次は違う道を歩んで
悲鳴。絶叫。
まさしくそうとしか言えないものが耳に届く。
それは、自分の口から出たものだったのかもしれないし、別の誰かのものだったかもしれない。
だが、そんな事はどうでもよかった。
どうでもよかったのだ。
目の前の光景に比べれば、誰が絶望の叫びをあげたかなんて。
愛する者の死。
目の前の状況を何もできないまま見ているだけの自分。
そもそもどうにかしようにも、既に満身創痍でマトモに身動きすらできないのだ。
自身の無力さに打ちひしがれる間もないうちに、世界の希望が潰えようとしていた。
魔王と呼ばれる存在との最終決戦。
勇者と呼ばれる、自身が信頼し、愛していた存在の敗北。
まもなく訪れる世界の終焉。
それら全ての絶望が脳裏に浮かぶが、脳はそれらを麻痺したかのように他人事として処理していく。
あぁ、もっと、もっと他にやりようがあったはずなのに。
あの時ああしていれば。
こうしていたら。
そんな風に後悔がよぎる。
彼が負けた以上、この後に訪れる未来は破滅である。
すぐに自分たちも死ぬに違いない。
あぁ、こんな事になるんだったら……!!
後悔の言葉を零す事はなかった。
直後、光が視界を奪い、あまりの眩しさに目を閉じて何が起きたのかを理解するので精一杯だったから。
――奇跡は一度だけですよ。
そして、そんな声が聞こえた気がした。
「……え?」
何が起きたのかを理解するのに少しばかり時間がかかる。
恐る恐る目を開ければ、視界に広がったのは一面に広がる草原だった。
魔王と対峙した、あのおどろおどろしい雰囲気たっぷりの、暗黒魔城ではない。
この光景を憶えている。
故郷の、村の、昔からずっと見ていた風景だ。
一体何故?
これも魔王が仕掛けた幻影だろうか?
だとしたら、油断はできない。警戒を怠ってはならない。
だが、勇者が倒れたのだから、こんな真似をしなくたってトドメを刺そうと思えばいつだって簡単にできるはずだ。わざわざこんな事をする意味はない。
警戒しながらも、しかし何が起きたのか理解できないままに呆然としていれば。
「リサねぇちゃーん、なにやってんのー?」
「……なに、って」
「父ちゃんが探してたぞー」
「え、えぇ、今いくわ」
声をかけてきたのは、リサの隣の家に住むサディの弟、ケントだ。リサの三つ年下の彼は、いつだって元気に村の中を駆けまわっている。
何がなんだかわからないままに、リサは自分の父親が探している、という言葉に家に戻ろうとした。
途中通ってきた道から見える景色は、記憶にある故郷の風景そのままで。
「あ……」
なんだか無性に泣きたくなった。
だって故郷はこの後、魔王軍の侵攻で滅ぶのだから。
そうやって滅んで、自分の家族が死んで、幼馴染のサディもリサを庇って亡くなって。
ケントだってそうだ。
彼も、呆気なく死んだはずなのに。
家に戻ろうとしているリサを見て気さくに声をかけてくる村の人たちも、みんなみんな死んだはずだ。
自分一人だけが瀕死の状態でかろうじて生きのこって、それを助けられて。
そこで、魔王に復讐してやろうと思って。
自分を助けてくれた勇者と行動を共にして。
そして。それから。
旅の途中で、彼に恋をした。
サディに抱いていた想いは淡い恋心だったけれど、もう彼はいない。
彼のいない世界を、これから先、勇者と共に歩んで行こうと。そう決めていたはずなのに。
魔王への復讐心。勇者への想い。その燃え盛るような相反する感情だけで、走り続けてきた。
魔王を倒したその後は、勇者と一緒に暮らしていこうと。どこか世界の片隅にある小さな村で平穏に、穏やかに。今までの事なんて忘れるようにただただひっそりと生きて行こうと。
そう、思ってさえいたのに。
リサは疲れていた。
憎しみの炎を燃やし続け、魔王を倒すまでは止まらないようにとずっと、心は休む事なく走り続けていた。
つかの間の休息だって勿論ありはしたけれど、だが肉体的な疲労を癒しはできても精神の疲労はきっと何一つとして癒えたりはしていなかった。
すべてが終わってからの、その先。
未来を夢見て、それを心の拠り所にしていた部分もあった。
それ以外の綻びからは目を逸らして。
だが、だからこそだろうか。
勇者が魔王の攻撃で倒れたのを見た時に。
心がひび割れて、きっとあの瞬間粉々に砕け散ったのだ。
ずっとずっと休む事なく走り続けてきたリサの精神は、あの瞬間動く事を止めてしまった。
そうして胸に訪れたのは、言うまでもなく後悔である。
あぁ、どうせ負けるのなら。
死ぬのなら。
もっといろんなことをやっておくべきだったな……
あの時我慢したあれもこれも。試しにチャレンジしたってよかったのかもしれない……
あぁ、こんなところで死ぬんだ。私。
嫌だな。
……サディ、まだ待っててくれるかな。死者の国で会えるかな。
自身の命すら危うい状況となって、そこでリサの心に浮かんだのは、目の前で倒れた勇者ではなくとっくに死んでしまった幼馴染のサディであった。
あぁ、見ない振りをしていたけれど私、私……
すべてに後悔をして、そうして誰かの声がして。
気付けば平和な村に自分はいる。既に失ったはずの故郷に。
何があったのかはわからないけれど、それでも父が呼んでいると言われて戻ってみれば。
「最近魔物の群れが目撃されている。よくない事の前兆である可能性が高い。
そこで我々は調査に出ようと思う」
あぁ、憶えている。
忘れるはずがない。
それは、村が滅びる前の出来事だ。
あぁ。あぁ、嗚呼!
憶えている。忘れられるはずがない!
この後、村の戦える者たちが武装して調査に出て。
そうしてその反対側から魔族たちが村を襲うのだ。
戦う術もない者たちが一方的に蹂躙されて、その後魔物と魔族たちに挟み撃ちにされた調査にでかけた皆も殺される。
リサは村で待っていた。サディも村に残された。サディの弟のケントもだ。
「父さん、待って。嫌な予感しかしないんだ」
だからリサは。
これが魔王による精神的な攻撃であろうとなんだろうと、過去を変えるために。
再び悪夢を始めないために。
まずは父を説得するところから始めたのである。
結論からいって、村は無事だった。
そして村が無事であるという事は、つまりこれは魔王の仕掛けたものではない……とリサはようやくそこで理解する事になった。
時間を遡って過去に戻ってきた。
言ってしまえばそれである。
確かに直前で、奇跡は一度だけだという声が聞こえていた。気のせいだと思っていたが、気のせいなどではなかった。
多少、怪我をした人は出てしまったけれど、それでも全滅は回避できた。
村を襲ってきた魔族たちは下っ端も下っ端だったからこそ、前回の事を憶えているリサからすれば、どうとでもできた。
勇者と共に歩んできた日々で鍛えられた肉体はそうなる以前に戻ってしまったが、しかし相手の動きは理解できているのだ。であれば、相手の意表をついて奇襲を仕掛ける事だって容易い。
リサが暮らしている村は魔王軍が進軍をするにあたって、そこまで重要なところに存在していない。
だから、下っ端が小さな手柄狙いで襲ったにすぎないのだ。
けれどもそれを知ってさえいれば、落ち着いて対処すれば、勝てない相手ではなかった。
生きてる。
皆が、生きている。
その事実を噛みしめると、それだけで自然に涙が溢れてきた。
リサのその涙を、サディは大袈裟だなぁなんて言っていたけれど。
大袈裟なものか。
今回もサディはリサを庇って怪我をしたのだ。
ただ、前回のように命を落とすような事にはならなかった。それだけでリサが泣く理由は充分あったのだ。
「サディ」
「なんだよ」
「私ね、貴方が好きよ」
「ぅえっ!? ななな、なんだよいきなり」
「いきなりなんかじゃない。ずっと、ずっと貴方の事が好きだったの」
「おいまさか俺が死ぬとか思ってたのかよ!? それでいきなりこんな……!? えっ、ちょっとまてよ? 軽傷だと思ってたけどもしかして俺死ぬ? 実はなんかヤバイ病とか罹ったりしてるの? 嘘だろ? 嘘だよな!?」
「病気にはかかってないわ。でも今回の事で、ようやく自覚したの。
もしサディが死んでいたら……私」
「あぁもう泣くな。死なないから! お前を置いて死ぬもんか!」
サディには前回の記憶なんてないのだ、とリサはここで把握した。
そうよね、私以外に前の記憶があるのなら、村の皆だって……と思いはしたが、そうなれば余計に言えるはずもない。実は村が滅んで、リサだけが生き残ってその後勇者と出会い、魔王と戦う事になるなんて今のリサが言ったところで、きっと誰も信じやしないだろう。
勇者との旅の途中で、精霊の力を借りたりしてリサは強大な力を得ていたのだ。復讐の気持ちだけで強くなるにしても、それだって限度がある。
だから今のリサがいずれ魔王と戦う事になるだなんて言ったところで、今のリサしか知らない村の人たちが信じるはずなんてないのだ。
「嘘つき」
「嘘じゃねーって」
「じゃあ、証明してくれる?」
前回自分を庇って死んだサディ。
それを知っているのはリサだけだ。
お前を置いて死ぬもんか、なんてよく言えたものだという気持ちはある。だって置いて逝かれたもの。
けれども、だからこそどこか拗ねたように言ってみせればサディはムキになってそんな風に言うものだから。
「しょっ……!? 証明!?」
「そう。結婚してくれる? 私の事お嫁さんにして、これからずっと一生一緒にいてくれる?」
「お、おう。って、けっ、結婚!? 流石に早すぎやしないか!?」
「早くなんてない。全然早くなんてなかったよ」
「なっ、泣くなよわかった。しよう結婚! でも式を挙げるにも今すぐってわけには」
「うん。三年から五年を目途に計画していこう。その頃にはきっと平和になってるかもしれないし」
「そうかあ? もっとヤバイ事にならなきゃいいけどなぁ……ま、そんときゃお前の事は俺が守るからよ」
目を逸らしながらサディが言う。
けれどもその顔は真っ赤で、目を逸らしたのだって気まずいというよりは照れているからだとはリサにだって理解できた。
――そうだ。
これでいい。
村が滅びていないのなら、リサが旅に出る理由は消える。
家族がいて。友人がいて。サディがいる。
復讐の炎に身を焦がしながら魔王に戦いを挑む理由は消えたのだ。
そして、勇者と共に行動する理由も。
(えぇ、これで良かったんだわ。本当に。
サディへの気持ちから目を逸らして、彼を愛していると思いながら、嫉妬なんてしなくてもよくなった。いいえ、嫉妬する理由もなくなった。
私がいなくたって、彼には他にも仲間がいるもの。これで、よかったの)
勇者の事が好きだったのも嘘ではない。
サディがいなくなって、その後に出会った彼と行動を共にしていくうちに、確かにリサの中では彼の存在が大きくなりつつあったのは確かだ。
だが、今はまだ。
そんな勇者とは出会う以前の話である。
仮に出会ったとしても、今の自分にはサディがいる。
家族だって生きている。
皆がいる。
勇者の仲間として共に歩む事はないだろう。だって自分にはその理由がない。
もしこの先どこかで勇者と出会ったとしても。
そして仲間として共に行こうと誘われたとしても。
その誘いに乗る事すらないだろう。
(そうよ、私じゃなくたって何も問題はないわ。
彼の周囲には私以外の女だっていたんだから)
思い出す。
勇者も最初は一人だった。
そこで魔族に対して復讐心を滾らせていたリサと出会い、目的が同じである以上は、という事で行動を共にするようになったのだ。
けれどもその後、彼には他の仲間もできた。
仲間であるからこその距離感。
その中で、自分だけは少しだけ違うと思っていた。
けれども、冷静に考えてみれば果たして本当にそうだっただろうか?
今のリサにはもうわからない。
確かめようにも時間が戻った今、また同じ道筋を辿るつもりはないのだから。
大軍を率いて魔王相手に挑もうとしたところで、そうなれば途中で妨害が入るのは明らかだった。
だからこそ少数精鋭で行くしかなかったけれど、彼が仲間にと選んだ相手以外にも、仲間になれるはずだった者はいたのだ。
その中にはきっとリサよりも強い相手がいたはずで。
魔王を倒す事を第一に考えれば、魔王相手に復讐心を滾らせて、精霊の力を借りてその身に宿して無理矢理力をひねり出して戦うだけのリサよりも、もっと強い相手はいたのだから、そちらを選べば良かったはずなのだ。
あの時は共に歩んできた仲間だからそれが当たり前だと思っていたけれど、だが今にして思えば本当に? という疑問が芽生える。
絆の力と言ってしまえば確かにそれは尊いものなのかもしれないけれど、しかしその結果はどうなった?
勇者は魔王との戦いに敗れたではないか。
であれば、今度は何があったって彼と共に行く必要がない。
自分よりも適任が確実にいるのだから。
(もしかしたら他の皆も私と同じような選択をするかもしれないけれど。
でもそれは、少なくとも前回と同じような事にはならないって事だもの)
そう考えれば、あの敗北は必然だったのかもしれない……なんて思えてくる。
奇跡は一度だけ。
あの時聞いた気がした声は、もしかしたら神様だったのかもしれない。
奇跡なんて起きるはずがないと思っていた身である以上、その一度が起きただけでも充分である。
この先奇跡が起こらなくても。
もし、勇者がまた魔王と戦って負けたとしても。
その時は、違う手段でどうにかするしかない。
前は心のどこかで勇者を頼り、慢心していた部分もあったかもしれない。
勇者なのだから、という気持ちがあったのは否定しない。
だがその結果がアレであるのなら。
リサの隣に今いるのは勇者などではない。
特別な力なんて持っていない、それでもリサにとってかけがえのない存在である。
もし勇者が負けて、またリサが戦うために立ち上がるとしても。
その時はありとあらゆる手段で立ち向かうだけだ。
(頑張ってね勇者様。私は私で今度は別の戦場を選ぶわ)
多分、もし勇者が負けたら今度は何してんだ勇者という、八つ当たりでしかない怒りで戦う事になるのだろうな。
そんな風に思いながら、リサは照れてそわそわしている状態で「ん」と腕を伸ばしてきたサディの手を取って、ふわりと笑うのであった。




