芽生えた復讐の気持ち
地獄に落ちろ!
それが、ルミエラが最期に強く思った事だった。
直後には後頭部に強い衝撃。痛いと思ったのはしかし一瞬だった。
恐らくは打ち所が悪かった。
運が悪かった。
縁が悪かった。
周囲の関係も良くなかった。
こうなった理由を言葉にしたところで、ハッキリとこれだけが悪い、というものはなかったのではないかと思う。
そう、巡り巡って、色んなものが悪かった。
その結果歯車がピタリとはまって、ルミエラにとっての最悪が訪れた。
言ってしまえばそれだけの話だったのだ。
だからといってその事実を素直に受け入れられるはずもなく。
死の間際、ルミエラは強く、本当に強くそう呪った。
ルミエラの婚約者である、ミゲルに対して心の奥底から。
――そうして気付けば。
何故だか見覚えのある場所にいて、頭の痛みもなくなっていて、それどころかどうやら時間が巻き戻っているようではないか!
夢でも見たのだろうか……?
そんな風に疑っても、ああまで明確に、鮮烈に憶えているそれらが夢であったとは考えにくい。
「奇跡だわ……」
自室のベッドでルミエラは感極まったようにそう呟いていた。
自身の現状を不憫に思った神が、きっと奇跡を起こしてくれたのだと。
そう思うよりほかになかった。
確かにこの世の中には魔法というものが存在する。
けれども、時を戻すような大魔法を人が使えるはずもなく。
またそのような秘宝も存在していない。そんな物があると知られれば、過去を好きにやり直したい連中がこぞってそれらを求めて争っている事だろう。
だからこそ、今回の件は人間風情ができるような事ではない。
故に。
神の御業に違いないと。
そうルミエラは考えた。
たかだか一介の令嬢相手に神がそのような慈悲を果たして見せるだろうか? とは思うけれど、しかし実際に過去に戻ってきたのだからそうとしか言いようがない。
ベッドから降りて、ルミエラは机の上に置いたままの日記を開いた。
そうして確認してみれば、どうやら自分が死んだあの日から三年前が今である。
憶えている。はっきりと。
このまま何もせずにいれば、三年後にはまた同じ結末へたどり着くのだろう。
であれば、あんな未来をまた辿ってなどやるものか。
「せめてあともう一年昔だったら根本的に解決できたのに……」
そう呟くも、そもそもの話死んだはずの自分がこうして生きているのだから、文句を言える立場ではない。
大体時間を巻き戻すなど、偉大な魔法使いでもできやしないのだ。大勢の魔法使いたちを集めたとしても、きっと多大なる犠牲を払ってもし、もしも奇跡が起きて時間を巻き戻す魔法が発動できたとしても。
精々数日が限界だろう。
けれどもそのような事を実行しようとするにしても、それは無理な話だ。
大抵の魔法使いたちは各地の防衛を担っている。
ルミエラが暮らしているこの街にも何名かの魔法使いがいるとは聞いているが、気軽に会える存在でもない。
北の大陸に住む魔族たちが現在世界各地に攻め入っていて、決して平和な状況ではない。
勇者と呼ばれる者たちが魔族を束ねる魔王を倒すべく旅立ったとは聞いている。
ルミエラが暮らしているここは、最前線というわけでもないため、そこまでの危険はない。
少なくとも王都のような、要として存在している街というわけではないので油断はできないがそれでも一応普通に暮らせているのだ。
王都が陥落するような事になれば危機感を抱くどころか、ともかく逃げるしかないと思うようになるかもしれないが、少なくともルミエラが死ぬ前、あと三年の間はここは平和だ。
三年どころかその先も平和かもしれない。
ルミエラは別に、魔族が襲ってきて殺されたとか、そういうわけではないのだ。
ルミエラが死んだ原因は、婚約者にある。
四年前――こうして時を戻った今から見れば一年前、ルミエラには婚約者ができた。親が決めた婚約である。
ミゲルの家の方が家格が上で、そんな相手との縁を結ぶ事ができたと父はやり遂げたような顔をしていた。
こうして時を戻る以前のルミエラも、その婚約に素直に喜んでいたと思う。
今となっては令嬢にあるまじきガサツさでもって「ハッ」と鼻で嗤ってしまいそうだが。
出会った時のミゲルは素敵だった。
だからまぁ、ルミエラが思わず見惚れてぽーっとなってしまったのは仕方ないと思っている。
大体初恋もロクにしていない小娘だったのだ。若気の至りと言ってしまえばそう。
だから、そんな素敵な婚約者に好かれようという一心で実に様々な努力をしてきた。
彼の隣に立っても見劣りしないように。
周囲からも祝福されるように。
ミゲルに自分を好きになってもらえるように。
それはもう、恋する乙女として涙ぐましい努力をしてきたのだ。
ただ、まぁ。
死ぬ間際、地獄に落ちろとまで思う相手だ。
一目惚れかつ初恋という事もあって、ルミエラの目は曇りまくっていた。
恋は盲目というが、むしろ塞がってたんじゃないかというくらい色々なものを見落としていた。
確かにミゲルは見た目はとても格好良かった。だからこそ、恋愛経験ゼロのルミエラはそんなミゲルの容姿にうっかり釣られて、まるで物語に出てくる王子様みたいだなんてお花畑な事を思ったわけだし。
ミゲルは確かに見た目は極上ではあるものの、中身はどうか、と言われると可もなく不可もなく……といった感じだった。性格が悪いとか、あからさまな欠点があれば良かったが、そういうわかりやすいものではなく単純に能力が低いと言えばいいだろうか。
努力をしていなかったわけではないが、それでもミゲルの家から見れば彼は落ちこぼれの部類に入るだろう。
対するルミエラは、ミゲルの家よりも身分的にも劣ってはいるが、ルミエラは幼い頃から学ぶ事が大好きで気付けば周囲から才女と持て囃されていた。
恐らくは、それもあって父はミゲルとの婚約を結び付ける事ができたのではないかなぁ……とは思う。
跡取りになるはずのミゲルが、しかしそこまで優秀ではないとなれば。
ゆくゆくは領地経営などをする事になるはずだが、ミゲルの父はミゲルに領地経営は無理かもしれないと思っていたのだろう。
だからこそ、妻になる相手が優秀であればそちらに任せるつもりだった。
つもりだったに違いない、と言わないのは、実際にそうするつもりで教育を受けていたからだ。ルミエラが。
領主代理として人を雇ってもいいのだが、今のご時世は色々と大変なので。
それでなくとも魔王軍と勇者様御一行が戦っているという状況下だ。身分の高い貴族たちはなるべく安全な場所にいたいと思うのは当然であるけれど、だからといって各々の領地に関する事を雇った相手にまるなげにするわけにもいかない。
領主様は安全な場所にこもって我々の事は見捨てたに違いない、なんて領民たちが思うような事になれば、じゃあ自分たちも逃げてやるとなって亡命する民が増えるかもしれないし、そうでなくとも代理として働かせている相手が領主の目が届かない事をいいことに、資金を横領する可能性もある。
平和な時ですらそういった犯罪は度々起こってきたというのをルミエラも聞いてはいるので、実感がなくとも世界の危機である以上、大金を持ってどこぞに逃げる者が出てもおかしくはないのだ。
大金を持ち、魔族領で身の安全を買う者も出るかもしれない。
……魔族たちがそれを受け入れるかどうかは知らないが。
だがまぁ、亡命するにしても何をするにしても、お金というものは無ければ困るがあって困るという事はあまりない。
大金を持つことで犯罪者に狙われる事はあるかもしれないが、困る事と言えば精々それくらいだろう。
さておき、ルミエラは下手な人物を領主代理として雇うつもりのないミゲルの両親の意向もあって、ミゲルの代わりに領地経営を行うつもりであった。本来ミゲルがやるべき執務のほとんどをルミエラは肩代わりしていたのである。
……まぁそれは、婚約をして三年目、つまりは今から二年後の話なのだが。
(はー、今にして思えば当時のわたくし……いえ、未来のわたくし? まぁどちらでもよろしいわ。
ともあれ、なんて愚かだったのかしら……その更に一年後には彼の裏切りが発覚して、命を落とす事になるのだから。馬鹿みたい。
ミゲルの代わりに領主としての仕事を請け負って、彼が喜んでくれていると信じて……おかしいと思いなさいよ。わたくしが寝る間を惜しんで働いていた間、あの男は遊んで暮らしていたのよ!?)
思い出すだけでも忌々しい。
婚約者として、既に領主の仕事を与えられてはいたものの結婚はもう少しだけ情勢が落ち着いてから……と言われていた。
実際ルミエラが命を落とす前、魔法使いたちの情報網から、勇者様方が魔王の城へ向かったという話が届いていたのだ。であれば、勇者と魔王の決戦は間もなく。
もし魔王が勝てば結婚どころの話ではない。人類が魔族たちのしもべとなるかもしれないのだ。
だが、勇者が勝てば世界は平和になる。魔族の残党狩りという後始末が残りはするだろうけれど、それはルミエラの仕事ではない。
だからこそ、勇者が魔王を倒したならば、その時に盛大に式を挙げようという話になっていたのだ。
(おかしいと思わなかったの本当に馬鹿!
大体、確かに現在の世界情勢から贅沢はできないとしてもよ!? 彼の家に泊まった時の食事とか、あまりにも貧相だったじゃない! あれ絶対私の事を疎んでやらかしてたって事よね……あ、駄目。思い出したら殺意が芽生えてきた)
ミゲルの父から領主としての仕事を教わるようになって、ルミエラはミゲルの家――公爵家で暮らすようになった。ルミエラが死ぬ一年前の話である。
それ以前は、婚約者同士の交流が主流で執務に関する事はそこまでガッツリというわけでもなかったのだ。
交流を重ねるたびに当時のルミエラはミゲルにのめり込んで、いずれ結婚するのだからとそれはもう張り切って彼のためにと本来彼がやるべき執務をこなしていた。夫を支えるのも妻の役目よね、なんて思って。
(単なる労働奴隷じゃない。やらないわ。こうして時が戻った今、あんなウキウキお花畑で頭の中身がイカレたとしか思えない行動なんて絶対にとらない……ッ!)
そもそもの話。
ミゲルにはルミエラ以外の愛する者がいた。
お相手がいるならルミエラとの婚約の話が出た時点で断れよ、と思うわけだが、ミゲルの愛する者とミゲルが結ばれる事を、ミゲルの両親は認めなかったらしい。
けれども諦められなかったミゲルは親の手前大人しく諦めた振りをして、水面下で関係を続けていたのである。そしてルミエラはそれに気付かなかった。死ぬ直前まで。
落ち着いて冷静に物事を見ていればもしかしたら気付けたかもしれない。
普段のルミエラなら。
だがその時のルミエラはミゲルに恋をしてのぼせあがって、しかもそんな相手が婚約者でいずれ結婚するのだからとなんの疑いも持たぬまませっせと彼のかわりに労働に勤しんでいたのである。
彼の裏切りを知った今、思い返せば色々と気付けるであろうポイントはあったのに浮かれて恋愛フィルターがかかった当時のルミエラの瞳には、ピンクの靄でもかかっていたのかこれっぽっちも気付けなかったのだ。
悪い魔法にでもかかっていたのか? というくらい本当に気付けなかった。
ミゲルが真に愛するお相手は、ぶっちゃけて言ってしまえばルミエラよりも一つ下の身分の家の令嬢だ。
ちなみにルミエラは伯爵令嬢、つまり真実の愛のお相手は子爵令嬢という事になる。
ミゲルが公爵家なので、単純に考えると確かに子爵令嬢との縁談は両親が反対してもおかしくはない。
それこそその子爵令嬢がルミエラのように優秀だとかであれば、可能性はあった。けれどもそうではなかったからこそミゲルの両親は反対したのだ。
ミゲルにも子爵令嬢にも領地を任せられないのであれば、人を雇うにしても信用できる相手を探さねばならない。仮に信用できるとなって雇ったとしても、土壇場で裏切る可能性などを考えると中々決められない。
赤の他人よりかは、ミゲルの妻となった相手の方がまだマシ……という打算によってミゲルの父はルミエラとの婚約を決めたわけだ。結婚してしまえば余程の事がない限り離縁はできないし、そうなれば一蓮托生。
そしてその婚約者――ルミエラである――はミゲルに首ったけ。愛する彼のためにと努力しこれなら領地を任せても大丈夫だろうというミゲルの父である公爵からもお墨付きをもらい、魔王と勇者の決着がつくであろう話も流れてきたので、世界が平和になった祝いの宴と共に盛大な結婚式を挙げよう、という話になっていたのだ。
だがしかしルミエラは見てしまった。
ミゲルと子爵令嬢との密会を。
たまたま二人一緒にいただけ、というのであればバッタリでくわしただけで何もしていない、という言葉も信じられたかもしれない。
だがしかしルミエラが目撃したその時、二人は人目を避けるような場所で、しかと抱き合い、濃厚な口付けをかましていたのである。
これで何もなかった、は通用しない。
令嬢が転びそうになって支えただけ、くらいに見える程度の接触ならまだルミエラも完全に疑いを消せなくとも信じようと思ったかもしれない。しかしどこからどう見てもそんな感じではなかったのだ。
場所が場所だったからそれ以上先に進む事はなかったと思いたいが、これがルミエラも足を踏み入れる事のないような室内、かつ密室であったなら。
それ以上の事にまで発展していたんじゃないのか?
そう疑えるくらいには、二人の距離は近すぎた。
恋に浮かれていた哀れな女である。
今の今までミゲルへの恋によって頭の中は一面の花畑が広がっていたようなルミエラである。
それが一瞬にして花畑に除草剤をぶちまけられたみたいになって、まぁ端的に言うとルミエラは冷静さを失っていた。
愛する者の裏切り。
そうとしか言いようのない現場を見てしまったのだから。
落ち着いて行動するのであれば。
ルミエラはこの二人がいつから付き合っていたのかや、今でも不貞をしているという証拠を集め、言い逃れができない状態になってからルミエラとミゲルの両親など無関係とは言わない第三者を集めた上で追及するべきだったのだ。
事前に両親に話をし、相談しておくという根回しもしておくべきだった。
そうすれば少なくともルミエラの味方はいたはずなのだ。
だが愛する者の裏切りとも言える行為にルミエラは一瞬で頭の血が沸騰したかのようになって、咄嗟に二人に声をかけていたのである。
二人に、というか主にミゲルに、ではあるが。
一体どういう事なのかと問えば、ミゲルはうんざりした様子で言い放った。
「どうもこうも、元々僕たちは愛しあっていた。けれども結婚を許されなかったからこうなった。ただそれだけだ」
そんな言葉に、ではルミエラとの事はなんだったのかと更に問えば。
「親が決めただけの関係だろう?
まぁ君には領地の事をやってもらうつもりがあるから、最低限それなりの対応はしたけれどそれ以上でも以下でもない。領主代行とするなら、君に対する扱いは破格だっただろう?
仕事にかまけてばかりなら子供を産み育てる時間なんてないだろうし、それはこっちでやるから君は今までどおり働いてくれればいい。
問題はないだろう?
我が家と縁を繋ぐ事ができたのだから。それ以上を望むのは過ぎた願いだ。そうだろう?」
どこまでも自分勝手な言い分だった。
妻としての役割ではなく領主としての役割だけを求められている。
子を作るつもりはない、とまで言われてしまったのだ。
今まで、出会った日からずっと彼に恋をしてきた。
大好きな彼のために頑張ってきた。
彼だってそれを認めてくれていたと思っていたのに。
だが実際は、馬車馬のように働いてくれるから愛想を振りまいてそれらしく見せていただけで、実際愛してすらいない、と言われたのだ。
ルミエラの恋心は粉々に砕け散ったし、すぐにそれを受け入れる事などできなかった。
だから――
思わず、ミゲルに近づいて考え直してと縋りついたのだ。
だが――
「触らないでくれないか」
そんな風に冷たく言われて、伸ばした手を振り払われて。
パンッ!
と、思った以上に甲高い音が響いて。
あ、と思った時にはルミエラの身体は後ろへ倒れていた。
思った以上に強く腕を振り払われた事で、その勢いで足元がふらついて、足首が思わぬ方向に曲がった。
ヒールの高めな靴を履いていたのも悪かったとは思う。
だが、少しでもミゲルと目線を近づけたかったから、いつも履いているものよりも少しだけ高いヒールの靴を選んだ。いつもの靴であったなら、きっとこうはならなかっただろう。
足元のバランスは簡単に崩れ、そうしてゴッ、という鈍い衝撃。
倒れる直前までの僅かな時間で、ルミエラの頭の中はすさまじい勢いで情報が処理されていく。
裏切られていた。
最初から。
こんな仕打ちってないわ!
そんな風に思ったからこそ、砕け散った恋心の残骸から這い出てきたのは――
地獄に落ちろ!
という、怨嗟である。
愛が憎しみに変わった瞬間であった。
だがそこでルミエラの意識は途絶えている。
そして気付けば時間が巻き戻り、今に至るというわけだ。
こうして時を遡ったとはいえ、ミゲルとの婚約は既に結ばれてしまっている。
だがしかし。
既に先を知っている以上、やり直せるのではないか。
ルミエラの中にミゲルへの恋は既にない。だからもう、恋に盲目になって彼のためにと働きアリのようにせっせと身を粉にするような事をするつもりもない。
着々とあの令嬢との浮気の証拠をあつめて、婚約を向こう有責で破棄。これは譲れない。
あれがミゲルの本性だというのなら、あんなのと結婚なんてお断りである。
ミゲルを失脚させた後、公爵家の跡継ぎ問題が発生するとは思うがそんなものはルミエラにとって知った事ではない。自分の結婚だって土壇場で台無しになるけれど、ミゲルと結婚する未来だけは有り得ない。
いっそ慰謝料たっぷり貰って、修道院にそのまま駆け込むもよし、そうでなくとも、自分を大切にしてくれる人がいるならこの際身分などは問わない。まぁ、そういう相手がいるかはわからないが、いなければ修道院でひっそりと過ごしていこう。
そんな風に心に決める。
その為に女は修羅になった。
地獄に落ちろ、なんて願っていたそれを、いっそ自らの手で地獄に落としてやる……! という決意へ。
公爵夫人として相応しくあれるように、と努力した数々のものは今、ミゲルを地獄へ落とすためのものへと変わったのであった。




