えらいこっちゃ・1
「なあ、お父ちゃん、何で私の名前は杏になったん? 」
「そらまあ、その……あれやで……」
杏の父親で、京子の長男である高志はちょっと言いよどんでいた。
「前にも言った様に、お祖母ちゃんが乗っていた飛行機の地面に激突した推定時間と日付と、杏の生まれた日付・時間がおかしなぐらい、ぴったり一致したのよ」
母親の康子は、いまだに大阪弁を話せない。
「日付が一緒なだけでも、滅多無い事やと思うんねんけど、分単位まで一緒言うのんは、ただ事では無さそうやろ? 」
高志は事故の時の辛い記憶がよみがえって来たらしく、暗い表情になった。
「つまり、お父ちゃんと私は、あんたがお祖母ちゃんの生まれ変わりなのかなと思ったわけよ」
康子も色々昔を思い返しているようだった。
「……あのな、生まれ変わった京子ばあちゃんと私、肉体と魂を交換したって聞いたんやけど、それって……お父ちゃんもお母ちゃんもどない思う? 」
「有り得るのかな、分からんわ、そんな事……って、そんな話、誰に聞いたんや! 」
高志が大声を上げると、急に大きく空気が揺れた。
「そんなん高志、私が言うたに決まってるやん」
うわっ! と高志と康子は思わず声を上げた。赤い眼の杏によく似た少女がいきなり目の前に出現したからだ。
「私は異世界に生まれかわったんやわ。普通の人間と少々違う所が有ってな、今はこうやって目的地に、いきなりワープできんねん。どない? 今のこの顔、杏ちゃんによう似てるやろ。異世界の神さんの縁続きになると、こないな顔のつくりになんねん。そう言えば高志、たまげてたなぁ、自分と似ても似つかん可愛い子が生まれて」
「ホンマに、ほんまにお母ちゃんの生まれ変わりなん? 」
「証明しよか? あんたが読みたがっていた伊丹京子の遺品の鍵つきの日記、持っといで」
高志は仏壇の引き出しから問題の日記を持って来て、恐る恐る謎の少女に差し出した。日記の鍵はダイヤル式なのだ。鍵を壊して読もうかどうか幾度も高志は悩んだが、どうも気がとがめて、そうも出来ないまま、月日が過ぎたのだった。
「ほら、開いたやろ。それでここに挟んであるのが、あんたに連れられて康子さんがこのウチに初めて来てくれはった時の写真、それでこっちがあんた達の結納をやった東京のホテルのパンフレット」
もう、この頃には高志も康子も、この赤い目の少女が伊丹京子の生まれ変わりであると信じ始めていた。
「あのなあ……」
高志は言いにくそうに顔をしかめて、悲しそうに眼をしょぼつかせた。
「お父ちゃんのお墓なら、お参りしたで。肺ガンやったって? 大変やったな。せやけど、無事にお父ちゃんも生まれ変わって、頑張ってはる。せやから、あんたたちも、もう、あんまり悲しまんどいて、な。ご両親に大切に育ててもろて悪くない境遇やと思うわ。もっとも今のあの人には前世の記憶は、一切無いのやけど」
「なぁ、何でそんな事までわかるねん」
「お父ちゃんの臨終の瞬間、夢で見たんよ。それで息を引き取る最後の瞬間に『きょうこ、きばりや』って言うてくれはったのも見たわ」
その言葉を聴いて、もう、完全にこの少女が伊丹京子の生まれ変わりだと高志は確信した。
「なんで、介護した子供たちやのうて、亡くなったお母ちゃんの心配してはったんやろ? 」
「実際、異世界で色々難儀な仕事をやってたさかい、その気配を感じ取ってエールを送ってくれはったんや。そんでもって、その夢は私だけやのうて、今の夫も一緒に感じ取ったんやで」
「今の夫って、お母ちゃん、再婚したんか? 」
「あちらの世界では初婚になる。今の夫はあの世界の皇帝なんや」
「コウテイって、皇帝陛下? 」
「そう。せやから私は今はあっちの世界で皇后陛下やってんねん」
「へええ……なんや、頭がついてゆかれへん」
高志は頭を抱え込んでしまった。
「あの、お母さん、杏がさっき言っていた事ですけれど、魂と肉体の交換って、何ですか?」
「康子さんが生んだ娘は、今の杏ちゃんの肉体に今のこの私の魂が入って生まれ変わった状態だったんです。でも、ある日を境に突然、母親であるあなたに対しての反応の仕方が変化したんじゃありません? 」
相手が大阪弁ではないと、途端に標準語モードになるのが生前の伊丹京子と同じかもしれないと、高志は少女の話しぶりを聞きながら感じていた。
「ああ、思い出しました。生後三ヶ月ちょっとして、初めてベビーカーに乗せて商店街に行った日の帰りから良く泣くようになって、夜泣きも始まって、びっくりしました」
「あの日、商店街にまで今の夫が異世界の神様を引き連れて、私の魂を迎えに来ました。代わりに異世界の神様の眷属に当たる家の女の子の魂を、今までの肉体に納めたわけです。この異世界の魂も伊丹京子にとってやはり孫のような存在なんですけどね。色々独自ルールがあって、わかってもらいにくいでしょうから、またおいおい御説明します」
康子は長い間の謎が解けて、スッキリしたらしい。すると、それまで黙っていた杏が恐る恐る質問した。
「あのう……あなたをどう呼んだらええんです? お祖母ちゃんって言うのも奇妙やし」
「フェリシアと言う今の名前で呼んでもらうのが、やっぱり一番しっくり来るかな」
「フェリシアさんは、この前、中学の屋上で旦那さんと一緒に現れたとき、私と龍生がラブラブじゃないと、使命と言うかお仕事というか、色々支障が有るって、言うたでしょう? 」
「言うたなぁ」
「それって、どないな意味? 」
「言うた通りの意味。二人の転生は、あちらの世界にとってはとても重要な事なんやと言う事だけは、承知しておいて欲しい。後は……まだ、あんたら中学生やし、気が早い話をするわけにもいかんわ」
「杏が龍生君と結婚するのは、もう決まりなんですね? 」
康子の問いにフェリシアは頷いた。
「前世からの因縁と言うか、強い願いと言うか、色々複雑ないきさつがあって、是非そうなって欲しいとは思うんです。でも、基本的に今は、康子さんと龍生君のお母さんの申し合わせ通り、中学生らしい節度有るお付き合いを続けて欲しいものですね」
「なあ、宮さんの所もウチも一人っ子同士やで、苗字や墓やこの家の事はどうしたらええんや?」
「苗字や墓は他の孫がついでもええやん。次男やけど広志の所は男の子ばっかり三人もいてるやろ。この家は希望を言うたら……杏ちゃんと龍生君が住んでくれると一番嬉しいな。そうすると、生まれ変わったお父ちゃんも遊びに来やすいはずやから」
「と言う事は、お父ちゃんの生まれ変わりの子は、ひょっとして杏や龍生君の同級生か何かかいな?」
その高志の問いに、フェリシアと名乗る母の生まれ変わりらしき少女は当惑したような表情を見せてからこんな風に答えた。
「ああ、ごめん。今のは聞かんかった事にして。今のお父ちゃんは、前世の記憶がまるで無いねん。知らん方がうまく行く事も色々有るよって。その内月日がたてば自然とわかる事やから、まだ、そっとしておいて欲しい」
「あかん、そろそろ失礼するわ」と言い置いて、またいきなり少女が消えてしまった後には、先ほど鍵の開いたばかりの伊丹京子の日記帳が残されていた。