そこがぬるま湯であったとして
時を遡った事を自覚したのはリサだけではない。
勇者と共に魔王を倒すべく歩んできた他の仲間もそうだった。
魔法使いたちの研究機関である魔法塔で、天才と称されていた魔法使いアリア。
彼女はある研究を成功させ称賛されていたが、その研究を実践でも試してみるという事で魔王討伐に加わったクチだ。理論上は成功している。
実践するにあたって、塔での小規模実験では成功した。
だが、それ以外の――通常時で当たり前のように使えるかどうかはまた別の話だった。
実戦で使えなければ意味がない。
だからこそ、アリアは編み出された新たな魔法でもって魔族たちとの戦いに身を投じたのである。
そしてそこで、勇者たちと出会った。
そうして行動を共にして、気付けばアリアもまた勇者に想いを寄せるようになっていた。
光の加護を得た勇者。
神からの祝福を授けられた存在。
だからこそ、彼の存在は世界にとって希望であった。
世界中の人間の期待を背負う、というのは一体どれほどの重圧だろうか。
そんな重圧を、背負っていると自覚させない、ごく当たり前の態度であり続ける勇者にアリアは尊敬の念を抱いてすらいた。
勇者として鍛えてきたのもあるから、肉体的な強さは言うまでもないが、彼は精神が強いのだと。
自分にはない強さだと。
そう思えば思うだけ、自分にないものを持っている勇者への想いは焦がれる一方であった。
アリアが新たに編み出した魔法は、成功すれば魔族にとっても脅威となるはずであった。
実際に、身動きがとれなくなった、ロクに抵抗もできない相手にであれば通じはしたのだ。
無抵抗の相手に、というのならそれは意味がないのではないかと思うのは当然だが、しかしいざ戦いの最中にその魔法を使うのは難しかった。
詠唱が長すぎたのだ。
簡単な魔法なら無詠唱でも発動は可能だが、しかし新たに編み出した魔法はそもそも歴史が浅い。昔から脈々と受け継がれてきたものではないので、ほぼ未知の状態である。下手に詠唱を短縮したところでマトモに発動するかもわからず、また下手をすると暴発の可能性も秘めていた。
だからこそ、アリアは旅をしていく中でその魔法を何度も使い、練度を高めていかに速やかに発動できるか……それが課題だったのである。
実際最初の頃と比べれば魔王と戦う時は大分詠唱も無駄な部分を削って短縮されてはいたのだ。
だが――
それでもなお、魔王との戦いで使用するには時間がかかりすぎた。
一般兵レベルの――要するに雑魚扱いしてもいいような下っ端魔族相手であれば戦いの中で使い効果を発揮できるようにはなっていたけれど、幹部クラスの魔族相手では少々厳しかった。
発動し、その魔法がきちんと相手に命中すれば効果は絶大であるけれど、しかし強い魔族と戦う時にはその成功率は落ちる。詠唱をしている間に警戒されるし、詠唱を中断させようと攻撃が集中するし、いざ発動したところで既に相手は警戒している。故に、真正面から魔法を受けるなんて事をするようなことにもならずに大体は回避されるのだ。
そうできないように他の仲間たちと立ち回って命中させる事もできはしたが、毎回それが通用するわけでもない。
精霊の力を借りていたリサの手伝いもあってアリアの対魔族用の切り札とも言える魔法は少しずつではあるが、詠唱を短縮し使えるようになってはいたけれど。
やはり、魔王相手には未だ早すぎたのだ。
目の前で魔王によって勇者が倒された時、アリアはこの世の終わりを実感した。
愛する者が目の前で死んだのだ。絶望もしよう。
勇者が倒れ、そしてその後仲間である自分たちもきっと楽には死ねない――
そんな風に考えた。
けれども時が戻ったのだ。
勇者と出会う少し前に。
アリアは故に考えた。
時を遡る直前で聞こえた声はきっと神様のものだ。
勇者が死ねば魔王によって世界は滅亡の一途をたどるだろうから、それは神からすれば望まぬ展開である。
だからこそ、神は時間を巻き戻して、勇者が魔王に敗れたことを無理矢理なかった事にした。
「成程ね、確かに奇跡だわ」
だが、世界の時間を巻き戻すのだ。それがどれ程の力を使うか、アリアにも想像ができない。
一度だけ、と言っていた気がするが、むしろその一度が使えただけでも凄まじい奇跡であろう。
そう何度もホイホイ時を戻す事はできない。だからこそ、神は本当に最後の最後までその奇跡を使う事はしなかった。だが勇者が負けた事で出し惜しみをしている場合ではないと判断したのだろう。
故に、時を巻き戻した。
こうして戻る前の事を憶えているのは、つまり忘れてしまってまた同じ事を繰り返さないためだ。
そしてもし、また同じ過ちを繰り返したその時は。
(次こそ世界の滅亡が待っている……)
そう考えただけで、背筋に冷たいものが走った。
であれば。
アリアは自らやるべき事を考える。そして答えはすぐに出た。
実のところ、魔族たちに絶大な効果を発揮する魔法を編み出した時、それは決してアリア一人でできたものではなかった。魔法塔で同じく切磋琢磨していたアリアにとってライバル的な存在、アーネストもまたその研究に一枚噛んでいたのだ。
だが、新たな魔法を編み出し、いざ発動というその時に魔力暴走を起こしアーネストは大怪我を負った。結果として体内の魔力器官を激しく損傷し、魔法を扱う事ができなくなってしまい彼は魔法塔には居られなくなってしまった。
だが、あの時アリアは薄々その失敗の気配を感じていた。けれどアリアは新たな魔法を編み出すという部分に重きを置いていたし、そのための犠牲であれば仕方がないとも考えていた。
前のアリアは勇者に出会う以前、魔法にのめり込みそれ以外を疎かにしがちであった。だからこそ、アーネストの事だってあっさりと見捨てる事ができたのだ。
けれども。
その結果はどうだ?
確かにアリアは犠牲を出しつつも魔族に対して脅威とも言える魔法を編み出しはした。
だがそれは決して完璧なものではなく、より実戦に使えるようにしていかなければならなかった。そのための努力を怠ったわけではない……が、その努力は充分だったかと言われるとそうならなかった。
わかっている。
アリアが勇者に恋をして、魔法以外に意識を割き始めたからだ。
そんな事に意識を向けず、ただひたすらに己が編み出した魔法を精練し続けていればあの時――魔王との戦いでもっと役に立てたはずだった。
時を戻った今、では勇者への想いを捨てられるか……と言われれば恐らくは無理だ。
アリア以外の仲間たちも勇者に恋をしていたように思う。
だから余計に、自分を見てほしくて、気を引きたくて。
恋に溺れるなんて馬鹿だと、かつてアリアはそう思っていたはずなのに。
だがいざ自分が恋をしてみれば、かつて馬鹿だと思っていた存在に自分が成り下がっていたのだ。
他の仲間と親しい様子の勇者を見ても、恋が冷める事はなくむしろ余計に燃え上がった。
今もアリアの胸の内には、その恋心が燻ぶっている。
このままでは、また同じことの繰り返しになる。
だからこそアリアは。
新たな魔法を編み出す際に、アーネストが魔力暴走を起こさないよう動いた。
本来ならば、アリアが助けさえすればアーネストが大怪我を負う必要なんてどこにもなかったのだ。けれどかつてのアリアは新魔法を創造するという事と、ライバルとも言えるアーネストを内心疎んでいたからこそ。
助ければ助かるはずだった相手を見捨てたのだ。
だが今回はそうしなかった。
新魔法の創造よりもアーネストを優先した。
結果として新たに生み出された魔法はアリアだけの功績ではなくなったがアリアはそれで良かった。
できたばかりの、詠唱もまだ余分なものがくっついた状態で粗削りとしか言いようがない魔法であっても、アーネストはその魔法を洗練させるための努力を決して怠らない。何よりアーネストは男だ。勇者と恋に落ちる事もないだろうし、かつての仲間たちとアーネストが恋に落ちるとも思えない。
彼はどこまでも一直線にこの魔法を研ぎ澄ませる事を目的として行動するはずだ。
だからこそ、アリアは勇者の仲間として同行する事から降りた。新たな魔法を編み出した功績をアーネストのものだとして、彼に勇者と同行するように仕向けた。
勇者への想いはまだアリアの胸の中に残っている。
いるけれど、その想いを抱いたまま勇者について行けば、また同じ事の繰り返しだ。
だからこそ、この恋を抱いたままでは勇者と共にはいられない。
アリアは魔法塔に残り、他の魔法の研究に没頭する事にした。
アーネストはアリアと同じくらい……いや、恋に現を抜かさない事からアリア以上に力を発揮するだろう。
魔王と戦う時にはきっと、あの魔法もアリアが使った時以上に完成されたものになっているに違いない。
それならば自分は。
世界が平和になった後で役立ちそうな魔法を研究しよう。
かつての旅の途中で思いついた事もある。
平和になったらまた魔法の研究をしようと思っていたはずが、いつからか勇者とのその後ばかりを想像するようになっていったため、今のアリアの頭の中にあるそれらは断片的なものでしかないけれど。
だがここで研究に没頭していけば。
いつしかそれらもまた新たな形を得て、そうしてきっと世界の役に立つだろうから。
そんな風に塔にこもって研究に明け暮れていけば、思いのほかすんなりとアリアは研究にのめり込み、勇者の事を思い出す回数も減ってきた。
時を戻ったばかりの頃はよく勇者は今頃どうしているだろうかなんて考えていたのに、最近では意識しないと思い出す事すらなくなってきたのだ。
そして気付く。
(確かに私は彼が好きだった。でも、その好きはきっと本当の好きじゃなかった。
他の皆も彼に想いを寄せていて、だからそんな彼を独り占めしたいと思ったし、そのために気を引こうと一生懸命だったけど……それはそういう環境にあったから。
もし今みたいに魔法塔にいる状況で、そこに彼がいたとしても。
私きっと、そうしたら彼にそこまでのめり込まなかったんじゃないかな……)
魔王を倒すための旅。
常に同じ場所に留まるわけでもなく、魔王を倒すべく目的地へ向かい移動し続けていた。
休息のために町や村に立ち寄る事もあったけれど、滞在時間は数日程度。
今までのように魔法の研究をしようにもそんな余裕はなかったし、自由時間にできる事は本当に限られていた。
そんな環境下でアリアが好きな事へ意識を向けるとなれば、それが勇者だった。それだけだったのだ。
魔法塔というアリアにとっては慣れ親しんだ環境で、ずっと好きな事に没頭し続けた事で気付いてしまった。
勇者への恋は確かにあった。
あったけれどそれは、今までとは異なる環境下で己の気持ちを安定させるための――魔法研究という一番好きなものができなくなった事からきてしまった、代替品のような感情であったという事を。
そしてその恋に溺れた事で、編み出した魔法の改良という本来の目的も疎かにしてしまった。
本末転倒とはまさしくこのこと。
恋に溺れていた時にはそんな風に考えもしなかったが、魔法塔で日々同じような生活を続けていけばかつての自分の行動はどう考えても馬鹿の極み。黒歴史と言ったっていい。
思わず叫びたくなって、羞恥にのたうち回りたくなってしまったが、そんな気持ちを振り切るように一層魔法の研究に没頭し続けていくうちに――
気付けば世界は平和になっていた。
勇者の仲間である者たちも英雄として称えられ、その中の一人であるアーネストは魔法塔の誇りであるとまで言われるようになったけれど。
アリアからすれば特になんとも思わなかった。
以前であれば。
きっとそんな風にはならなかっただろう。
アーネストはアリアにとって唯一己の存在を脅かすかもしれないライバルで、だからこそ前は魔法を編み出す時にアーネストを見捨てたのだから。もしあの時にアーネストが魔法を使えなくなるような大怪我を負わず、何事もなく魔法を編み出す事ができていたとして。
そしてアーネストが勇者の旅に同行する事になったとしていたのなら。
その時はきっとアリアの心の中は嫉妬で狂っていたに違いない。
私の方があいつより優秀なのに!
そんな風に思って。
だが今のアリアは、勇者が魔王に敗北する様を見て絶望し、その上で時を遡ってきたアリアで。
次は奇跡なんて起こらない。それを理解した上で勇者との旅を自ら下りたアリアなのだ。
そして更に勇者への想いは魔法研究というものができなくなった結果の新たな趣味くらいのものでしかなかったと悟ってしまったアリアであるので。
アーネストが英雄として称えられたところで、正直なんとも思っていなかった。
私のかわりに魔法研究もロクにできない環境に身を投じて、ついでに魔王とかいう脅威を排除してくれた相手。
つまりは厄介ごとを引き受けてくれた――貧乏くじを引いた相手とも言える。
そんな相手に嫉妬するなんて事は、今のアリアには一切なかったのである。
それに勇者が魔王を倒すまでの間にアリアはいくつもの魔法を編み出していた。
ただ編み出しただけでは意味がないために、それらを自ら実践し改良に改良を重ね、誰でも使えるまでにしてきた。
世界が平和になったなら、これらの魔法は確実に役立つものだ。
対魔族用に編み出した魔法も確かにとんでもないものではあるけれど、しかし平和になってしまった今、使いどころは特にない。あれはあくまでも魔族に向けたものであって、人間に使ったところで効果はほぼない代物なので。
それに、そんな魔法を作りだしていく過程で魔法塔にいた他の者たちとの交流の機会も格段に増えた。
今までは一人で研究に没頭し続けているだけで満足していたが、しかし世界が平和になったあとで使うための魔法は自分一人だけが独占していても意味がない。
アリアが新たに編み出した一連の魔法は生活魔法と呼ばれるようになり、他の魔法使いたちからも重宝されるようになっていった事で、アリアの周囲にはそんなアリアを尊敬する者たちが集まるようになっていたのである。
今まではなんだかんだ自分と関わる事が多かったのはアーネストだった。
自分と渡り合えるだけの実力者はアーネストくらいだと思っていたからだ。
けれども、そうではなかったのだとアリアは知った。
人とロクに関わる事がなかったためにそう思い込んでいただけで、得手不得手は人によるという当たり前の事をアリアは今更のように理解したし、様々な人と関わる事でアリアの視界は大きく開けたのである。
それは前の旅の時にもうっすらとあった事ではあるのだけれど。
しかしやはり前の旅の時、アリアの中にあった大半の事は勇者に向いていたからこそ、今のような広い視点で物事を見るまでには至らなかったのだ。
旅は人を成長させるとは言われているが、しかしアリアに関してはその逆だった。いや、旅をして失敗した事から更なる成長を遂げたと言う意味では合っているのだが。
旅から戻ってきたアーネストが、魔王を倒すまでの道のりについてアリアに色々と言ってはいたけれど。
(あぁ、うん、前とそんな違いはないな)
なんて思って適当に聞き流していた。
ただ、少しだけアリアが反応した部分はと言うと――
(勇者と一緒に旅に出る相手、前と全然違ってるな!?
いやそりゃ私は降りて代わりにアーネストがいるから、そうなっても別におかしな話じゃないのかもしれないけど)
前に共に旅をしていたリサやマーサとは、今にして思えば恋のライバルだった。
だからこそ勇者が倒れた時、皆絶望の淵に突き落とされたのだ。
そして時を遡った。
そうして、きっと色々と思うところがあったのだろう。
結果として世界が救われたのだからお笑い種である。
(私たちが魔王と対峙するのは、荷が重かったって事なのかもね)
前であればそんな風に思わなかったけれど、今ならそうとしか思えない。
だが別に悔しくもなんともなかった。
何故なら今のアリアにはやりたい事ばかりがあるのだ。
魔王を倒さなければならないだとか、編み出した魔法をブラッシュアップして速やかに魔族たちを殲滅しなければだとか、強迫観念みたいに自分を追い詰めるような事を考える必要だってない。
そんな事よりも、日々生活を続けていくうちにこういう魔法があったらなぁ、という風に色々な案を思い浮かべ、それを実現する事の方が余程重要なのだ。
だからこそアリアは。
旅の合間にあった出来事を語っているアーネストを適当にあしらって、次の構想を思い浮かべるのである。




