の生まれ変わりなのか。へええ、なるほどね」
「なんか、心当たりが有るん?」
「宮さんがね、龍生君を産む前に、幾度も銀色で目が赤い龍の姿を夢に見たらしいわ。だから名前に龍の字をつけたらしいの。龍神様のご加護でも受けている子供なのかなと思ったんですって」
たどり着いた日曜午後の商店街は、ずいぶん混雑していた。幾つかの地方の都市にも住んだ経験があるが、人出の多さはやはり段違いだ。賑わう商店街はやはり、大阪に戻って来たのだという感慨を深くする。
「あ、あそこの美味しいたこ焼き屋さん、相変わらず大繁盛やね」
「やっぱりたこ焼は大阪よね。買い物の帰りに買って帰ろうか」
「あ~、私、あっちの豚まんとか、みたらし団子も食べたい」
「じゃあ、ちょっとづつ、全部買おう」
「お母ちゃん、太っ腹~」
「ふふふ、全部お安いわよ」
それでも、やはり母親はいつもより気前が良いと感じる。
「さあ、これから始まるタイムサービス、頑張ろう~」
「おう!」
母娘がスーパーのカートを取ろうとしたその時に、後ろから声がかかった。宮龍生の母・真知子だ。康子同様、真知子も関東の出身である。
「今、これからお宅に行こうかと思ってたの。チョっとお話が有って。あそこのケーキ屋さん、新作が出たって……お話がてらお茶しない? それともお急ぎ?」
「夕飯に間に合えば、それで構わないわ。新作って、どんなの? あそこ地味な店構えだけど、なんでも美味しいわよね」
「私はロールケーキの新作が、すっごく気になるの……って、杏ちゃんも一緒に良いかしら? その、龍生の前世って言うのに関係ある話で、杏ちゃんも大いに関係してるそうなんで」
「ああ、今、ちょうどその話をしていたのよ」
母娘は宮真知子の後について、ケーキ屋に入った。
他の地方ではこんな古めかしい商店街の一角に、マスコミでも話題の美味しいケーキ屋が有るのは珍しいのではないだろうか。食べ物に厳しい大阪だからこそ、味一筋で競争に打ち勝ってきたこう言う店も有るのだろう。
「二階に行きましょう。その方が落ち着いて話せそうだわ」
新しく二階を改装して設けられたと言う喫茶コーナーは、なかなか洒落た雰囲気で、掃除も行き届き気持が良い。
「宮さんのお宅に、誰か来はりました? 」
「龍生の前世の兄にあたる人、というマークさんて人が来たの」
「ウチの方には杏とよく似た顔のフェリシアって人が来たわ」
「その人、杏ちゃんのお祖母ちゃんの生まれ変わりなの? マークさんがそう言ったけれど」
「主人はショック受けていたのよねえ。一番お母さん子だったから。杏そっくりの女の子がいきなり出現して、生まれ変わりだなんて言われて、まだ正直頭が混乱してるみたい」
康子の言うように、父・高志のショックが一番大きかったのは確かだと杏も思った。
「うちの方は、たまたま高校時代の同窓会に出ていて主人は留守だったんだけど、龍生とお昼を食べ終わった直後に、いきなり部屋にマークって人が現れて、びっくりした。龍生が全然驚かないのも、なんだか私はショックだわ。それでね、龍生とマークさんの二人でどこかに出かけちゃったのよ」
「ねえ、おキツネ様からの頼まれごとって、なあに? 杏ちゃんは知ってるって聞いたわ」そう言う真知子は、どうやら新作ケーキの味を楽しむどころではない、落ち着かない気分であるようだった。