3. 第2章 軍部の命令-2
1週間後の朝、ハーディプールに突如として嵐が訪れた。
朝の静けさを切り裂くように車の走る音が響き、ハーディプールの前で止まったかと思えば、重厚な木製ドアが勢いよく開け放たれた。
1階の商品展示コーナーにいた店員や客たちの動きが一斉に止まり、揃ってドアの方に目線を向ける。
そこには軍服に身を包んだ男たちが立っており、店員の案内を待とうともせずに踏み込んできた。
それを見た者たちは無作法さに顔をしかめるが、遅れて店内に入ってきた者の顔を見て表情を一変させる。
モーリス・グレネル元帥。
ロックミア共和国の軍事最高責任者がそこに立っていた。
モーリスは55歳、身長172センチ。
こげ茶色の髪は短く刈り込まれ、緑色の目は鋭く光る。
熊のようながっしりした体格に加えて、濃紺の軍服には金色の肩賞と胸に無数の勲章が輝き、胸を張った姿勢はまるで動く彫像のような威圧感を放っている。
国内では様々な式典やイベントに参加していることもあり、上流階級の人間でモーリス元帥のことを知らない者はいない。
「よ、ようこそお越しくださいました...」
1階で最も役職の高い男性店員がモーリス元帥に挨拶する。
その声は乱れ、額に汗が浮かんでいる。
みっともない接客ではあるが、モーリス元帥の来訪は店にとって想定外の出来事であり、その点を考慮すれば彼を咎めることはできなかった。
これほど高位の軍人であれば、普通なら使者を出して工房長を指定の場所に呼び出す。
それが無理なら、少なくとも事前に連絡を入れて、受け入れの準備をさせるのが常識だった。
だが、モーリス元帥はその全てを無視し、まるで戦場に突入するような勢いで乗り込んできた。
こんなことをされて驚かない者がいるはずもない。
モーリス元帥は目の前に立つ人間をじろりと睨みつけた。
「重要な話がある。責任者を呼べ」
そう言い放った後、モーリス元帥は怒りを堪えるかのように拳を握りしめる。
良い知らせを持ち込んで来たようには見えない。
「ただちに!...ひとまずは、応接室までご案内致します」
男性店員は近くにいた店員に声をかけ、急いでスチュアートを呼ぶよう命じた。
怒り狂った高位軍人の相手など誰が務めたいというのか。
先日の大臣からの命令といい、こんな頻繁に厄介事を持ち込まれてはたまったものではないと、彼は内心悲鳴を上げた。
**********
連絡を受けたスチュアートは丸メガネの奥で目を丸くし、慌てて元帥が待つ応接室へと駆け込んだ。
応接室は重厚な木製の黒塗りテーブルと革張りの椅子が並び、壁には共和国の国章が刻まれた額縁が飾られている。
窓の外ではオックストンの街並みが朝霧にうっすらと霞み、柔らかな朝日が浮かび上がるとともに、どこからか鳥の鳴き声が微かに聞こえてきた。
だが、そんな爽やかな朝とは思えないほど、部屋の空気は重く張り詰めている。
スチュアートの前に座るモーリス元帥は、明らかに不機嫌そうな顔をしている。
モーリス元帥の背後には2人の部下が控え、無表情ではあるが無言で圧力を発していた。
「元帥閣下、お迎えの手際が悪く申し訳ございません。ご来訪を事前に伺っておれば準備を―――」
モーリス元帥に向けてスチュアートが言いかけるが、モーリス元帥は片手をあげて制した。
「工房長、ぬいぐるみ作りを担当する職人を今すぐ呼べ。話はそれからだ」
彼の声は低く、まるで熊の唸り声のように響く。
「...ぬいぐるみ作りですか?大臣から命じられている?」
「そうだ」
軍人らしい端的な回答。
そして、その端々から滲み出る怒り。
(ネイトがぬいぐるみ作りでやらかしたのか!?)
スチュアートは痛み始める胃を押さえながら、応接室の外に控えていた店員にネイトとラッセルを呼ぶよう伝えた。
しばらくして、ノックの音が響いた後、ネイトとラッセルが戸惑いながら部屋に入ってくる。
高位軍人に呼び出されるような心当たりはないと言いたげだった。
スチュアートが2人に座るよう命じるよりも先に、モーリス元帥はそんな2人を睨みつけた。
「貴様らがぬいぐるみ作りを担当する職人だな」
モーリス元帥の声には、質問ではなく断定の響きがあった。
モーリス元帥は腕を組み、2人を上から下まで値踏みするように見つめた。
「...まあ、そうっすね」
ネイトが気怠そうに答える。
隣に立つラッセルは背筋を伸ばし、黙って頷く。
モーリス元帥は一瞬眉をひそめたが、すぐに気を取り直して口を開いた。
「このぬいぐるみの仕事は、共和国の―――いや、共和国と軍の威信を賭けた争いだ。それを分かっているのか?」
「は?」
真剣極まりないモーリス元帥の発言に対し、ネイトが思わず声を漏らした。
ラッセルも驚きを隠せず、唖然とした。
スチュアートですら困惑の表情をしている。
ぬいぐるみ作りがいつの間に国家と軍の威信に繋がったのか。
3人には皆目見当がつかなかった。
「はぁ? 何だそりゃ」
ネイトが口を開いた瞬間、ラッセルが素早く彼のシャツの背中を引っ張った。
ネイトは不満げにラッセルを睨むが、ラッセルの灰色の目は「黙れ」と警告していた。
今回は相手が悪すぎる。
怒らせれば身の安全は保証できない。
そう言外に伝えようとする目を見て、ネイトは大人しく黙り込んだ。
モーリス元帥はそんな2人を無視して立ち上がり、ゆっくりと部屋を歩き始めた。
「先日、ヘザーリン帝国との会談が行われた。目的は悪化する両国の関係を改善し、軍事衝突を回避するための話し合い。共和国からは私が、ヘザーリン帝国からはドルフ・ドリューウェット元帥が。それぞれを代表とする軍部関係者が中心となった会談だ」
それを聞いたスチュアートは顔を歪める。
モーリス元帥とドルフ元帥の仲の悪さを知っているからだ。
ドルフ元帥は55歳、身長180センチ。
黒い髪は丁寧に撫でつけられ、青い目は氷のように冷たい。
痩せた体格は、モーリス元帥の熊のような存在感とは対照的だった。
これまでに開催された会談の雰囲気は最悪で、両者は互いに一歩も譲らず、皮肉と嫌味を投げつけ合う不毛なやりとりが続いたと聞いている。
「無駄な争いを回避するために開かれた友好の場。我々は両国の関係改善のため、その責務を果たすべく参加した。だが、そこで奴らは我々を侮辱した」
モーリス元帥の声に怒りが滲む。
彼は窓際に立ち、朝霞が薄れつつあるオックストンの街を見下ろした。
そして、ネイトらの方を振り返ると、部屋の空気を一変させる一言が飛び出した。
「ドルフめがこう言ったのだ。『お前たちの国は、子供たちを満足させるぬいぐるみすら作れない』と!」
モーリス元帥は拳を握り、その声は応接室の空気を震わせた。
「ふざけるな!ベアトリスを欲しがっている私の孫娘。その彼女が満足できるだけのぬいぐるみを与えられない。そんな不甲斐ない我々を嘲笑ったのだ!」
その言葉を聞いたネイトは内心で「なんだそりゃ」と呟き、ラッセルやスチュアートも「そんなことで...」と困惑した。